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2025年3月

邪宗門

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Cafe邪宗門

 我は思ふ、末世の邪宗、切支丹デウスの魔法。

 黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、

 色赤きびいどろを、匂鋭きあんじゃべいいる、

 南蛮の桟留縞を、はた阿刺吉、珍酡の酒を・・・

 

 このわけの解らない、それでいて何とも魅惑的な言葉の数々は・・・北原白秋の「邪宗門秘曲」という詩の出だしです。

 白秋が好きな方にとっては釈迦に説法ですが、いくつか聞きなれない言葉を現代語訳すると・・・加比丹(カピタン)=船長、あんじゃべいいる=カーネーション、阿刺吉(アラキ)=ナツメヤシの酒、珍酡(チンタ)=ワイン。

 白秋がこの詩を含んだ「邪宗門」という詩集を世に出したのは1909年(明治42年)、24歳の時。これが彼の処女詩集で自費出版、全く売れなかったとのこと。その後第二詩集「思ひ出」がヒットして、邪宗門もすぐに再評価されたよう。明治42年というよりは、江戸時代に視点を移して読むと、より魅惑感が増すような気もします。キリスト教世界への「あくがれ」を思わせるような・・・。

 昨年末の一人芝居x音楽の公演がちょうどクリスマスの日だったこともあり、また会場がガレージのような世界各地の種々雑多なモノであふれる空間だったこともあり、この邪宗門秘曲をオープニングに読んでみたのですが、声に出して読んでみると、なお一層香りが立ち、言葉の一つ一つが立体化して、その不思議さが膨張してくるのを感じ、まるで香りの強い60度はある酒を飲んでしたたかに酔っていくような感覚に陥りました。これを24歳で書き上げるとは・・・白秋恐るべし。

 僕がこの詩に出会ったのは確か中学生の頃だったと思いますが、それはちょっと意外な場所ででした。

 新潟の関越道・塩沢石打ICのすぐ近くにとても雰囲気の良い喫茶店があって、実家から車で1時間くらいだったこともあり、その方面にドライブすると、珈琲好きな母の希望によって必ず立ち寄っていたお店だったのですが、そのお店の名が「邪宗門」だったのでした。そして注文票の裏側にこの詩が味のある字体で書かれていたのでした。行くたびにこれは何と読むんだろう、どんな意味なんだろうと皆で話すのもそのお店に行く楽しみの一つでありました。あえてメモするでもなく、意味を調べるでもなく、ただその言葉の魔力に酔うのが面白かった。

 今から十数年前のこと、母を連れて邪宗門の近くの蕎麦屋で昼食を食べた時、ふと窓の外を見ると、少し離れた森の端をたくさんの猿が移動していくのが見えました。「あんなに猿がいるんですね」とお店の人に話しかけると、「こんなに多く出てくるのは珍しいですね」とお店の人も少しびっくりした様子。その後、久しぶりに邪宗門に入ると、店にいたお客さんたちが興奮した様子で「大丈夫でしたか?」と尋ねてきました。それに対して母が「猿!? 猿が出たの!?」と返し、店内は爆笑に包まれたのですが、実はその直前に東日本大震災の1回目の大地震があったのでした。僕らは車に乗っていて気が付かなかったのですが、きっと猿たちは事前に危機を察知して安全なところに逃げていたのでしょう・・・。

 恐らく僕だけでなく、多くの人たちにとって印象に残るであろう喫茶店「邪宗門」は今も健在。店内はまさにこの詩の世界観を体現しています。お近くに行かれた際はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょう。



カジュ通信 2025年新春号 紅月劇団 石倉正英

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フォンテの畑から02

こちらの記事は、鎌倉のトラットリア・フォンテさんからの「食」へのメッセージです。

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涼子の"輝けポンコツ"

カジュ通信 2025年新春号

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きし亀子の歴史散歩18

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紙芝居師なっちゃん28

カジュ通信 2024年 新春号

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たねのなか32

カジュ通信 2025年新春号

 

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鎌倉もののふだより

カジュ通信 2025年新春号

 

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めんどくさい

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掃除後3日目の水槽

 

 「何見てるんですか?」「見ますか?」「(水槽を覗く)何もいない」「いますよ藻が」

 このCMによれば藻は世界の食糧問題を解決する可能性を秘めているのだとか。分かります分かります。それくらい藻の成長力、繁殖力は半端ない。というのも僕は日々それを痛感させられているのですから。

 そう、何を隠そう、いや何も隠す必要は無いのですが、僕はかれこれ20年近く熱帯魚を飼っていまして、この藻の生命力にはほとほと悩まされているのです。目に見えるか見えないかの断片が水槽に入ったが最後、2週間後には立派な緑色のリボンを漂わせている。それは取っても取っても再生される。水を総取っ換えしても無駄。魚とともに入り込んでしまうのです。

 様々な対策がことごとく失敗に終わった結果、僕がたどり着いた結論は悟りのような境地です。すなわち生えても良しと認め(諦め)、こまめに掃除すること。そう、藻が元気だと魚も元気、ある意味健全な水環境なのです。藻は悪者じゃない、悪者じゃないけど掃除するや否や翌日にはうっすらとガラスが緑色になってくるのを見ると憎たらしく思えてくる・・・そう、水槽の掃除というのはそれほどめんどくさいことなのです。と言ってるうちにまた藻が! あーめんどくさい!

 前置きが長くなりました。こんな風に世の中というのはめんどくさいことだらけだとは思いませんか? 掃除、洗濯、料理に後片付け、会議、打合せ、日々の仕事、初めてのグループでのパーティ、犬の散歩・・・。僕にとっては脚本を書くのも、稽古に行くのもめんどくさい! ものぐさな人でなくても、誰しも一日に数回はめんどくさいと思うのではないでしょうか?

