ホケキョウ
「ホ~ホケキョ」春を告げる鳥・ウグイスの鳴き声で目覚める今日この頃。なんでもウグイスの鳴き声にはその年その年でブームがあるそうで、昨年僕の家の近くで鳴いていたウグイスは「ホ~ホケチョ」と鳴き、今年のウグイスは「ホ~ホケキョケキョ」と必ず「ケキョ」を一つ付け足して鳴いています。思わずクスッと笑ってしまう鳴き声ですが、彼らはきっと大真面目に格好いいぜ!と思って鳴いているのでしょう。
「ホ~ホケキョ」といえば法華経。そう何を隠そう、これを書いている今は、我が紅月劇団久々の鎌倉公演「不愉快なみほとけ~日蓮聖人殺害計画~」の本番真っ最中なのであります。なぜ本番中にこのコラムを書いているのか・・・締め切りを忘れていたからでございます。笑 というわけで(どんなわけで?)、今回のテーマは「法華経」をその思想の根本としたお坊さま・日蓮上人に触れてみたいと思います。
安房国(千葉)勝浦で生まれ、比叡山や高野山に遊学し、立教を開宗した日蓮は、当時の日本の実質的な首都・鎌倉で布教しようと安房国から小舟に乗って鎌倉を目指しますが、途中大嵐に逢い遭難してしまいます。大波に飲まれ、木の葉のように漂うばかりの日蓮を導いたのは、突如として現れた白猿たちでした。白猿たちは日蓮を今の横須賀沖の小さな島に導きます。これが今の猿島で、その名の語源ともなったとか・・・。
大嵐の海に突如として白い猿が現れるとは、にわかには信じがたいエピソードですが、白猿の伝説はその後も続きます。
鎌倉入りして松葉谷(今の妙法寺)に草庵を結んだ日蓮が、念仏宗から焼き討ちの攻撃を受けた時(松葉谷の法難)も、白猿が山の中を導いて日蓮を逃した、と・・・。
澁澤龍彦さんは、「きらら姫」という小説の中で、この白猿を「木地師」つまり「山の民」として描いています。さすがは澁澤さん、とても面白い解釈ですね。実際そうだったのかもしれません。ひょっとすると、海での遭難を救ったのも猿ではなく「海の民」だったのかも。もっと言えば、そもそも日蓮自体が「海の民」だったのかもしれません・・・。
さて、日蓮聖人没後二百年ほどたったころ、とんちで有名な一休さんが身延山にある日蓮宗の総本山・久遠寺を訪ね、「ナムアミダブツ」と唱えつつ山門を通り抜けようとしたところ、近くにいた久遠寺の僧侶が血相を変えて飛んできて「ナムアミダブツとは何事、ここではナムミョウホウレンゲキョウと唱えなさい!」と諭しました。
なぜ「ナムミョウホウレンゲキョウ」が良くて「ナムアミダブツ」がいけないのか。仏教に疎い私はこれまでどちらも似たようなもののように思っていましたが、どうしてどうして日蓮さんにとっては全く正反対ともいうべき言葉だったのです。
「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」とは阿弥陀仏、つまり、仏の名前を唱えること。これに対して「ナムミョウホウレンゲキョウ(南無妙法蓮華経)」とは法華経、つまり、お経の名前を唱えること。「仏名を唱えれば誰でも来世は救われる」と説いた念仏宗を、現世の問題から目を背けさせる邪教と痛烈に批判し、釈迦の教えの最高のエッセンスが集められた法華経をこそ国の礎に、と説いた日蓮さんにとっては天と地ほど差のある言葉だったのです。
これに対して臨済宗の一休さんはどう返答したか。「法華経の心も分からない私なぞが南無妙法蓮華経と唱えることこそ祖師(日蓮聖人)に失礼」と答えたのだそうです。さすがは一休さん、含蓄のある軽妙洒脱な名返答。これには流石の日蓮さんもクスリと笑ったに違いありません。
2021年 春・初夏号 紅月劇団 石倉正英
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