小栗上野介(群馬・東善寺)
今、小栗上野介をテーマにした戯曲を書いています。
小栗上野介と聞いてピンときたあなたは相当な幕末通! 恥ずかしながら僕なんぞは、このお題を頂いた時「ああ、小栗判官ですね、それは面白そうだ」と答えてしまいました。
そうです、小栗判官と小栗上野介はまったくの別人物。しかも小栗判官は伝説上の人物。それに対して小栗上野介は実在した人物で、江戸末期に遣米使節団にも目付として参加し、勘定奉行等々を歴任、そして横須賀に日本初の製鉄所を作り、これまた日本初の西洋式ホテル・築地ホテルを作った近代日本の父の一人。
しかしこの二人に共通しているのは、いずれも無惨な死を遂げたということなのです。
小栗判官は、神奈川の藤沢他各地に伝説が残っていて、常陸国の小栗城城主・小栗満重をモデルにして創られた人物と言われています。
その土地によってストーリーは違うようですが、藤沢・遊行寺に伝わるそれは、謀略によって謀反の疑いをかけられ、鎌倉方に攻め落とされた小栗判官が三河へ脱出をはかる最中、藤沢に差し掛かったところで日が暮れ、親切にも宿を提供しようと申し出た横山太郎という者の屋敷に泊まることにします。しかし、この横山太郎というのは、実は小栗の持ち金目当ての盗賊で、結果、小栗は毒殺されてしまうのです。
かたや小栗上野介は戊辰戦争勃発後、東国に攻め上がる薩長連合軍に対し、真っ向勝負、徹底抗戦をとなえ、箱根を越えてきたところで陸と海から撃退する秀逸なプランを提案するも、弱腰の将軍・徳川慶喜は勝海舟のとなえる無血開城恭順プランを採択。その後小栗を罷免してしまいます。
ちなみに、後々日本陸軍の創始者となる薩長連合軍の司令官補佐・大村益次郎は、事後、小栗の提案したプランを耳にすると震え上がり、あれが採択されていたら今頃自分たちの首はなかっただろう、と述懐しています。
ともあれ、小栗は驚くほど潔く身を引き、代々の知行地である上州・高崎の権田村に引きこもりますが、小栗を恐れた薩長連合軍に難癖をつけられ、なんの取り調べもなく斬首されてしまうのです。
二人ともなんとも実に悲運な、無惨すぎる死を迎えたものですが、好対照なのはその死の後のこと。
小栗判官の方は死した後、閻魔大王の同情によってこの世に蘇り、熊野の温泉に浸かって復活すると、見事復讐を果たすのに対して、小栗上野介はその死に際し、納得いかずに大声で異議をとなえる家臣を諌め、「この期に及んだら致し方ない。武士らしく諦めよう」と言って抵抗せずに死んでいく。もちろんその後の復讐劇も祟り話もありません。
実在の人物だからといえばそれまでですが、近代日本の影の立役者であるはずなのにそこまで知名度がないのは、明治政府によってある種意図的に忘却せられたからとも言われています。
にも関わらず「うらめしや~」と化けて出てこないところは、やはり正真正銘の武士だったからなのでしょうか。はたまた、先進国のアメリカをその目で見て、魑魅魍魎が跋扈する江戸の夢から覚めたからでしょうか・・・。
自らの死を不服として蘇り復讐する小栗と、潔くその死を受け入れる小栗。皆さんは、どちらの小栗に魅力を感じるでしょうか。
カジュ通信 2023年夏号 紅月劇団 石倉正英