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2013年8月

鎌倉に古い町名を復活させる

カジュのある二階堂に隣接して「西御門(にしみかど)」という町名がある。一丁目と二丁目があるが、かつてこの二丁目界隈は「東御門(ひがしみかど)」という地名であった。これは三度移転したといわれる鎌倉幕府の最初の建物、大蔵幕府(現在の清泉小学校)の東西南北にそれぞれあった門に由来する。南御門、北御門はすでに完全に地名からは消えており、東御門も住居表示からは消え、「西御門二丁目」の表示となっている。
鎌倉は京都に模して、風水の「四神信仰」を鑑みて建設された都市といわれる。当然、「方角」には大きな意味があり、現存する寺社仏閣の位置にも、それを念頭においた歴史的由来がある。それらを無視して「東」をいとも簡単に「西」にくくってしまうのは、少々乱暴な気がして長年気になっていた。カジュ界隈の「大蔵」、瑞泉寺界隈の「紅葉ヶ谷」、極楽寺界隈の「月影ヶ谷」、そのほか鎌倉十井、塔の辻、塔の窪など、自宅住所に記すことができたら、さぞや心楽しかろうと思われる地名は数知れないが、そのほとんどは住居表示から消えている。

住居表示の変更などはどこが行なう仕事なのだろう。古い歴史的地名を復活させるとしたら、どのような活動が有効なのだろう。

昭和37年に制定された住居表示法を受け、今日に至るまで全国で住居表示改正が行なわれているが、郵便、流通面で便利になった一方で、先人が残した自然災害を警告する地名や歴史的地名の多くが姿を消しているという側面もある。
改正は市町村単位で行なわれることが多いようで、鎌倉に関しては鎌倉市役所市民課住居表示担当が事にあたっている。実際、昭和37年より、鎌倉でも順に住居表示が改正されており、鎌倉市HP : 鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況にその経過が公開されている。
改正に当たってはまず、その地域に対して説明会などを行い、鎌倉・大船警察、関連地域の自治会役員、商工会議所、東京電力などをメンバーとした審議会が市民課を事務局として立ち上がる。その際、要望があれば50人以上の署名をつけた要望書を出すと、この審議会にかけられる。今のところ、これまでの改正で古い地名の復活という例はないといい、また、既に改正が終わっている地域については、古い地名の復活のための制度は鎌倉市にはない。ただ改正に伴って生じる関連市民・企業の経済的負担(名刺やチラシの刷り直しなど)を軽減する支援制度は設けられている。

そんな中、歴史的地名の復活に成功した石川県金沢市に電話取材した。金沢は周知の通り加賀藩によって栄えた城下町で歴史的地名が数多く残っていたが、昭和37年以降、やはり次々と消え去っていた。がそれを惜しむ声が上がり、平成3年、経済同友会が旧町名の復活について提言を行ない、平成8年3月には市議会おいて旧町名復活について質問があり、住民の総意による復活要望があれば、検討する旨市長が答弁し、以来今日までに、主計町(かずえちょう)、飛梅町、下石引町、木倉町、柿木畠など11の旧町名が復活している。その経緯については金沢市のHP : 旧町名復活の歩みに詳しい。平成16年には「金沢市旧町名復活の推進に関する条例」が市議会で可決している。取材した金沢市市民共同推進課の話によれば、「私たちは単にノスタルジーで旧町名を復活させようとしたのではありません。いちばんの目的は、少子高齢化をふまえた『コミュニティ再生のきっかけづくり』にありました。また、旧町名が復活することにより、観光事業への経済効果も望めると考えました。」
大きなくくりに飲み込まれ消えてしまう人と人との触れ合い精神=コミュニティづくりに古い地名が一役買うに違いない、またそれが町の経済の発展にもつながると考えた金沢の人々のセンスに拍手を送りたい。(事実、最初の提言が教育委員会などではなく、経済同友会によって行なわれていることからも生活に密着した問題として旧町名復活をとらえていることがうかがえる)

同じ観光都市である鎌倉も、この例に学べることは多いと思う。調べてみて、この問題に取り組むとき、国や県を動かさずとも市のレベルで運動ができることがわかったのは大いなる希望である。ただ、実際に取り組みだせば高い壁も多く道のりは険しいに違いない。まずは私たち市民が鎌倉に残された古い地名についてよく知ること(知れば愛さずにいられない地名がたくさん!!)からはじめてみるのがよさそうだ。

今すぐ古い地名を住居表示に反映するのは無理にしても、せめて不動産、建築関連の企業を巻き込みながら、マンションやアパート、店舗の名前に美しい鎌倉の地名がひとつでも多く使われるよう働きかけるところから、私たち一人一人が動き出してみるのはどうだろう。「シャトー○○」も悪くはないが、「月影寮」「獅子舞荘」「琴弾庵」などが町にあふれたら、鎌倉に住んでみたいという人は今よりもっと増えるのではないかと、そして子どもたちが地名の由来を知って、もっと自分たちの町に誇りと愛情をもってくれるのではないかと、心密かに思う、今日このごろ。

