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2007年9月

満彩

カジュ通信2007年春初夏号より

 

小さな小さな赤い花をつけ、それが舞い散った後の冴え冴えとしたイロハカエデの色。
玄関までの細いアプローチに、毎年初夏に涼し気に咲き遊ぶツルニチ草のうす紫。
ポポンポンと刈っても刈っても毎年お元気なタンポポは、黄色に混じって白もいます。
ハコベのやさしい緑、ちょっと渋い“大人のピンク”はホトケのザ。

まだどう見ても‘冬’という肌寒いときに、いちばんに春を告げてくれるのは、ブンゴウメのうす紅色。
それからちょっと遅れて、ひと色濃い色の花をポテポテとつけはじめるのは、アンズ。
そのころに裏庭にはふきのとうが出はじめるので、はずせません。
花の頃のウメやアンズの枝影に見え隠れするのは、うぐいすよりうぐいす色の実はメジロ。

真冬の枯れ草やシダ、クマザサにてんてんと色を散らすのは、万両の赤い実、秋口から目につくようになります。
秋を彩るのは、キンモクセイの橙色。花の開花を十日ぐらい前からその香りが告げてくれます。
この頃から、淋しかったアプローチには、スイセンの葉が出はじめます。その葉がきれいに出そろう時、イロハカエデは、すっかり葉の色を変えて、燃えます。
そして、その葉が乱舞しながらハラハラ落ちるころ、スイセンの貴品のある香りが漂いはじめます。

古い家のガラスは、ゆらゆらとしたゆらぎがあって、イロハカエデの葉の間からこぼれる光も一層柔らかく写します。
砂壁は、朝玄関を開ける時にまだ、前の夜の冷たい空気をとどめていて、夏でも、部屋はひんやりしています。
壁には、それだけでなくいろんなものが染みこんでいます。10年前に私がこの家に出会う前の、以前の住人の暮らしの記憶はもちろん、庭の木々や草花の声もちゃんと聞いて覚えているようです。そして、この10年の、私たちの活動の一コマ一コマの残像も。
子どもたちが、楽しそうに廊下を走る音も、防音室からこぼれるピアノや歌声も、コンサートの音楽も、謡いの練習も、オカリナも、琴も三味線も、イベントに訪ねて下さったお客さんと交わした会話も、夜ひとりで仕事しながら聞いているCDも、ひとり言も、そして、機の音も。壁に耳をあてるとすべて聞こえてきます。
その響きが深いのは、人知れず、のみこまれた悲しみや、苛立ちや、怒りも、ひっそりと捨てられているからかな。
これだけ多くの人が輪をつくるのですから、その過程では、私が気づかずに見過ごしてきた周囲の人の“閉じこめてくれたネガティブな気持ち”もたくさんあったにちがいありません。
ごめんなさい、そしてありがとう。
最近は、染め場に立ちのぼる、草花を煮る(染色)においに混じって、裏庭の石釜で焼けるピザのにおいやワインセミナーのワインのにほいも。そして、、、(続く)

10周年に心からの感謝を込めて。

たなか牧子 

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シアワセ

カジュ通信2006年夏号より

 

「幸せ」の定義はなんでしょう、と時々思うことがあります。
ダライ・ラマ14世は、「人生の最大の目的は幸せになることである」とおっしゃっていますが、仏教的見地からいえば、生・老・病・死に満ちるこの世をサバイブしなければならないことを200も承知の方がこのセリフをおっしゃるのですから、考えてしまいますねえ。
最近、幸せになるのも、「能力」なのではないか、と思うことがあります。幸せは、誰かが運んできてくれるもの、与えられるもの、はたまた運であるように、私たちは思い込んでいますが、実は、内なるものなのであって、それを取りだし、自分で育み、鍛えていくものなのではないでしょうか。

