言葉・言霊
2008年カジュ通信 秋・冬号より
今年は、いつもの年より秋が長く、工房で仕事をしていても、毎日気持ちのよい光と風が楽しめます。カジュの守護神イロハカエデが色づく頃まで、蚊取り線香も、暖房もいらない秋のひとときがもう少し続いてくれるでしょう。
去年の今頃は、ドイツ人のアーティストを招へいしての「トラーベ・アート・フェスティバル2007 in鎌倉」の真っ最中でした。
日・独・英語が雨あられと降りまくる(笑)カオスの中にどっぷり浸った2週間でした。準備の期間を含めて、日本語を英語に訳す、英語を日本語に訳す、、、の作業を山とこなしたわけですが、それを通して、日本語の持つ「言葉のチカラ」を何度も再発見しました。
日本には、もともと言葉には、特別の魔力があると考えてきた伝統があったと思います。「言霊(ことだま)」という言葉があるくらいですから、とても言葉を大切にしてきたことがよくわかります。よく「だまっていてもわかる」と言いますが、これは、言葉を軽んじているのではなく、最もその場で威力を発揮する言葉を最小限選び抜き、くどくど説明はしない、という意味で、ただだまっていたのでは、やっぱり何も伝わりませんよね。
よく吟味し、鍛え、選び抜いた一言には、その言葉を発する人にも、見聞きする人にも、大きな影響を与えます。その人を元気にすることも幸せにすることも、はたまた病気にしてしまうこともあるぐらいの。
私は、コンピューターで文章を書くとき、英語を書くときは、アルファベットですが、日本語を書くときは、キーボードは「ひらがな入力」設定です。これはかなり少数派らしい、、、。
ほかの方々は、日本を書くときも、ローマ字入力にするのが一般的だそうですが、私には、想像もつきません。かなりの高等技術ではないでしょうか。例えば、「安心」と書きたいとき、私のあたまには「あんしん」というこの、見た目ののったりとしたひらがながあって、これが「あ」の文字のもととなっている「安」に通じ、ほっとしながら変換ボタンに漢字に変換してもらう。これを「anshin」と入れたのでは安心できません。(笑)
外来語もそう。「ラジオ」はあくまで「ラジオ」で、アルファベットを使った時は「radio」以外はでてきません。「ディズニーランド」なんか、みなさん、どうやって入力するのですか?「だって、日本語と英語でキーボードの文字の位置を2通り覚えるのは大変じゃん。」ということらしいのですが、Disney Landを“ Dezuniirando”と綴る方がよっぽど大変な気がするんだけど、、、。
日本語の文字にはそのひとつひとつにルーツがあって、(ま、“ひらがな”にはかなり掟やぶりな歴史があるけれど、、、)それを意識して使うからこそ、説明言語の英語にはない行間の魔力を生み出してきたのではないかと思うのです。でも、ローマ字入力が原因かどうかは別として、昨今の日本語は、根なし草になっている気がします。
今の若いオノコさんたち、31文字でオンナが口説けるかい?、、、いやいや、感性は豊かだから、方法さえ学ぶ機会があれば光源氏も青くなるようなのを作るかもしれませんね。らぶ、日本語。みんなで磨いて、愛を深めて参りましょう。
たなか牧子(たなか牧子造形工房、カジュ・アート・スペース主宰)
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