表裏一体
カジュ通信2007年夏号より
去年の夏号の編集時もそうでした。
そう、まだ梅雨が明けません。
でもこのところめっきり夏めいてこの号が出回るころは、夏本番でしょう。でも、夏を楽しむのは本来7月で、8月は、夏を惜しみつつ楽しむ月ではないかと思います。蓮の花が、そろそろ終わり、8月6日、9日で、戦争の悲劇を思い起こし、8月15日、終戦を掘り起こして送り火でその魂を海に返す、、、そんなことを毎年感じるので、8月は、ちょっと浮かれっぱなしの心に風の吹く月なのです。そんなわけで夏号はいつもちょこっと戦争のことを書くことにしています。
最近たて続けに、古代もの、ファンタジーものの「戦記」をビデオでじっくり見ました。「トロイ」、「ロード オブ ザ リング」、「グラディエーター」、「スパルタカス」、「アレクサンダー」、、、。戦いがあるのはあたり前の時代。戦う理由は、国を強くし、民を豊かにする、、、実に明快。ま、ある王さまのとっても身勝手な権力欲に従わなければならなかった、、、というのもありますが。家族を守るために戦う、そのために命をかけるのが男である、勇敢であることが何よりの誉れ。、、、これが戦争の困った美学、ちきしょう、かっこいい。
誤解を恐れず、敢えて言えば、この「かっこいい」戦争美学が生き生きしていたころの法が、その対極にある母性もまた今の時代など及ばない強さがあったのではないでしょうか。ですから、戦争と平和は、男と女が存在するがごとくお互いが必要としあって存在するものなのかもしれません。
戦争をなくすことはこれからどんなに知恵を絞ったとしても無理な気がします。
第一次世界大戦以降の戦争は、それまでの戦争とは何かがちがってしまいました。愛する者を守る、などという規模からはとんでもなくかけ離れ大量殺りく兵器が戦争を行うようになりました。もはや、勇者の美学はありません。それで戦ってる人、悪いけど、ちっともかっこよくありません。武器産業が国の経済を支えるので、どこかで戦争が続いてくれることを願っている、(自分は兵ではない)人がいるのも、最近のことではないですか?
自分の死を越えて名誉に生きる、残されるものの安全のために命をかける、、、聞こえはよろしい。でももはやその美学は、古い戦記ものに閉じこめるべきです。あこがれても、戦争を正当化するスローガンにはもう、使えません。アキレスが、ヘクトルがアレキサンドロスが現代に蘇ったとして、果たして、一度使ったら、取り返しのつかない環境破壊がおこり、その影響が孫の代まで残るような兵器を、彼らは使ったでしょうか、、、使ったかナ、もしかしたら。平和に感謝。
たなか牧子(カジュ・アート・スペース主宰)
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