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花 火

20200723-101249

今年は東京オリンピックと重なることもあって、各地で花火大会が中止になっているようです。我が鎌倉も例に漏れず、早々に中止宣言が出されました。なんとも寂しい限りです。花火といえば夏の風物詩。老若男女を問わず、いまだ一緒になって楽しめる催しは他にないのではないでしょうか。

昨年12月、我が紅月劇団恒例の年末公演を行いました。
麻心という由比ヶ浜を見下ろすカフェで毎年行っている年末公演。何を隠そう、今回のテーマは「花火」でした。12月に花火?と訝しむ向きもあることでしょう。そう、この季節外れのテーマを選ぶに至ったのには、なんとも不思議なご縁、神仏のお導きともいえるものがあったからに他なりません。

夏も終わって、朝晩だいぶ涼しさが増して来た9月下旬、今年の年末公演は何をやろうか、と麻心に足を向けました。毎年こんな風に麻心を訪ねると、なにがしかのヒントが得られるのですが、今回は向かう道すがら、やおら「ドドーン!!」と爆音が聞こえて来ました。なんと、こんな季節外れに逗子の花火大会が開催されていたのでした。
案の定(失敬)、お客さんが誰もいない麻心の窓際の席に腰を下ろすと、海越しに花火がよく見えます。思いもよらぬ特等席で、麻心のスタッフと一緒にしばし季節外れの花火を堪能したのでしたが、それは、途中マスターに誘われて外に出て花火を見始めた時に起こったのでした。

その時、ふとマスターがこうつぶやきました。「花火をみるなら、本当は寒い時期の方が良いんだよね」と。確かに空気が澄んで夏よりも綺麗に見えるかもしれない。
しかしその時、僕はまったく逆のことを考えていたのでした。

一発一発終わるたびに、なぜだか絵もいわれぬ寂寥感に襲われていたのでした。それは僕も含めてむさ苦しい男数人で寂しく見ていたせいもあったでしょう。しかしそれ以上に、花火が夜空に花開く美しさよりも、消えて無くなっていく瞬間の方に心を持っていかれるように思えたのでした。それは涼しさと無縁ではないように僕には思えました。

 花火師が丹精込めて作った花火は、一花咲かせると、ものの十数秒で消えて無くなっていくのだという厳しい現実を目の当たりにした気分だったのでした。夜空を舞台に花開くや否や消えていく・・・それはとても芝居に似ているようで、なんとも自分のやっているものへの切なさを覚えてしまった瞬間でもありました。裏を返せば、それこそが花火や芝居の素晴らしいところのはずなのですが。

かくして、この「一瞬で無くなる」切なさが年末公演の大きなテーマとなったのですが・・・こんな風にセンチメンタルな気分にさせられることを考えると、やはり花火は夏の暑い盛り、大勢の中で汗をかきかき、「たまや〜」と叫びつつ見る方が良いのかもしれない、などと思ったりもしたのでした。もちろん、傍に浴衣美人がいるに越したことはありませんが・・・。

 

2020年新春号 紅月劇団 石倉正英

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