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2014年7月

往復書簡 (40) 日高保さんから山根弓子さん

バックナンバーをHP上に復刻させる作業が終わり、やっと現在に戻ってきました。途中、順番が前後してしまったところもありますが、あしからずご了承ください。これからは随時アップしていきます。

  【テーマ】 山根湯の女将さん

山根 弓子様

あのユカイな物語から、もう二年ですか。つい最近のできごとと思う一方で、しかし山根さんのご家族とは、なんだか昔からの古いお付き合いのような感じがします。それだけ物語を紡いだ約半年間が濃密だったということでしょう。山根さんとの、ときに日付をまたいだこともある打ち合わせ(「打ち合わせ」とは言いながら、半分は雑談だったような(笑))、そして戦前に建てられた古民家を改修する仕事だったのですが、大工が‘ホネ’になるまで家をめくっては頻繁に電話がかかり、場合によっては急きょ現場に足を運び、その都度その場で問題の解決を迫られ、まるでドラマの中の刑事さんのような、機動力と瞬発力が問われる日々でした。

また、きらくなたてものやならではの自主施工の提案に快く乗ってくださり、当時お住まいだった東京から毎週のように現場に駆けつけ、同じく東京にお住まいのご両親やお姉さん、またお友だちもたくさん集まって行った竹小舞、荒壁土塗りそして漆喰塗り…、みんなが輪となって、この家に愛情を注いでくれました。

正直、予算の厳しい仕事でした。打ち合わせの大半は、減額案を絞り出すことだったような気がします。しかし予算に限りがある中で仕事を成立させるためには、何が大事で、何が要らないのかということを、改めて見つめ直すよい機会になります。また予算を落とすために考え出した設計上の発想がけっこうイケてたりして、例えば雨戸を省略するために考え出した、防犯と通風が両立した「格子網戸」は、その後きらくなたてものやの定番となりました。それと予算を落せるならば、自分で手間をかけようかという気持ちに火がつきますね(笑)。新たに家を建てる場合でもそうですが、大事なことはおカネの多寡よりも、この仕事に関わる人たち全員のあきらめない情熱と愛情。そしてそれを出し合う中で育まれる理念の共有。このことを改めて感じた仕事でした。

このような過程を経てできあがった2012年4月末、私たちにとってたいへんうれしいプレゼントが待っていました。この仕事に関わる人たち全員が一同に会した竣工祝い。そして記念品としていただいた、家づくりの様子を描いた絵が染められた手ぬぐい。たっぷり手をかけてくださったことが伝わるたくさんの料理を味わい、また山根さんのお友だちの歌手NUUさんの歌から始まり、たまたま楽器ができる職人が集まっていたこともあって、「これがホンマのカーペンターズ(笑)」による延々と続く音楽。「楽しかった」の一言では納まらない、本当に夢のような一日でした。

この日をもう一度味わいたい、という思いがきっとどこかにあったのでしょう。その約一年後に山根さんの家作りに関わった仲間が、近所で「食堂ぺいす」を手がけることになったのですが、現場で寝泊まりして仕事していた職人たちがお風呂に困っているという口実で、毎週のように山根さんの家に集まり、夜更けまで楽しいひと時を過ごすようになりました。予算の厳しい中、山根さんの家に気持ちよい木のお風呂を入れることになったのは、このためだったのです!(笑)。

そんなことを繰り返しているうち、いつしかここは「ヤマネ湯」と呼ばれるようになりました。そして「ぺいす」ができあがってもなぜか会員制銭湯「ヤマネ湯」の営業は続き、さらに「ぺいす」のご家族までもその会員に。そういえば昔まちなかにあった銭湯は、地域内のコミュニティの輪を育てる役割を果たしていたそうですね。「ヤマネ湯」を通じて育ち、深まる、心地よさと美味しさの輪。それは今、私たちの本当に大切なタカラモノの一つになっています。

                                    

日高 保

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日高保:建築家

HP:http://www.kirakunat.co/ 風土と伝統に学びつつ、現代の心地よい暮らしづくりをお手伝いします。

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往復書簡(39) 山口功さんから日高保さんへ 2014 新春

テーマ 【 カミのご縁に感謝 ! 】

日高 保様

貴兄と初めてお目にかかったのは2007年に田中牧子さんのお声がかりでKhajuの庭に「木と土でできた小さな小屋、家仕事塾」の一環として襖張りワークショップに参加させて頂き、御一緒の機会を得た時からでした。

イベントに参加していた女性が連れていた子供にジュースを飲ませていましたが、その容器にSUCOの文字表記。ポルトガル語と判った事から別室で待機していたご主人のイタマールと対面、以来、彼の自宅にも2~3度よばれては久美子さんと彼の手料理、フェイジョアーダをご馳走になり、彼が壁に描いた絵、障子に処々描いた絵を拝見、大きな窓一面にカーテン代りとして広げたブラジル・日本の両国旗。インテリアの面白さも感じました。二児の父母である彼等の結婚式と帰国のサヨナラパーティーで久し振りに二度目の対面でしたね。

それ以来、数度しか会う事は出来ませんでしたが、最近になってフェイスブックなるネットを通じて、日高さんの御子息の事、御自身の仕事の色々、考え方を写真と共に拝見させて頂き、小生と相通じる所が多い事に気付き親近感を強めさせて頂いております。

一級建築士としての凄い仕事に拘りを持ちながら、「きらくなたてものや」が示す通りに、いい意味で肩の力を抜き様々な遊びに参加しておられる。好きですね。真面目に遊ぶと云う行為はクリエイターにとっては必要不可欠と考えていますので、京都、ラグビーと共通する処も多々あるのも親近感を強める要因の一つかと考えます。

小生よりは少々若年ですが学ぶ処大です。最近のfbで拝見したのですが読書感想文「舞台は変わる」について書いておられる事に同感ですね。確かに古代の地層を知り現代建築の礎とする事は必要大事と考えます。小生の考えですがデッサンと云う言葉、決して絵画だけに限らないと思っています。その人の生き様、思考の基、物事を見すえる目力。それら全てがデッサン力と考えています。

そろそろスグキが美味しくなる季節ですね。母が亡くなって以来、正月の御節料理でゴマメ(東では田作り)だけは家内が白味噌の雑煮と共に、賞味させてくれるのですが酢ゴボウだけは出来(でけ)へんのどす。しゃーないです。又、いつの日か掛田商店、薫さんの美味しい『死神』で一献語りあいたいですね。寒さ厳しい折から御自愛の程を、失礼致します。

山口 功

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往復書簡(38) 掛田勝朗さんから山口 功さんへ

【テーマ】   絵と、生きる・・・・・

山口様    

窓の灯の草にうつりて虫の声  子規

今年の夏はどうなってしまうかと思うほ程の暑さでしたが、9月に入ると夜ごとの虫の音もしげく、秋の風情を感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?

