« 鎌倉に古い町名を復活させる | トップページ | 往復書簡(11) 岡庭妙子さんより田丸恵子さんへ »

往復書簡(10) 伊藤夏子さんから岡庭妙子さんへ

これは2006年夏号の「往復書簡」です。この回と次の回は、日本からインドへ、インドから日本へと手紙が送られました。

テーマ【幸せ】

岡庭 妙子さま

こんにちは。

インドでの生活はいかがですか?

あなたが発つ時には実感がわかなかったのですが、あなたのブログでインドの写真を目にしたとたん、ああ、こういう所にいるんだ、と急に距離を感じました。なんというか、すっている空気が全然違う、と実感したと言うのでしょうか。

そういえば、私はあなたとはこのカジュ通信で知り合いました。インドでのNGO活動から帰国して、久しぶりの日本で感じている事をカジュ通信に寄稿していましたよね。記事の片隅に、子どもの居場所づくりについて小さな事でもはじめたい、というような事が書いてあって、興味をおぼえて電話したのがはじまりです。電話が苦手な私としては珍しいのですが、鎌倉あそび塾のスタッフとして、プレーパーク(様々な人のたまり場)づくりに関わっていた私は、こういうハートのあるひとがたまり場にいつもいてくれたら、どんなにその場がなごむだろう!と思ったのでした。

その後、その企画は実現しなかったけれど、日本の保育園で働きだして忙しいなか、私の娘のベビーシッターを引き受けて頂いたのでした。

きちんとお礼を言っていませんでしたね。おかげさまであの一時期を乗り切ることができました。ほんとうにどうもありがとう。

新婚ほやほやのあなたに、こんな事を聞くのも野暮かな、と思ったのですが、今日は『しあわせ』について、聞いてみたいなあと思います。

『しあわせ』は気づきさえすれば周りにたくさんある、と思って以来、その巡り合わせの尊さ等、小さな事でもすてきな瞬間をきちんと自覚できれば、私は『しあわせ』です。自分についてはそれでいいのですが、少し目を外に向けると、なんだかあまりしあわせじゃない事がたくさんある。

豊かと言われる日本で、冷めた目をした子ども、子ども殺す子ども。尊重されていない人や事柄がたくさんあること。いつも、よりどころを探している人々。

豊かでないといわれる国で、きびしく働きながらもとびっきりきらきらした表情をみせる子ども。伝統に従って日々の感謝を伝える大人。

まず、生まれ育った日本が、もっともっとしあわせな場所になるために、私達は、どうしてゆけば良いでしょうね。

インドと日本、さまざまな違いのあるふたつの地で、人の心にすっとよりそって日々を送っているだろうあなたが感じる『しあわせ』について、よかったらおしえてください。

では、また会える時を、楽しみにしています。身体に気をつけてくださいね!

伊藤 夏子より(プロフィールは往復書簡(9)を参照のこと)

なっちゃんへ

メールありがとう。そちらは雨と聞くけど、元気でやってますか?

“しあわせについて”なんていうから、返事書くまでに随分と時間がかかっちゃったよ。

あれから2年が経つんだね。あの時わたしは一つの決心の元、日本に戻ってきたばかりだった。そんな中なっちゃんに会って、ベビーシッターも楽しくやらせてもらった。素敵な出会いに感謝しています。こちらこそありがとう。

今は別の決心と共に、前にいた南インドに戻ってきたところ。来てから2カ月。猛暑だった5月を終え、いまは日本の7月といったところかな。マンゴ、パパイヤが盛りで、随分過ごしやすくなってきました。新婚さんなんて書いてあったけど、式はまだこれから、8月なのよ。今はいよいよ毎日準備に忙しく走り回っています。

結婚の準備をしていると、日本でもインドでも“おめでとうございます”といわれます。それで“あ~めでたい事なんだなあ”と幸せを実感しています。これからたくさんの苦労が待っているだろうに、だれもそれを教えてはくれないのね。(笑)赤ちゃんがうまれてくると皆で祝うけれど、仏教的見地からは生きる事自体が苦しみなわけで。だからといって、あ~生まれてきちゃって残念でした”とは言わない。もともと“そんなに楽しい事ばかりじゃあない”、と覚悟しておくと、きっと“まんざらでもないな”と、人生を笑える日が来るんじゃないかと最近思うようになって来ました。

やっと最近、自分ばかりを向いていた目が少し外を向くようになってきました。結婚というのも私の中で相手に責任を持つという意味で、そのプロセスだと思います。きっと母になるということは、その次のステップなのでしょう。そんなプロセスに気づいたとき、友人との関係も少し変わってきたように思います。言い古された言葉だけれど、友達は宝。宝も放っておくと錆付くし、磨けば輝く。遠くにいる友を思うとき、思うだけでは届かないと思いふっと筆を取ることがありますが、それはきっと近くにいても同じ事だったなあと、最近思います。

他人から見たら意味の無いような、そして他人を傷つける事のないような自発的な行為に私は最上の『しあわせ』を感じます。『しあわせ』が、物質的なものでなく行為の中にあるとき、その『しあわせ』は人に伝染すると思うんだけど、どうかな?でも、こういえること自体が“しあわせ”なんだと思うよ。おなかいっぱい食べられる『しあわせ』を夢見ている子供(大人も!)はここ、インドにもまだまだいっぱいいるしね。確かに、旨いお酒とご飯と、気の置けない友人に囲まれた幸せは極上のものだ。

なっちゃんの言うように、幸せを自覚しながら生活するってことは、“もっともっと”を防ぐ良い薬になるかもしれないね。後者の『しあわせ』をまた分かち合える日を楽しみにしています。

じゃあね。

インド、ポンディチェリにて

岡庭 妙子

岡庭妙子プロフィール・・・花嫁修業中!?美大卒業後、自分探しのアジア放浪に。自己変革の旅の途中で子供達に絵を教え始め、2002年から1年半、本格的にインドのNGOに参加。その後日本の民間の託児所で働き、今年5月、旅の途中で会ったフランス人と結婚すべく、以前居た南インドへ戻って来たところ。自己変革の旅は続く・・・

« 鎌倉に古い町名を復活させる | トップページ | 往復書簡(11) 岡庭妙子さんより田丸恵子さんへ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 鎌倉に古い町名を復活させる | トップページ | 往復書簡(11) 岡庭妙子さんより田丸恵子さんへ »