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2013年11月

往復書簡(16) 石田紫織さんから久野木直美さんへ 2008年

【テーマ】師、弟子

久野木 直美様

こんにちは。

なおみさんのご活躍、カジュからの案内などでいつも拝見しております。カジュでのヴォーカル教室、とても豊かな気持ちになれそうでいいですね。それにすべての音楽の基本は歌ごころ、私も習いたいなあとよく思っています。ただ歌うことは誰にでもできるけれど、基本や理論を学べば、世界も広がってより楽しめることでしょうね。 そう、よく思うのですが、歌も太鼓も、踊りも、絵を描くことも、もともと誰にでもできることなのですよね。とは言え子供の頃から少しずつ、お母さんや幼稚園の友達や、またはTVなどのメディアや自然などから学んできたのでしょうけれど。興味があることに関してはより多く吸収するでしょうし、教室に行って先生に習ったりするかもしれません。なおみさんは、子供のころから歌が好きで、音楽を習っていらしたのですか?

私も子供のころからやっていればよかったのですが、先生について学びはじめたのはインド音楽を始めてからで、実は20代後半と、とても遅いのです。それまでは、仲間に教わったりして雰囲気で楽しむだけでしたが、古典音楽ともなると、長い歴史の中で受け継がれ、積み上げられたものがとても大きく、そこを学ばずに習得することは不可能だと思いました。

私の師のところには2人の住み込み弟子と十数人の通い弟子がいて、師匠と生活をともにしながら修練に励んでいます。

インドはもともと徒弟制度が根強いというか、何より師匠を大切にする民族性があるように思います。プラーナム(師の足に触れてから自分の頭を触る挨拶で、あたたの足を私の頭に乗せる思いです、という意味です)を形式としてではなく、みな心を込めて行っています。学校のようにシステマチックではありませんが、師が受け継いできたやり方で(大抵はこれでもかというくらい厳しいようですが)伝承しています。また、生活をともにすることで、弟子は師の考えがわかるようになるし、師は弟子の個性を見抜いてそれぞれにあった指導をするかもしれません。インドでは、新進気鋭の奏者も、熟練音楽家も、まず師匠の名前を出し、伝説を語り、とても大切にしています。そして師匠もまた、自分を超える弟子の成長をこころから喜ぶそうです。そんな愛情のある師弟関係のおかげで素晴らしい技と伝統が今に活きているのでしょう。

徒弟制度とまでいかなくても、こういった師弟関係や技術を受け継いでいく制度は、職人や文化芸術の世界に限らず、たとえば会社などでも見られると思うし、効果的なのではないかとも思います。またその反面、今はいろんなところから情報が得られる時代ですから、独学で技術を習得される方も多いと思います。必ずしも師匠が必要ではないし、悪い場合はそれが創造の妨げになるという考えもあります。それでも先人から多くを学んでいるのですよね。私も今までに、技術そのものに限らず仕事への心意気や考え方や生き方などを教えてくれた先生との出会いは度々あり、感謝しています。

私が人に教える立場になるかどうかはわかりませんが、多くの師から受けた愛情と、先人たちが積み重ねてきた伝承されるべきもののかけらを誰かに伝えられればいいなとは思います。しかし教えるということは本当に、覚悟のいることですよね、尊敬致します。いろいろな楽しいことや難しいことがあると思います。なおみさんの、先生として思うことや気づいたことを聞かせていただけたら嬉しいです。

石田紫織

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往復書簡(17) 久野木直美さんから藤村和人さんへ

【テーマ】こだわり

藤村和人様

こんにちは。

いつもお店ではおいしいコーヒーと楽しいお話で仕事休憩させて頂いております。

私はカフェ巡りが大好きで、特に鎌倉のゆっくりとした時間の中で飲むコーヒーは最高のひとときです。そしてある時、教室のあるカジュの近くにとてもおしゃれなコーヒーショップ「KING」を見つけたときは感激でした。自分は声楽講師ですが、「いつか我が家で喫茶店を開きたい」という夢をひそかに持っています。ですので、若くしてマスターをしている和人さんは「かっこいい!うらやましい!」という言葉に尽きます。

 私と和人さんの共通部分といえば、独立していることかなと思うのですが、一人でお店を経営していて一番の魅力はどんな事なのでしょうか?

