往復書簡(41)山根弓子さんから るんさんへ 2014年
テーマ:食堂ぺいすと山根湯
るんちゃんへ
庭の紫陽花も色づき、夏至を迎え、本格的な夏はもうすぐそこ。季節がダイナミックに変化する中、るんちゃんは今日も台所で何か美味しいものを「ルンルン♪」と作っているのだろうな。考えただけでよだれが出る(笑)
この度はるんちゃんにお手紙を書く機会をいただけてとても光栄です。ありがとう。
そもそも食堂ぺいすとの出会いは、うちが“きらくなたてものや”の日高さんに家の改修をしていただいた一年後にぺいすの工事が始まり、その職人さんがたまたまうちと同じメンバーだったことから始まったんだよね。この出会いで私の鎌倉生活は何倍も彩り豊かに、そしてますます愉しい日々へと変化したのです!
改修が始まり、ぺいすに住みこみで工事を行う親しい職人さんたちに、うちがお風呂を開放したことで始まったつながり。そのご縁は工事とともに終わるどころか、「山根湯」なんて呼ばれながら更なる広がりを作ってくれました。鎌倉の愉しい人々とのつながりも、ぺいすからもらったご縁がたくさんあるんだよ。ありがとう。
食堂ぺいすには、ぺいすファミリーを慕って、改修中に開催したワークショップから、食堂開店後も本当にたくさんの人が集まるよね。その求心力は何かというと、2月の大雪の日、交通機関がマヒしてへとへとで帰ってくると、うちの玄関の門にそっと置いてあったるんちゃんのファラフェルが象徴していたなぁと思うんだ。素直に泣いて笑って怒って喜んで、人の中にあるきらめきに気づき、引き出し、温め、生かしてくれる。食堂ぺいすを形作っているのは料理を介して伝わる、そうした包容力と人間らしさ、人間同士の温かい繋がりなのだなとしみじみ感じます。
そして、今年の鎌倉路地フェスタでは、るんちゃんが誘ってくれて、るんちゃんの作った自家製豆乳ヨーグルトに私のグラノーラを合わせ、「きらくなグラノラや」を出店したこと、すごく楽しかった。こうじゅくん手作りの看板も嬉しかったな。食堂ぺいすの引き出す力と実行力にはいつも感動するんだ。
それはお店自体にも現れていると思う。いつかどこかで感じた懐かしさ、そして季節の移ろいや子供たちの笑い声、光の美しさ。心から寛げて、美味しいものをお腹いっぱい食べさせてくれる幸せな空間。るんちゃんのいつもの笑い顔と愛情たっぷりのお料理。そして、こうじゅくんの優しさと気遣い、センス、大好きな音楽たち。自分がありのままで認めてもらえる安心感。
全てがパーフェクトじゃなくても、愉しくて、のんびりしていて、自分が好きなものを「大好きです」って言えることってなんて自由で愉しいんだろうね。台所から平和を願うこと、毎日の食事や暮らしに意識を向けることが地球の平和につながっていることを改めて実感させてくれる。それぞれができることをやっていく。それが重なり合って世の中もできている。この多様さこそ、それぞれが生きていることの意味があるんだなと心から感じさせてくれる、私は食堂ぺいすに出会ってそれを強く感じたんだ。
食堂ぺいすをもし何かに例えるならば、大好きな左官屋さんが教えてくれた葦船の話を思い出すよ。
いつも笑顔であったかい太陽みたいなるんちゃんと、お月様みたいに優しいこうじゅくん、希望の光に満ちた寿唯くんが船頭で、海の上にプカプカと浮かぶ葦船。その葦船は帆に風を受けて前へ前へぐんぐん進んでいく船とは違って、いつも地球のペースにゆだねられ、気づくと小さな魚から大きな魚、海藻なんかもたくさんひきつれて、いつだってお腹いっぱいみんなを満たし、優しくゆらぎながら安らぎを与えてくれる場所。近所にそんな食堂ぺいすがあってほんとによかったな~。
また食べにいかなくちゃ!そして「食堂ぺいす×山根湯」もまた何かできれば嬉しいです。
いつもどうもありがとう。そして今後ともどうぞよろしく!
