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2012年11月

往復書簡 (1)

やっと往復書簡をブログにアップし始めることができました。

初回は2004年の春・初夏号でした。

その時の、新連載開始のおしらせコピーはこんな感じでした。

――――カジュ通信の新しい連載「往復書簡」が始まります。      

カジュ・アート・スペースを通して知り合った人々が<手紙>という形式を借りて、お互いに言葉のキャッチボールができないか、という思いでできたのがこの連載です。今回は、田中牧子さんの友人であり、アコーディオン奏者である岩城里江子さんが、最近、非常に気になっておられる「からだ」について、カジュの身体均整法の講師、田村竜士さんに問いかけます。

――――――それでは本文です。 

 

今号のテーマ: からだのこと

田村さま  

はじめまして、田村さん。

カジュさんからこの往復書簡のお話があって、からだのことについてお話してみない?ということ。この半年くらい、私の中でとても大きなテーマになっていたことなので、偶然に感謝してうれしく書かせていただこうと思います。

まずは、私の紹介を少し。

三十八歳。夫と小学生の娘が二人。

子煩悩な父の抱っこぐせからか、からだを動かす喜びを知らぬ運動大音痴、一番の友達は図書室とピアノ、本や曲の持つ気配に浸るのが大好きという典型的な文系育ち。いつも笑ってる顔、色白ぽっちゃり、思春期はできやすい吹き出物がケロイドになってしまうという体質で、ビジュアルに(笑)今ひとつ(いや、かなり)自信をもてないまま大人になりました。性格的には、とある方によると共鳴しやすい霊媒体質(ほんとか?)。軽自動車で高速をぶっ飛ばしているように見える、だそうです(確かに抱えこみすぎてたまに倒れる。さすがにこのごろは減りましたが)。

6年前、TVで見たアコーディオン弾きに大ショック!まるでからだと楽器が一体化しているようなうねりのある動き、踊る指先。心から音楽を楽しんでいる姿に、私もこの楽器を抱きたい、という一念で触ったこともなかったアコーディオンを始めました。

「稽古事でやるのはもうやめれば?」というある人の言葉に触発され、真剣に弾き始めた3年位前からは、奏者の少ない楽器の特権でライブや舞台などでの仕事もいただくようになってきました。

アコーディオンは蛇腹で呼吸して音を出し、豊かに歌います。心臓の前に抱えるため、緊張すれば緊張した音、楽しければ楽しい音が出る、奏者がすっかりさらけだされてしまう酷な楽器です。ややこしいボタンや鍵盤がさっぱり見えないので練習した指を信頼して弾くしかありません。

だから気持ちよく弾きたい、そういう時はずっと私は心の状態を気にしてきました。リラックスした瞑想状態を思い出したり、曲の気配に入り込んだり、逆に何も考えないようにしたり。もちろんどれも必要なのだと思うのですが、このごろは「からだ」が大変に大事なのではないのだろうか、と思うようになってきたのです。

迫害されるクルド民族の取材をずっと続けている友人の写真家が「日本で普通平和な暮らしをしている私が向こうに行くと、投げかけてくれる話をしっかりと受け止めきれなくて、切り取る写真がとても浅いものになってしまう気がする」と言いました。とてもわかる気がします。その場所にいる人全体の気の流れに自分の軸を揺らされて、演奏がとても借り物的に浅くなってしまったり、自分の息遣いまで乱れてしまったりした時。

アコデュオで一緒に活動している男性は、剣道五段。演奏している姿勢もからだがぶれず、とても安定感があり、しっかりとした力のある音を出します。娘は新体操を初めて3年、からだの小さなパーツにまでコントロールができつつある気がします。意識的な道具として鍛えたからだ。指先などの部分だけではなく、からだ全体。結局このからだを通して自分というものを現していかねばならないのなら、自分が自分として立つ、受けとめる器としてのからだが強烈に欲しいのです。

田村さん、ずっと、からだから無意識に距離を置こうとしていた人間がこういうことを考えているのはおもしろいことですね。田村さんはどんな風にからだとおつきあいされてきたのでしょうか。

どんなお話が聞けるか楽しみにしております。

岩城里江子

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