年増の花道
カジュ通信2006年新春号より
いったい、いつ“大人”になったのだろうと、最近よく思うのですが、よくわからない、、、果たして、今でも、アタシャ、ちゃんとした大人なんだろうか、、、???う~ん。
自分のことは三段ぐらい棚にあげて、言わせていただければ、今の日本に大人はいるのでしょうか。(問題をすりかえてる?)
かっちょいい大人、、、どこ?
もう言い逃れはできない、という土壇場まで、あがきにあがき、それでもダメ、とわかると一転、記者会見で絵に描いたような陳謝の図。
頭を下げ「どうもすみませんでした。」という大人の列にパシャパシャとカメラのフラッシュが浴びせられる、、、最近ホント、よく見ます。
そのうち、小学生の間で、流行(はやり)のギャグになりはしないかと心配です。子どもの頃は「まだ自分で責任がとれないから○○してはダメ。」というような叱られ方をしたように思いますが、おいおい、そろいもそろって大人がこれでは、親はこのセリフが使えませんよ、もう。
大人の定義を大人に問う時ですね。大人って何?
責任のとれない人ほど、人の責任が気になる、という傾向も見られますね。
「後で人から文句を言われるのが嫌なので」と小さな仕事も引き受けられない人がいますが、そういう人ほど人の仕事にケチを言うことが多いような。(笑)
自分で、ものごとが判断できない。その判断に自信が持てない、、、これはかなり不幸なことですよね。
あまりにもコンセンサスが働きすぎの意見を言うことも憚られる窮屈な社会に塗り込められた大人たちは、どんどん、自分の判断と決断では幸せを選びとれなくなっているような気がします。
責任の欠如は、魂の自由を蔑ろにすることですよ。サラリーマンだろうと社長さんだろうと、主婦だろうと自営業だろうと、魂の自由を保とうとするとき、人は腹をくくってモノが言える、腰を据えて行動できるんじゃあないでしょうか。
そして、そういう人が責任のとれる人で、かっちょいい大人なんじゃあないでしょうか。
三段上げの棚の上からエライことを書いてしまったあ!と後悔しても遅いわい。
仕方ないので、少なくとも私にできる大人の責任として、子どもたちから「大人になるっていいなあ」と思ってもらえる、楽しい大人街道、年増の花道をスキップして行こう 。
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