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往復書簡 (40) 日高保さんから山根弓子さん

バックナンバーをHP上に復刻させる作業が終わり、やっと現在に戻ってきました。途中、順番が前後してしまったところもありますが、あしからずご了承ください。これからは随時アップしていきます。

  【テーマ】 山根湯の女将さん

山根 弓子様

あのユカイな物語から、もう二年ですか。つい最近のできごとと思う一方で、しかし山根さんのご家族とは、なんだか昔からの古いお付き合いのような感じがします。それだけ物語を紡いだ約半年間が濃密だったということでしょう。山根さんとの、ときに日付をまたいだこともある打ち合わせ(「打ち合わせ」とは言いながら、半分は雑談だったような(笑))、そして戦前に建てられた古民家を改修する仕事だったのですが、大工が‘ホネ’になるまで家をめくっては頻繁に電話がかかり、場合によっては急きょ現場に足を運び、その都度その場で問題の解決を迫られ、まるでドラマの中の刑事さんのような、機動力と瞬発力が問われる日々でした。

また、きらくなたてものやならではの自主施工の提案に快く乗ってくださり、当時お住まいだった東京から毎週のように現場に駆けつけ、同じく東京にお住まいのご両親やお姉さん、またお友だちもたくさん集まって行った竹小舞、荒壁土塗りそして漆喰塗り…、みんなが輪となって、この家に愛情を注いでくれました。

正直、予算の厳しい仕事でした。打ち合わせの大半は、減額案を絞り出すことだったような気がします。しかし予算に限りがある中で仕事を成立させるためには、何が大事で、何が要らないのかということを、改めて見つめ直すよい機会になります。また予算を落とすために考え出した設計上の発想がけっこうイケてたりして、例えば雨戸を省略するために考え出した、防犯と通風が両立した「格子網戸」は、その後きらくなたてものやの定番となりました。それと予算を落せるならば、自分で手間をかけようかという気持ちに火がつきますね(笑)。新たに家を建てる場合でもそうですが、大事なことはおカネの多寡よりも、この仕事に関わる人たち全員のあきらめない情熱と愛情。そしてそれを出し合う中で育まれる理念の共有。このことを改めて感じた仕事でした。

このような過程を経てできあがった2012年4月末、私たちにとってたいへんうれしいプレゼントが待っていました。この仕事に関わる人たち全員が一同に会した竣工祝い。そして記念品としていただいた、家づくりの様子を描いた絵が染められた手ぬぐい。たっぷり手をかけてくださったことが伝わるたくさんの料理を味わい、また山根さんのお友だちの歌手NUUさんの歌から始まり、たまたま楽器ができる職人が集まっていたこともあって、「これがホンマのカーペンターズ(笑)」による延々と続く音楽。「楽しかった」の一言では納まらない、本当に夢のような一日でした。

この日をもう一度味わいたい、という思いがきっとどこかにあったのでしょう。その約一年後に山根さんの家作りに関わった仲間が、近所で「食堂ぺいす」を手がけることになったのですが、現場で寝泊まりして仕事していた職人たちがお風呂に困っているという口実で、毎週のように山根さんの家に集まり、夜更けまで楽しいひと時を過ごすようになりました。予算の厳しい中、山根さんの家に気持ちよい木のお風呂を入れることになったのは、このためだったのです!(笑)。

そんなことを繰り返しているうち、いつしかここは「ヤマネ湯」と呼ばれるようになりました。そして「ぺいす」ができあがってもなぜか会員制銭湯「ヤマネ湯」の営業は続き、さらに「ぺいす」のご家族までもその会員に。そういえば昔まちなかにあった銭湯は、地域内のコミュニティの輪を育てる役割を果たしていたそうですね。「ヤマネ湯」を通じて育ち、深まる、心地よさと美味しさの輪。それは今、私たちの本当に大切なタカラモノの一つになっています。

                                    

