小道具
岩や建物など舞台セットとなるようなものを大道具、役者が手に持ったり、動かしたりするものを小道具と言います。例えば、刑事が舞台上でタバコを吸う、この場合のタバコは小道具であり、当然のことながらタバコを吸うシーンだから使われているわけですが、そのシーンの位置づけや登場人物の心情に目を向けると、タバコは単なるタバコという存在を超越し、様々な意味やイメージを持ってくる・・。皆さんも、映画や舞台を見ていて、時折そんな風に感じられることがあるのではないでしょうか? 今回のテアトロ・カジュは、単なる「モノ」にとどまらない小道具の奥深さに触れてみたいと思います。
自分の作品を作り始めて間もない頃、女性が小刀で自らを刺して死ぬシーンがありました。そこで僕は役者が怪我をしないように、東急ハンズで、刺すと刃が引っ込むジョーク・ナイフを買ってきて使ったのですが、本番を終え、お客さんのアンケートを読んでみると、それがジョーク・ナイフだということがバレバレだったのでした・・。僕は、その時卒然と、どんなに小さなものでも、舞台上に出て来る何一つとして、おろそかにはできないのだということを痛感したのでありました。
そう、小道具は舞台に上がった瞬間に様々な意味を持ってくる。いわば、象徴物となるのです。死の直前にその女性にじっと見られた小刀は、その女性の生から死に向かう「思い」の表徴となるはずで、ひょっとするとそこにはその女性の人生の全てが乗ってくるのかもしれない・・。
チェコにオブジェクト・シアターという演劇のジャンルがあって、これは芝居の進行とともに一つの「モノ」を横にしたり、ひっくり返したりして、様々な形、意味に変化させていくお芝居。そこでは、小道具の象徴性が存分に発揮されていて面白いのですが、今から10年ほど前に、長年オブジェクト・シアターを牽引してきた舞台美術家・ペテル・マターセクさんのワークショップを受ける機会を得ました。これが実に発見と気づきの連続だったのですが、最後の最後、とても面白い課題が与えられました。なんと「新聞紙で水を表現しなさい」というのです。参加メンバーからは「新聞を燃やし、その灰を雨のように降らせるとそこから植物の芽が出てくる」など、興味深いアイデアがたくさん出されました。単にリアリティのある小道具を使えばいいというのではなく、イメージ一つで小道具はいかようにも面白く化けていくということを教えられたのでした。
さて、その後再び、小刀で人が死ぬというシーンを作る局面が訪れました。少しグレードアップした僕がジョーク・ナイフの代わりに用いたのは・・厳選した短い竹の棒。幸いにして、賢明なお客さんはそこに色々なイメージを重ねて観てくれたようでした。
紅月劇団 石倉正英 (2015年初夏号)
竹筒作戦!」その後ギャグシーンに転用された竹の小刀
(「新田義貞の稲村ガ崎越え!」より Photo by Sekino Naoko)
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