往復書簡(32) 細田 賢さんから加藤文紀さんへ 2012年
【テーマ】西御門サローネの魅力
西御門サローネ 加藤文紀様
西御門サローネをお借りして春・秋 年2回の古美術展と音楽家を招いてのアルゼンチンタンゴのコンサートを企画させて頂いております細田です。いつも大変にお世話になっております。この古く魅力的な建物をイベントスペースに開放して下さるオーナー様と管理保存、活用に尽力されているサローネのスタッフの皆様に、この場をお借りしまして改めて御礼を申し上げます。
さて、早速ですが、建築がご専門の加藤さんにお尋ね致します。西御門サローネこと旧里見邸の魅力とは一体どのようなものとお考えでしょうか。また、築80年余りが経過した古民家の管理上の苦労話なども併せてお聞かせ戴けたらと思います。出来ましたら専門的なお話よりも、素人にとって「目からウロコ」のようなお話をお聞かせ頂けましたら幸いです。そして、後に記します私の一考察に関しても軽くご返答戴けましたら尚のこと幸いです。どうか宜しくお願いお致します。
私は建築にはズブの素人ですが、洋の東西を問わず古建築を見て歩くことを趣味としております。建築がご専門の方を前に誠に僭越ですが、私も素人ながら古建築の考察には一家言もっているつもりでおります(笑)。私は旧里見邸宅の魅力の真髄は和と洋のハイブリッドにあると思っています。Frank Lloyd Wrightの影響のもと造られた洋風建築と、数寄屋風の茅葺屋根で高床式建築の取り合わせは見方によっては随分と奇妙に映りますが、なんとも不思議な魅力を醸し出しています。この建築の印象を敢えてひと言で表現するのならば、異質なものの融合で生まれる「ケミストリー」と言った感じです。この組み合わせの妙も、施主である里見弴氏の作家ならではの直感や閃きがあってのものなのではないでしょうか。
尚、離れの茅葺部分は母屋から遅れること数年の建築とお聞きしたような記憶があります。何故、和風の建築を後年増築したのか、その動機について現代における実例を交え、私なりの考察をしてみました。どうでも良いような話も含まれますが、少し我慢して最後までお付き合いください。
私の親友でK市に住むAさんは、先年念願かなって一戸建てを新築しました。部屋は全室フローリングで、設計段階から和室は全く考慮に入れていませんでしたので、新築と同時に英国製のソファーを購入します。Aさんは新築の家が完成した暁には英国仕立てのソファーでシングルモルトのグラスを傾けつつPablo Casalsの独奏を聴くことが、予てよりのささやかな夢だったとの事です。しかしそれから数年を経て、嘗ては羨望した英国製ソファーは思いのほか固く座り心地が悪かったため誰も座りたがらず、いつしかAさんはソファーとテーブルの48㎝の隙間に挟まった格好で直接床に座わるようになります。やがてシングルモルトは大分麦焼酎 二階堂に代わり、そして、Casalsは自然と聴かなくなってしまいます。その結果、折角、銀座の専門店で揃えた真空管オーディオは敢え無くヤフオクで処分され、その跡地にはジャパネットタカタの大画面TVが鎮座するに至りました。
そんなときに「畳の部屋が欲しい」と思っても庭に和室を増築する余地など、どこにもありません。和室を造らなかったことを激しく悔いるAさんですが、この経験を通じて僅かながら救いと収穫もあったそうです。それは、英国製のソファーの座面を背もたれにして「It is no use crying over spilt milk!」と、身振りを交えて叫ぶ恥ずかしい姿を家族の誰にも見付からなかったことが「唯一の救い」であり、自分の本当のアイデンティティーを確認出来たことが「最大の収穫」だったそうです。(幾つになってもイイ格好をしたがり、自分探しの好きな人物にありがちな話ですが、ともあれAさんの情報提供には感謝します。)
以上、やや滑稽なエピソードを交えての考察となりましたが、里見弴氏も洋風建築を建てた後に畳の和室が恋しくなったと考えることは、至極自然であり、想像に難くありません。この推測は元祖もてない男 小谷野敦の著書の表紙にある、和服姿に“芥川ポーズ”で悦に入った表情でカメラに納まる里見弴氏を見るに付け、確信に変わりました。里見氏とAさんとの違いは、たまたま増築が許される庭があったか否かということになります。 否、高名な鎌倉文士が気弱で小金持ちの小市民Aさんと同じ思考回路では困ります。もしかしたら里見氏はナチュラルな“西洋人”で白洲次郎のように英語で寝言を言う様な人物だったのかも知れません。そうだとしたら、里見氏にとって茅葺屋根の高床式はかえってエキゾチックに映った筈です。もし、それが正解ならAさんのこの小文のための長時間にわたる取材協力は水泡に帰し、私の考察も全て出鱈目で、自称一家言はイイカゲンと言われてしまっても反論の余地はありません。
