カジュからのメッセージ

こちらのコーナーでは、
カジュ・アート・スペースが年4回発行している「カジュ通信」の記事を中心に、カジュに集うアーティストたちや地域活動家たちのメッセージをお届けいたします。

2005年以前のメッセージについてはこちらをご覧ください。

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川本真理の「イタリアからの手紙」

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ピアニストであり、料理人でもある川本真理さんの、
心にもカラダにも美味しいお手紙集です。

2017年 新春号

2016年 秋・冬号

2016年 夏号

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イタリアから鎌倉への手紙 3 「 春へ 」

 お元気ですか?冬から春へ移りゆく季節、市場では美味しい青菜や色鮮やかな人参、蕪や大根が並び、 もう少しするとフキノトウや芽キャベツがで始める頃でしょうか。寒いけれど水面下で氷が少しずつ溶けて ゆくこの季節も好きです。

 イタリアに来て、料理からたくさんの学びをもらっていますが、一番よかったことは?と訊かれたら 迷わず、イタリアの人たちと一緒に働き日々過ごせたことです。日々厨房で働くなかで最初驚いたことは、 皆が冗談を言ったり歌を歌ったりして、楽しんで働いていることです。

むしろ何も言わないと満足している、と思われてしまいます。傍らにいるこちらが耳鳴りするほどの激しい 言い合いの後は、気が付くと冗談を言い合って仲直りしていたりします。文化なのでどちらがいいという ことではないですが、子どもの純真さと正直さと優しさを持ったまま大人になったようなイタリア人たちと 過ごすなかで、私も頭でっかちな大人から素直なこどもに還っているような気がするのです。 

 実はイタリア人と働くなかで、私こそ、一緒に働く人達のことを仕事の技量や出来で見ていたのだと気付かされて、情けなく悲しい気持ちになりました。それ以上にその人の人生、暮らし、家族が大事なこと、仕事はその中の一部であり他を犠牲にするものではないことも、イタリアで痛感させられました。

 先日、ミラノの一つ星レストランのシェフをしていたFabrizioと一緒に料理をする機会に恵まれました。 彼が私に話したことばが忘れられません。
「料理の仕事で情熱と誠実さは必要だよ。でも一番大事なのは遊び心だ。人生が遊びだから。技術や知識は 必要だけれど、愛が大切だよ。愛があれば間違えてもいいんだ。」料理のひとつひとつの工程―それが下手で未熟であっても―を大切にして、自分に“YES”を言っていく、その積み重ねをしていこう、それが恐れや 否定を溶かしていける、人にも“YES”を言ってゆけるのかなと今は思っています。料理だけでなく、すべてのことに。

 こちらに来てまだ間もない頃、フィレンツェのアパートに住み、私はイタリアの人たちの胸に愛が赤く灯っているのがみえるように感じました。そのときのことを“花束”というピアノ曲にしました。生きてることに花をあげて祝福したい。次回はピアノのことも書きますね。

 寒いけれどたくさん笑ってお元気で!

(2017年・新春号)

川本真理

料理人、ピアノ弾き。
東京PURE CAFÉ、鎌倉のLife Forceを経て、現在イタリアで料理修行中。
2012年ピアノCD「カゼノカミサマノイルトコロ」発表。
カジュ・アート・スペースさんでピアノの練習をさせてもらう時間がとてもすきでした。
メールはこちら。

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イタリアから鎌倉への手紙 2 「 収穫 」

  お元気ですか?鎌倉の秋は山の紅葉や、レンバイ市場のおばちゃんが朝からストーブの焼き芋の匂い、 夕暮れの冷たい空気と商店街の灯りを思い出します。収穫の秋、こちら北イタリアのトリノでは、2年に一度のスローフードの祭典”salone del gusto”が催され、私たちのレストランもシェフのアレクサンドラと現地のレストランの厨房を一日任され、たくさんの料理をつくりました。メニューは例えば、鱒の燻製や黒トリュフとズッキーニのパテを挟んだ小さなパニーニ、黒胡椒とチーズのピエモンテ州産のお米のリゾット、紫じゃがいもと人参の2色のスープ、自分たちで収穫した葡萄のソルベなどなど。大きな野外会場には、イタリア各州だけでなく世界各国のブースが並び、それぞれの地域の伝統料理や農産物、ワインやビールが振る舞われ、世界中から来た多くの人たちで賑わいました。

