十二夜
これを書いている今、私の住んでいる鎌倉・材木座では光明寺というお寺の一大イベント「お十夜」の真っ最中です。「お十夜」とは、戦国時代に後土御門天皇より光明寺第九代・観譽上人に勅許された「十夜法要」のことで、三日三晩に渡って法要が行われるほか、稚児を交えた行列や夜店が出るなど、秋の材木座の風物詩となっています。何より毎年その入り口横に出る大判焼きがとても美味しい! 私のオススメはカスタード・クリーム。機会があったら是非食べてみてください。
この「お十夜」と時を同じくして、我が劇団のワークショップの発表公演が行われました。そして今回の題材は、奇しくも、シェイクスピアの「十二夜」だったのです。狙ったわけではないのですが、考えてみれば不思議なシンクロニシティでした。 「十二夜」とは、「東方の三博士」が生まれたばかりのイエス・キリストを発見した日、即ち、クリスマスから数えて12日目の夜のことで、キリスト教では「公現祭」という祝日となっています。クリスマス・リースも、この日まで飾られるのが習わしで、日本の「松の内」と、とてもよく似ています。ひょっとすると、キリスト教が信者を獲得するために取り込んだ、原始宗教の祝祭日とも何か関係があるのかもしれません。
今回の作品「十二夜」はシェイクスピアの傑作喜劇の一つで、その内容は、「双子の兄妹であるセバスチャンとヴァイオラが船の難破で離ればなれになり、イリリアに流れ着く。ヴァイオラは少年に変装するが、自分が仕えているオーシーノ公爵に恋をしてしまう。オーシーノは伯爵家の令嬢であるオリヴィアに恋をしているが、オリヴィアはヴァイオラを男だと思い込んで思いを寄せるようになってしまう。そこに兄セバスチャンが現れて・・・」と、話と恋がもつれにもつれまくるドタバタ劇。
面白いのは、劇中、「十二夜」に関する場面、話題がひとつも出てこないこと。内容とも全く無縁なのです。
ではなぜタイトルが「十二夜」なのか。これには諸説あって、いまだにはっきりとはしていません。最も有力なのは、初演が公現祭に行われたから、という説。だとしても初演の日からタイトルをつけるなんて、なんとも乱暴なネーミングではありませんか。とはいえ、私もタイトルを先に決めて提出しなければいけないことがままあるので、ひょっとするとシェイクスピアも「ああ、もう、とりあえず『十二夜』とでもしとけ!」てな感じでつけたのかもしれません。そんな作品が400年以上も上演され続けているのですから、芝居とは面白いものです。
それともう一つ興味深いのは、このお芝居のラストシーンです。 見事に絡まった恋が片付いて、物語は大団円を迎え、登場人物たちが全員退場すると、道化が一人、ポツンと残される。そこで一曲歌を歌うのですが、これがなんとも切ない歌なのです。「・・・さても悲しや嫁とれば、ヘイホー、風と雨、ホラは吹いても腹ペコで、毎日雨は降っていた・・・」。 道化の稼業、自分自身の存在の切なさを歌った歌で終わるのです。喜劇であるはずのこの作品のラストに配された、切実な、物悲しくすらある道化の歌・・・。
そして、乱暴なタイトルの喜劇を作り終えたシェイクスピアは、その後、「悲劇」の時代へと入っていくのでした。
(2017年秋 紅月劇団 石倉正英 )
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