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往復書簡(38) 掛田勝朗さんから山口 功さんへ

【テーマ】   絵と、生きる・・・・・

山口様    

窓の灯の草にうつりて虫の声  子規

今年の夏はどうなってしまうかと思うほ程の暑さでしたが、9月に入ると夜ごとの虫の音もしげく、秋の風情を感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?

先日、拝見させて頂きました、山口様がライフワークとして長年描き続けていらっしゃる、地元・横須賀の情景シリーズ「逸見の夕暮れ」はその後如何がされましたでしょうか。

今だ筆を入れる所があると伺っておりましたが、このシリーズを拝見させて頂いておりますと、ヨコスカの然(さ)り気ない生活の1コマ、1コマに苦く、甘く、あるいは過ぎ去った郷愁を思い出さずにはいられません。ぜひ、近い将来、地元の方々にお見せする機会をお願いいたします。ふり返りますと、山口様との出会いは、私の友人で4年前に故人となりました太田氏が縁でした。

独身で死ぬ間際まで絵を描き続けた彼。

生前「絵もほどほどにして早く嫁さんを貰えよ」と言っておりましたが、今となっては生きる幸せとは、その人が如何に人生を愛し、好きな時間をどれだけ持てたか、ということだと彼から教えられた気がいたします。

今、以前に山口様より頂戴した「薔薇」の絵を拝見しております。無造作に描いた花々ですが、ひとつひとつが己を主張し全体のバランスを保ちながらも緊張感を感じさせます。

そして絵の背景に隠された山口様の哲学「作品はその人の人生である」を拝見いたしました。

厳しさ、優しさ、常に前向きな姿勢、友であり先輩でもある山口様の絵への思いを教え頂けたら幸いと存じます。 日々、制作、出品にお忙しいことと存じますが、季節の変わり目どうぞご自愛ください。

                                    

掛田勝朗

掛田商店   掛田勝朗様

小生にとって身に余るお言葉を頂き恐縮です。今は亡き抽象画家だった太田氏の導きによるのでしょうか?偶然の出会いを頂いてから5~6年なのに何10年もお付き合いを頂いている様に思えます。人と人、心と心の繋がりは時間では計れませんね。

増田繁穂氏が1936年生まれとKhaju通信第61号に書いておられましたが、小生も同じくの77歳、しかし当方は掛田さんの様に絵、陶器、音楽、本職の本物の酒、特に焼酎・泡盛は奄美諸島、琉球にも再三足を運ばれた上での一家言を持っておられます。お宅に伺って絵を拝見し乍ら、色々のお話を伺うこと、お人柄と相まって楽しく無上の喜びです。当方はと云えば血統書付の雑種、学もなければ財も才もなく、わずかに絵を描くのが好きと云うだけです。

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20歳の時に大阪の近所にあった外科病院の院長、故中村先生に当時は無名だった須田剋太の作品を見せられ、絵の勉強がしたければ東京え出ろと背を押され、ボストンバッグ1つ夜汽車で始めて東え来たのです。職安で紹介されたのが新宿成子坂下の襖、壁紙材料の篠田商店(現在は四谷に移り(株)シノダ) 主人の目前で便箋に鉛筆で履歴書、当時の店員は5名、以来外国放浪の旅に出るまで10年間、住み込みを経て、下宿生活期間中、他の店員、主人も仕事中に拘わらず、夜間の美術学園、研究所に通わせて下さったのです。57年の昔、何処に斯様な店が在ったでしょうか? 否です。月給は7,000円。

寒い時は着古した学生服にゴム長靴、安くて長持ちが理由。4年間は真黒のヌードデッサンを描いていました。 そして今も現存する高円寺の名曲喫茶店(ネルケン)小生にとっての大学でした。80円のコーヒー1杯で何時間も常連の種々大学生との交流を通じて文学、絵画、哲学、JAZZ色々学び吸収出来たのです。

金銭的には貧しくとも、上記のお二人を始めとして、数々の恩人に恵まれ、多数の優れた友人、知己を得た事に感謝と幸運を忘れたことはありません。

秋も深まり気候不順の折から、御自愛下さいます様に、また、お目にかかれるのを楽しみに致しております。

山口 功

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