« 2008年12月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

〜こんにちは!和菓子の「手毬」です〜

2009年カジュ通信 春・初夏号より

毎年恒例のカジュ祭。今年は第13回目とのこと、、、。

私も和菓子の道に進んで同じく13年になり、カジュさんとのお付き合いは7年近くなります。
小さなアゴがキュートで恐るべき精神力の持ち主の「たなか牧子さん」は、良き仕事仲間でもあり、姉のような存在でもあります。時々見せる天然の感じが、人間らしくてホッとするのは私だけでしょうか、、?!

さて、、、ここ数年の間で各地でワークショップ等しておりますが、中でも鎌倉での仕事は大好きです。
茅ヶ崎の自宅からは、134号線を愛車ポンコちゃんを走らせて来ます。海岸線を走るのはとっても気持ち良く、季節の移りゆくさまを、海の色や風、においで感じる事ができます。

今、生きている事の喜び、そして全てのものに感謝したい!そんな気持ちになります。

いつかその風景をイメージした和菓子を作りたいと思っています。

創作和菓子「手毬」 御園井裕美子

※2009年7月4日 創作和菓子「手毬」in ニューヨークの様子は→こちら。

| コメント (0)

〜NAOMUSICA ナオムジカ〜 懐かしのあの曲

2009年カジュ通信 春・初夏号より


仕事の資料になるものはないかと、実家の部屋の奥底に眠っていた楽譜達を何年ぶりに広げてみました。

我ながら感心したのは、小学校の音楽の授業で配られたわら半紙の楽譜が、茶色に焼けつつもキレイな状態で何枚も残っていました。
あの頃大好きだった「赤い屋根の家」。未だに歌詞も出てくるし、伴奏も必死に練習したのを覚えています。今歌ってみても「イイ曲だなあ」と感じてしまいました(笑)

そーいえば、中学校より小学校の校歌の方が歌えたり、、、。

どうですか?皆さんも久しぶりに歌ってみて下さい。

NAOMIヴォーカル教室・くのきなおみ

| コメント (0)

絆のかたち

2009年カジュ通信 春・初夏号より

9年前、前立せんガンを発病した父は、恐らく奈落の底に突き落とされた気持ちになっていたと思います。

自分の父親が同じ病気で亡くなっているからです。しかし父は慌てることもなく、騒ぐこともなく、腐らず、焦らず、「ガンをやっつけるのではなく、ガンを飼い慣らして共に生きていこう。」と決心し、淡々と自分の信じる治療法でガンと向き合い、辛抱(死語だよね、今)を続けて、5年前、ついにガンを克服し、地域の自治会長をつとめ、サラリーマンを辞してから始めた古文書のインストラクターを続け、「死ぬ瞬間まで普通の生活をする」という信念を貫き、親不孝な長女(私)を事あるごとに心配し、同じくガンを患った母の介護を誠心誠意行い、見送り、そのあともぶれることなく日常を送っていた父。昨年、ついに再発が確認されました。

それでも「動けるうちは」と、何ひとつ変えることなく、母と暮らした家で、実に自尊心に満ちた身綺麗な生活を体現しておりました。
両親と私は、決して解り合える仲の良い親子ではありませんでした。「女はこうあるべき」という価値感がゆるぎなく存在していた家でしたので、その枠組みが苦しくて、随分若い頃は反抗もしました。今でも、私のしている活動のほとんどを父は見ません。見に行ってもアラが目について楽しめないと言います。(笑)

そんな環境でしたから、私が育った家庭は最強の“道場”でした。少々の困難が襲ってきても、「かならず道はある」と信じて、物事をやりぬく力がついたのは、この家庭のおかげでした。合掌。

父の期待を見事に裏切り、シングルマザーで、働く女の私。難しい年頃になった息子と戦いの日々です。

息子と同じ年代の少年少女に言いたい。「甘ったれるのもいいかげんにしろ。」と。病痛と戦う人、戦下におびえる人、8億いるといわれる飢えている人、、、そんな人が多くいる中で、自分たちがどれだけ恵まれているかも気づかず、自分勝手ばかり言うなよ。死期が近づき、自分で歩けなくなった父を背負った時の、あまりの“軽さ”にそんなせりふがつい出る・・・。


このエッセイは4月中旬に書きました。これを書いて間もなくの4月26日、父は帰幽いたしました。ほんとうに、たくさんの方の温かいお心に父も私も支えていただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。(7月10日 たなか拝)

| コメント (0)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年8月 »