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往復書簡(37) 八原忠彦さんから掛田勝朗さんへ

 

【テーマ】 つながる心 = 文化を伝える志

掛田商店    掛田勝朗 様

昨年のカジュ祭でお目にかかりその後にお店にお伺いして以来ほぼ一年、すっかりご無沙汰してしまいました。その節には親しくお話をいただき半日近くの楽しい時を過ごさせていただき本当にありがとうございました。

お店に一歩足を踏み入れて「おーッ、これは!」と内心、感嘆の声を挙げたのも、単なる酒好きの思い入れ、見るからに美味しそうな酒瓶たちに惹かれただけではなさそうです。棚に並んだ多種多様なお酒と伝統的な食品、調味料が、美しくハーモニーを奏でているような、楽しい空気を醸し出しているような、お酒が単なる商品、商売の道具として並んでいるわけではない、何か独特の空気の流れを感じるのでした。

そのような店内を通り抜けて私室に招じ入れていただきお話を伺うこと一刻を超え、お店の経営の考え方から美術に関するお話までまことに興味尽きないお話をいただき、おおいに刺激を受け、なるほどお店の醸す空気は、そういうことで作られているのだと得心した次第です。

こういうお酒があるんだ、こんな食品を作っているところがあるんだ、と見るだけで楽しくなってしまうほどの全国各地選りすぐりの豊かな品ぞろえ、全国の蔵元を訪問して“よい”お酒を見出し、さらに蔵元と共同で“よい”お酒を造り、時に自ら命名してラベルまで制作する、お酒は日本の文化であり、食文化に関わるという強い信念のもとに“よい”お酒と蔵元を育てる姿勢、それに比べれば私が学び、論じてきたのは効率優先の経営でしかないと内心忸怩たる思いに駆られます。

さらにお客様には、直接店舗に足を運んで購入してもらう姿勢を貫かれているのは、顧客の利便性を標榜するような経営の対極にありそうです。自ら足を運び、数多の酒びんたちを愛で、話を聞き、その中から「これを飲んでみるか」と選び、持ち帰る、これもまたお酒の文化を楽しむことだ、と大いに刺激を受けた次第です。

お酒はただ消費される商品ではない、お酒の背後にはそれぞれの地域の食の文化があり、ひいては地域の文化とあい合わさってつくられてきたものであり、それぞれの地域の蔵元が地域の文化の中で醸してきたものなのだ、そのようなことに思いをはせながらお酒を飲めば、もっと楽しくお酒とそして食を味わうことができる、と勝手に解釈しております。

これまで多大のご苦労があったことと拝察いたします。世の中の大方の考えとは異なる考えで何かをなすには、一方ならぬ苦労がつきものとはいえ、それをあえて実行し、続けてこられたことに、ただただ敬服いたしております。

絵、陶器、音楽と広がるお話、楽しく聞かせていただきました。中でも三澤覚蔵先生の茶碗を見せていただき、その力強さと細やかさから作りだされる造形の美しさは魅力的でした。先生の作品は分散している由、作品を集めて多くの方々に観ていただけるような機会ができればよいな、ひとつの文化を伝えることになるのでは、とこれもまた勝手に考えております。

思いつくままを書き連ねてしまいました。ご容赦ください。

昨年お伺いして以来お店に並ぶお酒たちに出会うのを楽しみにしておりましたが、直後に思いもかけない病を得て医者からお酒を禁じられて一年近く、幸いここにきてようやく少しならと許しが出ました。お酒と食の文化などなどお話を伺いながら美味しいお酒を選ぶのを楽しみにしております。

かまくら茶論 八原忠彦

かまくら茶論     八原 忠彦様

久し振りの便りを頂戴いたしました。どうしていらっしゃるかと案じておりました。1年のドクターストップ、お辛かったと存じます。

さて、過日いらして下さったご感想を頂き大変恐縮いたしております。

自分ではみえない眼に緊張し、そしてお褒めの言葉に誇りを感じました。

かつて全国の伝統食品の生産現場を訪ね歩いたとき、戦後、日本経済の高度成長による大量生産、大量販売の弊害、経済優先の精神的価値観により、小さな生産者、街なかの販売店(八百屋、魚屋さん等)が、廃業を余議なくされていくのを目の当たりにしました。

そんな時代の反省と危惧感により、当店に係る生産者、生活者(消費者)によって、ひとつの理念運動が生まれました。「現代に生きる我々生産者、生活者がそれぞれの立場において、日本の食文化を考え、守り、次世代に伝える」

八原様がお感じ頂いたのは、そのようなひと握りの生産者の姿勢とそれに賛同して下さったお客様(生活者)の今までの助言の蓄積が店に形となって表れたのだ、ということだと思います。ありがとうございました。

実はあれから実務を娘(毎年Khaju祭に参加させて頂いております)が受け継ぎ理念の実践を続けております。

小生は過日お話いたしました三澤覚蔵先生の作品をより深く理解しようと“やきもの”をしております。今は師の弟子で地元の陶芸家、前川幸生氏と共に師の窯を再現し、年1~2度焼いております。

振り返りますと、人は人生の過程で、その人の運命を左右する人にどこかで出会うものですね。

ひとつのぐい呑みに出会い、その作家に会いたい想いに駆られ、その頃、多摩美の助教授を退官され、信楽の山中、神山にお一人でお住まいの師を訪ねた日の情景は昨日の様に目に浮かびます・・・・・・・・・・。

師の死後13年。

芸術はその作家の死後に真価が問われるような気がいたします。

生前の評価は時代の評価であって、己の信念を貫き世に出ずに、又、望まず去って行った優れた芸術家はいらっしゃったと思います。美を伝えること、食文化を伝えること、それはひとつのことでしょう。

小さな灯が集まれば、大きな明かりになることを信じて理念運動を続けていきたいと思いますので、ご指導を頂けたら幸いと存じます。

何か取り留めのない話になりました・・・・・。

又、お会いいたします日を楽しみにしております。

掛田勝朗

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