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2009年8月

♪NAOMUSICA♪〜お囃子バンザイ〜

2009年カジュ通信  夏号より

夏といえば「お祭り」♪私は地元(逗子市池子)の祭り囃子をかれこれ20年続けています。

太鼓は子ども達が叩き、私は笛担当です。日頃楽譜を開いてレッスンしている私ですが、実は祭り囃子の曲は楽譜がありません。太鼓は「テン・テケテン」と言った感じで覚えます。笛は指譜を見ますが、曲は耳で覚えます。曲数も多いですが、毎年練習で吹くと自然と指が動きます。普段の歌の練習もこれぐらい素早く暗譜できたらなあ、、、(笑)

実は、この祭り、最近になって活気を取り戻しつつあります。私が子どもの頃はトラックにみこしをのせて、町を巡行していましたが、今は男性達が烏帽子をかぶり、白衣白足袋姿で担ぎます。私の祖父も当時はこの衣装で参加したそうです。町の男性が沢山集まると、やはり迫力がスゴイ!!

このおみこし、江戸時代、水戸・徳川家ゆかりの鎌倉・英勝寺から拝領された由緒あるもので、地域の人々によって大切に受け継がれてきたそうです。

今年の様子はこちらで。♪♪

NAOMIヴォーカル教室・くのきなおみ

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〜こんにちは!和菓子の「手毬」です〜

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photo "夏手毬" (ねりきり)

2009年カジュ通信 夏号より

いよいよ蒸し暑い夏がやってきました。この時期はさっぱりとした和菓子を食べたくなりませんか?スーパーで用意できる簡単な「水ようかん」の作り方をご紹介しましょう。

1. なべに水と粉末の寒天を入れ、ひとまぜした後火をつけ沸騰。

2. グラニュー糖を1.に入れ、沸騰した後、こしあんを入れ溶かす。

3. 粗熱をとり、容器に流し冷やし固めて出来上がり。

教室では、笹の葉を容器に仕立て、液を流し入れます。見て涼しい、食べると笹の香りを楽しめるよう紹介しています!「エーッ、ちょっと面倒くさそ〜!!」という方におすすめは、耐熱容器に市販の水ようかんと水、さとう少々を入れ、ラップをかけてチ〜ン!くるくるっとひとまぜしたら、ようかんの出来上がりです。和菓子って、手軽に作れますので、ぜひチャレンジを!!

チャレンジと言えば、私のモットーは、「一度きりの人生、何事にもチャレンジ!!」なんです。最近のチャレンジは、7月にニューヨークで和菓子を紹介してきたこと。独立記念日のパーティーで、花火をテーマに、実演とワークショップも開催しました。もちろん大好評でした!!

いつからこんなに肝っ玉が座ったのかな、、、?

御園井裕芙子

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Back Line

Manray

photo by Man Lay

2009年カジュ通信 夏号より


ガンを患っていた父を見送って、納骨が済んだあたりから、腰や背中に痛みが出はじめ、あれあれ?と思ううちに、ひどいめまいに襲われるようになってしまいました。
あまり普だん病気をしないので、これには参った!寝ても覚めても、視界が劇的に回る回る。幸いよいアドバイスを下さる方が周りにたくさんいて下さったので、薬飲みつつ、鍼や整体、ヨガなどで大分よくなりました。西洋系のお医者さんは、耳のトラブルが原因といい、東洋系は背中や腰のゆがみが原因といいました。

背中というのは、普だんあまり自分で見られないので気づきませんが、何かのことで、例えば自分の後ろ姿の写真を見て、「げっ!」と思うことがあります。トシが出ているというか、自分が思っていたよりずっと情けない様相をしています、、、。

そう言えば、最近、人の背中が気になるようになってきました。特に男性の背中が気になるので、デッサンがしたいなあ、、、と思うんだけど、勝手に脱がしていい人がいないので、しばらく無理だ、、、。30代を過ぎた人の背中には、物語を感じます。

人は、生きていきながら、段々と思い出ができてきます。で、それをどこにしまっていくのかな、と考えると、やはり「胸の奥にしまっていく」のではないかと思うのです。
大切なものや、苦しかったものほど、胸の奥にしまわれるのではないでしょうか。そして、日常生活の片付けに、人それぞれのスタイルがあるように、思い出のしまい方にも人によって様々な違いがあるはずですね。

