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遅読家の憂鬱

Photo_20240421183201行間は踊る、されど進まず

 今、今年取り組む作品のテーマとなる平家物語を読み直しています。が、膨大なページ数なので、人一倍読むのが遅い僕であるがゆえ、遅々として進まず、年明けから読み始めてまだ平清盛が元気に生きています。笑 この調子では、読み終える前に稽古がスタートしてしまうのではないかという危惧が頭をもたげてきています・・・。

 まこと僕から見ると周りの人の文字を読むスピードはめちゃ速い。よく美術館や博物館で説明書きを読んでいて、ふと気がつくと渋滞ができている。そこで「速く読めよ」プレッシャーを受けるのです。げに世の人々は何故にそれほど速く読めるのでしょうか。

 文字を読むスピードは何に左右されるのでしょうか。鍛錬? 性格? 頭の回転?

 読書スピードが上がれば、それだけ短時間で多くの書物が読めるわけで、生涯の読書量に大きな差ができてしまう。そこまで大袈裟でなくても、僕のように脚本などを書く人にとっては、下調べの時間が大いに節約されるわけで、非常に効率が良くなるはず・・・。が、速く読もうと頑張ってはみるものの頭が追いつかず、どうしても速く読めないのです。速く読める人は頭の回転が良く、理解力も高いのでしょうか。

 しかし、同じように読書スピードが遅いと自白する同士が過去に二人おりました。

 一人は脚本家の宮藤官九郎さんで、前にTVのインタビューで、はじめにこの作品の原作を渡されたのだけど、自分は人一倍読むのが遅いので、これをまともに読んでいたら読み終える前に〆切が来てしまう、よって、あらすじだけを読んでこの脚本を書きました云々。

 もう一人は湯布院の民泊のオヤジさん。いわく「俺ほど読むのが遅い人間はいない。その代わり、俺ほど読んだ本を理解できる人間もいない」。あっぱれ!

 とはいえ、読書スピードと内容を理解するスピードが一致するとも思いません。簡単な本ならまだしも小難しい本や複雑な推理小説などは、さらっと読んだだけではとても理解できるものではない。ひょとすると読むのが速い人は先に一通り読んでしまってから内容を吟味するのかな・・・とここまで書いてきてふと気がつきました。考えてみると、僕は黙読でも音読と同じ速さ、作者や登場人物がナチュラルに発語する速さで読んでいる! 遅いはずじゃん(笑)。これはもう役者のサガなのかもしれません。じゃあ気にせずゆっくり読みゃあいいじゃないか。おっしゃる通り。でも〆切があるとそうも言っていられない・・・。

 が、何故だか今回平家物語を読み始めた時、ふと、焦らずあえてゆっくりと一字一句吟味しながら読んでみよう、と思ったのでした。開き直りというよりは、これはある種のお告げのようなもの。

すると、なんだか行間に、そこには描かれていない人々の声や振る舞いのようなものが立ち現れてきて、イマジネーションがえらく活性化されてくる。文字化されていない世界が広がり、膨大な人々の悲喜交々が見えてくるような気がするのでした。

そうか、叙事詩とはそういうものなんだ・・・。

おかげで芝居の構想を描きながら読み進めることができています。これはきっと良い脚本ができるに違いない! 稽古スタートまでに読破できるかどうかは保証の限りではありませんが・・・。

 

2024年初春 紅月劇団 石倉正英

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