« 往復書簡(25) 赤松加寿江さんから大社優子さんへ | トップページ | 往復書簡(30) 石田人巳さんから田川陽子さんへ »

往復書簡 (29)田中牧子さんから石田人巳さんへ

 

テーマ: バランス

石田人巳さま

2 年の海外滞在、おつかれさまでした。お帰りなさい。

たなかは待っていました。このカジュ通信の編集も、カジュ祭も、鎌倉路地フェスタも、 石田さんの行き届いた心のこもったお仕事のおかげでどれほど助かっていたかを、この2 年のご不在の間に痛感しました。 

ご夫君の転勤、中学生・高校生のお子さんを学校に通わせながらの海外暮らし、家族・地域・自己を柱に、それこそいくつもの異なるレイヤーの間を、丈夫な心で縦横無尽に行き来しないと毎日を楽しく「つくる」ことはできませんですね。それをこなした人巳さん、やっぱりすごい。

海外暮らしに限ったことではなく、充実した人生にはなにが必要なのでしょう。

お金か、抜きん出た才能か、よく吟味した結婚か、やっぱり運か・・・。

生きるとは一瞬一瞬の選択の積み重ね。

それこそ、大事な取引先との大口の商談から、切らしてしまった醤油。こどもの学校行事、靴下の穴、原発問題、晩のおかず、ときどきはパックもしたいし、美容院もいきたい。このなんの脈略もない課題の数々を、今この瞬間の「優先順位」は? の問いの連続でこなすわけです。

不思議と最近よく思うのですが、たとえば私の場合、収入と尊厳をかけて( 笑)「いい作品作りたい」というのがかなり大きな人生のウェートを占めているのですが、子供との会話がうまくいかないと全然いいものできなかったり、びしっとトイレの掃除が決まるといいアイディア浮かんだりということがよくあります。なんででしょう。 結局なにかに偏ったエネルギーの使い方をすると、どこかに歪みがくるということなのでしょうか。

あまり極端に自分を犠牲にせず、母として、女性として、ひとりの大人として、いいバランスの輪をつくるには何が大切でしょう。

人巳さんのご意見、興味あります。

帰ってきてくださって、ほんとうにありがとう。

たなか牧子拝

田中牧子さま

おかえりなさい、といってくれる人がいることのうれしき哉。戻る場所のあることのありがたき哉。今は、約2年間の長い休暇から帰ってきたような気持ちです。というのは、先延ばしにしていた決断や、果たさなければいけない責任、これからすべき義務などから逃れられず、向き合わなくてはならないからです。

お手紙を読みました。牧子さんが期待されるような返信はできないかもしれませんが、私なりに、「いいバランスの輪」というものを考えてみることにしました。

私の好きな作家は昔も今も曽野綾子さんですが、彼女の小説よりも随筆が好きで、“心の姑”として慕っています。彼女は性格の破綻した父親に育てられた経験上、人生は修羅場だと思っています。そして、平穏なんてあるほうがおかしい、結婚の半分は破綻している、善人ほど周りの人を不幸にさせる、とまあこんな調子で文章を書いています。曽野さんの本を読むと元気がでて、「善人ぶるな、正直になれ」なんて思ったりしますが、とても周囲の目が怖くて本音で生きることができそうにありません。ああ、臆病者だなあ。でも、このとてつもない臆病さがバランスがいいように、表面的にはとらえられているかもしれませんが、これって面白い人生でしょうか?

また、バランスについて考えてみます。私が思うバランスは、ああでもない、こうでもないと悩み、善とも悪とも言い切れない不安定な上に危く立っているような状態に耐えることです。善と悪にはっきり線引きしてしまえば悩みも消えすっきりしますが、それはある意味、楽な選択なのです。これでは、傍目には優柔不断で情けなくみえるのかもしれませんが、本人は、このあいまいさにじっと耐えているのです。

今一番日本で苦悩されていることは、原発が脱原発かということだと思いますが、きっぱり脱原発と宣言するのが英断なのでしょうか。(と言うと、石が飛んできそうですが)

牧子さんのように、才能豊かで手先が器用、特に話しをするのに非凡な才があり、それによって、人々を惹きつけ、惑わし、奮起させ、巻き込み、数々のイベントを成功させてきた人が、今、バランスを失い、倒れそうなのでしょうか?それなら、すぐにつっかえ棒になって寄りかかれる人をみつけるべきです。きっと多くの志願者が現れることでしょう!!

最後に、うちのおばあちゃんの話です。犬山で5人兄弟の4番目に生まれ、娘時代は戦時下で過ごし、結婚してからは、名古屋のケチケチ根性を発揮して節約の日々、息子二人を独立させてからも質素な生活は変わらず、息子家族と同居のため鎌倉に来たのが17年前。若い頃から天然ボケしてるといわれ続けたが、83歳の現在、同年代から比べたら健康優良児、買い物、銀行、病院、どこへ行くにも介添えの必要なし、もしかしたら80代の平均以上に優秀な頭脳?ほぼ毎日2食は外食、社交場は東急待合所、タクシー会社にとっては大のお得意さん。節約という言葉は、とうに忘れたみたい。でもこうして、80年かけてバランスがとれてくるということもあるのかなと、つくづく思います。卑近な例で失礼しました。また機会があったらお手紙出します。

石田人巳(カジュ・ボランティアスタッフ)

« 往復書簡(25) 赤松加寿江さんから大社優子さんへ | トップページ | 往復書簡(30) 石田人巳さんから田川陽子さんへ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 往復書簡(25) 赤松加寿江さんから大社優子さんへ | トップページ | 往復書簡(30) 石田人巳さんから田川陽子さんへ »