弓子
(鎌倉市小町在住 会社員)
弓子さん
熱いお手紙を頂きありがとうございます。(涙なしでは読めんかった)
弓子さんとの出会いを思い出すだけでにんまりしてしまいます。
大工だった祖父が愛情を注いだ築106年の大町の家、取り壊す話もありながらどうにか改修し、私達夫婦が念願の食堂をオープンする夢が実現に向かった2012年夏。
しかし何名もの方に現場を見て頂きましたが、工事の予算が合わなかったりでなかなか進みませんでした。
そんな折、鎌倉の誇る素敵女子の宇治牧子さんと加藤由里子さんに、「家創りするなら誰に頼む?」と尋ねると、「きらくなたてものや日高さん!」と揃って即答。
日頃お世話になっている葉山の女帝、川崎直美さんにすぐに話すと
「日高さんは建築家なのにホヨ~ンとしていて肩の力が抜けていていいよ!」と絶賛(笑)。
ますます期待が高まりました。
日高さんは祖父の造った掘りゴタツをえらく気に入り、毎回コタツでお茶をすすりながらの打ち合わせが恒例となりました。
いよいよ改修が始まり、コタツの横の壁が剥がされ周囲がどんどん変わってゆく中、コタツの間はそのまま時間が止まっていて、私達がコタツで打ち合わせしている光景はさながらコントの中(笑)。
人当たりの良い日高さんですから、私の怖い父(ゴルゴ30似)も大層気に入り「俺と同じ大学出身者に悪い奴はいない!ガッハッハ」と笑いと共に、当初「あえて古家に住むなんて理解できん!」と言っていた気持ちもどこかへ吹っ飛んでしまったように私達の夢を応援してくれました。
横須賀の貸家から週に一度大町に通い、日高さんと打ち合わせ&100年余りの荷物の片付けというハードな日々が始まりました。
日高さんに出会って間もない頃、「建て主さんの同窓会に来ませんか?」というお誘いがあり、建て主同士を交流させるというオープンさに、当時住宅営業マンだった夫はたまげていました。
きらくな日高節はとどまる事を知らず、ある日横須賀から大町に到着すると、山根弓子さんとお姉さんの愛さん、そしてご両親まで家の中を普通に見物中(笑)
この出来事もまたバリバリ住宅メーカーの夫には驚愕だったそう(爆笑)
これが弓子さんとの最初の出会いでした。
今では夫も山根湯や日高さんの大ファンで、会員に入れてもらってる事や、ちょくちょく食堂ぺいすに顔を出してくれる事を心から喜んでいます。
改修期間中は、職人さん達にお風呂や美味しい食事の提供をどうもありがとうございました!職人さん達は山根湯でたっぷり英気を養い、そのおかげで素晴らしい古民家に蘇らせてくれました。
その後「山根湯」と名前を変えても、変わらず憩いの場所になっている事も大きな喜びです。私達は弓子さんのお世辞抜きにむっちゃ美味しい料理と温かいホスピタリティに癒されています。
「料理大好き、食べるのもっと好き」な人とのご縁はずっと続くのだと確信しています。だって食べ物の可能性を信じている同志だから∞
そしてあの大雪の日、脱サラ夫は在宅だったので、もう弓子さんの事ばかり考えていました。
電車も止まってしまうのだろうか、、、と心配していたら、まんまと残業をなさっていたようで!頑張り屋が裏目に出てしまいましたねぇ(涙)
しかし帰宅困難になっているとは想像が及ばず、FALAFELと愛を携えて歩いた山根湯までの一面銀世界の美しさといったら忘れられません!
人一人との出会いとはなんと尊いのでしょうか。
フィリピンの子ども達は家が無くても布団が無くても、皆でくっついて温まり寝入ると聞きました。
私達はけなげに生きている人々からもうこれ以上何も奪いたくないと本能的に思っているに違いありません。
日本に充分すぎるほどある木材を使う、できるだけ自然素材で、、そういった願いの上に本当に心地の良い家はあるのだと思います。
祖父母の物語を、職人さん達が繋げてくれました。そこで食堂ぺいすという物語を紡げる事ができ幸せです♪
そして弓子さんと繋げて頂き幸せです♪愛くるしい目も、興奮して喋るとどもっちゃう所も大好きです💛
大町で‟雑穀菜食の 食堂ぺいす“ を営む るん より
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