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往復書簡(3) エサシトモコさんから川崎智子さん 2004

テーマ【希望】

拝啓

まだ見ぬ往復書簡のお相手の方へ

最近一つの展覧会を主催しました。外国から女性作家を招待しての展示です。私も一人の作家として作品を作り発表する生活をすると同時に、曲がりなりにも子どもを育てている最中です。もちろん、家族など周囲の協力がなければ、この仕事は為し得ないことは十分承知です。さてその招待した作家は60歳を越えているのですが、映像作品を用いたいわゆる「現代美術」と呼ばれる中の「コンセプチュアルアート」・・・・つまり、考え方を重視した美術表現をしています。

その彼女が展示の中に用いた「HOPE-希望」という詩に、ある美しい秋の風景を眺めながら、今まさに死なんとしている老女と交わす会話が出てきます。「あなたは若くて希望がある、あなたには明日がある、あなたにはこの風景をもっともっと感激してみられる時間がある。でも、私にはもう何もない・・・。(一部抜粋、要約)」と老女は言うのです。

もちろん、今の私にはこんな心境は分かりません、まだ若干〇代ですから。わかるといったらウソになる。私には20代30代のころからくらべれば「希望」は半分が半分になり、そのまた半分になったとしても、ほんのささやかなものであったとしても・・・・私はまだ「希望」を持っていると信じています。

そう考えるうちに気づいたのですが、子どもの頃は本当に「希望」がいっぱいだった・・・。実は自分は、具体的な「希望」などなにも無い、むしろ醒めた目で大人や社会を見ている、そんな子どもだったと思いこんでいました。

しかし、そうではなかったことがこの詩を通して、彼女の作品を見ているうちに分かってきたのです。「己の限界を知らないこと、己の何たるかを知らないこと」これこそが人が「希望」と呼ぶものの近くに在る・・・ということなのではないか。人生において、身につけていくものは形を変えて表現にとりこまれ、作品の幅が広がっていくことは確かです。しかし、続けていくうちにいつしか自分に対する「驚き」や「発見」も薄らいでしまうように感じられる。子どものように、いつも新鮮な気持ちでいたい・・・と思っても、すべてが見慣れた風景に思えてしまう。まるで、生きるということの意味を失ってしまう気さえする。

「希望」を持つということは変化することを恐れず、また変化できることが前提の状態にある、ということではないでしょうか?

ただ一ついえるのは、半減が繰り返したとされてもゼロにはなりたくない、マイナスにもなりたくない・・・人からみたら見えないほどの「希望」であっても。それは自分にとっては「希望」と呼べるものだからです。だから、私は「美術家」という、具体的な目的の見えにくい仕事を続けているのかも知れません。それは常に感じ、考え、変化することを前提にした仕事であり、私の思うところの「希望」に通じているから・・・・。長くなりましたが、どなたか是非お返事ください。できれば、子育てをとおして子どもから感じる「希望」、今の時代の「希望」のありか、ご自身が日常に於いて感じる「希望」ということについて。

敬具

エサシトモコ

親愛なるエサシさま

最近のことで、去年の夏にウィーンに行った時はとても普通に元気だったオーストリア人の知り合いが、脊髄の病気でもうすでに歩けなくなり入院していることを聞きました。一つ年下のかれは真面目そのもの。仕事上のリストラや奥さんとの不和も乗り越えて、さあこれからという時に病気になってしまいました。“良いことも悪いことも人生何が起こるかわからない”“人生にこれでいいということはない”という私の持説にあってまさしくまたこの事を裏付ける出来事でした。しかし、彼は信仰心もあって奥さんに花束を贈り、今までの事を労い、友人達には勇気づけていると聞きました。生きていることが希望であることを教えてくれているようです。「死を忘れることなかれ」生きていることに感謝し、死に直面した時にどうするか。健康になること、病気にならないことばかりを考えて「生きていること」を考えているだろうか。

私の家族は夫も芸術家。自分も絵を描き、子供達や大人の方に教えています。世間的には安定とは無縁の生活ですが、不安定だからこそ変化する醍醐味はこれからの希望につながっていると信じてやっています。どんな小さな道端(人生)にも奇跡は起こる。私の結論も「希望」とは変化すること、恐れず、そして信じることでしょう。20代は「希望」をもて余していたような気がして、今は年齢を重ね「希望」に張り合いがもてているような気がします。ひとり娘を持つことに恵まれ、可愛くて子育てに専念しましたが、それと同時に無垢な赤ちゃんを前にして日に日に成長する我が子を前に、いつかこの子は私を越えていく。その越えられる自分は何ができているのかを問い直す時間を与えられました。そして本当に描くことが好きなんだと気づき、知らず知らずにスケッチブックがたまっていき、そして人に教える自信もつきました。そして今は子供にとって身近な希望の星になろうと思っています。この子のまっすぐな瞳を濁すことのないよう希望の持てる親になりたい。娘が「お母さんが一番上手だよ」と言ってくれる。欲張らずにあるがままに、こんな私も娘の希望の星でありたいと思っています。

今の時代は、希望が持てずに目先の欲にかられ、安易にお金に走る事件をたくさん耳にしませんか。そして集団自殺。「希望」を持とうと考えられるだけでも幸せなのかもしれません。歴史の中では、思想や希望を持っても時代に翻弄された人たちが数え切れない程います。今ここで自由に考えることができ、あるがままでいられることに感謝して(一寸先は闇でも)今を生きる。その先にある何かのために、君の仕事が私の仕事が天命と言えるならば、それから祝福されて「希望」を持って自分にとっての最善を尽くしましょう。

川崎智子

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