私は教室を開いてから3年が経ちましたが、スタンスというか自分らしさという部分ではまだまだ試行錯誤しています。ただ始めた頃から持っている「こだわり」があります。そのこだわりとは「常に楽しく」です。相手を知るというのはどんなときでも大事ですが、レッスン中での生徒の希望に耳を傾けることはもちろん、レッスン以外での会話もとても貴重な時間と私は考えています。

この時間で私自身も楽しませて貰うことも多く、1日の達成感の中にもこの時間が含まれていると感じています。そしてこのような時間を通じて生徒が音楽を身近に感じ、楽しくレッスンに通える教室作りを心掛けています。 自分の色を作ることができるのは幸せなことですよね。

上を目指す為または趣味の1つとして、といったように音楽教室にはそれぞれの方針がありますが、私が音楽教室に勤めていた頃は1日に沢山のレッスンを受け持ち、時間に追われながら無我夢中だったと記憶に残っています。しかし同時に対話の大切さを学んだ場所でもあります。時間が無い中で「もっと一人一人と話しがしたい」という気持ちになり、「こだわり」が生まれたのでしょう。今は、私らしさを作りながら、生徒一人一人に合わせたゆとりあるレッスンをしようと意識しています。ゆっくりした鎌倉時間と共に、マイペースながらも、さらにMY教室に色が出るといいなと楽しみにしています。

素朴な疑問ですが、和人さんがカフェ&バーを開こうと思ったきっかけは何ですか?また、お店の空間作りやBMG、そして食器にも「こだわり」を持ってらっしゃると思うのですが、テーマなどお持ちなのでしょうか?「KING」で飲んでいて感じたのですが、家でも「今日はこのカップ」とか気分で変えるのもおいしく飲むポイントなのでしょうね。少し話しが逸れますが、女性のお化粧も日によってアイシャドウの色を変えたりすると、ちょっとしたことが気分転換になり、顔には非常によいことだと聞いたことがあります。ですが、そうなるとカップだけでなくそのときのBGMやお部屋の雰囲気まで作りたくなってしまうし・・・結局おしゃれカフェに足を運ぶことに辿り着くのでしょう。

仕事後に飲むコーヒーも私のこだわりの1つであり、なによりの元気の源です。教室→カフェの私のスタイルはこれからもずっと続いていくことでしょう。そんな癒しの時間を過ごせる「KING」が教室のすぐそばにあるなんて本当に素敵な出逢いだと思います。新しくなるお店も楽しみにしています。和人さんのお店での「こだわり」やきっかけなど聞かせて頂ければ嬉しいです。

久野木直美

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往復書簡(15) 黒澤邦彦さんから石田紫織さんへ

【テーマ】 音楽をするということ

石田紫織さま

紫織さん、いつもワンダーキッチンでは素晴らしい演奏をありがとうございます。僕が最初に紫織さんのタブラを聴いてから、そう日は経っていないはずなのですが、毎回進化し続ける演奏に、驚きと尊敬の念を隠せません。シタールのこうきさんという素晴らしい師であり音楽仲間である存在も大きいのでしょうが、日々の研鑽なくしては進歩もあり得ないタブラという打楽器であればこそ、取り組んでいるのが深遠なるインド音楽だからこそ、余計その努力の大きさがうかがいしれるというものです。僕は紫織さんのお話のテンポが好きなのですが、その適度にメリハリがあって、自然で間合いも大切にする会話のリズムや相手への思いやりが、演奏にも反映されているというべきか、あるいは逆にタブラ演奏の修行がそうした日常の所作に生きているのか、は知る由もありません。ただ、いずれにしても、紫織さんが従来もっている体内のリズムというか、タイムセンス(ビート感覚)が、何やら心地よさを伴うものであることははっきりと認識しています。というのも、僕のように長いこと音楽をやってくると、いろいろなタイムセンスの持ち主との時間を共有することになる訳ですが、相容れないビート感覚を持つ人とは、演奏のみならず、通常の立ち居振る舞いにさえも、ぎこちなさを感じずにはいられないことが多いからです。

