カジュ通信2010年夏号 より
6月にホタルを見た。陸ホタルとでも呼ぶのだろうか。川べりから遠くはなれた住宅街の芝生の上でも飛んでいた。源氏ホタルよりも小ぶりで、飛び方も地面からふわっと飛び上がるだけで、地上30cmくらいの高さまでしか飛べない。7時過ぎの夜の散歩はトワイライトの中だったが、ふわりふわりと飛ぶ小さな虫たちのはかなさとは逆に黄色みを帯びた光は強く、幻想的だった。二 階堂川の橋の上からホタルを探したことがかさなって、しばらく足を止めその光景に見入った。2年間は見られないものとあきらめていた・・・ホタル。
来月8月4日を迎えると、早や米国滞在1年になる。ばっさりとそれまでの生活を断ち切って来た。一番堪えるのは社交の幅がぐっと狭まったことだ。子供がエレメンタリーに通う小学生なら、保護者が学校にしょっちゅう出向くような行事や、ボランティアの機会も多いが、我が家の場合は既にミドル、ハイスクールに通う10代だから、学校を通じて現地の人と知り合いになるチャンスは少なくなる。
果たして、ちょうど同じ世代の子供、それも兄、妹という組み合わせも一緒の韓国人女性ソンヒと、娘の通う中学の”back to school”(新学期が始まると、夜に保護者が学校に出向いて教科担任の先生と数分ずつ懇談する日がある)で知り合いになった。私の名前と顔を覚えてくれた最初の日本人以外の人。
アメリカにやってくる韓国人はご想像に違わず教育熱心な家庭が多い。ソンヒも、1年前にこちらに来て半年かけてしたことは、韓国系の塾を4回変わり、ネイティブの英語家庭教師を捜し、息子にはピアノ、娘にはチェロを習わせるための楽器の手配や、個人レッスンの手続きやらで、一番大変だったのは、子供たちに合う塾を捜すことだったらしい。バージニアの韓国人人口の正確な数は知らないが、日本人より圧倒的に多い。近所にアジアンデ−ル(実際の市名はアナンデ−ル)と呼ばれるほどのコリアンタウンがあり、韓国系のレストランやスパが立ち並ぶ。日本人は、コリアンスーパーのおかげで、キューピーマヨネーズもマルコメくんもカレー粉も買うことができる。
一方日本人は、メリーランド州の日本人と協力しあって、日本語補習校を開校しており、学校が日本人コミュニティの拠り所となっている。現在、幼稚部から高等部まであわせて600名近くの生徒が在籍している。その半数は、現地に長い日本人家庭、あるいは国際結婚の家庭の子女で第一言語は英語という家庭だ。
さまざまな理由から日本語教育を手放さない、将来日本に住む可能性が0に近くてもだ。自分の子供がバイリンガルになることで将来プラスに働くと信じてのことだが、学年が進むにつれ7割ほどの生徒は高校までに脱落していく。
ある意味韓国人は母国を捨てている・・・ソンヒのご主人も、息子に「韓国のことは忘れてこちらの勉強に専念しろ」と言うそうだ。もちろん目指すはIBリーグの名門大学。しかしながら、アメリカの大学の世界一といったら「学費」だ。年間数百万から1千万近くかかる。放課後も塾に通い、現地校で優秀な成績を修め奨学金を得てめでたく大学入学、順調に大手金融会社に就職したものの、一時帰国したソウル空港で、兵役をまだ済ませていないという理由で拘束されるという話は冗談ではないともソンヒは言っていた。捨て身でかかっても母国からは逃れられない韓国事情・・・。
1学年の終わりに、ミドルスクールでは、National Junior Honor Societyの入会式が夜に学校でおこなわれた。このソサエティに入会するということは、年間を通じて平均3.7(5段階評価)以上を維持し、学校の勉強のほかに社会奉仕活動を25時間しなくてはならない。
この式典にソンヒ親子と参加した。アフリカンアメリカンで話の上手なタイソン校長は、「今、メキシコ湾で流出している石油を止める手段はまだ解明されていません。それを突き止めるのは、誰でもないyou,you,you(と会場にいる200人近い生徒たちを指さしながら)あなた達だ」と言って、話を進めた。
豊かな国で子供たちに意欲を持たせる言葉とは、どんな言葉だろうと興味があったが、とても具体的な言葉だった。
ちなみに、式典の感想をソンヒに尋ね、韓国の校長先生ならなんて言う?と聞いてみた。「そうね、韓国の校長先生は、まず大学はSKY(ソウル大学、高麗大学、延世大学のこと)を目指せって言うわね。それから、いい会社に入ってよく稼ぐと、奥さんの顔がかわると・・・」こちらもある意味とても現実的な言葉だった。
(流蛍 2009年8月から米国在住 メールはこちら)