カジュからのメッセージ

 

こちらのコーナーでは、
カジュ・アート・スペースが年4回発行している「カジュ通信」の記事を中心に、カジュに集うアーティストたちや地域活動家たちのメッセージをお届けいたします。

 

2005年以前のメッセージについてはこちらをご覧ください。

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紙芝居師なっちゃん! 13

カジュ通信 2021年 夏号

 

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紙芝居師なっちゃん 12

カジュ通信 2020年 春・初夏号

 

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紙芝居師なっちゃん! 11

カジュ通信 2021年 新春号

 

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紙芝居師なっちゃん! 10

カジュ通信 2020年 秋・冬号

 

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アン・ブーリン

20210727-195120 アン・ブーリン(1501-1536)

 このご時世にも関わらず、大変ありがたいことに今まで面識のなかった団体から脚本の仕事をいただきました。テーマはアン・ブーリン。アン・ブーリンというのは16世紀のイギリスはイングランド王・ヘンリー8世の二番目の王妃で、エリザベス1世の母親です。

 ヘンリー8世とは、生涯六人もの妻を持った傲慢にして色魔、欲望のままに生きたと言われる王。エリザベス1世とは、イングランド史上二人目の女王で、生涯独身を貫き、無敵艦隊と言われたスペインを破り、イングランドを超強国に仕立て上げたツワモノ。この超個性的な二人の人物ではなく、あえてアン・ブーリンを取り上げるとは、実に渋い企画でございます。そんなでアン・ブーリンを紐解いてみると、これがまた波乱万丈の生涯なのでした。

 10代の頃、新興貴族であった父の命でフランス宮廷の侍女となったアン・ブーリンは、持ち前の知性と感性で、音楽やダンスに秀で、プロテスタントをはじめとする当時最先端の知識や思想をも吸収し、魅力的なレディとなってイングランドに帰国します。首に大きなアザがあり、右手の指は6本あったと伝えられるアンですが、それらを隠すものすら洗練されたファッションに変え、その浅黒い肌と黒髪もエキゾチックな魅力に変えて、男たちの注目の的となりました。中でもぞっこんだったのが、時の国王ヘンリー8世。ヘンリーはこの時、スペインから迎えたキャサリンと結婚していましたが、キャサリンとの間には男の子が生まれず、それが悩みの種でもありました。当初、アンに惚れたヘンリーは、アンを愛人の一人にしようと思いましたが、そんな王の申し出をアンはことごとく突っぱねてこう言います。「私が欲しければ正式な妻としてお迎えください。その代わりに、必ず男の子を産んで差し上げましょう」

 この言葉にますます虜となった王ですが、当時イングランドはローマ・カトリックの支配下にあり、離婚が禁じられていたのでした。するとアンは大陸で学んだプロテスタントなどの新しい考え方を王に吹き込みます。アンと王子が欲しい王は、ナイスアイデアと速攻ローマ・カトリックと決別し、離婚OKの独自のキリスト教会を立ち上げ、イングランドの国教としてしまいます。そしてその足でキャサリンを離婚し、アンと再婚したのでした。この時アンは一人の子を身籠っていました。医者も占星術師も口を揃えて「男の子に間違いありません」と請け負いましたが、生まれ出たのは女の子・・・それがのちにイングランドを強国に導くエリザベス1世だったのでした。

 そんな先のことはつゆ知らず、落胆したヘンリーは百年の恋も一時に冷めるとばかり、浮気に精を出し始めます。これに対してアンの嫉妬は激しく、二人の仲は急速に悪化。そしてついにヘンリーはアンをロンドン塔に幽閉すると、実の弟を含む五人の男と姦通したという根も葉もない罪を着せて彼らとともに首を切り落としてしまいます。アンの死後、ロンドン塔から走り去る馬車の中に、膝に自らの首を抱えるアンの亡霊を見たという噂が後をたたなかったそうです。

 一人の人間の都合で公然と多くの人が殺される・・・なんとも野蛮な時代の話ですが、この脚本を書いていてふと、逆に人の命はいつからこんなにも重くなったのだろうという疑問が湧いてきました。

