« 往復書簡(14) JUANA オーナーこころ より ワンダーキッチン オーナー うりちゃんへ | トップページ | 往復書簡(17) 久野木直美さんから藤村和人さんへ »

往復書簡(15) 黒澤邦彦さんから石田紫織さんへ

【テーマ】 音楽をするということ

石田紫織さま

紫織さん、いつもワンダーキッチンでは素晴らしい演奏をありがとうございます。僕が最初に紫織さんのタブラを聴いてから、そう日は経っていないはずなのですが、毎回進化し続ける演奏に、驚きと尊敬の念を隠せません。シタールのこうきさんという素晴らしい師であり音楽仲間である存在も大きいのでしょうが、日々の研鑽なくしては進歩もあり得ないタブラという打楽器であればこそ、取り組んでいるのが深遠なるインド音楽だからこそ、余計その努力の大きさがうかがいしれるというものです。僕は紫織さんのお話のテンポが好きなのですが、その適度にメリハリがあって、自然で間合いも大切にする会話のリズムや相手への思いやりが、演奏にも反映されているというべきか、あるいは逆にタブラ演奏の修行がそうした日常の所作に生きているのか、は知る由もありません。ただ、いずれにしても、紫織さんが従来もっている体内のリズムというか、タイムセンス(ビート感覚)が、何やら心地よさを伴うものであることははっきりと認識しています。というのも、僕のように長いこと音楽をやってくると、いろいろなタイムセンスの持ち主との時間を共有することになる訳ですが、相容れないビート感覚を持つ人とは、演奏のみならず、通常の立ち居振る舞いにさえも、ぎこちなさを感じずにはいられないことが多いからです。

もっともこれは音楽の世界に限ったことでもなく、ふだんの生活の中で、さまざまなタイムセンスをもつ個と個が、このビート感覚の相性を漠然と感じながら生活しているはずなのです。その醸し出すリズムがぴったり同じであることなど、まず稀でしょうが、その感覚が近いというばかりでなく、全く違う感覚でありながらも、互いが邪魔し合うことなく、うまく溶け合う感覚や組合わさることで一体化した別のビート感覚を生み出すことになる場合などでも、相性の良さを実感することになると思います。紫織さんは、そんなことを日々の暮らしの中で考えたことはありますか?また、生活の中には、そうした人間やウリのような動物たちが醸し出す体内ビート以外にもさまざまなリズムが生まれ、渦巻いています。たとえば、キッチンで。包丁が玉葱を刻む音、レンジが完了を示す「チン」という金属音、グツグツと何物かが煮え立つ音。ジャーという蛇口から流れ出る水の音。毎日、彼らの合奏の、それらのビートが渾然となり、ポリリズムを生み出すただ中にいます。街中でも、きっと同じ感覚を得ることができるはずです。自然の中もまた然り。そうして、与えられたリズム環境に身を置くことで、図らずも体内リズムが変化したり、もしくは感化されて進化したり、ということが起こったりもします。僕はよく、彼らが与えてくれる、それらの中から聞こえる音楽を曲という形に変えて拝借しています。実はここでお店をやるようになってから、以前より増して多くの曲が書けるようになったのですよ。きっと周りに相性のよいビートたちが充満しているのでしょう。よくご存知のように、インド古典に限らず、古今東西の多くの音楽家たちが、「音楽は自らが生み出すものではなく、今そこにあるものを、音楽家の身体を通じて具体的に聞こえるものとする行為なのだ」というような主旨のことを言い残して、あるいは今なお言い続けています。このことに気づき、謙虚な姿勢と貪欲かつ旺盛な感受性を持ち続けていれば、きっと音楽は身体にどんどん浸透していくはずなのです。器楽演奏の練習だけが、上達の道ではないことには、きっともうお気づきでしょう!?日々の紫織さんを取り巻く環境を大切に、自らの内なる欲求に忠実に整え、そこから得られるすべての事象を糧として、ますます素晴らしい演奏を聞かせてください。さらに進化したタブラを聴けることを楽しみにしています。