先日、拝見させて頂きました、山口様がライフワークとして長年描き続けていらっしゃる、地元・横須賀の情景シリーズ「逸見の夕暮れ」はその後如何がされましたでしょうか。

今だ筆を入れる所があると伺っておりましたが、このシリーズを拝見させて頂いておりますと、ヨコスカの然(さ)り気ない生活の1コマ、1コマに苦く、甘く、あるいは過ぎ去った郷愁を思い出さずにはいられません。ぜひ、近い将来、地元の方々にお見せする機会をお願いいたします。ふり返りますと、山口様との出会いは、私の友人で4年前に故人となりました太田氏が縁でした。

独身で死ぬ間際まで絵を描き続けた彼。

生前「絵もほどほどにして早く嫁さんを貰えよ」と言っておりましたが、今となっては生きる幸せとは、その人が如何に人生を愛し、好きな時間をどれだけ持てたか、ということだと彼から教えられた気がいたします。

今、以前に山口様より頂戴した「薔薇」の絵を拝見しております。無造作に描いた花々ですが、ひとつひとつが己を主張し全体のバランスを保ちながらも緊張感を感じさせます。

そして絵の背景に隠された山口様の哲学「作品はその人の人生である」を拝見いたしました。

厳しさ、優しさ、常に前向きな姿勢、友であり先輩でもある山口様の絵への思いを教え頂けたら幸いと存じます。 日々、制作、出品にお忙しいことと存じますが、季節の変わり目どうぞご自愛ください。

                                    

掛田勝朗

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往復書簡(37) 八原忠彦さんから掛田勝朗さんへ

 

【テーマ】 つながる心 = 文化を伝える志

掛田商店    掛田勝朗 様

昨年のカジュ祭でお目にかかりその後にお店にお伺いして以来ほぼ一年、すっかりご無沙汰してしまいました。その節には親しくお話をいただき半日近くの楽しい時を過ごさせていただき本当にありがとうございました。

お店に一歩足を踏み入れて「おーッ、これは!」と内心、感嘆の声を挙げたのも、単なる酒好きの思い入れ、見るからに美味しそうな酒瓶たちに惹かれただけではなさそうです。棚に並んだ多種多様なお酒と伝統的な食品、調味料が、美しくハーモニーを奏でているような、楽しい空気を醸し出しているような、お酒が単なる商品、商売の道具として並んでいるわけではない、何か独特の空気の流れを感じるのでした。

そのような店内を通り抜けて私室に招じ入れていただきお話を伺うこと一刻を超え、お店の経営の考え方から美術に関するお話までまことに興味尽きないお話をいただき、おおいに刺激を受け、なるほどお店の醸す空気は、そういうことで作られているのだと得心した次第です。

こういうお酒があるんだ、こんな食品を作っているところがあるんだ、と見るだけで楽しくなってしまうほどの全国各地選りすぐりの豊かな品ぞろえ、全国の蔵元を訪問して“よい”お酒を見出し、さらに蔵元と共同で“よい”お酒を造り、時に自ら命名してラベルまで制作する、お酒は日本の文化であり、食文化に関わるという強い信念のもとに“よい”お酒と蔵元を育てる姿勢、それに比べれば私が学び、論じてきたのは効率優先の経営でしかないと内心忸怩たる思いに駆られます。

さらにお客様には、直接店舗に足を運んで購入してもらう姿勢を貫かれているのは、顧客の利便性を標榜するような経営の対極にありそうです。自ら足を運び、数多の酒びんたちを愛で、話を聞き、その中から「これを飲んでみるか」と選び、持ち帰る、これもまたお酒の文化を楽しむことだ、と大いに刺激を受けた次第です。

お酒はただ消費される商品ではない、お酒の背後にはそれぞれの地域の食の文化があり、ひいては地域の文化とあい合わさってつくられてきたものであり、それぞれの地域の蔵元が地域の文化の中で醸してきたものなのだ、そのようなことに思いをはせながらお酒を飲めば、もっと楽しくお酒とそして食を味わうことができる、と勝手に解釈しております。

これまで多大のご苦労があったことと拝察いたします。世の中の大方の考えとは異なる考えで何かをなすには、一方ならぬ苦労がつきものとはいえ、それをあえて実行し、続けてこられたことに、ただただ敬服いたしております。

絵、陶器、音楽と広がるお話、楽しく聞かせていただきました。中でも三澤覚蔵先生の茶碗を見せていただき、その力強さと細やかさから作りだされる造形の美しさは魅力的でした。先生の作品は分散している由、作品を集めて多くの方々に観ていただけるような機会ができればよいな、ひとつの文化を伝えることになるのでは、とこれもまた勝手に考えております。

思いつくままを書き連ねてしまいました。ご容赦ください。

昨年お伺いして以来お店に並ぶお酒たちに出会うのを楽しみにしておりましたが、直後に思いもかけない病を得て医者からお酒を禁じられて一年近く、幸いここにきてようやく少しならと許しが出ました。お酒と食の文化などなどお話を伺いながら美味しいお酒を選ぶのを楽しみにしております。

かまくら茶論 八原忠彦

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往復書簡(36) 増田繁穂さんから八原忠彦さんへ

【テーマ】鎌倉に流れる時間=つながる心

かまくら茶論  八原 忠彦 様

厳しかった冬の寒さから草木が芽吹き、小鳥たちのさえずりが聞こえる季節になりました。

時々、八原さんのかまくら茶論に参加させたいただき、鎌倉に流れる時間を皆さんと共に楽しみながら、ありがたく過ごしています。

八原さんの自己紹介欄を拝見すると、ヨーロッパ経済史・市民社会論・経営史論等々、多岐にわたる勉学をされた事を、その後の人生にうまく生かして、現在に至っているようで、うらやましい限りです。

