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2012年4月

樹身成仏

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カジュ通信2010年夏号 より

油断していたら、夏が来ていました。それも、大変手ごわい夏が。どんなに日中暑くても朝夕は涼しいのが鎌倉の夏なのに、今年はそれもままなりません。例によってカジュの庭はアマゾン級のジャングルと化し、植物たちの凄まじい生命力に毎日圧倒されています。

今年の春から、植物染のデータの整理をしていて、身近な植物たちのことを毎日植物図鑑やネットのサイトとにらめっこしながら調べ、試染しています。知れば知るほど、植物たちの、“生”のメカニズムに驚かされて、神話に遡るエピソードに感動し、それと同時に、人間という生きものが辿った“進化”(?)の道程がつくづく愚かで救いようがないように思えてきます。次々と殺傷兵器を作り出して、同じ“種”同士殺し合い、次の世代が住みにくい環境を残す生きもの、、、ほんとに1番利口なのでしょうか?!

植物の生き様の最も美しいと思える点は、その“欲のなさ”である気がします。もちろん、人間以外の動物もそうだとは思うのですが、“敵が来ても逃げられない”というライフスタイルを選択している点で動物に及びもつかない、ほとんど“解脱”に近い気高い生き方を思わせます。

仏教でいうところの「六道輪廻(りくどうりんね)」は、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つのステージに生まれかわるという概念ですが、どれも動物に関する生まれ変わりです。この六道輪廻の図はチベット密教の寺院に壁画としてよく描かれています。生・老・病・死に苦しむ人間界、争いばかりに明け暮れる修羅界、動物界、いつも飢えている餓鬼の世界、そして業火に焼かれる地獄、、、どれも人間を含む動物の欲の生み出す物語。人間より優れた存在である天人の世界(天道)も、煩悩から解放された境地ではありません。それら6つの界から完全に抜け出た境地が「悟り」というわけです。(あ、これはあくまで門外漢の私の私感です。)

悟りの世界には、どんなものがあるのかな、とよく思います。色とりどりの花が咲き乱れ、蒼々と木が茂るところではないでしょうか。そう、きっと我々の周りに息づいている草花や樹木たちは、全てを悟った良き魂の化身なのだと思います。いつか彼らに習いたい。

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