 今回の祭典では、偶然にも私の10年来の友人が日本のスローフードの代表団として参加していたので 少し紹介をさせてもらいます。友人は小澤陽祐さん、Slowというコーヒー会社の代表で珈琲焙煎人。 Slowはブラジルやエクアドルの農薬や化学肥料に頼らず栽培されたコーヒー豆を、生産者さんに正当な取引きをするフェアトレード(公正貿易)で生豆を輸入し、日本で自家焙煎して全国に卸し売りをしています。私は学生の頃に小澤さんと出会い、しごとのお手伝いをさせてもらったことがきっかけで、食のしごとをして生きていきたいと思ったのでした。コーヒーの美味しさはもちろん、環境や社会問題に対して食をとおして貢献する在り方、まだオーガニックという言葉さえ浸透していなかった頃に、他にないから自分でつくる、自分のしごとを自分でつくる姿勢に強く魅かれたことがはじまりです。問題に対して声高に反対するだけでなく、毎日の暮らしから変える在り方、自分にとって正直で好きな生き方をしごとを通して表現したいと思ったこと、何より逆境があっても、いつも楽しそうでふざけているようで実はマジメな小澤さんの人柄に影響を受けたように思います。最近では原発を使わないで会社のエネルギーを自給したい、ということでソーラーエネルギーによる発電で焙煎を始めています。

 イタリアのスローフード運動に魅かれたのも、地産地消、伝統料理を守ることで生産者さん、環境、まちづくりなどに貢献する食による社会運動というところに、私の原点を重ねていたように思います。

 さて、私の暮らすピエモンテ州はワインの産地であり、シェフの旦那さんのビオの葡萄畑でも収穫の季節です。早朝の畑に出て、日が沈むまで葡萄の汁と土埃にまみれながら皆で手狩りをしています。
ずっしりと重い葡萄のバスケットは赤ちゃんのような嬉しい重み。収穫ということが一人ではできないこと、そしてこんなにも喜びがあるものなのだということを全身で感じている秋です。

(2016年 秋・冬号)

川本真理
料理人、ピアノ弾き。
東京PURE CAFÉ、鎌倉のLife Forceを経て、現在イタリアで料理修行中。
2012年ピアノCD「カゼノカミサマノイルトコロ」発表。
カジュ・アート・スペースさんでピアノの練習をさせてもらう時間がとてもすきでした。
メールはこちら。

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木 霊

Theatrekhaju20170120 ママに扮して魅惑のボイスを披露する某役者(ファウストより)

皆さんにとって心地よい声とはどんな声ですか?
   濁りのない澄んだ声? 温かみのある鼻にかかった声? はたまたセクシーなハスキーボイス? 人それぞれ「好きなタイプの声」があるかと思いますが、特段好きでないタイプの声の中にも、時として心地よい声というのがあるのではないでしょうか。
 では、もう一つ質問です。「自分の声が好き!」という方はいらっしゃいますか? 誰もいない? 一人も? そう、自分の声を録音したものを聞くことほど、嫌なものはないですよね。概して人は自分の声は好きではないもの。

うちの劇団に、その声のファンが多い役者がいるのですが、その彼ですら、うちに来た当初は「自分の声が嫌で嫌で」と言っていましたから、この法則は誰にでも当てはまるのではないかと思います。そう、どんなナルシストでも、自分の声だけは我慢がならないと思っているのではないでしょうか。

台詞劇にとって役者の声は命にも等しいもの。お客さんに届く大きな声を出せるように、心地よく聞いてもらえる声を出せるように、誰しも努力を惜しみませんが、一方で、大きいけどけっして心地よいとは言えない声を発する役者も少なくありません。この違いは一体なんでしょう?

これは、僕はひとえに「不自然さ」ではないかと思っています。どんな声でもその人が無理なく自然にのびのびと発している声は耳に心地よいもの。好きではないタイプの声の中にも、時として心地よい声があるのはこの理由によるのだと思います。もちろん、役やシーンによっては耳障りな声を求められることもありますが、まず、その人にとって一番自然な声とは何かを見つけること、そして、いつでもそれを出せるようにすることこそ、発声の第一歩であると僕は考えています。

自分の声を聞く機会といえば、もうひとつ、「こだま」がありますね。日本では「木の霊が真似して返す」と思われていたことから「木霊」と書きますが、西洋のそれはもう少し切ないお話が元になっているようです。

英語で木霊は「echo(エコー)」。その語源はギリシャ神話にまで遡ります。おしゃべり好きのニンフ(妖精)・エコーは浮気者の神・ゼウスの妻ヘラの怒りを買って、人の言うことを繰り返す以外、声を発せなくされてしまいます。恋した美男子ナルシスにも気持ちを伝えられず、ただ彼の言葉を繰り返すのみ。誤解を招いたエコーは悲しみのあまり消え失せて、最後には声だけになってしまうのです。

なんとも切ないお話ではありませんか。ああ、だから自分の声はなんとも嫌な感じに聞こえるのか・・・いえいえ、このかわいそうなエコーのためにも、皆さん、もう少し自分の声を愛してあげてください。ひょっとすると、それが素敵な声になる第一歩かもしれませんよ。

2017年初春 紅月劇団 石倉正英

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シェイクスピア!