私の方はといえば、学校を出てから流通業界(百貨店)一筋にひたすら走り続け、マーケティング・マーチャンダイジング・顧客サービスなどに明け暮れしているうちに、気がついたら定年を迎えたようなあわただしい人生でした。

それだけに、むかしから鎌倉に流れるゆったり時間が好きで、現役時代から日本中世史・鎌倉考古学などの講座や、日本中世史の先生について学びながら、定年後は一時、鎌倉・金澤のシティガイドなどにも関わっていました。

カジュアートスペースに集う顔ぶれとしては、私が一番の年長者?(1936年生まれ)だと思っていますが、若い人たちからエネルギーをもらったり、楽しい話を聞いたりすることから、いまの元気な自分があると感謝しています。

かまくら茶論では若い人たちから中高年の方々など、老若男女が集まって、いま話題になっている話や、それぞれの経験談など幅広い分野の話を楽しみながら、自分の知識も広がります。これからもかまくら茶論の開催をよろしくお願い致します。

私の住まいは横浜(磯子区)ですが、カジュの会員さん・鎌倉路地フェスタメンバー・鎌倉コトリのスタッフなどを通して、お陰さまで鎌倉にたくさんの友人ができました。

今後もこれらのご縁を大事にして、鎌倉ならではの<つながる心>を育くんでいきたいものと思っています。

一方的に私の話をしましたが、八原さんのご意見も聞かせていただければ、ありがたく幸いと存じます。

それでは季節の変わり目ですので、御身ご自愛ください。

増田 繁穗

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往復書簡(35)加藤壮章さんから増田繁穂さんへ 2013年新春

【テーマ】ご縁の素晴らしさ

増田 繁穂さま

寒さ厳しい季節になりました。増田さん、ご無沙汰しています。今回こうして増田さんに書簡を送るのは初めてですね。なんか緊張します・・。増田さんとは鎌倉路地フェスタではじめてお逢いして色々なお話しをしていく内に、増田さんの人柄の良さがとてもよくわかり伝わってきました。朗らかで柔和で心温かくて・・、私もこういう心持ちになりたいなと思いました。増田さんは自分の人生を大切にしていて、楽しい方向、ワクワクする方向に身体を使っているのがよくわかりました。その表現の一つとしてあるのがコトリというお店なのではないでしょうか?コトリで働いている増田さん。私はあのお店に足を踏み入れた時に何とも言えないワクワク感を覚えました!楽しくて童心に帰れるお店。あのお店の雰囲気は楽しさワクワクに満ちています。だから増田さんもその様な雰囲気があるのか・・、それとも元々そうなのか・・。真意は正直よくわかりませんが、増田さんとコトリの因果関係はきっとあるのだと思います。

増田さんとのご縁によって色んな良い気付きが生まれました。ありがとうございます。そしてそれと同時に、沢山の人と繋げていただいた事にも感謝しています。路地フェスタの時に清泉女子大の学生と一緒にお掃除ができたのは増田さんのおかげです。増田さんが、私と清泉女子大の学生を繋げたいと思わなければ成り立たなかったことです。増田さんが繋げたいと思い、そして行動してくれたおかげによって実現できました。そしてその繋がりによって、実現したことによって沢山の人が喜んでくれたと思います。楽しんでくれたと思います。それはなぜか・・?それは増田さんの繋げたいという思いが楽しさであり、喜びであったからだと私は確信しています。そして増田さんが繋げてくれたこのご縁は今でも続いています。先月、清泉女子大の学生と一緒に五反田駅をお掃除しました。彼女たちは道行く人に元気な声で「おはようございます!」と笑顔で挨拶をしながらお掃除をしていました。見て見ぬふりをされても笑顔を失うことなく、何度も何度も元気に挨拶をしていました。その光景を見た私は、笑顔でいること、元気に挨拶することの大切さ、意義を見出すことができました。彼女たちから教わることが沢山ありました。この教わるご縁を作って、繋げていただいたのは増田さんなので、本当に心から感謝をしているのです。これは事実なので感謝せずにはいられないのです。

私が勝手に思いますに、増田さんのお名前の繁穂というのは、繁というのは正しくは「人と人を繋げる、繁。」そして穂は「人と人とを繋げて実らす穂。」・・。私の勝手な解釈ですが、そう思っています。これからも増田さんご自身の直感を信じていただき、色んな人達を繋げていって下さい。そうすればそれによって楽しさや喜びが生まれてきます。そしてそれが波紋のように広がっていけば、人が社会が日本が明るくなります!どうかこれからもその素晴らしい感性を発揮していって下さい。そして寒い日が続きますのでどうぞお身体ご自愛下さい。またお会いしましょう。ありがとうございます。

お掃除パフォーマー 加藤壮章

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往復書簡(34) 石倉正英さんから加藤壮章さん

テーマ  【掃除とパフォーマンスのビミョーな関係】

前略 お掃除パフォーマー・加藤様

 

先日は紅月劇団公演「5つの感覚と1つの欲望」にご出演いただき、誠にありがとうございました。初々しくも爽やかな演技に加えて、圧巻のお掃除パフォーマンスは舞台に素敵な花を添えていただいたかのようでした。  

今回、西御門サローネの加藤さんから受け継いだ往復書簡のバトンは、芝居の展開通り、やはり、”片付ける”加藤さんに受け渡すのが良いでしょう(笑)。

 

一緒に芝居を創る過程において、色々と多岐にわたるお話を聞かせていただきましたが、ともに一つの芝居をやり終えた今、とても興味があるのは、加藤さんのお掃除パフォーマンスに、芝居の前後でなにがしかの変化が生じただろうか、ということです。

 

常に芝居に携わっている私にとって、”表現する”ということは永遠の課題の一つです。表現って何だろう・・・そんなことを始終考えているわけです。

 

たとえば、役者というのは、芝居中、表現しようと考えた瞬間に、エゴと不自然さが生じて、とたんに演技が嘘くさくなってしまう。しかし、やはりお客さんに観ていただくわけだから、当然それは普段の所作、口調では伝わらない・・・。

