円卓の織り士
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2010年カジュ通信 春・初夏号より
また、カジュのイロハカエデに、初々しい新芽が出そろう季節となりました。丸13年、このカエデの木の季節ごとの変化に合わせて実にいろいろなことが日々、紡がれてゆきます。
よく、人様から、「忙しいでしょう」「よくそんなにたくさんのことができますね」などと言っていただくのですが、確かに、カジュ・アート・スペースの運営のためには、染織以外に、営業活動、広報活動、意外と時間を使うのがそうじ、、、。かあちゃん業もやっているので、日々の食は手が抜けないし、PTA関連もあれこれ。お陰様で全く退屈とは無縁の生活を送っておりますが、“心が死んでいる”ほど「忙しい」と感じたことはありません。有難いことです。
脈絡のない様々な仕事を同時進行する時に、はて、どうやっているかしらとあらためて考えてみました。カジュの運営をはじめた当初にはよく追いつめられてパニック状態になったりすることもあったのですが、最近はだいぶ楽になりました。その理由は、、、1.機械化がすすんだ。2.経験を積んでものごとの予測がつくようになった。3.年を食ってずうずうしくなった、、、などが考えられますが、もうひとつ、「壁がとれてきた」というのが大きいように思います。そう、「見通し」がよくなってきたのです。
昔は“制作”以外のことは雑事(やっかい事)という頭でいましたが、今は、そうじも、‘文章を書く’もチラシ作りも、イベント企画も、家事も、遊ぶのもぜ〜んぶ同じまあるいテーブルの上にのった“同等の仕事”になってきました。この概念、たいへん楽で便利です。
例えば野原に染料になる草を摘みにゆく。当然美味しそうな草も見つかる。染めものしている間に、食べられる草を洗い、脇でゆでておく。そして、夜のおかずが一品できる。(染織と家事の同時進行)。イベントのチラシを作る。その時のフォーマットが、頼まれていたPTAのお知らせにピッタリ。で、いっしょに作る。(広報とPTA活動の同時進行)、、、このフィールドを越えた仕事の同時進行は、不思議と“得したゼ!”感が大きく、貧乏性の私にはこの上ないヨロコビです。
仕事とプライベートをきっちり分けるのもひとつの哲学ですが、私が選んだ織仕事は、そもそも、家の女性たちが家族の衣類のためにやっていたことですし、アートは、遊びが命ですから、この2つはカオスのように混然一体です。円卓にのった脈絡のない様々な事柄を、時と場合によって、いろいろに並べかえてみる、、、すると、その事柄を全く別の角度から見られて、新しい発見があったり、長年の懸案のとなりに、ポンと別の事柄を置いた途たん、またたく間に解決したりします。これはまさに“主婦の脳”のワザですね。
はじめから、あまり成果を思い描かず、フィールドの壁を取って円卓の脇で今日も生きております。ときどき座る位置を変えてみたりしています。円卓を回してみたりもします。そうやって私の毎日は、くるくると紡がれてゆくのだなあと感じます。
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