 思うにめんどくさいという思いは、そういった物事を始める直前に湧き上がる感情のような気もします。一旦始まってしまえばめんどくささなど忘れて没頭したり楽しんだりできる。ものにもよると思いますが。そして結果、水槽は奇麗になり至福の瞬間を味わうことができる。あー美しい、熱帯魚を飼ってて良かったー! めんどくささとは幸せを味わうための通過儀礼なのでしょうか。

 「めんどくさい」とは「面倒臭い」という不思議な字を書く。「面倒」という漢字にはいったいどんな意味が?と調べてみたら、あにはからんや「目どうな」という言葉が変化したものなのだそう。「どうな」とは無駄という意味で「見るのも無駄」という言葉からきているのだとか。いつしかそれに「ん」が入って「面倒」という当て字をしたのだと。本来は「見るのも無駄っぽい」といったところでしょうか。

 口に出したことは言霊となってそれが本当になるような気がして、こと芝居の準備に携わる時はめんどくさいとは心では思っても、けっして口に出しては言わないようにしています。口に出したが最後、その作品が悪いものになってしまうような気がして。そう、口に出したらきっと「見るのも無駄な芝居」となり、面(メンツ)が倒れる=立たない作品になってしまうのではないかしらん。

 でも、少し前に、かの宮崎駿監督のドキュメンタリーを見ていたら、アニメの原画を描いているとき、しきりに「あーめんどくさい」を繰り返していました。めんどくさいと言おうが言うまいが作品の出来には関係が無いようです。



カジュ通信 2024年秋・冬号 紅月劇団 石倉正英

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フォンテの畑から01

こちらの記事は、鎌倉のトラットリア・フォンテさんからの「食」へのメッセージです。

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涼子の"出来過ぎのラプソディー"

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きし亀子の歴史散歩17

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紙芝居師なっちゃん27

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たねのなか31

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鎌倉もののふだより

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キノコの怪



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泉鏡花きのこ文学集成(飯沢耕太郎編.作品社)

 

 今、頭の中にキノコがたくさん生えています。といってもやばい病気にかかっているわけではありません。単に8月下旬に予定している芝居の題材がキノコなので、頭の中がキノコでいっぱいになっているのです。
 なぜキノコなのかというと、先日キノコ文学研究家なる方と出会い、その方がこの度「泉鏡花きのこ文学集成」なる書物を出版され、その記念イベントでキノコの芝居をやっては?とありがたいお誘いを受けたからなのでした。

 ちょっと待って・・・キノコ文学なんてジャンルがあったっけ? それがあるんです。定義は単純明快、キノコが出てくる文学であればそれはすべてキノコ文学とのこと。面白いところに目をつけられたものです。

キノコは生物学的に言うと菌類に分類されます。菌類と言われるとカビや細菌、病気を引き起こすものも連想されあまり良いイメージが無い。一方で酵母菌のように美味しいパンや味噌、醤油などを作ってくれるものでもある。キノコも美味しいものもある一方で毒や幻覚作用を持っているものもあり、虫の体を乗っ取ってそれを栄養分にして成長する冬虫夏草などという恐ろしいものまである。

驚くべきは菌類というのは植物でも動物でもなく、その中間的な存在なのだそう。人間にとっては毒キノコであっても、その根のような菌糸を地中深くに張って、木が栄養分を吸収するのを助けたり、木と木のコミュニケーションを司っているという説もある。我々の認識するキノコは、その菌糸ネットワークからほんの一瞬、地表に顔を出したものに過ぎないのです。雨が降った翌朝、思いもかけぬところに驚くべき色形をしたキノコが生えていることがある。雨後の筍ならぬ雨後のキノコ。しっかし、なにをどうしたらこんな短時間にこんな奇妙な形のものを形成させられるのか・・・不思議です。

狂言に「茸(くさびら)」という作品があります。ある男の家に得体のしれない巨大なキノコが生えて、取っても取っても生えてくるので気味が悪くなり山伏に祈祷をお願いする。ところが山伏が祈るごとにキノコがどんどん増え、最後にはひときわ巨大で毒々しい奴が出てきて「取って食おう、取って食おう」と言いつつ主人と山伏を追い掛け回すというお話。実に面白い作品ですが、いみじくも人間とキノコの関係を良く表していると言えるかもしれません。

子供のころ、父は秋になると良く山に入ってキノコ採りをしました。ある時、それは見事な大株の舞茸を見つけました。舞茸はブナの切り株に生えるキノコで、ご存じの通りとても美味しいキノコ。今では養殖モノもたくさん出回るようになりましたが、かつては養殖がとても難しく天然物しか手に入らなかった。しかも、滅多に見つからないことから見つけると嬉しさのあまり舞を舞ってしまうことから舞茸と名付けられたとか。その時の父も踊りださんばかりの嬉しさに即座にごそっと取って喜色満面で帰ってきました。が、後日キノコ採り名人にその話をしたところ「危なかったねー」と言われました。いわく、舞茸の下は蝮の寝床になっていることが多く、良く舞茸取りが蝮にかまれて死んでしまうのだそう。それゆえ、まずは蝮がいないかを良く確かめてから取るのが鉄則とのこと。その日の父は本当にラッキーだったのでしょう。ご相伴に預かった僕たちもまた。

カジュ通信 2024年夏号 紅月劇団 石倉正英

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涼子の"ほしい一言はそれぢゃない"

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たねのなか30

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紙芝居師なっちゃん26

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鎌倉もののふ隊だより

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きし亀子の歴史散歩16

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