 

どう表現せずに表現するか。いくつかヒントはあるけれども、いまだ、明確な回答を得てはいません。

 

加藤さんのパフォーマンスには”掃除”という大目的があると思いますが、それは本来、他人に見せぬ地味な作業であるべきだ、という考え方もあるでしょう。特に日本人の美意識からすれば、お客さんには綺麗な部屋を見ていただくのであって、綺麗にする過程は見せぬべきだ、と。

 

加藤さんも、掃除を通じて発信したいこと、出会いや繋がりのきっかけとなることを求める一方で、駅でのボランティア清掃はなるべく目立たぬようにスーツでやっている、と仰ってましたね。そこには、多少の恥ずかしさもあるでしょうが、ひょっとしたら役者と同じような、本質的なジレンマもあるのではないでしょうか。  

その辺り、芝居に参加して少しでも変化が生じたとしたら、ちょっと面白いと思うのです。

 

機能美とか職人技といった言葉に表されるように、裏打ちのある無駄の無い所作は、人を魅了しますよね。”表現せずに表現する”ことは、ひょっとするとそれに近い感覚なのかも知れません。分野は違えども、お互い、そんな境地に到達できるよう、今後も刺激し合って精進していきましょう。

 

ではでは、次回のコラボレーションを楽しみにして!

草々

2012年秋 紅月劇団 石倉正英

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往復書簡(33) 加藤文紀さんから石倉正英さんへ

2012年の往復書簡を整理中です。

【テーマ】演劇と空間 ~西御門サローネの場合~

紅月劇団 石倉正英 様

 

大変お世話になっております。西御門サローネの加藤です。

今年4月に行われた公演では、石倉さんの演じられた桶智小五郎が醸し出す、時にシリアスに、時にコミカルな雰囲気に引き込まれ、とても楽しく、そして興味深く演劇を拝見することができました。また、サローネで日常的に使用しているブザーを演劇の中に取り入れるというこの建物ならではの演出に僕の中で日常と非日常が交差するような不思議な感覚を覚えました。

やはり僕にとって演劇を見ることは非日常の出来事で、新しい視点や考え方を与えてくれる特別な存在です。サローネでは舞台と客席が近い距離にあることで、観客の方々は役者の方々と一体感を持って演劇空間を共有されていて、とても印象的な光景に映りました。

既にご存じかと思いますが、この建物は作家・里見弴氏が自ら設計に関わり、住んだ家です。この建物を次代に残すためにサローネとして様々な方法を模索しているのですが、僕はその中でも、演劇空間として使用することには何か特別な意味があるのではないかと感じています。それは何故かといいますと、里見氏の「多情仏心」という小説の中にこの建物の間取りを忠実に描写した1節があり、そこでは殺人事件の舞台となっています。この建物が竣工する以前の作品なのですが、まさか、将来本当に演劇空間として使用することになるとは里見氏も思っていなかったはずです。しかし、もしかすると住宅という機能を超えて演劇をなさる方を引き付ける建物としての「何か」があるのかもしれないと考えると、俄然それが何であるのか探究したくなります。

建築の職業病のようなものですが、その空間に入った人がどのような感覚でいるのか、という事にとても興味があり、また、抽象的ですが里見弴邸を形作っているものが何なのかをずっと考えてきました。そこで今回、この場をお借りしましてこの建物についていくつかご質問させて頂き、演劇をなさる方ならではの視点を伺えればと思います。

石倉さんはこの建物で実際に演じられてどの様な事を感じていらっしゃいますか?また、劇場など他の場所との違いはどの様なところにありますか?教えて頂ければ幸いです。

まだまだ石倉さんにはお尋ねしたいことが沢山ありますが、残念ながら紙面が尽きてしまいました。また次回、他の場所で行われる紅月劇団の公演にも行きたいと思っています。そして、7月のサローネ公演も楽しみにしています。(ごみ箱を蹴る練習もしておきます(笑))

それでは、失礼いたします。

2012年 夏 西御門サローネ 加藤文紀

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往復書簡(32) 細田 賢さんから加藤文紀さんへ 2012年

【テーマ】西御門サローネの魅力

西御門サローネ 加藤文紀様

西御門サローネをお借りして春・秋 年2回の古美術展と音楽家を招いてのアルゼンチンタンゴのコンサートを企画させて頂いております細田です。いつも大変にお世話になっております。この古く魅力的な建物をイベントスペースに開放して下さるオーナー様と管理保存、活用に尽力されているサローネのスタッフの皆様に、この場をお借りしまして改めて御礼を申し上げます。

さて、早速ですが、建築がご専門の加藤さんにお尋ね致します。西御門サローネこと旧里見邸の魅力とは一体どのようなものとお考えでしょうか。また、築80年余りが経過した古民家の管理上の苦労話なども併せてお聞かせ戴けたらと思います。出来ましたら専門的なお話よりも、素人にとって「目からウロコ」のようなお話をお聞かせ頂けましたら幸いです。そして、後に記します私の一考察に関しても軽くご返答戴けましたら尚のこと幸いです。どうか宜しくお願いお致します。

私は建築にはズブの素人ですが、洋の東西を問わず古建築を見て歩くことを趣味としております。建築がご専門の方を前に誠に僭越ですが、私も素人ながら古建築の考察には一家言もっているつもりでおります(笑)。私は旧里見邸宅の魅力の真髄は和と洋のハイブリッドにあると思っています。Frank Lloyd Wrightの影響のもと造られた洋風建築と、数寄屋風の茅葺屋根で高床式建築の取り合わせは見方によっては随分と奇妙に映りますが、なんとも不思議な魅力を醸し出しています。この建築の印象を敢えてひと言で表現するのならば、異質なものの融合で生まれる「ケミストリー」と言った感じです。この組み合わせの妙も、施主である里見弴氏の作家ならではの直感や閃きがあってのものなのではないでしょうか。

尚、離れの茅葺部分は母屋から遅れること数年の建築とお聞きしたような記憶があります。何故、和風の建築を後年増築したのか、その動機について現代における実例を交え、私なりの考察をしてみました。どうでも良いような話も含まれますが、少し我慢して最後までお付き合いください。

