金の作物
カジュ通信2006年新春号より
この新春号の編集をしているころが、ちょうど旧暦の正月。普だん仕事柄鎌倉の山や野原によく出かけますが、旧暦の方が植物の動静のリズムと合っているような気がします。
日本で明治時代になるまで使われていたのは、完全な太陰暦ではなくて、太陽太陰暦。「お天道様に申し訳ないっ」と言いながら、太陽の動きに従い、その“ウラ拍”である月の動きも意識して、生活のリズムに厚みをもたせていたんですねえ。
日本の文化のこの陰陽のバランスの良さはすごいと思います。
父が香港に住んでいた頃、よく旧正月に遊びに行きました。それはそれは盛大なお祝いをしますが、一般的な新年のあいさつが「恭喜発財」(コンフェーファッチョイ)。ひらたく訳しますと「がっつり儲けてシアワセになりましょうや!」となります。さすが世界の商人、香港チャイニーズ、たくましい。
最近つくづく、この正面からお金と向き合う精神は、大切かもしれないと思っています。
いくら好きなことを仕事にしたからといって、お金が入らなくてもよいワケでは決してなく、ちゃんと稼げていけないと気持ちがもたなくなってきます。イライラしたり、つまらないことで、人にケチ臭いふるまいをしたり、、、貧すりゃ貪(ドン)、、、。うわあ、粋じゃない!
「プロ」ですから、その仕事で人様からお金をいただくわけですから、、、そういう意識は、ゆる~いアーティストの世界では忘れられがちですが、これがないと、キリッとしたいい仕事にならないこともわかってきました。
そう、この“プロ意識”が、私の中では、最近のテーマでして、仕事の真ん中に臆面もなく「お金」を据えてみますと、芸術のような、本末切り離して考える分野の仕事であっても、いろんなことが見えてきて、結果、作品の質がぐ~んと上がってきたのです。
「お金」を意識することで、「相手のある仕事」ができるようになってくる。芸術家は、天下御免の自己チュー人種ですからね、相手のある仕事、なんて言うと「客にコビる」ようで、魂を売ったような気になるんですよ。(笑)
でもそれは、あまりに幼稚な発想です。人様からお金をいただく、という意識が自分の選んだ仕事へのある種の使命感も生みますからね。
税理士の清水希江子さんに経理をみていただいて、つくづく思い知ったのは、例え何百円のような領収書一枚でも、それを経費として扱うか、それならどの項目で落とすか、という判断に、恐いぐらいその人の哲学が出てしまう、ということです。
できあがった申告書類は、ただの数字の羅列ではなく、その一年の私の人生哲学記録なんですねえ。清水さん、勉強になりました。
となれば、お金は、仕事の結果得られる「作物」。いい畑で、いい作物を作りたいものです。
そして収穫した作物は、やはり、ありがたく美味しくいただく、、、そう、これがまた難しい。
稼ぐのも大変ですけど、納得いく使い方をするのは、もっと難しい。お金をかける、回収する、のバランスや規模にも、私なりの美学が必要なんですね。そこを意識して味のいい作物を、美味しくいただく一年をメイキングしたいものです。、、、というわけで年頭にあたり、願!豊作。
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