年を重ねると、しまった思い出は段々増えてきます。新しいのをしまう時、古いものをさらに奥に押しやることになる。、、、

ははん。そうか。

そして段々押しやられた思い出が、背中に透けて見えてきてしまうというわけですね。となると、「しまい方」が大事になるのよね。「仕舞う」という字を当てますが、「仕」には「明らかにする」、「舞」には「思いのまま扱う」という意味があります。好きなものの、嫌いなものも、思い出はすっきり美しく仕舞いたいものです。

美しい背中のために。

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−砂利道の荏柄天神参道− 路地フェスタに思う

2009年カジュ通信 夏号より

路地フェスタが終って早くも3ヶ月が経とうとしている。

フェスタでアート&パフォーマンスストリートとしてサルサや獅子舞がつかの間の賑わいを見せた荏柄天神参道も、今は濃い緑と蝉時雨ですっかり夏の佇まいである。

荏柄天神参道は路地と呼ぶには少し広すぎるように思えるが、砂利道であること、車よりも人の通行料が多いこと、猫が時折道をよぎることなどから、路地と呼んでもいいのではないかと思う。

この参道は参道でありながら周辺住民の生活道路としても使われているので、水たまりができる、ほこりが立つ、歩きにくいなどの理由で、これまでに「舗装したほうがいいのでは」という議論が何度か起こった。
古くには一の鳥居そばの階段を撤去して県道とつなげるという意見もあったそうだ。結局砂利道のままがいいということになったのだが、そうした議論を経たことで住民の間に砂利道への愛着が深まったように思う。
ではなぜ住民は砂利道を選んだのだろうか。

歩きにくいということは、平らでないことを瞬時に脳が察知するからで、脳に伝えられる軽い緊張感は、むしろ脳の活性化につながるのではと思う。
さらに、砂利道はアスファルトのように熱をためず、雨水を地下に溜め込むので、特に夏場の気温は周辺より1,2度低いように感じられる。周囲に緑が濃いせいもあるが、この緑も砂利道のおかげでより濃くなっているのかもしれない。
参道沿いの我が家には昨年までクーラーが無かった。参道の緑を通して吹いてくる風でこれまで暑さをしのいできたのである。

また、車は参道に入った瞬間に速度を緩める。舗装してあればそうはいかないだろう。砂利道の主役は車ではなく、人なのだ。
自転車に乗った小学生が歓声を上げ、猫を追い散らし、大人がそれを笑いながら見守るという光景がくりひろげられる。
「静かでしょう。」とよく言われるが、人通りは意外にある。皆参道の心地よさを感じているのだと思う。
路地に欠かせないものは人と人とのつながりだろう。参道にはそれがある。

路地が人を、路地フェスタを呼び、フェスタで人と人がつながり、さらに又人を呼ぶ。路地フェスタに拠点として参加するのは今年で2回目だが、そのような輪がどんどん広がっているのを実感できたし、またその輪の中に入れたことをうれしく思う。

路地フェスタに参加された皆様、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしく!



第4回鎌倉路地フェスタ 拠点No.18つつじ庵主宰  田川陽子

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ミンゲイに夢中!

2009年カジュ通信 春・初夏号より

僕は物欲の人です。40歳なかばまでの半生で、どれだけ散財してきたことか。 「格好悪い物は死んでも使いたくない」という信条をかたくなに守り抜き、家、車、家電、家具、照明、文具、器、衣服からささいな小物までデザインが優れ、上質と感じた日用品を選び抜いてきました。

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そうして好きな物に囲まれた日常はすこぶる快適ですが、現状に満足しているわけではないのです。いまだ、より良い物との出合いを渇望していたりします。

とはいえ、小さな家ですから、物を収めるキャパシティはそれなり。家具や家電などスペースを割く物をこれ以上置く余裕はありません。また、器など小さな物も十分すぎるくらい揃っています。さらに、長く使うことを前提に、飽きにくく、丈夫な物を選んできたため、買い替えたくなる物も皆無。経済状態もありますが、以前のように、やみくもに買い物をすることは無くなりました。