私の親友でK市に住むAさんは、先年念願かなって一戸建てを新築しました。部屋は全室フローリングで、設計段階から和室は全く考慮に入れていませんでしたので、新築と同時に英国製のソファーを購入します。Aさんは新築の家が完成した暁には英国仕立てのソファーでシングルモルトのグラスを傾けつつPablo Casalsの独奏を聴くことが、予てよりのささやかな夢だったとの事です。しかしそれから数年を経て、嘗ては羨望した英国製ソファーは思いのほか固く座り心地が悪かったため誰も座りたがらず、いつしかAさんはソファーとテーブルの48㎝の隙間に挟まった格好で直接床に座わるようになります。やがてシングルモルトは大分麦焼酎 二階堂に代わり、そして、Casalsは自然と聴かなくなってしまいます。その結果、折角、銀座の専門店で揃えた真空管オーディオは敢え無くヤフオクで処分され、その跡地にはジャパネットタカタの大画面TVが鎮座するに至りました。

そんなときに「畳の部屋が欲しい」と思っても庭に和室を増築する余地など、どこにもありません。和室を造らなかったことを激しく悔いるAさんですが、この経験を通じて僅かながら救いと収穫もあったそうです。それは、英国製のソファーの座面を背もたれにして「It is no use crying over spilt milk!」と、身振りを交えて叫ぶ恥ずかしい姿を家族の誰にも見付からなかったことが「唯一の救い」であり、自分の本当のアイデンティティーを確認出来たことが「最大の収穫」だったそうです。(幾つになってもイイ格好をしたがり、自分探しの好きな人物にありがちな話ですが、ともあれAさんの情報提供には感謝します。)

以上、やや滑稽なエピソードを交えての考察となりましたが、里見弴氏も洋風建築を建てた後に畳の和室が恋しくなったと考えることは、至極自然であり、想像に難くありません。この推測は元祖もてない男 小谷野敦の著書の表紙にある、和服姿に“芥川ポーズ”で悦に入った表情でカメラに納まる里見弴氏を見るに付け、確信に変わりました。里見氏とAさんとの違いは、たまたま増築が許される庭があったか否かということになります。  否、高名な鎌倉文士が気弱で小金持ちの小市民Aさんと同じ思考回路では困ります。もしかしたら里見氏はナチュラルな“西洋人”で白洲次郎のように英語で寝言を言う様な人物だったのかも知れません。そうだとしたら、里見氏にとって茅葺屋根の高床式はかえってエキゾチックに映った筈です。もし、それが正解ならAさんのこの小文のための長時間にわたる取材協力は水泡に帰し、私の考察も全て出鱈目で、自称一家言はイイカゲンと言われてしまっても反論の余地はありません。

建築がご専門の加藤さんは如何お考えでしょうか?出来ますれば私の面子のために前者の考察に援護や同調を頂きたいのですが、この期に及んでそんな嘆願は姑息でハシタナイ行為です。従いまして、忌憚のないご意見ご感想を頂戴したくお願い申し上げます。

加藤さんにはまだまだお尋ねしたい事が沢山ありますが、遺憾ながらも紙面が尽きました。言いっぱなしで失礼させて戴きます。不悪お許しください。さようなら。

              

2012春三月 細田 賢

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往復書簡(31) 田川陽子さんから細田 賢さんへ

【テーマ】 なぜ古美術商に?

細田 賢様

西御門サローネで開催された古美術展、路地フェスタの時には伺えなかったのですが、11月には行くことができました。西御門サローネは洋館なのに玄関ホール奥の階段を上ると畳のお座敷もあり、ミステリアスで味わい深い雰囲気がありますが、そこに細田さんやお仲間たちの古美術や骨董がなんともよくマッチしていました。

私は古いものが好きで、神社の境内などで開かれる骨董市や、アンティークショップなど、ときどき覗いてみますが、この古美術展は西御門サローネの雰囲気と相まって、お洒落でしかもゆっくりくつろげる雰囲気がありました。

最近読んだ小説の中に古美術商を主人公にしてものが2冊ありました。川上弘美の「古道具 中野商店」と井上荒野の「雉猫心中」です。登場する2人の古美術商と細田さんはそれぞれ全くタイプが違い、古美術商とひとくくりにできないのは当たり前のことですが、それでも共通項はあるように思います。

まず言えるのは、どこか謎めいているところでしょうか。古美術が普通の物流システムから離れたところで売買されるからかもしれませんが、古美術商と言うとマニアックで謎めいた、わけのわからないというイメージがあり、俗世界から一歩離れたところにいるような感じがします。さらにまた自由にきままに生きているという印象も受けます。特に細田さんは仏教美術をご専門にしていらっしゃるので、仏教美術と縁遠い私は、平安時代や鎌倉時代のものを日常的に扱うなんてどういう感じなんだろうと不思議に思うわけです。 細田さんには時々お会いするチャンスがあるのですが、なかなかゆっくりお話しすることもありませんので、この機会に、お尋ねしたいと思います。

なぜ古美術商になろうと思われなのでしょうか?

しかもなぜ仏教美術なのでしょう?

私が初めて古いものを手にしたのは結婚した時です。母の部屋にあった漆塗りの古い小箪笥を「もらってもいい?」と母に聞いてみました。すると母は、「こんな古いものが好きなの? あなた変わっているわね。」と言って、すんなり譲ってくれました。それは母の母、私にとっては祖母がお嫁に来るときに持ってきたものだそうです。その時は古いものが好きとは自覚せず、変わっているのかなと思っただけでしたが、気がつけば、我が家は古いものだらけ、おまけに家までいわゆる古民家です。

古いもののよさはやはり手仕事でしょうか。それを作った職人の思い、またそれを所有した人の思いがこめられているように思います。少々汚れていたり、傷があっても、時代を経ることだけでしか出せない味わい深さがあり、私にはしっくりきます。母から譲り受けた小箪笥は、母から譲り受けたという私だけのストーリーがありますが、古いものにはどれも私の知らないストーリーが隠されていると思います。西御門サローネで拝見した細田さんの仏像にはどんなストーリーがあるのでしょうか?

