みゆのぐるんとデンマーク日記Vol.1
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鎌倉の緑が眩しい今日この頃♪
カジュのピアノ室の窓から外の木々が風に揺れるのを眺めているだけで心が癒されます。
春は新しいことに挑戦する季節でもありますね。 逗子教室に通う小学生の女の子 Mちゃんが、全日本子どもの歌コンクールに挑戦し、動画審査を通過して関東地区の本選へと進むことになりました。
小さい時から歌が大好きで今尊敬しているアーティストは MISIA!自分もこんな風に歌いたいと目標を立てながら練習に励んできました。
レッスンに通い始めてから2年半、出せなかった高音も最近は綺麗に出るようになって きました。 コンクールでは教科書に載っていた童謡に挑戦します。童謡は簡単に歌えそうに見えますが、言葉の発音やフレーズのつながりがとても大事になってきます。鏡を見ながら口の形をチェックしたり、振りをつけてみたりと本選まで熱いレッスンが続き ます(^^)
最近童謡は幼稚園や学校であまり歌われなくなっているように思いますが、子どもがテンポよく歌い、物語に入りやすいのも童謡です。私もこの原点を忘れずに、これからもレッスンしたいなと思います。
♪カジュ祭教室発表♪
4月30日(日)13:00~(歌&ハンドベル)
◎くのきなおみ◎
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栃木県日光へ行ってきました。
小学校の修学旅行で行って以来です。東照宮は外国人の人も多く訪れていました。
「三猿」を見て懐かしくなり、「眠猫」はこんな小さかったっけ~?!と驚きました。坂下門をくぐって徳川家康が祀られている奥宮まで、森の中の207段の階段をハァハァ言いながら登りました(笑)。
中でも子どもの頃見た光景を一番思い出した場所は「鳴龍」です。鏡天井に描かれた龍の絵は迫力満点。龍の顔の下で拍子木を叩くと音が反響し、まるで龍が鳴いているように聞こえるというもの。
昔は自分で手を叩いて体感できましたが、 現在は東照宮の方が説明とともに拍子木を叩くという形になっ ていました。静かな空間で拍子木のカーンという響きは、龍も 動くのではないかと思わせてくれる不思議な感覚でした。
この龍の絵が鳴くということは1905年頃偶然に発見されたものとされており、当時掃除をしていた職員が天井に住みついた鳩を追い出すために手を叩いた所、音が反響する現象を発見したそうです。顔の部分のみ音が反響するのは、天井の中央部 が屋根の方へ向けて6cmほど反り上がっているためだそうで す。
みなさまもぜひ世界遺産「日光東照宮」へ行ってみてください。
◎くのきなおみ◎
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法隆寺の夢違観音
梅が香を夢の枕に誘いきて さむる待ちける春の初風
なんとも朗らかな気持ちになる源実朝の美しい歌。これが詠まれたのは、きっとまだ梅が咲くか咲かないかの冬の時分のことでしょう。そんな時、梅の花の香りに包まれる夢を見て、やっと春がやってきた!と思ったところで目が覚める・・・。そう、良い夢というのは得てしてこれから!というところで目が覚めるもの。想い人が登場した夢など、さあこれから楽しい時間が、というところで目が覚めて、その続きを見ようと二度寝するけれども、無常にも全く違う夢が始まってしまう・・・。まこと、世の中は夢であってもうまくいかないものです。
逆に悪夢は、もうだめだ!というところで目が覚めて、あー夢で良かった!と思うもの。皮肉と言いましょうか、世の理と言いましょうか。
皆さんは何度も見る悪夢というのはありますか? 僕は子供の時分、ダムを上から覗いていたり、断崖絶壁のような足のすくむところから下を見ていて、なぜだか、あーもういいや!と、下に向かってダイブしたところで目が覚めるという夢をよく見ました。フロイトの夢判断は、僕にはどうも眉唾なような気がするのですが、この悪夢はまさに無意識の自殺願望の顕れだと言われたら、確かにそうだったかもしれないなという気がします。それほどまでに、子供の頃は大変な毎日を送っていたものです。まー多かれ少なかれ、誰しもあったことだと思いますが。
それが大人になって芝居に携わるようになり、特にここ数年の僕の見る回数ナンバーワンの悪夢は次のようなものです。
舞台の本番が近づいているのになんの準備もできずにいる。そして無常にも舞台の幕は上がり、お客さんがたくさんこちらを見ている。何かしようとするのだけど、何も思いつかず、何もできずにいる・・・そこで目が覚めるという夢です。夥しい寝汗をかいていることは言うまでもありません。本当に恐ろしい夢です!
