邪宗門
我は思ふ、末世の邪宗、切支丹デウスの魔法。
黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭きあんじゃべいいる、
南蛮の桟留縞を、はた阿刺吉、珍酡の酒を・・・
このわけの解らない、それでいて何とも魅惑的な言葉の数々は・・・北原白秋の「邪宗門秘曲」という詩の出だしです。
白秋が好きな方にとっては釈迦に説法ですが、いくつか聞きなれない言葉を現代語訳すると・・・加比丹(カピタン)=船長、あんじゃべいいる=カーネーション、阿刺吉(アラキ)=ナツメヤシの酒、珍酡(チンタ)=ワイン。
白秋がこの詩を含んだ「邪宗門」という詩集を世に出したのは1909年(明治42年)、24歳の時。これが彼の処女詩集で自費出版、全く売れなかったとのこと。その後第二詩集「思ひ出」がヒットして、邪宗門もすぐに再評価されたよう。明治42年というよりは、江戸時代に視点を移して読むと、より魅惑感が増すような気もします。キリスト教世界への「あくがれ」を思わせるような・・・。
昨年末の一人芝居x音楽の公演がちょうどクリスマスの日だったこともあり、また会場がガレージのような世界各地の種々雑多なモノであふれる空間だったこともあり、この邪宗門秘曲をオープニングに読んでみたのですが、声に出して読んでみると、なお一層香りが立ち、言葉の一つ一つが立体化して、その不思議さが膨張してくるのを感じ、まるで香りの強い60度はある酒を飲んでしたたかに酔っていくような感覚に陥りました。これを24歳で書き上げるとは・・・白秋恐るべし。
僕がこの詩に出会ったのは確か中学生の頃だったと思いますが、それはちょっと意外な場所ででした。
新潟の関越道・塩沢石打ICのすぐ近くにとても雰囲気の良い喫茶店があって、実家から車で1時間くらいだったこともあり、その方面にドライブすると、珈琲好きな母の希望によって必ず立ち寄っていたお店だったのですが、そのお店の名が「邪宗門」だったのでした。そして注文票の裏側にこの詩が味のある字体で書かれていたのでした。行くたびにこれは何と読むんだろう、どんな意味なんだろうと皆で話すのもそのお店に行く楽しみの一つでありました。あえてメモするでもなく、意味を調べるでもなく、ただその言葉の魔力に酔うのが面白かった。
今から十数年前のこと、母を連れて邪宗門の近くの蕎麦屋で昼食を食べた時、ふと窓の外を見ると、少し離れた森の端をたくさんの猿が移動していくのが見えました。「あんなに猿がいるんですね」とお店の人に話しかけると、「こんなに多く出てくるのは珍しいですね」とお店の人も少しびっくりした様子。その後、久しぶりに邪宗門に入ると、店にいたお客さんたちが興奮した様子で「大丈夫でしたか?」と尋ねてきました。それに対して母が「猿!? 猿が出たの!?」と返し、店内は爆笑に包まれたのですが、実はその直前に東日本大震災の1回目の大地震があったのでした。僕らは車に乗っていて気が付かなかったのですが、きっと猿たちは事前に危機を察知して安全なところに逃げていたのでしょう・・・。
恐らく僕だけでなく、多くの人たちにとって印象に残るであろう喫茶店「邪宗門」は今も健在。店内はまさにこの詩の世界観を体現しています。お近くに行かれた際はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょう。
カジュ通信 2025年新春号 紅月劇団 石倉正英
| コメント (0)