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往復書簡(31) 田川陽子さんから細田 賢さんへ

【テーマ】 なぜ古美術商に?

細田 賢様

西御門サローネで開催された古美術展、路地フェスタの時には伺えなかったのですが、11月には行くことができました。西御門サローネは洋館なのに玄関ホール奥の階段を上ると畳のお座敷もあり、ミステリアスで味わい深い雰囲気がありますが、そこに細田さんやお仲間たちの古美術や骨董がなんともよくマッチしていました。

私は古いものが好きで、神社の境内などで開かれる骨董市や、アンティークショップなど、ときどき覗いてみますが、この古美術展は西御門サローネの雰囲気と相まって、お洒落でしかもゆっくりくつろげる雰囲気がありました。

最近読んだ小説の中に古美術商を主人公にしてものが2冊ありました。川上弘美の「古道具 中野商店」と井上荒野の「雉猫心中」です。登場する2人の古美術商と細田さんはそれぞれ全くタイプが違い、古美術商とひとくくりにできないのは当たり前のことですが、それでも共通項はあるように思います。

まず言えるのは、どこか謎めいているところでしょうか。古美術が普通の物流システムから離れたところで売買されるからかもしれませんが、古美術商と言うとマニアックで謎めいた、わけのわからないというイメージがあり、俗世界から一歩離れたところにいるような感じがします。さらにまた自由にきままに生きているという印象も受けます。特に細田さんは仏教美術をご専門にしていらっしゃるので、仏教美術と縁遠い私は、平安時代や鎌倉時代のものを日常的に扱うなんてどういう感じなんだろうと不思議に思うわけです。 細田さんには時々お会いするチャンスがあるのですが、なかなかゆっくりお話しすることもありませんので、この機会に、お尋ねしたいと思います。

なぜ古美術商になろうと思われなのでしょうか?

しかもなぜ仏教美術なのでしょう?

私が初めて古いものを手にしたのは結婚した時です。母の部屋にあった漆塗りの古い小箪笥を「もらってもいい?」と母に聞いてみました。すると母は、「こんな古いものが好きなの? あなた変わっているわね。」と言って、すんなり譲ってくれました。それは母の母、私にとっては祖母がお嫁に来るときに持ってきたものだそうです。その時は古いものが好きとは自覚せず、変わっているのかなと思っただけでしたが、気がつけば、我が家は古いものだらけ、おまけに家までいわゆる古民家です。

古いもののよさはやはり手仕事でしょうか。それを作った職人の思い、またそれを所有した人の思いがこめられているように思います。少々汚れていたり、傷があっても、時代を経ることだけでしか出せない味わい深さがあり、私にはしっくりきます。母から譲り受けた小箪笥は、母から譲り受けたという私だけのストーリーがありますが、古いものにはどれも私の知らないストーリーが隠されていると思います。西御門サローネで拝見した細田さんの仏像にはどんなストーリーがあるのでしょうか?

路地フェスにはまた古美術展なさいますよね。楽しみにしています。

つつじ庵 田川陽子 

田川陽子様

愛想なしのワタクシを暖かく?この往復書簡にお誘い戴きまして有難うございます。お陰さまでようやく本当に鎌倉の市民になれたような気が…など言っておりますと昨今引越して来たばかりのように聞こえますが、鎌倉居住歴は意外に長く17年になります。ともあれ感謝しております。田川さんとは昨年来お会いする機会も多いのですが、思えば互いに仕事話や身の上話は殆ど話さなかったように思います。田川さんは翻訳などの語学がご専門なのですね。私は日本の仏教や神仏習合の美術を扱う古美術商です。

古美術業界は一般社会とはかけ離れた特殊なイメージを持たれがちです。それは、青山二郎のような神憑り的眼利きの蒐集家や“いい仕事”でお馴染みの中島誠之助さんのような博覧強記でおまけに弁も立つ古美術商が小説やTVドラマの題材になり、そのイメージで語られる事が多いからではないでしょうか。確かにそのようなカリスマが現代においても居ないわけではありませんし、実際に古美術業界の裏側は「人間模様の見本市」の様相を呈し、“小説よりも奇なり”ということもママあります。しかし、多くの古美術商は市井に倹しく生きる普通の商人です。眼が利かなければ商売にならないと云う点に関しましては、魚屋や八百屋と何ら変わることがありません。

聊か話が退屈で恐縮ですが、私が古美術商になった理由もたいしたドラマはありません。理由は単に会社勤めに向かなかっただけなのです。学校を卒業後5年と3カ月会社勤めをしましましたが、通勤で満員電車に乗ることが心底苦痛でしたし、私に仕事を押し付けて自分だけ先にスタコラ帰ってしまう上役が嫌いでしたので、案外あっさりと会社を辞めて、この業界に入りました。酒の席などで「なんで仏教美術なんか売ってるの?」と聞かれた時などは、面倒臭いので昔の登山家よろしく「そこに仏像があるからだっ!」などと嘯いていますが、本心それに近いものがあるのかも知れません。只一つ、今の仕事に就く契機があったとしたならば、それは就学前の幼少期に両親に連れられて鎌倉の長谷観音を拝観した事であったような気がします。当時の長谷寺は今のようなコンクリート造りではなく、薄暗い木造のお堂だったと記憶しています。薄暗い伽藍の大空間に浮かぶ金色(こんじき)の巨像は圧倒的に美しく、その厳かで崇高なイメージは5歳の私の心の深層に薫習され、未だに瞼に甦ります。幼少の私はこの時の感動を人に伝えずにはおられず、祖母や友達、一緒に拝観した両親に何度も何度も繰り返し同じ話を言って聞かせたように記憶しています。もしかしたら、今でも仏教美術を取り扱うことによってその時の感動を人に伝えたく、語り続けているのかもしれません(笑)。

では、最後に古いもののお好きな田川さん並びに古美術入門者へとっておき情報をおひとつ。 一般の方は平安、鎌倉の品は博物館で見るもので、自らが所有するものではないと考えることが普通だと思います。しかし、実際は駅前の居酒屋で一杯やったり、海辺の店でお洒落なランチを頂く位の金額で鎌倉時代のお経の断簡(短く切ったもの)などを買うことができます。これらの品を手元に置いて眺めながら、頼朝が二階堂大路を騎馬で闊歩する姿を想像したり、運慶・快慶が木屑を払うが如く鑿を振るった遠い時代に想いを馳せれば、歴史上の人物が案外身近に感じられたりしますから実に愉快です。更に、銀座の高級鮨店の椅子に座る勇気がおありでしたら、平安時代を通り越して奈良時代の「天平写経」や「天平の甍」だって買えてしまいます。東大寺の大仏建立や鑑真和上の時代の品が民間で入手できるなんて俄には信じられないかもしれませんが、これが本当なのです。嗚呼なんて素晴らしい!!Que suerte tengo!

田川さんにはまだまだ伝えしたいことが沢山御座いますが、駄文を並べていたら紙面が尽きてしまいました。続きは次回お会いした時にでもさせて頂きます。お粗末さまでした。

一閑  細田 賢

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