未開封の思い
カジュ通信2007年・秋冬号より
夏の暑さもまだ記憶に新しいのに、気がつけば、年の瀬の声も聞かれる季節となりました。この数ヶ月は、ドイツ人アーティストを招いてのアートシンポ、「トラーベ・アート・フェスティバル」の準備に身を投じていたので、彼らとともに秋はやってきて、彼らとともに秋は去った、という感じです。華やかで、騒々しくて、楽しい秋でした。皆さん、ほんとうにありがとう!
このような非営利の活動にエネルギーを注いでいて思うのは、生きていく上での「ものごとの優先順位」です。
私事ですが、この準備の期間中、母が大病を再発し、その入院・介護などの一連の手続きと、はるばるドイツからやってくる友人たちのためのコーディネート、日々の経営、家事の間で、お金のやりくり、時間のやりくり、そして気持ちのやりくりに追いまくられることになりました。息子にも淋しい思いをさせたと思います。
「私、なんでこんなことしているのかしら!」と叫びたくなる瞬間も一度二度ではなく、家族が病気で苦しい思いをしている時にアートはほんとうに必要なのかと、自分の仕事に対する信念が根こそぎ揺らぐ思いで、しかも、その仕事は、誰かに押しつけられたものではなく、全て、自分の意志でスタートし、成り立っているのですから、罪の意識は、なおさら。別にそれで家族が私を責めるということはなかったのですが、無言のプレッシャーと、母に対する自責の念で、意識が遠くなることも、、、。そうさ、アートなんてなくても人は生きていけるさ!まったくもう。
それでも、私にできることは、これしかないので、何か、私が全てを賭けている“アート”という仕事でできないかと考えてたら、画家である母の作品展を、仲間の理解を得て、「トラーベ」の一環で実現させることができました。自宅療養中の母がなんとか歩いてこられる距離のカフェでの展示だったのですが、結局母は来られず、父にさえ、見てもらうことは叶いませんでした。
家族にさえ届かない私の仕事は、果たして、他人を元気にしたり、癒したりすることができたのでしょうか。この思いは、今、私の心を大きくとらえて離しません。
どのものごとを、人生の優先順位の上に置くかは、生き方を問う問題です。ドイツ人たちが帰国したあと、様々にメールをよこしてくれるのですが、口々に「日本のみなさんはほんとうに親切で、公共の場での、あの親切は、ヨーロッパ人にはない」と言ってくれます。うれしいですね。ですが、日本人の公共の場における過剰なまでのサービスの裏で犠牲になっているのは、家族や自分自身の私生活です。一家5人でやってきたドイツ人アーティストの家族を見ていて、その“家族運営”のプライオリティの高さは、まぶしいほど美しかった。夫婦が、お互いに、それぞれが大事にしているものを心から理解し合っている様を見て、少々公共サービスが無愛想でもよろしいのではないかと思ってしまいました。
この優先順位の問題は、私が一生背負わなければならない十字架です。アートという、お金ではかれないツールで、私はこれからも人に何かを投げかけて生きていきます。そして、それが、家族にもいつか届くことを祈りながら、優先順位を考え続けてゆくでしょう。
※このメッセージを書いて一月後、母は他界いたしました。生前のみなさまのご親切に、心からお礼申し上げます。
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