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ラ・フォンテーヌの寓話

鎌倉路地フェスタ参加作品「ラ・フォンテーヌの寓話」の上演準備が佳境に入っています。「ラ・フォンテーヌの寓話」とは17世紀の詩人ラ・フォンテーヌによる寓話、すなわち、擬人化した動物達を登場人物にして教訓や風刺を語らせたもの。250編ほどにもなるこの寓話集はイソップ寓話などを下敷きにしてラ・フォンテーヌが30年にも渡って書き続けたもの。従ってイソップ寓話によく似た話がいくつもあります。
例えば「アリとセミ」。かの有名な「アリとキリギリス」と同じ内容ですが、現在伝わっているイソップ寓話とは違って最後が秀逸。

セミ「冬になって食べ物がなくなり、ひもじい思いをしています。
   すみません、アリさん、少しわけてもらえませんか?」 
アリ「蓄えがないだって? 夏の間何をしていたの?」 
セミ「皆のために歌を歌っていたのです」 
アリ「じゃあ今度は踊ったら?」

けんもほろろの塩対応。優しいカジュ通信の読者のことです、思わずセミに同情してしまう方が多いことでしょうが、本国フランス人の中にも、セミの味方をする人がいるようで、フランス文学者の鹿島茂さんによれば、その一人の言うことには、人を楽しませるパフォーマーであるセミに代価を払わないアリはおかしい、とのこと。芝居に携わる僕としては、もちろんこの意見に大賛成ですが、さて、皆さんはどう思われるでしょうか。

現在伝わっているイソップ寓話の「アリが施しを与える」というラストであるならば、アリを悪く言う人はまずいないでしょう。ある意味、そこには別の解釈を入り込ませる余地が無きに等しい、と言うことができるかもしれません。しかしフォンテーヌのそれは、セミも悪いがアリも心が狭い、いや、そもそもセミの言ってることは嘘なんじゃないか・・・てな具合に、あえてツッコミの隙を与えているような、そんな企みが垣間見えるような作品が数多くあります。

今回我々が取り上げたお話の一つに「クマと園芸の好きな人」というのがあります。互いに孤独だったクマと園芸の好きな老人が森で出会い、意気投合して一緒に暮らし始める。するとある日、うたた寝をしている老人の鼻にハエが止まります。クマはそれを追い払ってやろうとするのですが、いくらやってもハエはビクともしない。業を煮やしたクマは「絶対に追い払ってやるぞ」と、やおら敷石を持ち上げると、ハエめがけて投げつけたのでした。クマは見事にハエを仕留めるとともに、老人の頭も潰してしまったのでした。

なんともブラックなラストですが、フランスではこのお話から生まれた「クマと敷石」という諺があるそうです。その意味は「ありがた迷惑」。迷惑にもほどがあるといったところですが、かのフォンテーヌはこの物語の最後をこう締めくくっています。
「無知な友ほど危険なものはない。賢い敵の方がまし。」
ひょっとして皆さんもお心当たりがあったりして。

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「カラスとキツネ」(シャガール)

2019年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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