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約束はお約束

「一生君のことを愛し続ける」「二度とやりません」「一生のお願いだから」・・・。
「約束は破られるためにある」と言ったのは、アリストテレスでしたでしょうか、はたまた麻生太郎副総理? そう、この世で交わされる約束の7〜8割は、結果、破られているような気がします。「花は散るからこそ美しい」的な論理で考えれば、約束は破られるからこそ、儚くも美しいものにもなり得るような気もします。
 しかし皆さん、絶対に破られない約束のカテゴリーがあるというのをご存知ですか? 約束の頭に「お」をつけてみてください。そう、「お約束」。それこそは、成立したが最後、絶対に果たされる約束だと言っても過言ではないでしょう。しかも、得てしてそれは言葉による契約でないことが多いのです。

  例えば、待ち合わせ場所に30分も遅れてきた友人Cがありました。待っていたAとBの二人は呆れながらもこんな会話を交します。
  A「Cの奴、絶対『お、早いねぇ』って言うよ」 B「ああ、悪びれもせずにね」
  C(登場し笑顔で)「お、早いねぇ」  A・B「やっぱり(笑)」
  この場合、CとA・Bとの間には事前の言葉による約束はありませんが、暗黙の「お約束」が成り立っていて、かつ、裏切られることなく果たされたがゆえに、30分の遅刻を大目に見てもらえた、という寸法です。
  これは、いわば「経験の積み重ね」が約束の役割を果たしているわけですが、経験の積み重ねがなくとも「お約束」を成立させるのが芝居というもの。

  例えば、皿と箸を出して、役者が食べる真似をすれば、お客さんも、そこに料理があるものと思ってくれる。人を刺すシーンで、本当に刺さなくても役者が迫真の演技をすれば、思わず「うわ!」と声を上げてしまう。演技的な技術はもちろんですが、そこにないものを見たり、あたかも実際に行われたかのように感じるのはお客さんの心ですので、そこには知らず知らず、演じ手との間に「お約束」が交わされているのです。
  この約束のおかげで、芝居にCGは必要なくなるのです。逆に言えば、CGで処理しないからこそ、芝居は面白いのです。今風に言えば、お互いの心の中に共通の仮想現実が展開される、とでも申しましょうか・・・。

  ある作品のラストで、主人公が「溶けてなくなる」とト書きに書いたことがありました。それをどう表現するかが、我々の手腕であり楽しみであったわけです。まだ見ぬお客さんとどんな「お約束」を交わそうか・・・。

  さて、本番でそれはどんな形で演じられたと思いますか? その答えは・・実際の舞台を見てのお楽しみということで(笑)。
  そう、それは決して、言葉では言い表せない、まさにそれを目にした人との、その場でしか成立し得ない特別な「約束」なのでございます。

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この後、見事に溶けて無くなります(「テンペスト」より)

(2018年春初夏号) 紅月劇団 石倉正英

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