 歴史を眺めると、おそらくそれは二つの世界大戦や、コロナの流行など、大量に人の命が失われた経験がそうさせるようになったのかもしれません。誠に結構なことと思っていた矢先・・・、衝撃的な記事に出会いました。いわく「人類が滅亡しても地球には良い影響しか与えないけれど、昆虫が滅亡すると地球は死に至る。そして昆虫は急速にその数を減らしている」と。人は確かに人を殺さなくなったけれど、もっと弱者である虫を大量に殺している。直接的にも間接的にも・・・。本質的にはヘンリー8世の時代と何ら変わっていないのかなぁ、と、家の中にばら撒いたホウ酸ダンゴを見つつ、独りごちるのでした。

 

2021年 夏号 紅月劇団 石倉正英

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ホケキョウ


 「ホ~ホケキョ」春を告げる鳥・ウグイスの鳴き声で目覚める今日この頃。なんでもウグイスの鳴き声にはその年その年でブームがあるそうで、昨年僕の家の近くで鳴いていたウグイスは「ホ~ホケチョ」と鳴き、今年のウグイスは「ホ~ホケキョケキョ」と必ず「ケキョ」を一つ付け足して鳴いています。思わずクスッと笑ってしまう鳴き声ですが、彼らはきっと大真面目に格好いいぜ!と思って鳴いているのでしょう。

  「ホ~ホケキョ」といえば法華経。そう何を隠そう、これを書いている今は、我が紅月劇団久々の鎌倉公演「不愉快なみほとけ~日蓮聖人殺害計画~」の本番真っ最中なのであります。なぜ本番中にこのコラムを書いているのか・・・締め切りを忘れていたからでございます。笑 というわけで(どんなわけで?)、今回のテーマは「法華経」をその思想の根本としたお坊さま・日蓮上人に触れてみたいと思います。

  安房国(千葉)勝浦で生まれ、比叡山や高野山に遊学し、立教を開宗した日蓮は、当時の日本の実質的な首都・鎌倉で布教しようと安房国から小舟に乗って鎌倉を目指しますが、途中大嵐に逢い遭難してしまいます。大波に飲まれ、木の葉のように漂うばかりの日蓮を導いたのは、突如として現れた白猿たちでした。白猿たちは日蓮を今の横須賀沖の小さな島に導きます。これが今の猿島で、その名の語源ともなったとか・・・。

 大嵐の海に突如として白い猿が現れるとは、にわかには信じがたいエピソードですが、白猿の伝説はその後も続きます。

 鎌倉入りして松葉谷(今の妙法寺)に草庵を結んだ日蓮が、念仏宗から焼き討ちの攻撃を受けた時(松葉谷の法難)も、白猿が山の中を導いて日蓮を逃した、と・・・。

 澁澤龍彦さんは、「きらら姫」という小説の中で、この白猿を「木地師」つまり「山の民」として描いています。さすがは澁澤さん、とても面白い解釈ですね。実際そうだったのかもしれません。ひょっとすると、海での遭難を救ったのも猿ではなく「海の民」だったのかも。もっと言えば、そもそも日蓮自体が「海の民」だったのかもしれません・・・。

 さて、日蓮聖人没後二百年ほどたったころ、とんちで有名な一休さんが身延山にある日蓮宗の総本山・久遠寺を訪ね、「ナムアミダブツ」と唱えつつ山門を通り抜けようとしたところ、近くにいた久遠寺の僧侶が血相を変えて飛んできて「ナムアミダブツとは何事、ここではナムミョウホウレンゲキョウと唱えなさい!」と諭しました。

  なぜ「ナムミョウホウレンゲキョウ」が良くて「ナムアミダブツ」がいけないのか。仏教に疎い私はこれまでどちらも似たようなもののように思っていましたが、どうしてどうして日蓮さんにとっては全く正反対ともいうべき言葉だったのです。

 「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」とは阿弥陀仏、つまり、仏の名前を唱えること。これに対して「ナムミョウホウレンゲキョウ(南無妙法蓮華経)」とは法華経、つまり、お経の名前を唱えること。「仏名を唱えれば誰でも来世は救われる」と説いた念仏宗を、現世の問題から目を背けさせる邪教と痛烈に批判し、釈迦の教えの最高のエッセンスが集められた法華経をこそ国の礎に、と説いた日蓮さんにとっては天と地ほど差のある言葉だったのです。

  これに対して臨済宗の一休さんはどう返答したか。「法華経の心も分からない私なぞが南無妙法蓮華経と唱えることこそ祖師(日蓮聖人)に失礼」と答えたのだそうです。さすがは一休さん、含蓄のある軽妙洒脱な名返答。これには流石の日蓮さんもクスリと笑ったに違いありません。

2021年 春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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