絆のかたち
2009年カジュ通信 春・初夏号より
9年前、前立せんガンを発病した父は、恐らく奈落の底に突き落とされた気持ちになっていたと思います。
自分の父親が同じ病気で亡くなっているからです。しかし父は慌てることもなく、騒ぐこともなく、腐らず、焦らず、「ガンをやっつけるのではなく、ガンを飼い慣らして共に生きていこう。」と決心し、淡々と自分の信じる治療法でガンと向き合い、辛抱(死語だよね、今)を続けて、5年前、ついにガンを克服し、地域の自治会長をつとめ、サラリーマンを辞してから始めた古文書のインストラクターを続け、「死ぬ瞬間まで普通の生活をする」という信念を貫き、親不孝な長女(私)を事あるごとに心配し、同じくガンを患った母の介護を誠心誠意行い、見送り、そのあともぶれることなく日常を送っていた父。昨年、ついに再発が確認されました。
それでも「動けるうちは」と、何ひとつ変えることなく、母と暮らした家で、実に自尊心に満ちた身綺麗な生活を体現しておりました。
両親と私は、決して解り合える仲の良い親子ではありませんでした。「女はこうあるべき」という価値感がゆるぎなく存在していた家でしたので、その枠組みが苦しくて、随分若い頃は反抗もしました。今でも、私のしている活動のほとんどを父は見ません。見に行ってもアラが目について楽しめないと言います。(笑)
そんな環境でしたから、私が育った家庭は最強の“道場”でした。少々の困難が襲ってきても、「かならず道はある」と信じて、物事をやりぬく力がついたのは、この家庭のおかげでした。合掌。
父の期待を見事に裏切り、シングルマザーで、働く女の私。難しい年頃になった息子と戦いの日々です。
息子と同じ年代の少年少女に言いたい。「甘ったれるのもいいかげんにしろ。」と。病痛と戦う人、戦下におびえる人、8億いるといわれる飢えている人、、、そんな人が多くいる中で、自分たちがどれだけ恵まれているかも気づかず、自分勝手ばかり言うなよ。死期が近づき、自分で歩けなくなった父を背負った時の、あまりの“軽さ”にそんなせりふがつい出る・・・。
このエッセイは4月中旬に書きました。これを書いて間もなくの4月26日、父は帰幽いたしました。ほんとうに、たくさんの方の温かいお心に父も私も支えていただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。(7月10日 たなか拝)
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