もっともこれは音楽の世界に限ったことでもなく、ふだんの生活の中で、さまざまなタイムセンスをもつ個と個が、このビート感覚の相性を漠然と感じながら生活しているはずなのです。その醸し出すリズムがぴったり同じであることなど、まず稀でしょうが、その感覚が近いというばかりでなく、全く違う感覚でありながらも、互いが邪魔し合うことなく、うまく溶け合う感覚や組合わさることで一体化した別のビート感覚を生み出すことになる場合などでも、相性の良さを実感することになると思います。紫織さんは、そんなことを日々の暮らしの中で考えたことはありますか?また、生活の中には、そうした人間やウリのような動物たちが醸し出す体内ビート以外にもさまざまなリズムが生まれ、渦巻いています。たとえば、キッチンで。包丁が玉葱を刻む音、レンジが完了を示す「チン」という金属音、グツグツと何物かが煮え立つ音。ジャーという蛇口から流れ出る水の音。毎日、彼らの合奏の、それらのビートが渾然となり、ポリリズムを生み出すただ中にいます。街中でも、きっと同じ感覚を得ることができるはずです。自然の中もまた然り。そうして、与えられたリズム環境に身を置くことで、図らずも体内リズムが変化したり、もしくは感化されて進化したり、ということが起こったりもします。僕はよく、彼らが与えてくれる、それらの中から聞こえる音楽を曲という形に変えて拝借しています。実はここでお店をやるようになってから、以前より増して多くの曲が書けるようになったのですよ。きっと周りに相性のよいビートたちが充満しているのでしょう。よくご存知のように、インド古典に限らず、古今東西の多くの音楽家たちが、「音楽は自らが生み出すものではなく、今そこにあるものを、音楽家の身体を通じて具体的に聞こえるものとする行為なのだ」というような主旨のことを言い残して、あるいは今なお言い続けています。このことに気づき、謙虚な姿勢と貪欲かつ旺盛な感受性を持ち続けていれば、きっと音楽は身体にどんどん浸透していくはずなのです。器楽演奏の練習だけが、上達の道ではないことには、きっともうお気づきでしょう!?日々の紫織さんを取り巻く環境を大切に、自らの内なる欲求に忠実に整え、そこから得られるすべての事象を糧として、ますます素晴らしい演奏を聞かせてください。さらに進化したタブラを聴けることを楽しみにしています。

黒澤邦彦

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往復書簡(14) JUANA オーナーこころ より ワンダーキッチン オーナー うりちゃんへ

【テーマ】 犬も歩けば棒にあたる~それぞれの犬生~

ワンダーキッチンオーナー うりちゃんへ

毎日暑い日が続きますね。うりちゃんは、暑いのは大丈夫ですか?僕は大の苦手で、夏はいつも玄関のひんやりとした石の上で過ごしています。

おととしの夏はあまり暑そうにしていたので、お姉ちゃんたちがカットに連れて行ってくれたのですが、ふさふさした毛をびっくりするぐらい短くカットされて、お腹が冷えて二、三日下痢をしてしまいました。ウリちゃんはカットしますか?もし良いところがあったら紹介してください!

ウリちゃんとは何度か会っただけでゆっくりお話をしたことが無いので、今日は僕の生い立ちを紹介します。

僕は生れてから飼われていた飼い主に一度捨てられています。保護センターに連れて行かれて、たくさんの犬たちと何日か一緒に過ごしました。そこにある日ある女の人がやってきて、鈴を鳴らしました。「なんだろう??」と思って近づいていくと、その人は僕を車に乗せて別の場所へ連れて行ってくれました。そして着いたところは聴導犬の訓練所でした。そう、その人は聴導犬協会の人で、保護センターにいる犬の中から音に敏感に反応する犬を聴導犬の育成訓練をするために探しに来ていた人だったのです。

それから僕なりに頑張って訓練を受けていたのですが、あまりの甘えんぼぶりに訓練をしていられなくなり、前のワンちゃんを亡くし悲しみに暮れいていた今の家族に引き取られたのです!その時に、「次の飼い主には心から愛されますように」という願いを込めて、聴導犬協会の人がこころと言う名前を僕につけてくれました。

うりちゃんはどうしてウリちゃんという名前がついたのですか?