文責 : たなか牧子

<<協力>>
 ・鎌倉市役所 市民課住居表示担当
 ・金沢市役所 市民共同推進課
<<鎌倉の地名を知る>>
・「鎌倉の地名由来辞典」 三浦勝男/著  東京堂出版
・「かまくら子ども風土記」 2000円 鎌倉市教育センター(市役所内)他にて販売

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往復書簡(9) 稲垣 麻由美さんから伊藤夏子さんへ

テーマ【踊る】

風のリズム奏でる タップダンサー

伊藤 夏子様

お久しぶりです。お元気ですか?

青葉が勢いを増すこの季節になると、なんだか夏子さんのことがとても気になり出します。自分でも不思議です。いつもどこでも自転車で颯爽と現れ、足元は下駄。すっぴんの笑顔が眩しい夏子殿。実は先日、宮古島に行った時にも夏子さんを熱烈に思い出した出来事がありました。

沖縄・宮古島南東の端に、東平安崎というそれは、それは美しい岬があるのをご存知ですか?東シナ海と太平洋が融合する海を望む岬の先端には、見上げるほどに美しい真っ白な灯台が立ち、空と海が一つになる宮古ブルーのグラデーションがどこまでも広がる神秘の彩の世界。風を全身で感じながらその岬に立つと、生きているという強い実感と、死の世界がすぐ側にあるような不思議な感覚を覚えています。

そんな場所に、あと少しで日が沈むという夕暮れに出かけました。観光客の姿はほとんどなく、三線の音だけが遠くから聞こえてきました。デキすぎでしょ。これぞ沖縄。音色に誘われるまま歩いていくと、さっきまで観光客を相手に人力車をひいていたというおじさんが三線を奏で、その横で腰の曲がった地元のおばあがひとり、実に柔らかないい顔をして音楽に身を任せ踊っていました。聞けば、そのおばあは98歳。傍らでは、介護をしているというお嬢さんが手拍子をしながら見守っています。TVや映画でよく沖縄の人が楽しそうに踊っている映像なんかを見るじゃないですか。でもね、やらせとかではなくて、目の前で本当に地元のおばあが、日常生活の延長上にごくごく自然に踊っている様を見て、私はなんだかとても深く心揺さぶられたのです。なんだろう、どうも上手く表現できないのですが、「あ~私もこんな風に生きたい」という思い。どこかいつも自分をガードして生きてきた私には、こんな風に踊ったこともなかったし、踊りたいと感じたこともありませんでした。あの瞬間、おばあの心は確かに解き放たれており周りにいた人をとても幸せにしました。そして、そのおばあを見ながら、私は夏子さんのことを思い出したのです。タップをしている時の夏子さんを一度しか見たことがないけれど、あなたはおばあと同じ表情をしていました。夏子さん、あなたにとっ“踊る”とはどういうことですか?踊っている瞬間は、心解き放たれるひとときですか?

あの宮古島の旅以来、ずっと聞いてみたかったのです。

ライター 稲垣麻由美

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往復書簡(8) 石田人巳さんから稲垣麻由美さん 2006年

テーマ【アンテナ】

稲垣 麻由美様

先日は久しぶりの再会でしたね。全くの音信不通だったというわけではありませんが、あのように長くお話したのは、7年ぶりだったでしょうか?見かけはお変わりなさそうでも、それだけの月日が経っていれば、当然、いろいろとその間にあったに違いないのに、私ときたら、昔の稲垣さんのイメージをそのまま引きずっていて、しかも「あなたのことはわかっているわ。」みたいに話してしまいましたね。ちょっと反省しています。

そもそも稲垣さんとはカジュで知り合いましたよね。お互い、何かに引き寄せられるようにして。その後、稲垣さんはカジュを通り過ぎ、私は夫の転勤で日本を離れました。

結婚前、私は小さな編集事務所でアシスタントとして働いていました。時はバブル経済の絶頂期。事務所の ボスは、世界中の文化、芸術、イベント情報を網羅した情報誌を作るという夢を抱く、その当時は青年実業家でた。(成功していればヒルズ族の先駆者になってたかもしれなかった・・・・)海外旅行者もどんどん増え続け、リピーターが喜びそうなロンドンやNYのミュージカル情報、美術展のスケジュールなどを、私は西麻布の事務所にこもり、日々追っていたのでした。