だからこそ、「幸」の字、一本少ないと「辛」いになるわけで、この一本がまさにキーワードですね。
幸い、好きなことを仕事にして生きておりますが、これは、逆の見方をすれば、私が止まれば全てが止まるということで、何をするにも、何を決めるにも、どんな結果を得ようと、ひとつも人のせいにはできない、うまく行ったときは、人のおかげ。「一本」は、付いたり消えたり、、、。

だからこそ、幸せを感じたときは、大声で「幸せだあ」と叫ぶようにしているのですけど、これが実は、日本社会では、うまくないんです。そう、日本は、幸せそうな人に冷たい社会です。(笑)
そう、妬み(ねたみ)というやっかいなモノが襲ってくる!(女へんに石、、、すごい字、、、!)
これがはびこりますと、奇妙な“平等を大事にする意識”が蔓延し、例えば小学校で「負ける子がかわいそうだから徒競走はやめましょう」みたいなことが起こる。
う~ん、人が輝く姿を見て、いっしょに喜べない人に幸せはあるのかい?

全て思い通りに生きているように見える人とそうでない人、、、人生に用意されている障害の数はさしてかわらないのではないでしょうか。いえむしろ、幸せそうな人の方が、克服した障害が多いのでは?

争いは、他人とするものではなく、「幸」と「辛」の間を揺れ動く、自分の心に向けられるものですよね。
人と人の争いから、国と国の諍いに至るまで、その原因は、全て、この辺にあるのではないでしょうか。
人を幸せにしてナンボの職にある身としましては、これは一生を通じたテーマでありまする。ピース。

 たなか牧子

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年増の花道

カジュ通信2006年新春号より

いったい、いつ“大人”になったのだろうと、最近よく思うのですが、よくわからない、、、果たして、今でも、アタシャ、ちゃんとした大人なんだろうか、、、???う~ん。
自分のことは三段ぐらい棚にあげて、言わせていただければ、今の日本に大人はいるのでしょうか。(問題をすりかえてる?)
かっちょいい大人、、、どこ?

もう言い逃れはできない、という土壇場まで、あがきにあがき、それでもダメ、とわかると一転、記者会見で絵に描いたような陳謝の図。
頭を下げ「どうもすみませんでした。」という大人の列にパシャパシャとカメラのフラッシュが浴びせられる、、、最近ホント、よく見ます。
そのうち、小学生の間で、流行(はやり)のギャグになりはしないかと心配です。子どもの頃は「まだ自分で責任がとれないから○○してはダメ。」というような叱られ方をしたように思いますが、おいおい、そろいもそろって大人がこれでは、親はこのセリフが使えませんよ、もう。
大人の定義を大人に問う時ですね。大人って何?

責任のとれない人ほど、人の責任が気になる、という傾向も見られますね。
「後で人から文句を言われるのが嫌なので」と小さな仕事も引き受けられない人がいますが、そういう人ほど人の仕事にケチを言うことが多いような。(笑)

自分で、ものごとが判断できない。その判断に自信が持てない、、、これはかなり不幸なことですよね。
あまりにもコンセンサスが働きすぎの意見を言うことも憚られる窮屈な社会に塗り込められた大人たちは、どんどん、自分の判断と決断では幸せを選びとれなくなっているような気がします。
責任の欠如は、魂の自由を蔑ろにすることですよ。サラリーマンだろうと社長さんだろうと、主婦だろうと自営業だろうと、魂の自由を保とうとするとき、人は腹をくくってモノが言える、腰を据えて行動できるんじゃあないでしょうか。
そして、そういう人が責任のとれる人で、かっちょいい大人なんじゃあないでしょうか。

三段上げの棚の上からエライことを書いてしまったあ!と後悔しても遅いわい。
仕方ないので、少なくとも私にできる大人の責任として、子どもたちから「大人になるっていいなあ」と思ってもらえる、楽しい大人街道、年増の花道をスキップして行こう 。 