僕は初めてウリちゃんを見たとき、「犬?猫?子羊??」と悩みました。それが僕と同じミックス犬だということを聞いて、とってもとっても親近感が沸きました。僕はよく「何犬ですか?」と聞かれてシェットランドシープドッグと、何かのミックスなので少し答えるのに困ったりしていたのですが、ミックス犬は、二つの犬種のよいところをもらって生まれてくる。という話を聞いてから、堂々と「ミックスです!!」と言えるようになりました。うりちゃんの、お店の入り口に寝そべっている姿も頑張ってソファーに登る姿も、身のつまった感じも、くりくりの毛も、何ともいえないミックス具合は一度会うと何度も会いたくなります。

うちのお母さんやお姉ちゃんたちもウリちゃんの大フアンで、うちではよくウリちゃんに会いたいね~って話しています。

ところで、最近ウリちゃんのお母さんがタイへ行ったと聞いたのですが、ウリちゃんはその間どうやってお留守番しているんですか?もしかして一緒に行ったんですか?僕は飛行機に乗るときは動物はまとまって同じ場所に乗ると聞き「もしライオンと同じ飛行機になったら怖くて死んじゃう!!と思い絶対に飛行機には乗らないと心に決めました。家族が旅行に行くときは、僕は近所の人に預かってもらいます。その時はハムやクッキーが食べ放題なのでひそかにみんなの旅行が楽しみなんです。ウリちゃんはワンダーキッチンのおいしいご飯食べ放題ですか?今度わんちゃん用のご飯があったらぜひ食べに行きたいです。うちの店でも、ケニアのカンガという布を使って「ワンちゃん用のかわいい洋服やスカ―フを作ろうと毎日僕をモデルに考えているところなので、出来上がったら是非ウリちゃんにも身につけてもらいたいです。

では、これからもオーナー犬として頑張っていきましょう!!

JUANA オーナー こころより

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往復書簡(13) 柴田信之さんから塩見麻子さんへ

【テーマ】 出会うということ

塩見様

こんにちは。

長谷にもすっかり人通りが戻りましたね。今年は冬が暖かかったせいで思ったよりも2月の人出もあったようでお店としては一安心でした。

暖かくなったこともあり、店にいるとちっとも歩かないので最近銀行等の用は鎌倉駅まで歩くようにうしています。そうするといろんな人に会います。長谷商店街でこんにちは。油比ガ浜商店街でこんにちは、御成商店街でこんにちは、鎌倉駅でこんにちは、そして長谷に帰って来てただいま!といった調子。街で暮らしているんだ!とつくづく実感します。サラリーマンのときには感じなかった感覚です。商店街、そして「街」って本当に楽しいですね。

そこで今回は最近思うところが多い「出会い」ということにつてい書いてみました。

実は私のMiddlesというお店はある1人のシンガーとの出会いからはじまっています。この出会いがなければその後のすべての出会いもなく、今のこの状況はあり得ないと思っています。この話も書きたいですが、簡単には終わらないので・・・・・・今回は開店後の話をします。

その一つの出会いから始まった今の流れの中で、その次には多くの自営業の方々と出会いました。サラリーマンのころは自営業の方はやはり「特殊」で「自由業」に見えたものです。しかし自営業を始めた今は塩見さんとの出会い然り、周りがすべて自営業になったというくらい自営業者に囲まれています。特殊に見えたその世界はとても当たり前の世界。自分で工夫して自分でお金を得る、というとてもシンプルで当たり前の暮らしをしている人々です。たくさん希望と同じくらいたくさんの不安をもって自営業になろうとしていた自分にとって、自営業の諸先輩方との出会いは今でもとても心強いものでした。

そしてそこからは出会いが出会いを呼ぶ出会いの連鎖の始まりです。

お店で出会うたくさんのお客様の方々。本当にいろいろな年齢、性別、国籍、その他とにかくたくさんの人がお店にいらしてくれます。そこからまた次の出会いが紡がれて爆発的にそのつながりの輪が広がっていっています。その出会いにたくさん刺激をもらい、チカラをもらい、知恵をもらい、勇気をもらって日々前に進んでいるように思います。

塩見さんもお店を始めるきっかけのような出会いはありますか?そして店をはじめてから何かおもしろい出会いはありますか?そして店をはじめてから何かおもしろい出会いはありますか?それらは人に限らず、モノや場所やストーリーでもなんでもかまいません。自分もずいぶんそれを聞かれましたがやはり人のことも興味深々なのです。

長々書いてしまいましたが、いよいよ本格的な春に向けてリスタート。アフリカのものを扱う塩見さんのお店も品物がだんだんと増えてにぎやかになってきましたね。ますます楽しみです。

では店を、商店街を、街を盛り上げて行きましょう。「あそこに行くといいことあるね!」なんて思ってもらえるステキな出会いあふれる場所にしたいものですね。

長谷 先住民族のクラフトショップ

Middles(ミドルズ) 柴田信之

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往復書簡(12) 田丸恵子さんから柴田信之さんへ 2007年新春

【テーマ】 挑戦

柴田様

最近はすっかり冷えてきましたが、いかがお過ごしでしょうか?