今年は3年ぶりの鎌倉路地フェスタが開催されることになり、ちょうど今年から始めた一人芝居のプロジェクトで参加することになりました。そこでは澁澤龍彦さんの「ねむり姫」という作品をベースにしたオリジナル戯曲をやるのですが、そのねむり姫と同じ本に収録されているお話に「夢ちがえ」というものがあります。
ある女が、恋焦がれている男を自分のものにするために、その男が恋している恋敵の夢を奪い取ることで男の気持ちを自分に向けようとする奇妙奇天烈なお話。すごい方向から攻める女性もあるものだと感心してしまいますが、昔の人の夢の捉え方は、今のそれとは比べ物にならないほど重いものだったのでしょう。奈良の法隆寺には「夢違観音」というのが残されていて、これは悪夢を良い夢に変えてくれるありがたい観音様なのだそうです。
西洋のねむり姫、すなわち「眠れる森の美女」は、悪い魔女の呪いによって100年もの間延々と眠らされるわけですが、その呪いを緩和してくれた良い魔女の魔法によって、100年の間、楽しい夢ばかりを見て全く飽きなかったのだと言います。今回僕が上演するねむり姫の主人公、鎌倉時代の京の都のお姫様も、長い眠りについている間、楽しい夢を見られたのでしょうか・・・。
カジュ通信 2023年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英
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昨年12月に「独裁者のシンフォニー」という作品を上演しました。世界中の悪名高い独裁者に集まってもらって、今地球が直面している環境問題を解決してもらおうという内容。ポイントは意のままに各国民を操ることができる反面、危険な爆薬ともなりうる独裁者をいかにうまく操るか、というところなのですが、作品では案の定失敗してしまいます。
この作品を作っているとき、ふと、一見すべてを意のままに操っているように見える独裁者も結局は何者かに操られているのではないか、という妄想にかられました。 それで、これらの独裁者を糸操りの人形のような動きの演出にしては、と思ったのですが、これがなかなかうまくまとまらず、最終的にはサンダーバードのような「人形振り」のぎこちない動きを採用するに至りました。
操り人形は、古来より世界各地に伝わっていて、日本にも「江戸操り人形」と呼ばれる主要な関節に付けられた十数本の糸で緻密に人形を操るものや、黒子三人で一体の人形を操る文楽などがありますね。
ヨーロッパにもチェコをはじめ各地に操り人形の形態が残っていますが、テアトル・ド・ソレイユというフランスの劇団が日本の文楽をモチーフにした演劇作品は、一人の役者を文楽人形に見立て、二人の黒子役の役者がそれを操るという演出のものでした。
面白いなと思ったのは、特にヨーロッパの操り人形では人形をコントロールして意を表現する、いわば「使役タイプ」なのに対して、日本のそれでは、操り手は自分を消して黒子に徹し人形を「生かす」ことに重点が置かれている、いわば「滅私奉公タイプ」。国民性の違いと言いましょうか。
「操り」というと宿主を意のままに操る寄生虫がいるというから驚きです。吸虫という虫の一種の成虫の住処は牛の肝臓。その吸虫が卵を産むと、卵は牛のフンと一緒に排泄されカタツムリに食べられる。カタツムリの中で幼虫が孵化すると、カタツムリはその幼虫を保護嚢で覆い甘い粘液と一緒に吐き出す。それをアリが食べると幼虫はアリの脳に入ってアリをコントロールし、草の高いところに上らせて牛が草と一緒に食べてくれるのを待つ。そして牛がそれを食べるとアリだけが消化され、成虫となって牛の肝臓に住み始めるというのです。何ともゾッとするような操りライフサイクル・・・。吸虫にはこのほかに、鳥の体内に住むためにまず餌となる魚に寄生し、鳥の目につきやすくするために宿主の魚に「死のダンス」をさせるものまであるそうです。恐ろしや・・・。
人間も皮膚の表面から内臓に至るまで、夥しい微生物や小さな虫と共存しています。ん? 昨夜しこたま飲んだ帰り道、いけないいけないと思いつつもラーメンを食べてしまった、あの我が意に反する行動をとらせたものはひょっとして・・・。
案外、人間を操っているのは、とても小さな生き物なのかもしれません。
2023年新春号 紅月劇団 石倉正英
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