たなか牧子

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金の作物

カジュ通信2006年新春号より

この新春号の編集をしているころが、ちょうど旧暦の正月。普だん仕事柄鎌倉の山や野原によく出かけますが、旧暦の方が植物の動静のリズムと合っているような気がします。
日本で明治時代になるまで使われていたのは、完全な太陰暦ではなくて、太陽太陰暦。「お天道様に申し訳ないっ」と言いながら、太陽の動きに従い、その“ウラ拍”である月の動きも意識して、生活のリズムに厚みをもたせていたんですねえ。
日本の文化のこの陰陽のバランスの良さはすごいと思います。

父が香港に住んでいた頃、よく旧正月に遊びに行きました。それはそれは盛大なお祝いをしますが、一般的な新年のあいさつが「恭喜発財」(コンフェーファッチョイ)。ひらたく訳しますと「がっつり儲けてシアワセになりましょうや!」となります。さすが世界の商人、香港チャイニーズ、たくましい。
最近つくづく、この正面からお金と向き合う精神は、大切かもしれないと思っています。
いくら好きなことを仕事にしたからといって、お金が入らなくてもよいワケでは決してなく、ちゃんと稼げていけないと気持ちがもたなくなってきます。イライラしたり、つまらないことで、人にケチ臭いふるまいをしたり、、、貧すりゃ貪(ドン)、、、。うわあ、粋じゃない!
「プロ」ですから、その仕事で人様からお金をいただくわけですから、、、そういう意識は、ゆる~いアーティストの世界では忘れられがちですが、これがないと、キリッとしたいい仕事にならないこともわかってきました。

そう、この“プロ意識”が、私の中では、最近のテーマでして、仕事の真ん中に臆面もなく「お金」を据えてみますと、芸術のような、本末切り離して考える分野の仕事であっても、いろんなことが見えてきて、結果、作品の質がぐ~んと上がってきたのです。
「お金」を意識することで、「相手のある仕事」ができるようになってくる。芸術家は、天下御免の自己チュー人種ですからね、相手のある仕事、なんて言うと「客にコビる」ようで、魂を売ったような気になるんですよ。(笑)
でもそれは、あまりに幼稚な発想です。人様からお金をいただく、という意識が自分の選んだ仕事へのある種の使命感も生みますからね。

税理士の清水希江子さんに経理をみていただいて、つくづく思い知ったのは、例え何百円のような領収書一枚でも、それを経費として扱うか、それならどの項目で落とすか、という判断に、恐いぐらいその人の哲学が出てしまう、ということです。
できあがった申告書類は、ただの数字の羅列ではなく、その一年の私の人生哲学記録なんですねえ。清水さん、勉強になりました。

となれば、お金は、仕事の結果得られる「作物」。いい畑で、いい作物を作りたいものです。
そして収穫した作物は、やはり、ありがたく美味しくいただく、、、そう、これがまた難しい。
稼ぐのも大変ですけど、納得いく使い方をするのは、もっと難しい。お金をかける、回収する、のバランスや規模にも、私なりの美学が必要なんですね。そこを意識して味のいい作物を、美味しくいただく一年をメイキングしたいものです。、、、というわけで年頭にあたり、願!豊作。

たなか牧子

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たたけ、さらばひらかれん?

カジュ通信2007年新春号より

別にねらってそうしているワケではないのですが、カジュは、家に力があるせいか、実にいろいろな人がやってきて、いろいろなことを提案し、計画してくれるので、自然と自分の専門分野とはかけ離れたプロジェクトが次々と生まれます。
それに関わることで、いろいろな問題に直面し、日々それをどう解決するか、ということに頭をフル稼働させることになります。

そんな問題の中には(例えば限られた予算の中でこんな無謀なイベントをどうやって、、、とか、この山のような書類仕事をこの短い時間で、、、とか)考えただけで頭が痛くなる、胃までシクシク痛くなる、なんてこともしょっちゅうあって、いつもバタバタしています。(いい年してさっ!)
、、、でもカジュをオープンして10年、それで途中でやめてしまったこと、諦めてしまったことは、、、あれ、あんまりないなあ。どうやって乗り越えられたのだろう、、、。