寒さと言えば、11月終わりのルートカルチャーのイベント!2日間、お疲れ様でした。

お天気にも恵まれ、なかなかクオリティの高いイベントでした。柴田さんと出会ったのはそのイベントでしたよね。お隣のブースで、何かとお世話になりました。テントを建てる時もすぐに「手伝いますよ~」と声をかけてくださり、ご親切どうもありがとうございました。柴田さんのミドルズというお店には小さな可愛らしい民族系のものがたくさん置いてありましたよね、海外からもけっこう取り寄せていらっしゃいますが、やっぱり仕事では英語でのやり取りが多いのでしょうか?

私は最近、「英語がネイティブに話せたらなあ・・・・」と思うことがよくあるんです。地球上日本ほど英語が苦手な先進国ってないですよね、恥ずかしいもんです。私の両親はアメリカに住んでいたこともあり英語が話せるのだから、幼いころから良い英語教育をしてくれていたら、今頃世界は何倍も拡がっていたなぁ、なんて思ってしまいます。柴田さんにはそんなようなことはありませんか?もしあの頃(時)、両親が○○してくれていたら、今頃○○だったのになあ。っていうようなこと。

今さら言っても仕方ないので後悔とかではないけれど、自分が親の立場であれば子供にはこんなことはさせておきたいと、自分の経験から思えることってありますよね。

そして、どんなことも完璧な状態っていう概念で、足りないと思えることはどんどん挑戦していきたいと思うんですが、柴田さんが2007年に挑戦していきたいことって何ですか?私はやっぱり言葉・・・(日本語も含めて)です。(笑)。綺麗な言葉で伝えること、そして相手を理解すること、そんなキャッチボール上手になることが2007年の目標です。

ではどうぞすてきな年末年始をお過ごしください。お店にもぜひ遊びに行きますね。

田丸恵子

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往復書簡(11) 岡庭妙子さんより田丸恵子さんへ

テーマ【どっちでもイイこと どっちでもヨクナカッタこと】

田丸恵子さま

この夏はルナティカナパの展示会に、家の引越しにとさぞ忙しかった事と思いますが、お変わりありませんか?

こちらは、最近は雨季への準備か日中とても蒸し暑く、夜には湿気を含んだ海風が身体を冷やす季節になってきました。無事結婚式を先月終え、その後、野生の動物に挨拶しにボツワナに行ってきました。戻ってきてから2週間。やっと最近空っぽの家にも慣れて(2カ月間誰かしらが常に回りにいたので)、台所を聖地にしながら自分ののんびりした時間を楽しんでいます。

突然のタマルとの再会から3年。月日の流れるのは早い。大学時代の十代、自分を探しながらも、何も疑う事のなかったあの時からもう十年以上経っているなんて!あの時タマルはファゴットに、私は粘土まみれの作業服にアイデンティティーを感じていたんだよね。それからお互いに色んな土地で色んな経験をしてのあの再会。その後私は日本に戻り、あたなが葉山に引っ越してきて、知り合う人が繋がっていたりと、あれよという間に前以上にお互いの距離が縮んだんだと記憶しています。そこにたどり着くまでの道のりは違っても、それぞれの経験から似たような価値を見出していて、久しぶりのおしゃべりはいつも白熱していたよね。

学生気分が抜けぬまま私は、20代中盤から少しずついろんな国に旅に出ました。一つテーブルを囲むそこにいる全員が違う国籍で、手探りの英語で話しをするという経験はそれだけで刺激的で、それまで考えたこともなかったような「日本」を考えさせられたりもしました。自分にとっては当たり前のことが、いかに当たり前でないかを目の当たりにして学んだのがこの時です。外国を旅しながら自分の中の日本巡礼をしているような。そんな時期だったようにも今思います。タマルもきっと、違う国で自分と同じもの、全く違うものを発見しながら自分の影をその中に溶け込ませながら、ある時を過ごしていたんだろうと想像します。

最近、生活の中で、“どっちでもいい”事が増えてきました。と同時に自分の中の何かがより頑固になってきていて、たまにその自分を垣間見て嫌だなあ~と思うことがあります。また反対にどっちでもいいと思っていたけれど、実は大切なものだったというものが中にあります。