建築がご専門の加藤さんは如何お考えでしょうか?出来ますれば私の面子のために前者の考察に援護や同調を頂きたいのですが、この期に及んでそんな嘆願は姑息でハシタナイ行為です。従いまして、忌憚のないご意見ご感想を頂戴したくお願い申し上げます。
加藤さんにはまだまだお尋ねしたい事が沢山ありますが、遺憾ながらも紙面が尽きました。言いっぱなしで失礼させて戴きます。不悪お許しください。さようなら。
2012春三月 細田 賢
細田 賢様
いつも大変お世話になっております。西御門サローネの加藤です。この度はこの往復書簡にお誘い頂きましてありがとうございます。毎年、サローネの雰囲気にとても良くマッチした細田さんの古美術展とコンサートをスタッフ一同とても楽しみにしております。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
それでは、早速ではありますが、ご質問頂きましたことに僕なりにお答えしていこうと思います。何分話が真面目な方向へ行ってしまう性分でして、硬い文章になってしまうかもしれませんがどうかお許しください。
まずは、僕にとっての西御門サローネ(旧里見弴邸)の魅力についてお話します。細田さんが仰るように和と洋のハイブリットが魅力の神髄であるということはとてもよくわかります。和館と洋館を並べて建てるということは世界でも日本だけです。専門的な話をしますと純粋な和洋折衷の建物ということではないのですが、次回、ご一緒した時にでもお話させて下さい。
サローネとの出会いは今から約4年前です。初めてこの場所を訪れた時、この建物とそれを維持活用していこうとするstudio accaの久恒さん、赤松さんの思想にとても感動し、この場所で働きたいと思ったのが始まりでした。その時、なぜ感動したのかを今思い起こしてみると、細田さんもご存じの通り、現在、様々な理由で古き良き建物が壊され、均質な建売住宅やマンションに変わってしまう現状があります。形あるものはいずれ無くなりますし、淘汰もされていきますけれど、その中で、鎌倉の文化やその場所で人が生活してきた証を今に伝えるこの建物に『本物の建築』を感じたのかもしれません。建物の設計に関してもFrank Lloyd Wrightの旧帝国ホテルから影響を受けた外観や内部のディテール、日本的な内部空間を洋館にアレンジする感覚や鎌倉の風土を考慮したデザインなど、素晴らしい部分が沢山あるところも僕にとっての魅力であると考えています。
維持活用する上での苦労話としましては、例えば館内の掃除に関しては、デザインの特徴となっている窓も窓桟が多く拭くのが大変ですし、ガラスも当時の物ですので割らないようにとても神経を使います。また、空調に関しては、夏は通風の設計が良くされていてクーラーなしでも生活できるのですが、冬は下手をすると館内よりも日が照っている屋外の方が暖かいことが度々あり、現代の建物とは真逆なのです。少し昔の日本人の生活を肌で感じている毎日ですが、そのような環境の中で生活しているせいか体が強くなった気がしております(笑)
細田さんのご親友の方のお話は大変興味深く読ませて頂きました。戦後から欧米化を経験してきている日本ですが、やはり日本人の生活に合った空間感覚が依然としてDNAに刷り込まれているのではないでしょうか。僕も、和室の畳に座るとホッとしますし、ソファや椅子の上にあぐらをかいて座ってしまいます。行儀が悪いので外ではできませんが、改めて日本人は床に座る文化を持っていて、それが寛ぎに繋がっているのだと感じています。
里見弴氏が和室を建てた経緯については、細田さんの推測も一理あると思うのですが、どうやら洋館は奥さんの要望で建て、最初から里見氏は和室が相当好きで、書斎として建てることはすでに考えていたようです。現存はしませんが、扇ガ谷の邸宅にあった書斎も和室だったということですし、里見氏の和室に対する意識はフローリングのリビングが当たり前となった現代人の持つそれとは出発点が少し違っていたように思います。
残念ながらそろそろ紙面が尽きてきたようです。古い建物が持つ魅力や里見弴氏の話はこの紙面だけでは語り尽くせません。また改めてゆっくりとお話できればと思っております。それでは、失礼いたします。
2012春 西御門サローネ 加藤文紀
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