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川本真理の「イタリアからの手紙」
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嘘という名の演技

Theatrekhajus1520170415
花を愛でていると嘘をつき団子を狙う愚犬

 「人間は嘘をつく動物である」こんな格言を残した人は、歴史上いなかったと記憶していますが、人は多かれ少なかれ嘘をついて生きているように思えます。
 最近の学説では、犬も戦略的に嘘をついて人を騙す、とのこと。確かにうちの愚犬でさえ、怒られると分かっていることをしているのがバレた瞬間、「やってないよ」と嘘をつく風の行動をとる時があります。ミエミエなだけについ笑ってしまい、悔しいかな、彼の嘘はいつも成功を収めるのです。
 しかし、厳密に言えば、これは人のつく嘘とは質の異なるもの、つまり、主人に怒られないためには「そうする方が良い」という経験に基づく行動で、犬自体は嘘をついている感覚は無いような気もします。

 反面、「嘘をつく」というのは、芝居人にとっては面白い行動でもあります。何しろ、誰しもそこでは「演技」をしているのですから。リアリティのある演技をしないと、簡単に見破られてしまうのですから。  ひょっとすると、死に物狂いでついた嘘には、芝居人である我々が求めている究極の演技の形があるのかもしれません。(笑)

 芝居は虚構の世界であり、観客の前で嘘をついているようなものとも言えます。自分を医者と言ったり、殺人犯と言ったり、果ては「空気の妖精」などと言ったりするのですから。それが単なる嘘であると、お客さんにバレてしまって、芝居自体が成立しなくなってしまう。ですから、我々役者は、毎回、命がけで嘘をついているようなものなのです。
 「嘘」から「口」を取ると「虚」。そう、役者は「嘘」をつくのではなく、お客さんの「虚」を衝かなければいけないのです。イコール、それこそが「嘘のない芝居」なのかもしれません。

 日々、こんな訓練をしている役者がつく嘘は、さぞかしバレにくいだろうとお思いになるかもしれません。しかし、物事はそう簡単にはいかないもの。そう、実生活の嘘には十中八九「後ろめたさ」というファクターがあるからです。どんなに上手い役者でも、よほどの悪人でない限り、この「後ろめたさ」が災いして、完璧な嘘をつくことはできないでしょう。
 とある稽古の帰り道、つい飲んで遅くなってしまった一人の役者がおりました。まずいことに彼は家で待つ彼女に「今日は早く帰る」と言っていたのを、すっかり忘れていたのでした。

 「やけに遅かったわね。」
役者「(ギク)稽古でどうしても納得いかないところがあってね、公園で一人稽古をしてきたんだ。」
 「犬並みの嘘ね。また飲んできたんでしょ!」
役者「そ、そんなことあるわけないじゃないか・・。」 
 「こんなにお酒臭けりゃ、誰だって気づくわよ。」
役者「ハッ! ・・ご、ごめんなさい!」

 そう、嘘はバレるから良いのです。きっと・・・。

(2017年春 紅月劇団 石倉正英)

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