そんなことをしながら、ふと自分は、自国の文化をどのくらい知っているのだろうか?という青臭い疑問を抱くようになると同時に、何か新しい文化が生まれる現場に立ち会ってみたいものだと思うようになりました。

そう思ったからといって、すぐに行動に移すような性格ではないので、いつものように心のどこかに≪思い≫を引っ掛けてのらりくらりしておりました。そうこうしながら、小唄のお師匠さんの所に出入りしてお茶を濁すなんてこともしました。

誰にだって胸の奥に、答えの出ない問いや、密やかな望みや、そのほかもろもろの≪思い≫が何かあることでしょう。いつの間にか消え去るものもあれば、とりついて離れないものもあり、悩みもがいてみたり、大事に育ててみたり。そんな状態を、ある小説家は“静かな情熱”と呼び、別の小説家は“井戸掘り”のメタファーで表現しています。そして時にそれは、ちゃんとアンテナを張り出し、肝心なことを受信してくれることもあるのです。あたかも偶然を装うこともあります。私のアンテナは主人に似て怠け者ですが、カジュのことはちゃんと受信してくれたのです。他にも人や本やマスコミで発信される言葉などに出会い、「ああ、これだったのか」と思う瞬間が訪れるのです。「人生長生きするもんだ」とはこのことがあるからなのですよね。

稲垣さん、お会いしなかった、この7、8年間にあなたのアンテナはどんなことを受信しましたか? もちろん、今、聞かせていただける部分だけで結構です。外気に触れると台無しになってしまう、熟成途中のものもあるでしょうから。

カジュ通信編集スタッフ 石田 人巳

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往復書簡(7) 島津健さんから石田人巳さん

ちょっとお休みしていた「往復書簡」の昔の手紙の掘り起こし作業を再開します。数年前のものでも久しぶりに読み返すと、また新たな発見があって面白いものです。7回目は2005年秋冬号のものです。

【テーマ】 やせ我慢

まだ見ぬ鎌倉人のあなたへ

最近、地方都市へ行ったことありますか?どこに行っても県道沿いのロードサイドビジネス中心の消費社会構造が出来上がりつつあります。家電量販店にレンタルビデオ店にファミレスに100円ショップ。便利で良いが、あえて旧鎌倉を選んで移住した私たち夫婦には、他人事ながら素直に喜べない光景です。車で乗り付けることが出来るチェーン店のメニューはすべてセントラルキッチンで調理され、優等生的な出来ではあるものの何かひとつ物足りない。それに比べ、鎌倉で誇れるオーナーシップのある商店は、玉石混合あれど個性がキラリ光るお店も多く、店主とお話をしたり、ブラブラと買い物をする楽しい一時を、観光客にも生活者にも与えてくれています。こうした根強く自主独立経営を貫く旧鎌倉のパパママストアを大事に守り育てていくためにも、個人的には、地方の県道にはびこるこのようなロードサイド型大型店が鎌倉に増えないことを願っています。

もちろん、TSUTAYAが24時間営業していたら・・・・DVDが好きなだけ見れてよいし、ヤマダ電機があれば・・・パソコンの備品など何でも揃い便利なのだけれど、何故か旧鎌倉にはそういうお店が来て欲しく無いと思うのです。現在も細々と生き残っているパパママストアが消滅してしまうのは問題だし、夜中までネオンの明かりが煌々と点いていたら、鎌倉特有の夜の暗さが失われてしまうのも惜しい。それに何と言っても、建物の大きさや存在感は最悪とも言えます。

「鎌倉らしいと思うものは守り、鎌倉らしくないものは排除する。」といえば潔いが、「本当はのどから手が出るほど欲しいのだけれど、それによって失うもの(=「鎌倉らしさ」)が大きいので我慢する。」というのが本音かもしれません。そうしてきたことで、現在の鎌倉の街の雰囲気は保たれているのではないかと思ったりします。鎌倉に住むことは「やせ我慢の連続」だと誰かが書いた文章を読んだことがありますが、谷戸の湿気やムカデとの戦い、階段100段のアプローチなど、都会人では考えられない暮らしぶりをしている人が結構多いのには驚きます。鎌倉移住の先輩達が、せっかく痩せ我慢して受け入れを拒否してきたものを、我々の世代で簡単に受け入れて良い筈はありません。近道のため路地を抜けようと、逆にカフェやお店で油を売ってしまうなんてユルリとした鎌倉の暮らしぶりを維持するためにも、これからもパソコン用品は横浜まで電車で買いに行くし、DVDや郵送レンタルで我慢することにします。

「痩せ我慢」すべきことは都市という共同体にもありますし、個人や家庭や組織にもあるでしょう。鎌倉の街にかぎらず、個人的なことでも地球規模の事でもかまいません。あなたが最近「痩せ我慢しよう」と思った事を教えてください。

島津 健

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