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涼子の " 旅自慢は拷問なの "

カジュ通信 2020年 春・初夏号

私は旅行の話が嫌いだ。

話している本人は、徳のある話を聞かせてやってるくらいにおもっているから
タチが悪い。
旅先が通な海外なら尚更。「○○紀行」なんて写真まで見せられたりする。
素人の写真で、人を感動させる事は、まず無い。
野生動物でも写っていてくれたらまだいい。「可愛い!」とか「私も見てみたい!」とか、一瞬でも嘘じゃないことを言えるから。

私は映画は好きだ。
「すっごい面白かったよ!」と勧められたら、素直に観てみる。

旅行もそうなのかもしれない。
魅力的なプレゼンをされたら「私も行ってみる!」・・・いや、できない。

映画と旅行、決定的な違いは、易々と真似できないという事。
お金が必要だ。

何とか遣り繰りして旅行を選ぶ人もいる。
その類のひとは、不思議とあまり話をしない。
「○○紀行」の類の人がお土産話をする。
私はその類の人に劣等感を抱いている。

・・・結局、懐も、心も貧しいから、旅行の話が嫌いということか。

認めたくないが・・・コロナな日々、快活な旅行好きより、
卑屈な映画好きのほうが順応するようだ。

負け惜しみで締め。




 

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