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往復書簡(11) 岡庭妙子さんより田丸恵子さんへ

テーマ【どっちでもイイこと どっちでもヨクナカッタこと】

田丸恵子さま

この夏はルナティカナパの展示会に、家の引越しにとさぞ忙しかった事と思いますが、お変わりありませんか?

こちらは、最近は雨季への準備か日中とても蒸し暑く、夜には湿気を含んだ海風が身体を冷やす季節になってきました。無事結婚式を先月終え、その後、野生の動物に挨拶しにボツワナに行ってきました。戻ってきてから2週間。やっと最近空っぽの家にも慣れて(2カ月間誰かしらが常に回りにいたので)、台所を聖地にしながら自分ののんびりした時間を楽しんでいます。

突然のタマルとの再会から3年。月日の流れるのは早い。大学時代の十代、自分を探しながらも、何も疑う事のなかったあの時からもう十年以上経っているなんて!あの時タマルはファゴットに、私は粘土まみれの作業服にアイデンティティーを感じていたんだよね。それからお互いに色んな土地で色んな経験をしてのあの再会。その後私は日本に戻り、あたなが葉山に引っ越してきて、知り合う人が繋がっていたりと、あれよという間に前以上にお互いの距離が縮んだんだと記憶しています。そこにたどり着くまでの道のりは違っても、それぞれの経験から似たような価値を見出していて、久しぶりのおしゃべりはいつも白熱していたよね。

学生気分が抜けぬまま私は、20代中盤から少しずついろんな国に旅に出ました。一つテーブルを囲むそこにいる全員が違う国籍で、手探りの英語で話しをするという経験はそれだけで刺激的で、それまで考えたこともなかったような「日本」を考えさせられたりもしました。自分にとっては当たり前のことが、いかに当たり前でないかを目の当たりにして学んだのがこの時です。外国を旅しながら自分の中の日本巡礼をしているような。そんな時期だったようにも今思います。タマルもきっと、違う国で自分と同じもの、全く違うものを発見しながら自分の影をその中に溶け込ませながら、ある時を過ごしていたんだろうと想像します。

最近、生活の中で、“どっちでもいい”事が増えてきました。と同時に自分の中の何かがより頑固になってきていて、たまにその自分を垣間見て嫌だなあ~と思うことがあります。また反対にどっちでもいいと思っていたけれど、実は大切なものだったというものが中にあります。

朝起きたてにちゃんと朝ごはんを食べなければいけないというのは、どっちでもいいことにしました。(時と場合によるけれど)たいていの場合はお味噌汁をしっかり一杯飲めば昼まで十分なんです。私は。コーヒーとクロワッサンだと2時間後にはばててしまう。と、同じ発酵食品といって、チーズやヨーグルトをフランス人と一緒にたくさん食べていたら太ってしまいまった。私の身体には味噌が合う!これは頑固になってでも譲るべきでは無いと、確信に至ったわけです。今のような季節の変わり目は特に土地のものを食べている事で身体に抵抗力が付くと信じて、なるべく見たことの無い野菜もチャレンジして料理する事にしていますが、朝は味噌汁に決めました。もともとお味噌汁あまり好きでなかったのに。小さい頃。

そんな“どっちでもいい”“どっちでもよくなかった”もの(こと)最近のタマルの生活の中ではどんな風に見え隠れしていますか?たくさんありすぎるようなら、その半分は今度会う時教えてください。

では、また会う日まで。

お体ご自愛くださいませね。

岡庭 妙子より 

岡庭 妙子プロフィール・・・主婦!?美大卒業後、旅の途中で子供達に絵を教え始め、2002年11月から1年半、本格的にインドのNGOに参加。その後日本の民間の託児所で働き、今年8月旅の途中で会ったフランス人と南インドで結婚。何か始めなければというお得意の脅迫観念に駆られつつも、もうちょっとボーっとしていたい気持ち、優先中。http:/baks.cc

岡庭 妙子さま

おたよりどうもありがとう!インドの生活もすっかり思い出して、馴染み落ち着きつつ、日本とは違った空気の中「やっぱし味噌汁よね!」と言いながら過ごしているわけね。

そうそう、私も、この夏、あれこれと引越しやらなんやら大忙しでした。忙しいわりには「営業」という名目でかなり一色海岸でのほほんと夏を満喫していました。でも一色ビーチってのは、私のエネルギー調整スポットな気がしています。そして今、そのスポットのご近所に引っ越せたことは、なんともラッキー&ありがたいことです。引っ越しってすごいことよね。インドへの引越し、しかもお嫁に行くってことなんかに比べたら、私の引越しは小さなモンだったけど(芦名から葉山じゃ、かなり近いもん)、でも私の中も外も大きく変化が起きていることは確か!今もまた新しく山のようなシゴトと、小さいながらもアトリエのお隣にこれからオープンさせようとしているお店の準備もあり、盛り沢山な日々

オカニワとは学生時代はあまり言葉をかわすことはなかったけれども、私のアンテナは「オカニワ」って名前を聞くとピピピッとなぜだか反応していたことを覚えています。それが、今のようなおもしろい縁に繋がっていて、これからもなんだかおもしろそうって思えるなんて、すばらしい。未来は未来で楽しそうなことが盛り沢山だよね~。

さてさて、えっと・・・「どっちでもいいこと」について。アナタは味噌汁っていうそのなんとも言えないどっちでもいい話・・・いやいや、でも楽しいお話を書いてくれたんだけど、私はさてどうしよう。どっちでもよくなったことが、前はどっちでもよくなかったことだったわけで・・・。タブーとかいいとか悪いとかどうとか、そういうことをとりあえずどーでもいいってことにして、はい、恋の話。

恋ってのは、この歳(嗚呼、30・・・!)とかになると「結婚考えるし~」とかっていうことで、条件付の恋をしようとする人が多いのかもって思うし、それが当たり前!誰でもいいわけじゃない!って、そういう条件が揃った相手と恋をすべるべき、と思ってしまって絶対にどっちでも良くなかったことが、なんだか今はもうどっちでもよくなりました。そんな老けそうなこと言わないで、ややこしい条件を最前列に並べないで、もっと恋はシンプルに楽しめばいいんだわ!という感じで、前の大人過ぎな考えはもうどっちでもよいことにしました。

先の時間が短くなっていくような感覚になって、ムダや損をしないようにと、どうしても計算しようとして頭で考え過ぎちゃう大人的思考は、それこそなんだかもったいない感じがしている今日この頃。お嫁に行くオカニワさんのような人もいれば、結婚しない人だっている。それもどっちがいいとか悪いとか、そんなことはどーでもよくなって、ともあれ楽しくて輝いていることが一番!!リスク背負って素直に進むことが実は大切でしょ。

とまあ、そんなわけで、ロハンとお幸せに恋も愛も育てて行ってね。しかも、思いっきり!それ大事。

また会えるの楽しみにしています。残りの話は会った時にね。

タマル より

田丸恵子(たまるけいこ)プロフィール・・・・・・・・1974年生まれ。東京藝術大学器楽科ファゴット専攻。卒業した後、ドイツ・ブレーメンに渡独するが、その後ファゴットは辞めてイタリア・ボローニャにて服作りを学ぶ。帰国後、ルナティカナパというブランドを立ち上げて、ヘンプのYoga&Relaxウェアなど工場生産も始め、とにかく着心地よくて着てて嬉しい衣を作っていこうと、活動中。

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