深い呼吸
カジュ通信2008年・春初夏号より
鎌倉の山々は、木々花々が競演する精気満ちあふれるこの頃です。
緑、とひと口に言っても、その色は実に様々で、どれも個性豊かで、しかも周囲と見事に響き合っています。
人間もこのようにありたいものだと、庭の大カエデの木を下から見上げて思うのですが、さてさて、実のところ、山の木々のようにはいかないのが現状ですね。日本のよき伝統としての“察する”“遠慮する”は周りの人と“響き合う”ためにあってこそ、価値があると思うのですが、最近どーも、ちがう方向に行ってしまっている気がしてなりません。
「KYG」が国語辞典に載るの載らないのというのが新聞に出ておりましたが、そんなに市民権を得ていた言葉だったことにちょっとびっくりしてしまったのは、私だけでしょうか。
私は辞書を読むのが好きで、パラパラとめくって偶然見つける古い言葉、味わいのある言葉に、ゆき詰まった心を解きほぐしてもらうことがよくあります。そのような言葉が「KYG」のスペースを確保するために削られてしまうのは、ちょっと淋しい気がいたします。
あ、ちなみに、私と同じく、最初見たとき、なんのことだかさっぱりわからなかったという方、今でもわからない、という方のために念のため、「KYG」とは「(K)空気(Y)読めなくて(G)ごめん。」の意。辞書に載るほど、空気が読めない、というのは大罪なんでしょうか。
ここ2,3年、ヨーロッパの人たちと、プロジェクトをいっしょにやることが多くて、ものごとの取り決めや交渉のしかたが、やはり日本人とちがうなあと思うことが多々ありました。
日本人の、先を読んでいろいろな想定される問題に、あらかじめ対処する能力は、世界に誇っていいぞ、と思ったりする反面、ネガティブな気持ちや、反対意見を、うまく相手に伝えるのが下手だな、なんて思ったりもしました。
空気を読んで行動する、ということは、相手の出方を見てから自分の行動を決める、ということです。これって、実は、相手を思いやっているようでいて、単なる責任回避になっている場合も多くないでしょうか。
全体の空気と、自分の意見がちがっているとき、その意見がどんなにすばらしいものでも、なかったことになってしまいますし、「私が言い出したことではないから知〜らないっ」と、都合が悪くなったらハイ・さよならが言えるよう退路を確保しているようで、悲しくもあります。
ヨーロッパの人、決して自己チューではありません。自分の主義主張をしっかり持っているだけです。
そしてそれを相手にわかってもらうため、相手の主張もよく聞いています。反対されて気を悪くする、ということも、あまりありません。「気を悪くしないでね、あなたと私の仲だから言わせて」と実に上手に苦言も呈してくれます。
そういう場で取り決められたことは、そりゃもうアイディア満載の、ポジティブでパワフルなものとなって、いい結果を生みます。
若人よ(そして元若人も)、最初から空気なんか読むなかれ。
一人一人の息づかいが空気をつくるのだから。
たなか牧子(カジュ・アート・スペース主宰)
« 涼子の、ヒミツの扉 | トップページ | 地産地消 »
コメント
鎌倉の木々花々、素晴らしいですね。私は4月にたったの1日だけ歩いただけでしたが、沢山の木々花々に出会いました。
「KYG」知りませんでした!「(K)空気(Y)読めなくて(G)ごめん。」の意・・・?意味を教えていただいても???って感じです。
空気を読んでの発言や行動、自分の主義主張を持っての発言や行動について、考えるきっかけを作ってくださって、ありがとうございます。
投稿: ハワイ島の長谷川久美子 | 2008/06/09 13:42
>長谷川サマ
ほんと、難しいですよね、これ。
でも深読みのし過ぎはよくありません。シンプル一番。
「あなたが大切」という前提をしっかり作っておけば、どんな意見も言っていいのだと私は思いますよ、ほんと。それができなくて、ストレスを溜め込んで、1年に3万人も自殺してちゃ世話ない・・・。おっと、もっと深刻な理由もあるから一概にはいえませんけどね。
投稿: つる | 2008/06/09 14:06