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満彩

カジュ通信2007年春初夏号より

 

小さな小さな赤い花をつけ、それが舞い散った後の冴え冴えとしたイロハカエデの色。
玄関までの細いアプローチに、毎年初夏に涼し気に咲き遊ぶツルニチ草のうす紫。
ポポンポンと刈っても刈っても毎年お元気なタンポポは、黄色に混じって白もいます。
ハコベのやさしい緑、ちょっと渋い“大人のピンク”はホトケのザ。

まだどう見ても‘冬’という肌寒いときに、いちばんに春を告げてくれるのは、ブンゴウメのうす紅色。
それからちょっと遅れて、ひと色濃い色の花をポテポテとつけはじめるのは、アンズ。
そのころに裏庭にはふきのとうが出はじめるので、はずせません。
花の頃のウメやアンズの枝影に見え隠れするのは、うぐいすよりうぐいす色の実はメジロ。

真冬の枯れ草やシダ、クマザサにてんてんと色を散らすのは、万両の赤い実、秋口から目につくようになります。
秋を彩るのは、キンモクセイの橙色。花の開花を十日ぐらい前からその香りが告げてくれます。
この頃から、淋しかったアプローチには、スイセンの葉が出はじめます。その葉がきれいに出そろう時、イロハカエデは、すっかり葉の色を変えて、燃えます。
そして、その葉が乱舞しながらハラハラ落ちるころ、スイセンの貴品のある香りが漂いはじめます。

古い家のガラスは、ゆらゆらとしたゆらぎがあって、イロハカエデの葉の間からこぼれる光も一層柔らかく写します。
砂壁は、朝玄関を開ける時にまだ、前の夜の冷たい空気をとどめていて、夏でも、部屋はひんやりしています。
壁には、それだけでなくいろんなものが染みこんでいます。10年前に私がこの家に出会う前の、以前の住人の暮らしの記憶はもちろん、庭の木々や草花の声もちゃんと聞いて覚えているようです。そして、この10年の、私たちの活動の一コマ一コマの残像も。
子どもたちが、楽しそうに廊下を走る音も、防音室からこぼれるピアノや歌声も、コンサートの音楽も、謡いの練習も、オカリナも、琴も三味線も、イベントに訪ねて下さったお客さんと交わした会話も、夜ひとりで仕事しながら聞いているCDも、ひとり言も、そして、機の音も。壁に耳をあてるとすべて聞こえてきます。
その響きが深いのは、人知れず、のみこまれた悲しみや、苛立ちや、怒りも、ひっそりと捨てられているからかな。
これだけ多くの人が輪をつくるのですから、その過程では、私が気づかずに見過ごしてきた周囲の人の“閉じこめてくれたネガティブな気持ち”もたくさんあったにちがいありません。
ごめんなさい、そしてありがとう。
最近は、染め場に立ちのぼる、草花を煮る(染色)においに混じって、裏庭の石釜で焼けるピザのにおいやワインセミナーのワインのにほいも。そして、、、(続く)

10周年に心からの感謝を込めて。

たなか牧子 

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