祝25周年! 一同カジュに礼!
先だって12月10日に行った2021年の最終公演で思わぬことが起こりました。カーテンコールで挨拶を終え「それでは皆さん、良いお年を」と言いかけたところ、やおらマイクを握っていた役者が割って入り、突然観客席から大きな花束を抱えた女性が現れて・・・何が起こったのかと目を白黒させていたところ、それは劇団メンバーと元スタッフの常連さんが企画してくれた、我が紅月劇団創立25周年のお祝いセレモニーだったのでした。
25周年? すっかり忘れておりました・・・。そんな情けない座長に素敵なプレゼントを用意してくれた彼らには、もう感謝しかありません。彼らとて25周年を祝われる立場のはずなのに。この場を借りて、彼ら、およびこれまで関わってくださった方々、応援してくれた方々、そして何より足を運んでくださったお客様方に心より御礼申し上げます。
が、しかし・・・白状すると、この時僕は心の中でとても失礼なことを考えていたのでした。喜んで然るべきなのに、なぜか変に冷めていて、皆の手前必死に喜ぼうとしている自分がいる。照れとか恐縮とかとは違った、この妙な違和感はなんなんだろう・・・。こんな気持ちでここにいるのがお客さんにもメンバーにも申し訳なくて、早くこの場を終わらせようと、そればかりを考えていました。誠に罰当たりなことです。
ところが、それからしばらくして、お礼の言葉をSNSに投稿しようとしていた時、ふとその答えめいたものに行き当たりました。
ひょっとすると、この違和感こそが25年続けられた所以なのではなかろうか、と。
ちょっとわかりにくい感覚かもしれませんが、もし5年、10年で心底喜び、達成感のようなものを感じていたら、こんなにも続かなかったのではないかと思ったのです。
というのも、一つの公演を行うことはとんでもなく大変な時間と労力を要します。ゆえに、1回目の旗揚げ公演も、7年目の酷評された公演も、20年目の記念公演も、やる側の僕らにとってはどれもが同じように大切で、特別で、愛おしい公演なのです。これまでひたすら見つめ続けてきたのは、そういった目の前の公演一つ一つだったのだ。バカの一つ覚えのように、飽きもせずそれをやり続けてきた結果、気がつけば25年経っていたのだ・・・。そんな当たり前なことに、今更ながらに気が付いたのでした。それゆえ、公演の最中に祝25周年と言われても実感が湧かず、ポカンとしてしまったというのが本当のところかもしれません。
25年といえば四半世紀。この世に生を受けてから大概の人が社会人になる年月。それを考えると大したことのようにも感じますが、25をウィキペディアで調べてみると、こう書いてありました。「25とは自然数、または整数において24の次で26の前である」・・・まさに至言。そうだ、これからもこの失礼な違和感を大切にしていこう!
今年はカジュさんにとっての25周年とのこと。奇しくも僕らのひとつ下ですね。こんなふうに書いておきながらなんなのですが、ただただ目出たく、すごいことに思えます。心よりお慶び申し上げます。
建物にとって、そこで暮らす人々、活動する人々は血のようなもの。100歳を迎える古民家が今なお生き生きと建っている。それがカジュの25年を余すところなく語っているように僕には見えます。
同じ時代を歩んできた盟友に乾杯!
2022年初春
紅月劇団 石倉正英