最後の舞台
先日、3年ぶりに大先輩の野口祥子さんという舞踏家さんの舞台をお手伝いする機会を得ました。棟方志功の版画をモチーフにした作品で、今のウクライナにも通じる「祈り」をテーマにした美しい舞台でした。今年78歳になる野口さんですが、その動きは全く衰えず、よくもまあこんなにもしなやかに、かつキレのある動きができるものと感心してしまいます。
彼女の企画に参加するのはこれで3回目。毎回舞台監督という役回りなのですが、一般的な舞台監督とはちょっと違って、稽古にも毎回参加、コメントも求められるのが常でした。演出としての参加のようでもあり、僕も演出家の性質上、毎回真剣に観、作品を良くするべく、厳しく辛口のコメントを言う意識を持って稽古に参加するようになっていました。
ところが、今回はなぜだか野口さんに関しては優しい目で観ている自分がいました。他の出演者には辛口のコメントをしていたにも関わらずです。そして共演者からも「ここは野口さんらしく、このままで良いのでは」といった優しい言葉が多く出て、なんだか皆彼女に気を遣っているようでありました。
その理由が明かされたのは千秋楽を終えた打ち上げの席でした。野口さんから「私の企画公演はこれで最後にします」という言葉が・・・。彼女らしく涙などなく、実にからりとした宣言でした。踊りはこれからも続けるけれど、自主企画の舞台はもう大変で・・・ということのよう。78歳という年齢を考えれば至極当然のことのようですが、皆一様に寂しさを感じた打ち上げとなりました。
どんな仕事でも引き際というのはとても大切で、難しいタイミングだと思います。サッカーのカズ選手のように55歳を過ぎてもまだ現役にこだわる人もいますし、全盛期に最高の結果を残すところでやめる人もいる。
芝居においては、どんな年齢でも、それ相応の役というものがあり、70歳を過ぎてもまだ駆け出しと言われる文楽のような世界もある。舞踏の世界でも、思うように動けなくなったらおしまいかというと、そうでもなく、大野一雄さんのように車椅子で踊る人もいる。
まこと絶対的な終わりのタイミングというものはなく、ひとえに自分が終わりにしようと思った時が引き際なのでしょう。こと舞台という世界では、その引き際が、やる人と見る人たち双方でたまたま一致した時にこそ「有終の美」というものが現れ出るような気もします。
今回、6場で構成された作品の最後の場は、棟方の版画「華狩頌(はなかりしょう)」をテーマにしたシーンでした。馬の動きから矢を放つ動き、祈りを経て最後に花を咲かせる・・・。今思うと、参加していた皆が終わりを感じていたがゆえに、最後のそのシーンにとても良い形で「有終の美」が現れ出たように思います。
自分がどう最後の舞台を迎えるのか、現時点では全く想像もできませんが、最後の「花」に至る彼女の一連の動き、祈りの姿の美しさを、舞台袖から心に焼きつけようと思いながら観ていました。
2018年秋冬号 紅月劇団 石倉正英
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