路地フェスにはまた古美術展なさいますよね。楽しみにしています。

つつじ庵 田川陽子 

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往復書簡(30) 石田人巳さんから田川陽子さんへ

【テーマ】 杉並木

田川陽子 様

 カジュの近所にあった杉の木が切られてしまいましたね、とうとう。

 やはり、今回の往復書簡は杉のことをきっかけに考えたことを田川さんに書きたいと思い、筆をとりました。いや、ノートパソコンを開きました。

 まず、私の育ったまちのことを書きます。私はトヨタ自動車の本社のある、愛知県豊田市に生まれ18歳までそこで過ごしました。まさに高度成長期の波に乗って、トヨタ自動車と豊田市は発展し、私の自宅の周りも、それはそれは劇的に変わっていきました。小学校にあがる前まで、家の周りは田んぼだらけで、夏は蛙の合唱を聞きながら眠ったものです。それがトヨタの工場が増えるたび、空き地は道路になり、住宅になり、隣の農家はトヨタの下請けの部品工場となり、おじさんの作業服は泥から油汚れへと変わりました。

 ですから、子供のころ見た風景は、今では何一つ残っていません。唯一残されているのはトヨタ本社の初代の社屋でしょうか。印象的だったのは正面にかかげられたTOYOTA MORTORS というアルファベットのロゴで、建物の脇で待機しているセンチュリーの黒塗りの車と遠い世界を見つめているようでした。

 新しいことはいいことだ、変化は善だ、と日本人はどんどんと変化していくことを好む民だと思います。けれども、いいものは古くてもいい、という審美眼も持ち合わせていると思っています。私は、家の真ん前が、原っぱから道路、住宅、マンションや店舗となっていったのを目の当たりにして育ちましたが、鎌倉のように、もう既に出来上がった町の落ち着きも好きです。が、ご存知のとおり、それは苔のようにデリケートで壊れやすく、日照時間、湿度、風向きなどの条件がぴたりとそろうと、それはそれは、宝石のような苔が生えるのですが、すこしでも条件が悪くなれば、緑の輝きも失せてしまうのに似ています。

 1年のうち盆、正月には祖父母の暮らす豊田に、子供たちを連れて帰ります。10年以上それを続けていると、何やら気づくこともあるらしく、ふとこの夏には車の中から街をながめながら、「豊田の町に(鎌倉のような)人気はないけれど、このたたずまいから、静かなエネルギーを感じる・・・」なんてうちの子が言ってました。

 新しいビルを建てる方が、古い建物を維持するよりうんとラクなような気がします。鎌倉の新市街と旧市街に同じ建築法を適用するのがおかしいとも思います。杉の木が消えてしまったと感傷的になって、ぼやくことしかできず、すみません。 

 しかしながら、古い街のよさをまた今日も実感しました。ひかなくなって十年以上経った三味線を知り合いの古道具屋さんが引き取ってくれました。おかしなことに、三味線をしまう木製ケースの方が本体よりも価値があるそうです。歩いていけるところに古道具屋さんがあるのって鎌倉ならではですね。とりとめもないことを書きました。お返事お待ちしています。

 石田 人巳  (カジュ・ボランティアスタッフ)

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往復書簡 (29)田中牧子さんから石田人巳さんへ

 

テーマ: バランス

石田人巳さま

2 年の海外滞在、おつかれさまでした。お帰りなさい。

たなかは待っていました。このカジュ通信の編集も、カジュ祭も、鎌倉路地フェスタも、 石田さんの行き届いた心のこもったお仕事のおかげでどれほど助かっていたかを、この2 年のご不在の間に痛感しました。 

ご夫君の転勤、中学生・高校生のお子さんを学校に通わせながらの海外暮らし、家族・地域・自己を柱に、それこそいくつもの異なるレイヤーの間を、丈夫な心で縦横無尽に行き来しないと毎日を楽しく「つくる」ことはできませんですね。それをこなした人巳さん、やっぱりすごい。

海外暮らしに限ったことではなく、充実した人生にはなにが必要なのでしょう。

お金か、抜きん出た才能か、よく吟味した結婚か、やっぱり運か・・・。

生きるとは一瞬一瞬の選択の積み重ね。

それこそ、大事な取引先との大口の商談から、切らしてしまった醤油。こどもの学校行事、靴下の穴、原発問題、晩のおかず、ときどきはパックもしたいし、美容院もいきたい。このなんの脈略もない課題の数々を、今この瞬間の「優先順位」は? の問いの連続でこなすわけです。

不思議と最近よく思うのですが、たとえば私の場合、収入と尊厳をかけて( 笑)「いい作品作りたい」というのがかなり大きな人生のウェートを占めているのですが、子供との会話がうまくいかないと全然いいものできなかったり、びしっとトイレの掃除が決まるといいアイディア浮かんだりということがよくあります。なんででしょう。 結局なにかに偏ったエネルギーの使い方をすると、どこかに歪みがくるということなのでしょうか。

あまり極端に自分を犠牲にせず、母として、女性として、ひとりの大人として、いいバランスの輪をつくるには何が大切でしょう。

人巳さんのご意見、興味あります。

帰ってきてくださって、ほんとうにありがとう。

たなか牧子拝

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往復書簡(25) 赤松加寿江さんから大社優子さんへ

【テーマ】 これからも

不休不眠で遊び働く写真家  ささこへ

大社優子:通称ささこは、写真家であり、クリエイティブなアーティストであり、ブルーグラスのバンジョー奏者でもある。湘南エリアの人なら、彼女の写真は、一度ならずとも見てるはず。

「今日も寝てないの」といいながら、仕事も遊びもまっしぐら。

飲んで壊れる姿も、他人事じゃなくて、そんな風に共感したのが、つきあいの始まりかもしれないね。

accaが御成町にあった頃、レンガ造りの蔵の前で「d-u-c-o」 「a-c-c-a」と叫びながら狂ったように踊っていた頃から、もう5年以上。

蔵そのものをピンホールカメラにして、外の風景を原寸大で写し取り、最後に中をピンク一色に塗ったときは、よくぞまぁと驚いた。

とびきりのワインとおいしい食べ物を作り寄る「ボナペティ」パーティーも最近やれてないけど、胃袋も肝臓もよく合うおかげで、どれだけ一緒に飲み食い歌いしてきたろうか。

リーデルグラスをよく割るささこのおかげで、ずいぶんグラスも減ったけど(笑)それもまあひとつの記録?私の買ったばっかりのピンクのパンツに、赤ワインをひっかけても、飲みすぎて、捕らえられた宇宙人みたいになるささこを運んでも、お互い失った記憶をたどっては情けない気持ちになっても、ささこには感謝してる。