で、気がつきました。
例えば、「こんなことやってみたいなあ。」と思った時に、当然立ちはだかるいろんなネガティブな状況―「絶対に無理!」と貼り紙されたとてつもないデカイ壁―、、、にも、探せばちゃんとドアがついているんだわ。
見つかればそのドアを開けるのは意外と簡単。

で、そのドアは、ふとしたことで突然、目の前に現れるのです。
そのきっかけは、友人のちょっとした一言だったり、ネットや本で見つけた情報だったりするのですが、ほんとに何かの拍子にすうっと気持ちが軽くなって、全くちがう角度から、事に当たることができるようになって、大体、企画したことは形になってきました。
もちろん、そこには、様々な人の助けがあったことは言うまでもありませんが、とりあえず「やりたい、できる」という前提で始めたことは、ちゃんとできるようになっているのだと思います。

去年の11月に、「100万円の家作り」(自然食通信社)の著者、小笠原昌憲さんのワークショップに参加してきました。
もう、目からウロコが落ちる落ちる。
「お金がないから」「専門家じゃないとできないに決まっている」「そんなヒマはない」、、、などなど、誰だって、快適な住まいを手に入れたいと思いながら実現できないで“壁”に囲まれて、小さくなっている人は多い。
でも小笠原さんは、その立ちはだかる壁に、いとも簡単にドアを見つけていきます。
「お金ない?じゃ自分で作ればいい。」「ノミを使うのが難しそう?なら、こんな電動工具があるよ。」「時間がない?週末に柱一本ずつ刻めばいつかできるよ。」
、、、そうよね、わからないことは調べて、やってみればいいのよ。それだけのことだ。

今の日本の社会は「おまえには無理」というところからすべてがスタートしているところがありませんか。
その思考で何が得られるでしょう。何が守れるでしょう。
決して、大バクチに出ろ、ということではなく、「やりたい、できる」から始めると、身近なところに結構答えは落ちているもので、それを見逃さず、小さいことを一つ一つ積み上げると、いつの間にか“ドア”が現れる気がします。
、、、ん、もしかして“壁”も自分自身が作り出してしまっているイリュージョンかもしれませんね。

たなか牧子

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涼子のノーテンキ・キャンプ

カジュ通信2006年新春号 ~ノーテンキ通信~
 

 

ただいまー。今、こどもキャンプから帰還しました(1/29 4時)。ピザ焼いたり、火まわしたり、女の子はべらしたり、、、なにかと話題の男・草柳聡一氏とはじめた自遊塾(じゆうじゅく)キャンプも今回で7回目。
今回のノーテンキ、本当はカラオケボックス・レポートにしようと思っていたのですが、この日にキャンプレポートしなくてどうする!!と、誰かに言われそうなので、予定変更、素晴らしきこどもキャンプについて書きます。ほんの少しだけ。(ってゆうか、1ッコだけ。)

朝、起きたばかりの女の子って、色っぽいんです。
これ、ノーテンキなので、私が一番印象に残ったことだけをレポートしますよ。もちろん、カレー作り、キャンプファイヤー、、、ちゃんとやりました、みんな楽しかった。
だけど、今回一番のトキメキと嫉妬は、朝、布団から出たばかりのMちゃんの色気と、それをすかさず口に出した聡一氏の感性。、、、自遊塾キャンプは美と感性を発掘します。参加者随時募集中。

こども造形教室講師 古市涼子

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身につくということ

カジュ通信2005年秋冬号より

小さい頃、竹馬遊びがはやりまして、みんなに遅れをとるまいと、毎日毎日練習した思い出があります。
お陰で、今でも竹馬は得意です。片足ケンケンもできちゃうし、四羽の白鳥も踊れちゃいます。
ずっと竹馬なんて乗っていなかったのですが、最近あるところで見つけて乗ってみたらちゃんと乗れました。

自転車もそうですが、ある時集中して体に覚えこませたことは生涯忘れないものですね。逆に体に覚えさせることは、いくら頭で考えて攻略しようと思ってもまず身につきません。
そう、この「身につく」という感覚、私の中で今ちょっとしたキーワードになっています。

