涼子の" コロナより強力なもの "
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春。
2年ぶりのカジュ祭。
今年の教室発表は感染予防対策のため残念ながら歌の発表はありませんでしたが、アンダンテ・ピアノストゥーディオの生徒さんたちとハンドベルに挑戦しました♪
チームワークが重要な楽器なので、いつものレッスンとは少し違います。皆の行きを合わせて楽しく演奏できるよう頑張りました。
その成果はこちらの動画!
【ハンドベルの歴史】
今から450年前にイギリスで生まれる。
正式名称は「イングリッシュ・ハンドベル」。
キリスト教の教会の塔の上に、タワーベルと呼ばれる4〜12個の鐘が吊り下げられ、複数の奏者が下から紐を引くことで音が打ち鳴らされる。
このタワーベルの練習用に開発されたのがハンドベルです。
その後、音階によってベルの大きさが変えられ、数も増え、あらゆる曲の演奏ができるようになりました。
◎くのきなおみ◎
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落語好きの友人に聞いた話ですが、ある落語家さんの高座を聴きに行った時のこと、その人が登場するや客席からクスクスと笑いが。その後、高座に座ったきり黙ってじっとしているだけなのに、客席には次第に爆笑の渦が・・・。それからしばらくしてようやく一言「私、まだ何もしゃべっていないんですが・・・」それを聞いた会場は再び大爆笑。沈黙がもたらす笑いなんてあるんだなぁ、と感心した次第です。
似たようなお話をもう一つ。かの文豪・島崎藤村が旧制一高(今の東大)に呼ばれて講演した時のこと、講堂いっぱいに集まった学生たちを前に登壇した藤村は、20分もの間、下を向いたまま黙りこくり、最後にため息を一つ吐くと去って行ってしまった。すると会場は拍手喝采、学生たちは口々に「やっぱり藤村は良い!」と言っていたそうです。20分間の沈黙・・・やる方もさることながら、それをまんじりともせず聴いていた学生たちにも舌を巻きます。
「帰ってきたヒットラー」という映画の中でも似たようなシーンがありました。タイムスリップして現代に蘇ったヒットラーがコメディアンとしてTVの生放送に出演するのですが、カメラに映されて本番が始まってもじっと立ったままひたすら黙りこくっている。慌てふためくスタッフを見てヒットラーは心の中でこう言います。「バカめ、沈黙のもたらす効果を知らんのか。」
映画といえば、昨年久しぶりに素晴らしい映画に出会いました。そしてそこでも沈黙に関する面白い体験をしたのです。
ヨハン・ヨハンソンという音楽家が撮った「最後にして最初の人類」という映画で、1930年に発表された同名のSF小説が原作。はるか未来、地球が滅亡する間際の人類が、現在の人類にテレパシーを使って語りかけてくるというお話で、最後の人類からのメッセージをイギリス人の女優・ティルダ・スウィントンが語り、映像は全て旧ユーゴスラビアの社会主義政権が作らせた巨大モニュメント「スポメニック(戦争記念碑)」。そこにヨハン・ヨハンソンの音楽が流れるだけの映画なのですが、この言葉・音楽・映像のマリアージュが実に奥深く、示唆に富んでいて素晴らしかった。
その劇中、終末を予感させる台詞が続いていく中、音楽はとても不安な感じで次第に音量を増し、映像はスポメニックの丸い穴にすっぽりとハマった赤い太陽をクローズアップしていく・・ああ、この後いったい何が起こるのだろう、と知らず知らず胸が高鳴ってきた時、突如、真っ暗になるとともに沈黙が訪れたのでした・・・。その瞬間、僕は心底びっくりしました。そう、大きな音でびっくりすることはあっても、沈黙にびっくりしたのは恐らく生まれて初めての体験でした。その沈黙が何秒続いたか分かりませんが、僕はその間、なんともいえない恐怖に包まれて、ガタガタと震えていたのでした・・・。
笑い、興味、恐怖・・・シチュエーションや意図によって様々なものを生み出す「沈黙」。ヒットラーの言うように、その効果はかくも絶大です。
先日、グラミー賞でのゼレンスキー大統領の演説の中にこんな言葉がありました。「我々は沈黙をもたらされた。どうかこの沈黙をあなたたちの素晴らしい音楽で埋めていただきたい。」さぞ会場のミュージシャンたちの心を打ったことと推察しますが、ふと、そこにジョン・ケージの「4分33秒」という音楽を届けたらどうなるだろうか、と夢想してしまいました。「4分33秒」とは、4分33秒間、全く音を出さないという音楽作品。そこには、その沈黙の中で、その場の環境音を音楽として聴くという裏の意図があります。
もし全世界の人々が、今のウクライナに身を置いてそれを聴いたなら、たびたび繰り返される無闇な戦争もしばらくの間は終わりを告げるのではないか、と。
2022年カジュ通信 春・初夏号 紅月劇団 石倉正英
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