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伸び縮み歪み

「自在に伸びたり縮んだりするものなんだ?」と聞かれたら皆さんは何を思い浮かべますか? ゴム? 如意棒? 芝居の世界でそれを聞かれたら・・・答えは「時間」です。アインシュタインによれば、時間は伸び縮みするものだそうですが、ここで語ろうとしているのはそんな難しい話ではありません。

シェークスピア劇をご覧になったことがある方なら、こんな思いにとらわれたことがあるかもしれ ません。人の死の間際、それを看取る恋人が朗々とその人への愛の言葉を語り聞かせたり、逆に死に行く人が恨みつらみを延々と述べ立てたり・・・。この局面でこんな風に長々話せるはずがない、と。そう、現実の世界ではあり得ない時間の「伸び」がそこにあります。

逆に能の世界では、旅の僧が登場して、私は日向の国の某と名乗って数歩進み「阿漕ヶ浦に着きにけり」と言うと、宮崎から三重の阿漕ヶ浦まで一瞬で移動することができる。すなわち、都合の良い時間の「縮み」がそこにあるのです。

そもそも映画や小説と違って、一瞬の煌めきを描く芝居という芸術では、こんな風に都合よく時間が伸び縮みしてくれないと、とても見られたものにならないのです。数年前に流行った「24」のようなリアルタイムの進行方法は、芝居の世界ではできたとしてもせいぜい2時間が限界。逆に言うと、ここぞという一瞬を数分間に伸ばすことで、そのとてつもなく密な一瞬をたっぷりと描き出すことができるというのが、芝居の魅力でもあるわけです。

時間の伸縮に加えて、良い舞台にはごく希に空間的な歪みが発生することがあります。そういう芝居に出会えるのは一生に一度あるかないかとも言われていますが、幸いにして僕はかつて一度だけそれを観る機会に恵まれました。

忘れもしない今から10年ほど前のこと、鎌倉芸術館の大ホールに作られた仮設能舞台でそれは起こりました。現在最高の能役者とも評される関根祥人さんがシテ(主役)を務めた「道成寺」。にわかには信じがたいことが起こりました。彼が座ると床が沈み、彼が乱拍子を舞うと空間が波打った。僕はただただあっけにとられていました・・・。信じられないかもしれませんが、それはそこで実際に起こったことです。正確に言えば、そう錯覚したのです。「能を観るならシテを観よ」と言いますが、それほどの幻覚を引き起こした関根祥人さんという役者にただ敬服するとともに、時空間の伸び縮みを自在に現出せしめる芝居という芸術に、無限の可能性を感じた瞬間でありました。

紅月劇団 石倉正英 (2014年秋・冬号)

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写真家のテクニックによって引き起こされた「歪み」
(「椿説・石橋山の戦い」より Photo by Tanaka Makiko

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