すてきな手作りのお箸とお弁当箱を作っている井上洋子さん。よく私と長電話しているとき「シャカ、シャカ、シャカ、、、」と音がします。話ながら、箸をヤスリで削っているんです。
そういう私も気がつくとマメむいていたり、織り上げた布の端の始末をしていたり、、、。この“ながら“時間が至福の時なんですよ。
洋子さん曰く、「手仕事は心が自由。」、、、なるほど、ほんとうにそうだ。
織り機に座ってパタパタやってるときなんて心はそれこそ、「旅行中」。晩のおかず(これは最近、、、)考えたり、映画の中に入り込んだり、好きな人のこと考えたり、ちがう自分を作り上げてみたり、、、。そんな空想にどっぷり浸りきる。

昔は「仕事」といえば、こうした体に覚えさせるような種類のものが多かったような気がします。
親や師から受け継いで、繰り返し練習してその技が「身についた」時、心は限りなく自由に開放される。例え一日中、その仕事に従事していても、心を奪われることはないのです。
だからこそ、昔は、仕事場に歌があったのだと思います。働く人々は、野良で、山で、海で、そして厨(くりや)で、みんな歌を歌っていました。(仕事歌)

現代の仕事は、頭が仕事に支配される種類のものが多いので、心にストレスがたまってしまうのもうなずけます。(まあ、そんな仕事も、続けているうちに少しずつ楽になってくるのは、操作や作業が「身について」くるからですよね。)でも、今どの企業でも、職場で歌が歌えるところはありません。歌ってはかどる仕事ではないからです。そう、そんなことをしたら「気をとられる」。

となりにいた年配の家政婦さんが、草むしりをしていたのを思い出すにつけ、その仕事の仕上がりのよさに感動したものです。
仕事に手順が身についているから短時間でなめるようにきれいになっちゃう。あんな身についた仕事、身につけたい!
それには日々淡々と繰り返すことが大事なのでしょうね。この秋は、ずいぶん糸を紡ぎました。糸車を踏む仕事は、単調なリズムに身をまかせる、そう、私にとって大切な、数少ない「身についた」仕事です。
この仕事、私を幸せにしてくれます。

たなか牧子

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チーズ料理 美食館 

第三回「どこまで伸びる? 初めての食感 アリゴ」

年明けて寒さが厳しくなってきましたね。寒い夜にぴったりの、フランス・オーベルニュ地方名物アリゴという料理をご紹介しましょう。
子供も男性も、そしてもちろん女性も大好きな、じゃが芋と溶けたチーズの組み合わせです。食材は平凡ですが、その食感はもちもち、とろとろ。独特のものです。ぴよーんと数メートルも伸びるんですよ。
地元ではソーセージや肉料理の付け合わせにしますが、このまま、あるいはゆで野菜にも良いものです。本来はこの地方の山で、夏に放牧されたチーズを使うのですが、手に入らなければエメンタールやグリュエールなどで代用可能です。
そうそう、夏に放牧された牛は高山植物や花やハーブをはむため、ミルクは香りと色素、旨味がいっそう深まります。そのミルクから作られたチーズを「アルパージュ」と呼び、珍重します。熟成を終えて秋〜冬に出回りますので、今度フランス・チーズを買うときは、ラベルの表示に気をつけてみてくださいね。

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作り方(2人分)
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じゃが芋200g、チーズ(カンタル)100g、バター10g、生クリーム20cc、にんにく(すりおろす)一片、塩、胡椒、牛乳適量
じゃが芋を茹で、とても滑らかなマッシュ状にする。バターでにんにくを炒め生クリームを入れる。
さいの目に切ったチーズを加える。
溶けてきたらじゃが芋を加えて練り、牛乳で水分を調整し、とろとろと木杓子から流れ落ちる固さに調節する。
塩、胡椒で味を整える。
煮込むと伸びが悪くなるので手早く仕上げてくださいね。