このたび、おかげさまで20周年記念公演の第三弾「テンペスト」が盛況のうちに無事幕を閉じることができました。ご来場いただいたみなさん、応援いただいたみなさんに心より御礼申し上げます。

「テンペスト」はウィリアム・シェイクスピアの最晩年の作品で、日本では「あらし」と訳される傑作スペクタクルです。娘とともにたった二人、地中海の孤島に追いやられたミラノ公国の王・プロスペローが、たまたま島の近くを通りかかった敵どもを、魔法の力で嵐を起こし、復讐するも、最後には「許し」を与え全員と和解する、というお話。 世界では宗教や主義の違いに端を発した報復の連鎖が今現在も続いていると言えますが、すでに17世紀において、シェイクスピアは「許し」と「和解」こそが憎しみを終わらせる唯一の方法と説いています。

私としては久々、他の作家が書いた作品、それもかのシェイクスピア御大の作品を取り上げるということで、色々な発見や刺激がありました。 思い起こせば、当初は、某お寺の境内での野外公演を考えていたので、舞台は鎌倉、復讐劇ということで比企一族のエピソードを絡めて完全に書き直すつもりでいたのですが、色々な事情や偶然の導きにより、北鎌倉のツドイという屋内空間を舞台にすることになり、その空間のインスピレーションから、ふと、シェイクスピアの言葉をそのまま使ってみようという意識に変化していきました。

ということで、今回はシェイクスピアのセリフ一つ一つと実に真正面から向き合うことになったのですが、そういう目で見てみると、彼の脚本を書く上での苦労を目の当たりにした気がしました。この説明的なセリフを言わせるためにわざわざこんな聞き方をさせているのだな、とか、構成上の苦労などなど。実にホッとしたというか、いかにシェイクスピアといっても同じ悩みをかかえ、苦労して書いていたことが分かっただけでも、私にとっては大きな収穫。笑

それと普段「心情は言葉にしない、行間に押し込める」ということを肝に銘じている私にとってみると、心の中をそのまま発語する西洋演劇の典型的なセリフの数々は、鬱陶しいったらありゃしない! そこは日本の鎌倉で、それも我々紅月劇団がやるのだから、という強い意志の元、徹底的に重要な?セリフを削って行間に押し込めていくという作業は、何とも胸のすく作業でありました。

2016年秋 紅月劇団主宰 石倉正英

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往復書簡(51) たなか牧子さんから石田人巳へ  2017年

51回続いたこの往復書簡もこれをもって一区切りとなります。

カジュに集う多くの仲間が、それぞれに刺激しあい、親交を深めている様子が

毎回、手紙のやりとりから伝わってきました。

このシリーズの担当をさせていただき、私も多くのものを得ることができました。

皆さん、ありがとう!石田人巳

テーマ:文字とは、書くとは

石田人巳さま

気がつけば、カジュ・アート・スペースは、今年で20年目。

石田さんとはその前から、よりとも公園に集う、子どものお砂場仲間のママ同士、というところ からご縁がスタートしたのでした。

すでに、その頃一緒に遊んだ石田さんの息子さんも、私の息子も成人してしまいましたが。

あっという間でしたね。

石田さんにはカジュ通信の創刊号から、編集をお手伝いいただき、しばらくしてこの「往復書簡」 の企画を立ち上げてくださり、以来、書いてくださる方の手配、連絡、記事の編集を一手に引き受け てくださって、すっかり、カジュ通信の看板コラムになりました。

さてさて、今まで書いてくださった方、一体何人ぐらいいらっしゃるでしょうね。

この2ページで繰り広げられる様々な化学反応に、心躍り、うーんとうなり、くすりと笑い、ぶんぶんうなずき・・・ほんとうに豊かな気持ちになりました。

全ては石田さんの、長年に渡る心のこもったお仕事ぶりのおかげです。

石田さんは編集者としてのキャリアもさることながら、書道の師範でもいらっしゃいますね。ふと、石田さんにとって、「文字」ってどんな存在なのかな、と思うようになりました。

私も昨年、本を出させていただく幸運を頂き、4ヶ月ほど、どっぷり「文字」の海をあっぷあっぷと 泳いだのですが、その時つくづく思ったのは「ああ、日本語が母国語で幸せ〜!」ということでした。

漢字もカタカナもひらがなも、その組み合わせで生まれる言葉のあれこれも、みんな愛おしくてありがたくて、幸せだなぁと。

石田さんにとって、文字とは、書くとは・・・?うーん、お返事、興味津津です。

これで「往復書簡」は幕となりますね。ほんとうにほんとうに、長い間、ありがとうございました。

これからもどうぞよろしく。 

たなか牧子拝

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