物を増やせない、増やす必要も無い現実を前に、美しい物と出合いたいと願う想いをどう収束させるか、モヤモヤと悩んでいた時、偶然にも「手仕事フォーラム」の存在を知る機会を得ました。鎌倉の工藝店「もやい工藝」店主の久野恵一さんが代表を務め、焼き物、竹や樹皮、ツルを素材とするカゴ(編組品)、ガラス製品、金工品、織物など全国の優れた手仕事を調査、発掘し、手仕事の素晴らしさを伝え、次世代へと継ぐための活動をしている集まりです。

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雑誌編集者、セレクトショップのバイヤー、美術大学の教授、弁護士、建築家、大企業の経理マン、商社に勤める人など、職業はさまざまですが、共通して物に高い関心を寄せる人でメンバーは構成されています。毎月、定期的に会合を開き、手仕事の良品をテーマに語り合うひとときは、心躍る発見の連続。とりわけ、久野恵一さんの30年以上にもおよぶ手仕事調査の経験から備わった、物を選ぶ眼の確かさは、ただ憧れ、感服してしまいます。

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彼は民藝運動のパイオニアである柳宗悦の考えに共感し、その息子で、東京・駒場の「日本民藝館」館長となった、工業デザイナー柳宗理の眼となり手足となって、東北から沖縄まで各地の優れた手仕事を見出してきた人物。旅を重ねて、海辺や町中、人里離れた山奥や集落にひそむ、高い技術を備えたつくり手を見つけ、現代の暮らし方に合うようリ・デザインを指示、要請。日本民藝館での展示や店での販売を通じ、仕事の存続に尽力してきました。
僕はこの類いまれな眼の持ち主の心をとらえた物たちを見たいがために、10年以上、店に通い続けてきました。そんな尊敬する人物と親交を深める絶好の場になると、嬉々として手仕事フォーラム・メンバーの一員となったのでした。

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その後、3年間ほど、久野恵一さんから直接、お話をうかがうことで、彼がどのような視点で物を選んでいるのか、おぼろげながら理解できるようになりました。それは民藝の美のとらえかた。それまで、「ミンゲイ」という言葉は何度も耳にしていたものの、明確に把握していなかった僕は、真剣に語り合うことで、本当の意味を探ることにしました。
その結果、「名も無き工人が庶民のために、使いやすく、求めやすく、長く使えるよう制作した物」「機能性を追求していった末にたまたま美しいかたちを宿した物」など、民藝の物への一般的な解釈は、表面的な部分だけをとらえているのに過ぎないのだとわかりました。誤解や批判を恐れず、極論を言えば、民藝とは柳宗悦、たった一人の美の視点を指すものなのです。「これは美しい!」と柳の眼が感応した物が選ばれ、日本民藝館に収蔵されていったのでした。日本民藝館に実用的とは思えない物、つくり手の名が前に出た作品、貴族の日用品もが混在して展示されているのは、こうした解釈をもとに俯瞰していくと、合点がいくのです。

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唯一無二の直観力、美をとらえる超人的な眼を備えていた柳と同じ眼を持つことはできないとしながら、久野恵一さんもまた、自身の眼が感応した物にどうしようもなく惹かれる「業」に従い、生きているのだと想像します。いっさいの妥協もせず、より良い物、美しい物を求め続ける、彼の生き様にふれ、感化され、民藝の美への探究心が芽生えた僕は、ますます美しい物を探っていこうという気概が高まってきています。一度のめりこんだら抜け出せなくなるといわれる「民藝道」に浸かり、物の見方は様変わりしてきました。眼力の変化を素直に感動し、深い世界を覗きこみ、日々、眼を鍛えているところです。

文・写真/クノヤスヒロ

編集者、ライター。葉山在住。手仕事フォーラムの活動は、ホームページで紹介。僕は手仕事良品を紹介する連載記事「kuno×kunoの手仕事良品」を担当しています。「民藝美って何?」とギモンを感じた方はこの記事を読んでいただけたら、わかりやすいと思います。毎月「もやい工藝」(鎌倉市佐助2-1-10)にて、誰でも無料で参加できる学習会を催していますので、興味がありましたら、電話かメールでお問い合わせの上、お気軽にお立寄りください(メールはこちら、電話0467-22-1822)。

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