家族と仲間と仕事と自分の表現を大事にしながら、お互いハードな30代を過ごしているけれど、生き様を尊重できる関係が、気持ちいい。お互い負けず嫌いは天下一品。それを生かして、これからも一緒に頑張っていきたいね。

ささこが夢中になってるバンジョーも、私もフィルドをちゃんと練習して、キッチンシスターズに復帰するから、しばらく待っててね。そして、もうそう若くないんだから、あまりがんばりすぎないように。

大人になってからできた大親友ささこに、感謝を込めて。

かずえ

*赤松加寿江

    

一級建築士、共立女子大学非常勤講師 専門は都市史、建築史

建築設計、西御門サローネの運営とともに、鎌倉、イタリアを対象とした調査、研究を続けている。

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往復書簡(28) 宮部誠二郎さんから田中牧子さん

【テーマ】 震災に思う

たなか牧子さま

拝啓

 

3.11以降なんだか落ち着かない日々が続いていますが、しっかりと今年も春は来ましたね。段葛の桜をながめながら、この震災の不安や疲れを癒してもらっています。自然というヤツは、時に人に牙を向け、時に人の心を癒す。ほんと不思議なヤツです。

 

さて、牧子さんにお手紙ということで、何を書こうか迷ったのですが、せっかくといったら不謹慎かもしれませんが、震災をテーマに書きました。この震災を通して、皆さん色んなことを感じ、考えさせられ、様々な発見をしたかと思います。牧子さんは何を発見しましたか?

 

私は、繋がることの安心感、心強さを改めて知りました。鎌倉とどけ隊(被災地に炊き出し行く鎌倉のボランティア団体)の一員として被災地に行かせて頂いたのですが、運悪く仙台市内に宿泊中に震度6強の余震に襲われました。今までに体感したことのない恐怖を覚え、頑張って平然を装っていましたが、内心はめちゃくちゃ怖くて、めちゃくちゃびびっていました。でも、鎌倉から一緒に向った仲間と一緒に声を掛け合い不安を共有したり、メールやツイッターを通して沢山の鎌倉の人や友人から届く心配の連絡を受けて、ホントに心が落ち着きました。

 

また被災地では、誰に指示されるのではなく、自然と被災者同士が力を合わせ、またボランティアが集まって、一丸となってこの困難を乗り越えようとしていました。

 

怖い時は不安を共有して、困っている時は力を合わせて、なんかこのようにして本来人間は、お互い繋がり、助け合いながら、厳しい自然環境の中を生きてきたのだなと思いました。文明が発達して、技術や化学が進歩することで、自然の中で生きることがそう難しくないように感じはじめ、以前のような人間同士の繋がりの重要性っていうのも自然と薄くなっていってしまったのかなと思いました。

 

でも今回の震災を通して、改めて「人と繋がっていること」の大切さ、心強さを痛感しました。牧子さんもカジュや鎌倉路地フェスタなどを通して沢山の人と繋がり、また沢山の人を繋げられてきたと思います。そうやって繋がりが強くなっている鎌倉に、例え非常事態が起きても、きっと今まで作ってきた人間同士の繋がりがある以上、どんな困難も乗り越えられるんだろうなと思いました。今後、自然の怖さが感覚的に薄れても、人の繋がりは大切にしていきたいと思いました。 なーんてことをこの震災を通して感じ、考えました。

牧子さんは何を感じ、何を考えましたか?

敬具

宮部誠二郎

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宮部誠二郎 プロフィール  http://chameleon-kamakura.com/

2007年1月に立ち上げられた学生団体「chameleon」の代表。現在は卒業した社会人も含め11名で活動中。 主な活動内容として、現在はフリーペーパーKAMAKURAの企画、製作、イベントの運営や手伝いを中心に行っている。

鎌倉路地フェスタの運営でも中心的存在。「まちの様々な魅力をつなげていきたい。もっと面白いまちにしていきたい。そんな想いで活動をしています。」   鎌倉市在住。

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往復書簡(27)中津川ゆうこさんから宮部誠二郎さんへ 2011年早春

テーマ【 「昔からある鎌倉らしさ」と、「今これからの鎌倉を感じるもの」の結びつき 】

宮部誠二郎さま

拝啓

新しい年になりました。

2011年の始まりは、新しいノートをおろしたようなぱりっとした気分でのスタートです。今のところ。

宮部くんはいかがお過ごしですか。新しい年の息吹を感じていますか。鎌倉で育った宮部くんと、住んで数年の私。共通の知人友人いろんな人を交えながら、たわいもない雑談からまじめな内容まで本音で話せる仲間となれた昨年は、とても有意義な年だったなぁと思っています。

私も鎌倉で暮らして数年過ごすうち、鎌倉で知り合った方はいつの間にかたくさん増えてきたのを実感してきています。それは何かしらおもしろいものをつくる人だったりとか。何かしらおもしろいことを発言する人だったりや、おもしろいことを考えている人だったりね。おもしろい人や作品、場所なんかを紹介するのは得意な人だったりとかも。まぁともかくとにかく、おもしろいことへの好奇心が特別に強い人々。

年齢性別はもちろんのこと、仕事や志向もみなそれぞれ個性的だけど、ただ共通しているのは、鎌倉の暮らしや人々が好きだという気持ち。

他の土地で暮らしている人より熱くて強いのだろうなと思う。きっと。

それは宮部くんも、chameleonの「フリーぺ―パーKAMAKURA」の取材なんかでいろんな人に携わって、同じような事を感じているのかもしれないね。

そうやって鎌倉が好きで住み始めた人々は昔からいて、その中にいわゆる文化人と言われる人たちもいたでしょう。そういう人たちが何かしら引きつけられた、鎌倉に何かを感じた嗅覚を、私たちもどこかで持ち合わせていられたなら、うれしいなと思ったりする。

