往復書簡(4) 川崎智子さんから波多圭以子さん 2005年
テーマ【想像】
拝啓
波多圭以子様
娘がいつもレッスンを楽しみにしています。そしてこの度は三女の倫子ちゃん誕生を心からお祝い申し上げます。とても勝手な気持ちではありますが、子供にとって妊婦さんが身近にいて赤ちゃんが誕生するという過程を見ることは、何とも大切なことだと思われるのです。自分が経験させてあげられないので、心密かにとても感謝しております。寛子ちゃんの時もそうでしたが、娘が自分の事のように喜んでいた様子が微笑ましくありました。
さて今回、往復書簡という場でお手紙を差し上げることになりました。今の先生からはとても素敵なお話が聞けそうな気がしています。題目は“イマジネーション”です。どうぞよろしくお願いします。私の想像力はとても身近なところにあり、そこにあるという意識の世界を発見し、気づくところから始まるようです。たとえば風景などは、その場所を切り取って入り込んでしまうことがあります。近所に車も通らず人の往来もない道があり、その道は小高い山の上を通っていて木々が道幅2~3m程の道の両側にこんもりと生い茂っています。途中は広い竹林が下の道の方からその道まで続いていて、その入り口の道を横切ってロープが張られ、それを伝って竹の子の番犬が猛烈な勢いで出ては吠えたてていましたが、最近はロープだけがそのままでその犬は見かけなくなりました・・・。右手にもう誰も訪ねてきそうにない古い墓石がある敷地を見て、ところどころ近くの民家の人が耕した畑を通り、その先はさらに木々に囲まれた影の濃い道へと続きます。この道に入るたび、自由に呼吸できる喜びと同時に何だか謎めいている感じを覚えてとても大好きな場所になりました。そして私達が子供の頃、そんな想像を膨らませる景色や道や場所が何処にでもあったような気がします。見えないものが見えるようなそんな雰囲気があり、遊びの中でもそんな体験を覚えるような場所にアンテナを張っていたあの頃・・・。今ではこの場所でさえ切り取ったようにポッカリと残された場所です。残念。
少なからず美術家は想像する術(すべ)を持ち合わせ、様々な事物から覚醒する領域を切り取りそれぞれの方法で表現されているのではないでしょうか。音楽の世界にあっても、ベートーヴェンがウィーンの森を彷徨うことで「田園」という作品を作曲しました。音楽は体験的に想像を演出してくれるとても身近な方法のような気がします。11月末の日曜日のN響アワーで、宇宙飛行士の毛利衛さんが宇宙から見た地球にどんな音楽のイマジネーションを持ったかという内容で番組が進められていました。その日私は地方のホテルで、朝早く家を出て飛行機に乗ったこともあり早々とベッドの中にいて虚ろではありましたが、宇宙から見た白とブルーのそれは美しい地球とバッハの曲が織りなす画面を見て、理由もなくああ謙虚にならなければと思ったのでした。先生はどんな時にどんな想いでどんな音楽が聞こえていらっしゃるのでしょうか?
敬具
川崎智子
川崎智子様
すてきなお手紙をありがとうございます。
八月に生まれた娘はもうずりばいを始め、どんどん興味のあるところへと向かって動こうとしています。つくづく子供の成長の早さを感じます。思いがけない三人目の出産でしたが、上の子達にとっても、目の前で生命の誕生に触れることができる貴重な経験になったと思っています。
三人の子育ては想像していたより(いや、何も考えていなかったかも)はるかに大変です。何をするにも時間がかかり一日があっという間で、ぼーっとしていた頃が懐かしいです。
川崎さんから“イマジネーション”というお題をいただき、久しぶりにぼーっとしてみることにしました。
私はずっと、この“ぼーっとすること”が大好きでした。私の想像はどうやらそこから始まっているようです。頭やら手やら耳の力を抜いて、全身を外界に向かって開く感じ・・・というのでしょうか。とても良い気持ちです。
我が家は少し通りから離れた山の中に建っているので、道に出るまでに木々の間を歩くことになります。鳥の声、風が葉っぱを撫でる音、木漏れ日のきらめき、正体のわからないものがうごめく気配。こんなものを感じながら通りへ出ます。ほんの一、二分の短い時間ですが、これらは私をとてもやわらかにしてくれます。
美術家の想像は、どんな方法であれ、目に見え、触れることのできる存在として表現できることがいつもうらやましく思います。
音楽家は様々なイマジネーションを、すべて何らかの“音”に乗せて表現します。それは時間とともに消え行く頼りないものですが、聞く人の中で再び新しいイマジネーションとして湧き上がるのです。過去の作曲家の想像が今、私達を呼び起こし、また新しい想像へとつながってゆく。
それができるのが音楽の力です。
音楽から私が想像するものはいろいろです。風景のこともあれば、色やにおい、感情であったりもします。先日、ふとベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の二楽章の美しいメロディーに触れて、滋味ある暖かさが湧いてくるのを感じ、久々に、音楽に心揺らされる気持ちを味わいました。最近はきちんと音楽を聴いたり、弾いたりする時間がなかなかありませんが、リラックスしたい時はモーツァルト、気持ちを静かに整えたい時はバッハ、力をもらいたい時はベートーヴェンやショパン、頭を休めたい時はピアノ曲よりもオーケストラや室内楽を聴きたくなります。
私は曲がりなりにも音楽というものの中に身を置き、表現の術としてピアノを演奏できることをとても幸せに思っています。
また、夫は建築家という世界を持ち街並みの中で自分自身を表現しようとしています。三人の娘達にも想像力を豊かに持ち、自分の存在を表す術を何か手に入れて欲しいと願っています。それさえあれば、人生、きっと楽しく生きられるでしょうから。
波多圭以子
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