黒澤邦彦

くろさん

素敵なお手紙をありがとうございます。

私はつくづく、人に恵まれ幸運だと思いました。くろさんやこうきさん、そして多くの先輩がいつもそのとき私に必要なことをタイミングよく音楽や言葉で伝えて下さいます。もしかすると、今までは見逃してしまっていたことを自分が理解できるようになったということかもしれませんが。 「音楽は今そこにあるものを音楽家の身体を通じて具体的に聞こえるものとする行為」ということも、実は最近になってようやくわかってきました。同様のことで、私は以前日本画を勉強していましたが、ある先生が「女神が降りてくる瞬間があるので、それまでは筆を動かすな」とうようなことを言っていたのを思い出します。そのときには、ずいぶんとクサイことを言うものだなと笑って、あまり意味を理解していませんでしたが、やはり「感覚を研ぎすましていれば、自分を取り巻く世界が自分というフィルターを通して自然と現れる、それが表現というものだ」ということを言っていたのだと思います。そしてそれは会話から創作まですべてにおいて共通することなのですね。

さて、タイムセンスの話ですが、本当に人それぞれですよね。例えばテンポがすごく速かったり、遅かったり・・・・、そうするとどんどんとズレてくる気もするのですが、実は公倍数的にぴったりと合うときがあったり、自分にない感覚が逆にとても心地よかったりします。「一体化して別のビート感を生み出す」感じ、とても気持ちいいですね。タイムセンスの相性というのは単純な時間軸上の問題ではないのですね。特に人と人との間に関しては、お互いのスピードを感じているかどうかが影響するような気もします。くろさんは、いつも瞬間的に相手や身の周りのスピードをとらえていらっしゃいますよね。やはりベテラン音楽家ならでは、尊敬いたします。ちょうど昨年の今頃企画された、ヨーロッパの古楽、民族音楽演奏プロジェクト「音のフリカッセ~中世ヨーロッパから巡る音楽の旅」では、短いリハーサル時間に、総勢20名ほどの音楽家のさまざまなタイムセンスをあっという間に読みとり、まとめあげていらしたので、本当におどろきました。くろさんのように相手のビートを感じて、心の中でカウントできるようになればまた、ここちよいリズムの融合を体感できるチャンスが増えることでしょう。私も身の周りのリズムに耳を傾けて、感受性を養っていきたいと思います。自然はいつも本当にたくさんのリズムセンスを与えてくれます。私は動物の群れや、樹になる果実や、水滴や、石ころや、そういった視覚的なものにもすばらしいリズムを発見してうれしくなります。そしていずれ音楽や表現の糧となってくれることを願います。

私はワンダーキッチンやカジュの、訪れるたびに変化する偶然の空間が大好きです。くろさんが言われたように、そこに集うさまざまな人々が、それぞれ個々のタイムセンスでいながらも、うまく融合していい波を作り出している感じが、とても居心地いいのです。感受性の豊かな人が集まってくるのでしょうか。それとも空間の力が、集まる人を音楽家にしているのでしょうか。

私もまた、くろさんの音楽とお話を楽しみにしています。

石田紫織プロフィール・・・・・・タブラの音色とインド音楽の即興性に惹かれ、’02年より数回にわたりコルカタに渡り、ファルカバード派の伝説的なタブラ奏者ギャンプラカーシュ・ゴーシュのスクールで彼の息子マッラー・ゴーシュに師事する。以降数回にわたり渡印し、’07年にはシュバンカル・ベナルジーより指導を受ける。日本では湯沢啓紀に師事。各地で演奏活動を行う他、横浜ディワリ、愛・地球博、ナマステインディアなどのフェスティバルにも出演し、インド舞踊の伴奏を務める。 

« 往復書簡(14) JUANA オーナーこころ より ワンダーキッチン オーナー うりちゃんへ | トップページ | 往復書簡(17) 久野木直美さんから藤村和人さんへ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 往復書簡(14) JUANA オーナーこころ より ワンダーキッチン オーナー うりちゃんへ | トップページ | 往復書簡(17) 久野木直美さんから藤村和人さんへ »