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往復書簡(9) 稲垣 麻由美さんから伊藤夏子さんへ

テーマ【踊る】

風のリズム奏でる タップダンサー

伊藤 夏子様

お久しぶりです。お元気ですか?

青葉が勢いを増すこの季節になると、なんだか夏子さんのことがとても気になり出します。自分でも不思議です。いつもどこでも自転車で颯爽と現れ、足元は下駄。すっぴんの笑顔が眩しい夏子殿。実は先日、宮古島に行った時にも夏子さんを熱烈に思い出した出来事がありました。

沖縄・宮古島南東の端に、東平安崎というそれは、それは美しい岬があるのをご存知ですか?東シナ海と太平洋が融合する海を望む岬の先端には、見上げるほどに美しい真っ白な灯台が立ち、空と海が一つになる宮古ブルーのグラデーションがどこまでも広がる神秘の彩の世界。風を全身で感じながらその岬に立つと、生きているという強い実感と、死の世界がすぐ側にあるような不思議な感覚を覚えています。

そんな場所に、あと少しで日が沈むという夕暮れに出かけました。観光客の姿はほとんどなく、三線の音だけが遠くから聞こえてきました。デキすぎでしょ。これぞ沖縄。音色に誘われるまま歩いていくと、さっきまで観光客を相手に人力車をひいていたというおじさんが三線を奏で、その横で腰の曲がった地元のおばあがひとり、実に柔らかないい顔をして音楽に身を任せ踊っていました。聞けば、そのおばあは98歳。傍らでは、介護をしているというお嬢さんが手拍子をしながら見守っています。TVや映画でよく沖縄の人が楽しそうに踊っている映像なんかを見るじゃないですか。でもね、やらせとかではなくて、目の前で本当に地元のおばあが、日常生活の延長上にごくごく自然に踊っている様を見て、私はなんだかとても深く心揺さぶられたのです。なんだろう、どうも上手く表現できないのですが、「あ~私もこんな風に生きたい」という思い。どこかいつも自分をガードして生きてきた私には、こんな風に踊ったこともなかったし、踊りたいと感じたこともありませんでした。あの瞬間、おばあの心は確かに解き放たれており周りにいた人をとても幸せにしました。そして、そのおばあを見ながら、私は夏子さんのことを思い出したのです。タップをしている時の夏子さんを一度しか見たことがないけれど、あなたはおばあと同じ表情をしていました。夏子さん、あなたにとっ“踊る”とはどういうことですか?踊っている瞬間は、心解き放たれるひとときですか?

あの宮古島の旅以来、ずっと聞いてみたかったのです。

ライター 稲垣麻由美

稲垣 麻由美様

すてきなお便りをありがとうございます。

宮古島、美しいところなのでしょうね。ひろがる海と空の青、遮るものなく拝める太陽、そんな人力の及ばない美しいものに囲まれて日々を暮らしていたら、ヒトも自然の一部として敬虔にいきられるのだろうなあと思いを馳せていました。宮古島のおじいの三線、おばあの踊りは、風でさらさらと音を立てる葉っぱや揺れる木漏れ日と同義なのでしょう、そんなすてきな瞬間に私を思い出してしまったなんて。ちょっともったいないですね~。

さて、「踊るとはどういうことですか?」というご質問を頂き、しばらくおもいを巡らしていました。ふり返ってみると、踊る事の意味もその時々でずいぶん違いますね。

お稽古ごととして近所のバレエ学校に通っていた子ども時代、私にとっては踊りは、人の思惑を気にせず、全神経を自分に集中できる大切な時間でした。

思春期以降はそれを続けているから自分である、というような、ただすがりつくよりどころのようなものでした。でも何か情熱を保ちきれず、バイトしながらのレッスン生活に一度見切りをつけてやめます。やめたら楽になるかと思いきや、芯のなくなったただ働くだけの日々をどうしていいかわからず、二十代前半は心身を崩して棒に振りました~。

だいぶ立ち直り、(健康のためにジャズダンスでもやってみるか)と通い始めたスタジオでタップや大道芸と出会い、そこからやり直しの踊り人生が始まります。この時(ああ、もうやっぱり踊るしかないみたいだから、もうやめるのはやめよう)と開き直りました。それでもまだ、踊るという事は、それさえしていれば自分でいられるという『杖』のようなものでした。

変わったのは子どもが生まれてからです。子どもは私に大切な事をたくさん気づかせてくれました。重要だったのは『何もしていなくてもその人である』ということ。こんな根本的な事にそれまで気づかなかったなんて!いろいろうまくいくはずはありませんよね。

それと、麻由美さんもきっとご存知でしょう。赤ちゃんって、立つ前から踊るんです!やっとお座りしている位なのに、身体を揺すって太鼓にあわせて踊るんです。それを目にした時、私の中で踊るという事の意味がくるりと形を変えました。踊るって、だれでも標準装備な、ふつうのことなんだ~って。

以来踊るという事は、すがりつく杖ではなく、私のコミュニケーションツールのひとつになりました。きっと人によって『書く』『織る』『彫る』など、話す以外のコミュニケーションツールをいくつか持っているのですね。

私の場合は踊る事が、観客、生徒さんなどと関わる時のことばであり、個人的には自分の内にある表立たないひっかかりをすくうひしゃくでもあり、また、うまく言えないけれど『大いなる意志』との交信手段でもあります。大いなる意志によって人は生かされていて、すごく小さな事かもしれないけれど日々を大切に暮らす中で、大きな役割をはたしているように思うのです。

たとえば毎日ごはんをつくります。「あ、これとこれをあわせたらおいしいかも!」というヒラメキに従ってほどよく完成させる。娘や友人たちと一緒に頂きます。「わあおいしい!」「おいしいね!」シアワセです。そんな瞬間を重ねていけばシアワセがシアワセを呼び、身近な世界が変わる!

今、私にとって『踊る』と『ごはんをつくる』はまったくおなじことです。

シンプルであじわいの深いごはんで、縁のあった人々とシアワセなごはんタイムを過ごせるようでありたいな、と思っています。

そう、麻由美さんとはプレーパーク活動で知り合ったのでしたね。大人に合わせるのではなく、昔の路地遊びのように子どもが群れられる場所をつくれたら、みんなの毎日がもっときらきらするかしら。先の事じゃなく、まず今を大切にできるように。子どもの目線であたりを見回してみると、大人のシアワセの素もきっとたくさんみつかるよね。

さて、おしまいに質問があります。今回のお手紙では褒め言葉と受け取りましたが、実は私、ハタチのころから、ときどき、おばあみたいと言われる事があるんです。どのへんがおばあなんでしょうね?

伊藤 夏子

伊藤夏子プロフィール・・・・タップダンサー。「スキップするようにタップを楽しもう』という趣旨のパフォーマンスユニット『Djembe&Tapスキップッポイ』で東京都ヘブンアーティストライセンスを持ち、イベント、学校公演等に出演。8歳の猫二匹と6歳の娘と暮らす。和裁就業中。家修理中。求む助っ人!

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