日高 保

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日高保:建築家

HP:http://www.kirakunat.co/ 風土と伝統に学びつつ、現代の心地よい暮らしづくりをお手伝いします。

日高 保 様

 

日高さん、お手紙ありがとうございます。もうすぐ2年なんてあっという間、本当に日高さんとは長い付き合いをさせていただいているような感覚です。私たちがこの古い家を生かした家づくりを目指し、それを一緒に実現してくださる方として、断られたらどうしようとドキドキしながらお電話した日のことを今でも忘れません。現地で待ち合わせして現れた日高さんは、Tシャツにジーパン姿で、自転車でふらりと登場し、一瞬、兄でも現れたのかと思いました。そして、この人は本当に設計士さんだろうかと若干疑いました、すいません(笑)

 

お手紙を頂戴し、よっぽど予算がない仕事だったのだなぁと改めて実感(笑)それでも日高さんはこの家の良さ、個性をちゃんと見つめ、どうしたらそれを活かし、そして快適に暮らすことができるのかを一緒になって考えてくれました。予算がないのに想いだけは強い私たちに、日高さんからまず「できない」という言葉は聞かなかった気がします。おそらくその裏にはたくさんの苦労や試行錯誤があったはずですが、いつでも前向きに、そして思い切り一緒に愉しんで改修を進めてくださり、大変なこともありましたが、本当に愉しい日々でした。

私が家づくりでずっと大切にしたかったことは、職人さんひとりひとりの技術が刻まれ、私たち家族や友人達が多少なりとも家づくりに参加し、時には一緒にご飯を食べながら、想いを共有し、恊働し、みんなで家を作っていることを実感したいということ。自分たちができることを持ち寄って、人と人とのつながり、人と家とのつながりを積み重ねていきたいということでした。「きらくなたてものや」との家づくりではそれを実現することができたと思います。家の中を見渡せば、職人さんの顔が見える家。そして現場に足を運び、自主施工を行うことで、家作りがより身近となり、自分たちでも手を動かせる、家は身近な素材で作れるのだという「生きる自信」につながるとともに、それは職人さんの技術の高さと素晴らしさを実感することでもありました。

 

竣工祝いは、携わってくださった方全員に参加してもらいたい想いがありました。一緒にお酒を酌み交わし、ご飯を食べ、楽器を奏で唄った、本当に愉しかった時間。みんなの笑い声も、NUUちゃんの唄も、“カーペンターズ”の演奏もみんなの歌声も家と響き合っていましたね。“記念手ぬぐい“もそうした家づくりへの想いのカタチでした。大変だったはずの家づくりが終わってしまうことはとても寂しかったことを思い出します。

 

その思いが通じたのか、一年後に「食堂ぺいす」の改修が始まり、うちに携わった職人さん達にお風呂を開放することで再び交流する機会を持てたことはとても嬉しい出来事でした。予算がなくても木のお風呂を入れられたのはこのためだったのですね!(笑)いつの間にか「ヤマネ湯」と呼ばれながら、静岡、三重、和歌山、名古屋…様々な地域から集まった職人さん達。全員まずは家に入るなり、ご自身が以前された仕事をチェック(笑)毎週のように、お風呂で汗を流し、みんなでご飯を食べながら、家づくりの思い出や近況などを深夜まで話すことは何よりも楽しみでした。

 

家づくりを通して得た「縁」。棟梁の北さんを筆頭に、個性豊かな職人さんをあげたらきりがないですが、生きる上で大切にしていることは皆共通している気がします。そして、台所から平和を願う「食堂ぺいす」。命を大切に、人との出会いを大切に、今を感じて精一杯愉しく生きる人たちは、普段バラバラでも、集えばいつでも自分たちが大事にしていることを安心して話すことができる仲間。そしてさらに広がり深まるこの「ヤマネ湯」でのつながりを今後も大切にしていければと思っています。本当にありがとうございます。

鎌倉市小町在住 会社員(時々ヤマネ湯女将)

山根 弓子

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