そして、そういう感覚を何かのかたちで残せたらって思ったりする。

最近そういうことを意識する機会が多い。意識することなくても、イラストなんかの制作に反映されて、「私らしい」という個性の一部になっているようにも感じる。まぁ、私の思う基準は曖昧模糊としたものでしょうけれど。

宮部くんはchameleonでの活動や、世界遺産のシンポジウムに関わったりと、鎌倉の今の有りようについて考える機会が、きっと私よりたくさんあるのかなぁと思うからこそ・・・・・。

「昔からある鎌倉らしさ」と「今これからの鎌倉を感じるもの」の結びつき。

てなことを、宮部君が思うことを今あえて聞いてみたいです。

どうぞよろしくね。

敬具

中津川ゆうこ(なかつがわゆうこ)プロフィール

セツ・モードセミナー卒。ハンドメイドの小物製作を始めた後、イラストレーターとしての活動を開始。主に女性向けの雑誌や書籍等、カタログ、Webサイト、ロゴ等のイラストを手掛ける。作品展以外にも、IKEDA ART Galleryでの布小物ワークショップ開催、江ノ電イベントでの展示、navy-yard,nabiでの布小物作品制作・Tシャツデザイン&販売など、多岐に渡って活動中。鎌倉市在住 http://www.yuu-s.net/

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往復書簡(26) 大社優子さんから中津川ゆうこさんへ

テーマ【遊ぶ、はたらく(端楽)】

いもここと中津川ゆうこさま

拝啓

鎌倉に住まうようになって、私はもうすぐ10年。

その間に知り合った人たちはどれほど沢山いるでしょう。

その中でも、とりわけ気持ちをオープンにして付き合えるようになった私たちは、折に触れ声をかければすぐに集まるメンバーとして、いつの間にか姉妹のような存在になっている。

‟いもこ”、その姉妹の一人と似ているということから付いた‟妹っ子”という意味のおかしなあだ名。

最初は嫌がっていたけど、何だか定着してしまったね。

私にとってもいもこにとってもこの街は心と体に優しく、すぐに色んな人や場所と繋がって、どこへいっても「こんにちは、元気?」と気軽にあいさつを交わすことができるようになった。スイスイと自転車で走るいもこを見かけると、今日も元気にそんな街の風を感じているのだろうと少し嬉しい気持ちになるんだよ。

私たちはいつの間にか年を重ねているけれど、元々遊ぶことが大好きだから、ずっと遊んでいたいと思っている。

ずっと遊ぶために、そろそろ本気にならなくちゃいけない。

少し勇気を出して、一歩踏み出さなくちゃいけない。

でも、私たちはそれを楽しんでやっていくことが出来るような気がしない?

それは、私たちが培ってきた居場所のようなものを、お互い共有しているからじゃないだろうか。それが私たちを支えているんだよね、きっと。

私は写真の仕事をしながら、キッチンシスターズというバンドでバンジョーを弾くようになった。なかなか成長しない私たちのライブに、懲りずに毎回顔を出してくれるいもこにスタンプカードを作ろうかなんて冗談も言っていたけど、付き合いとはいえ、本当に感謝している。姉妹を心配して見守っているようないもこに、こちらもちょっとは良いことろ見せなきゃ、と励みになっているよ。

私は、大きく、柔らかく、何か目に見えないまあるいものを作っていきたい。

私たち姉妹の、心地よい居場所のようなそれが、音楽にのって繋がれていったらすてきだなあと思う。

そうしたら、もう少し遠くへでかけても、いつもの調子で、「やあ、元気?」と挨拶できるかもね。

スイスイと、どこへでもいけるようになりたいね。

ささここと大社優子

大社優子(おおこそゆうこ)プロフィール

横浜生まれ。現在鎌倉在住。大学卒業後、(株)アマノスタジオに入社、同社代表写真家の森日出夫氏に師事。2001年独立。イラストやデザインを手掛けるオダギリミホのユニットduco(デュコ)として、広告、アート作品などを幅広く手掛け、活躍中。個展など多数。http://www.duco.jp

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往復書簡(23) 波多周さんからアルバレス湊 万智子さんへ

【テーマ】コミュニケーション

アルバレス湊 万智子さま

万智子さんと出会って何年になるのでしょう?思えばおもしろいご縁でした。

出会ったときから「人と人を結びつける仕事をしたい」と言っていましたね。

気負うことなくさらりと自らも楽しんでやっています。

仕事の内容は違いますが私も人が好きで建築をやっています。

そんなことが私たちの共通点かも知れません。

私はまちなみサロンをつくりたい、と言ってきました。

‟まち”に関心があっても講演会や説明会では時間が限定されていて、参加できない人がいます。

常設のサロンのような場所があれば興味を持った人が集い情報を共有することが出来ます。

まちづくりは行政や専門家だけで行うのではなく、様々な立場の人々がお互いを認め合って、より良い方向を見つけてゆくものだと思っています。

最近、様々なところで「コミュニケーション・コミュニティー」という言葉を耳にします。

大切なこととして扱われていますが、もともと日本語ではありません。

日本語に直すと何になるのでしょう?

「意思疎通、ご近所?」ちょっと合っているけれどちょっと違う。

本来日本人はコミュニケーションの概念を持ち出すまでもなく、家族と地域の人たちと良好な関係が築けていたのだと思います。

江戸時代の長屋や醤油の貸し借りがあったご近所、そんなところで暮らすにはかなりのコミュニケーション能力が必要であったと思います。

それが何時失われたか?やはり戦争が分断してしまった。

戦後、高度経済成長とともに物質的には豊になった。

でも、心の豊かさを実感している人はどれだけいることでしょう?

あなたにとって心のよりどころはどこですか?

今、その大切さに気付き、取り戻したいと思っている人が増えているように思います。

電話やメールは便利だけれど会って時間と空間を共有する、同じものを食べて飲んで過ごす。

大切なことだと思っています。

そんなところに万智子さんは今年7月から「鎌倉美学」をはじめました。

コンセプトは、街のコミュニケーションカフェ、これからの展開が楽しみです。

  建築家       波多 周

http://shuhata.exblog.jp/

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