朝起きたてにちゃんと朝ごはんを食べなければいけないというのは、どっちでもいいことにしました。(時と場合によるけれど)たいていの場合はお味噌汁をしっかり一杯飲めば昼まで十分なんです。私は。コーヒーとクロワッサンだと2時間後にはばててしまう。と、同じ発酵食品といって、チーズやヨーグルトをフランス人と一緒にたくさん食べていたら太ってしまいまった。私の身体には味噌が合う!これは頑固になってでも譲るべきでは無いと、確信に至ったわけです。今のような季節の変わり目は特に土地のものを食べている事で身体に抵抗力が付くと信じて、なるべく見たことの無い野菜もチャレンジして料理する事にしていますが、朝は味噌汁に決めました。もともとお味噌汁あまり好きでなかったのに。小さい頃。

そんな“どっちでもいい”“どっちでもよくなかった”もの(こと)最近のタマルの生活の中ではどんな風に見え隠れしていますか?たくさんありすぎるようなら、その半分は今度会う時教えてください。

では、また会う日まで。

お体ご自愛くださいませね。

岡庭 妙子より 

岡庭 妙子プロフィール・・・主婦!?美大卒業後、旅の途中で子供達に絵を教え始め、2002年11月から1年半、本格的にインドのNGOに参加。その後日本の民間の託児所で働き、今年8月旅の途中で会ったフランス人と南インドで結婚。何か始めなければというお得意の脅迫観念に駆られつつも、もうちょっとボーっとしていたい気持ち、優先中。http:/baks.cc

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往復書簡(10) 伊藤夏子さんから岡庭妙子さんへ

これは2006年夏号の「往復書簡」です。この回と次の回は、日本からインドへ、インドから日本へと手紙が送られました。

テーマ【幸せ】

岡庭 妙子さま

こんにちは。

インドでの生活はいかがですか?

あなたが発つ時には実感がわかなかったのですが、あなたのブログでインドの写真を目にしたとたん、ああ、こういう所にいるんだ、と急に距離を感じました。なんというか、すっている空気が全然違う、と実感したと言うのでしょうか。

そういえば、私はあなたとはこのカジュ通信で知り合いました。インドでのNGO活動から帰国して、久しぶりの日本で感じている事をカジュ通信に寄稿していましたよね。記事の片隅に、子どもの居場所づくりについて小さな事でもはじめたい、というような事が書いてあって、興味をおぼえて電話したのがはじまりです。電話が苦手な私としては珍しいのですが、鎌倉あそび塾のスタッフとして、プレーパーク(様々な人のたまり場)づくりに関わっていた私は、こういうハートのあるひとがたまり場にいつもいてくれたら、どんなにその場がなごむだろう!と思ったのでした。

その後、その企画は実現しなかったけれど、日本の保育園で働きだして忙しいなか、私の娘のベビーシッターを引き受けて頂いたのでした。

きちんとお礼を言っていませんでしたね。おかげさまであの一時期を乗り切ることができました。ほんとうにどうもありがとう。

新婚ほやほやのあなたに、こんな事を聞くのも野暮かな、と思ったのですが、今日は『しあわせ』について、聞いてみたいなあと思います。

『しあわせ』は気づきさえすれば周りにたくさんある、と思って以来、その巡り合わせの尊さ等、小さな事でもすてきな瞬間をきちんと自覚できれば、私は『しあわせ』です。自分についてはそれでいいのですが、少し目を外に向けると、なんだかあまりしあわせじゃない事がたくさんある。

豊かと言われる日本で、冷めた目をした子ども、子ども殺す子ども。尊重されていない人や事柄がたくさんあること。いつも、よりどころを探している人々。

豊かでないといわれる国で、きびしく働きながらもとびっきりきらきらした表情をみせる子ども。伝統に従って日々の感謝を伝える大人。

まず、生まれ育った日本が、もっともっとしあわせな場所になるために、私達は、どうしてゆけば良いでしょうね。

インドと日本、さまざまな違いのあるふたつの地で、人の心にすっとよりそって日々を送っているだろうあなたが感じる『しあわせ』について、よかったらおしえてください。

では、また会える時を、楽しみにしています。身体に気をつけてくださいね!

伊藤 夏子より(プロフィールは往復書簡(9)を参照のこと)

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