鎌倉ワイン・アカデミー 出石 万希子

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チーズ料理 美食館

第二回「ウサギのいないウサギ料理」

ウェールズ風ウサギ料理(ウェルシュ・ラビット)といえば、その名の通り英国ウェールズ人の大好物です。
実はこれエール・ビールとチェダー・チーズを使ったチーズ・トーストのこと。ウサギはどこにも使われていませんが、マスタードとウスターソースを隠し味に使った大人の味わい。とっても美味しいチーズ料理なのです。
チェダーといえば、よくきれいなオレンジ色のものを見かけますが、これは着色された工場製。本来の農家製はベージュ色で、そのまま食べても美味しく、濃密で微妙な酸味が生きています。
品揃えの良いチーズ屋さんへ行くことがあれば是非試してみてください。そして、そのまま食べるのに飽きたなら、今度はこのウサギ料理の登場です。最後に表面を炙るのがこの料理の特徴で、チェダーは炙るとナッツのような香ばしさが出るので最適とされているのです。つまりウサギは、空想の中にしか登場しないわけなのですね。

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作り方(3人分)
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チェダー120g、バター30g、エール大匙3,マスタード小匙2、ウスターソース大匙2/3、サンドイッチ用パン3枚
鍋にバターを溶かし、エールと塩・胡椒を少々入れ、煮立つ直前にさいの目に切ったチェダーを加えて溶かす。
ごく弱火のままマスタードとウスターソースを入れる。
予めトーストしたパンにチーズを乗せ、表面を強い火で炙る(もしくはグリルする)。
辛口の白ワインも良いですが、やはりエール・ビールに最適です!

鎌倉ワイン・アカデミー 出石 万希子

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涼子のヲンナ街道

カジュ通信2005年秋冬号より

 

私は「積極型受動女」です。
友人がいい当てたものですが、今では私の肩書きのように感じております。
「求められることを求める」女、、、昨今、この肩書きで生きてゆくのが難しくなって参りました。
日本にはハンターが減少しているからです。セクハラ発言ですが、、、男子たるものガツガツゆけ!そして聴かせておくれ、「黙ってオレについて来い!」、、、わかってます、そんな台詞をきける器でないこと、ガツガツ求められるような女ではないってことも、、、そう、玉の輿に乗る努力をするより、自分で稼いだ方がいくらか楽かもしれない、、、。実は他力本願より、自力で生きる方が易しいかもしれない、、、。
現代社会では、自分で稼ぎ、自力で生きる方が偉いとされるでしょう。もっともです。

でも私は偉くなくていい!頑張って求められることを求めて、そして本当に求められる女になりたい!「積極的受動型女」の道は茨の道、でもそれが女の花道、、、私にとっての明日に架ける橋なのです!

こども造形教室講師 古市涼子

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涼子のペット自慢

カジュ通信2006年新春号より

 

私のペットはザリガニです。名前はバルタンです。オスです。(お腹についていました)
先日、バルタンが脱皮をしました。私は子供の頃から、何度となく、飼うともなく、ザリガニを飼ってきましたが、脱皮に立ち合ったのは初めてでした。すごいです、まるで精密機械です。
ハサミから触角から、なにからなにまで、尾っぽの先まで全て脱ぐのです。しかも抜け殻は全部つながっているのです。

無意識にエサだけやる、という愛のない飼い方をしていた私、その朝、たまたま母に「ザリガニが臭い!」と叱られ、渋々水を取りかえようと、久し振りに水槽のふたを開け、、、感動の場面に遭遇できました。
こんなちっちゃな箱の中で、、、こんな劣悪な環境で、こんな立派に脱いで!!急にたまらなく愛おしくなり、今までの愛のない、飼い主らしからぬ態度を激しく反省しました。そして涙が出ました。
本当に泣ける程立派な抜け殻だったのです。

バルタンは偉大です。涙は他の体液に比べ、一番ストレス性分が多く含まれているそうです。だから、いっぱい出したらいいそうです。

バルタンのお陰で、また私はノーテンキになりました。ありがとうバルタン。

こども造形教室講師 古市涼子

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