特別寄稿(Contribute)

鎌倉に古い町名を復活させる

カジュのある二階堂に隣接して「西御門(にしみかど)」という町名がある。一丁目と二丁目があるが、かつてこの二丁目界隈は「東御門(ひがしみかど)」という地名であった。これは三度移転したといわれる鎌倉幕府の最初の建物、大蔵幕府(現在の清泉小学校)の東西南北にそれぞれあった門に由来する。南御門、北御門はすでに完全に地名からは消えており、東御門も住居表示からは消え、「西御門二丁目」の表示となっている。
鎌倉は京都に模して、風水の「四神信仰」を鑑みて建設された都市といわれる。当然、「方角」には大きな意味があり、現存する寺社仏閣の位置にも、それを念頭においた歴史的由来がある。それらを無視して「東」をいとも簡単に「西」にくくってしまうのは、少々乱暴な気がして長年気になっていた。カジュ界隈の「大蔵」、瑞泉寺界隈の「紅葉ヶ谷」、極楽寺界隈の「月影ヶ谷」、そのほか鎌倉十井、塔の辻、塔の窪など、自宅住所に記すことができたら、さぞや心楽しかろうと思われる地名は数知れないが、そのほとんどは住居表示から消えている。

住居表示の変更などはどこが行なう仕事なのだろう。古い歴史的地名を復活させるとしたら、どのような活動が有効なのだろう。

昭和37年に制定された住居表示法を受け、今日に至るまで全国で住居表示改正が行なわれているが、郵便、流通面で便利になった一方で、先人が残した自然災害を警告する地名や歴史的地名の多くが姿を消しているという側面もある。
改正は市町村単位で行なわれることが多いようで、鎌倉に関しては鎌倉市役所市民課住居表示担当が事にあたっている。実際、昭和37年より、鎌倉でも順に住居表示が改正されており、鎌倉市HP : 鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況にその経過が公開されている。
改正に当たってはまず、その地域に対して説明会などを行い、鎌倉・大船警察、関連地域の自治会役員、商工会議所、東京電力などをメンバーとした審議会が市民課を事務局として立ち上がる。その際、要望があれば50人以上の署名をつけた要望書を出すと、この審議会にかけられる。今のところ、これまでの改正で古い地名の復活という例はないといい、また、既に改正が終わっている地域については、古い地名の復活のための制度は鎌倉市にはない。ただ改正に伴って生じる関連市民・企業の経済的負担(名刺やチラシの刷り直しなど)を軽減する支援制度は設けられている。

そんな中、歴史的地名の復活に成功した石川県金沢市に電話取材した。金沢は周知の通り加賀藩によって栄えた城下町で歴史的地名が数多く残っていたが、昭和37年以降、やはり次々と消え去っていた。がそれを惜しむ声が上がり、平成3年、経済同友会が旧町名の復活について提言を行ない、平成8年3月には市議会おいて旧町名復活について質問があり、住民の総意による復活要望があれば、検討する旨市長が答弁し、以来今日までに、主計町(かずえちょう)、飛梅町、下石引町、木倉町、柿木畠など11の旧町名が復活している。その経緯については金沢市のHP : 旧町名復活の歩みに詳しい。平成16年には「金沢市旧町名復活の推進に関する条例」が市議会で可決している。取材した金沢市市民共同推進課の話によれば、「私たちは単にノスタルジーで旧町名を復活させようとしたのではありません。いちばんの目的は、少子高齢化をふまえた『コミュニティ再生のきっかけづくり』にありました。また、旧町名が復活することにより、観光事業への経済効果も望めると考えました。」
大きなくくりに飲み込まれ消えてしまう人と人との触れ合い精神=コミュニティづくりに古い地名が一役買うに違いない、またそれが町の経済の発展にもつながると考えた金沢の人々のセンスに拍手を送りたい。(事実、最初の提言が教育委員会などではなく、経済同友会によって行なわれていることからも生活に密着した問題として旧町名復活をとらえていることがうかがえる)

同じ観光都市である鎌倉も、この例に学べることは多いと思う。調べてみて、この問題に取り組むとき、国や県を動かさずとも市のレベルで運動ができることがわかったのは大いなる希望である。ただ、実際に取り組みだせば高い壁も多く道のりは険しいに違いない。まずは私たち市民が鎌倉に残された古い地名についてよく知ること(知れば愛さずにいられない地名がたくさん!!)からはじめてみるのがよさそうだ。

今すぐ古い地名を住居表示に反映するのは無理にしても、せめて不動産、建築関連の企業を巻き込みながら、マンションやアパート、店舗の名前に美しい鎌倉の地名がひとつでも多く使われるよう働きかけるところから、私たち一人一人が動き出してみるのはどうだろう。「シャトー○○」も悪くはないが、「月影寮」「獅子舞荘」「琴弾庵」などが町にあふれたら、鎌倉に住んでみたいという人は今よりもっと増えるのではないかと、そして子どもたちが地名の由来を知って、もっと自分たちの町に誇りと愛情をもってくれるのではないかと、心密かに思う、今日このごろ。

文責 : たなか牧子

<<協力>>
 ・鎌倉市役所 市民課住居表示担当
 ・金沢市役所 市民共同推進課
<<鎌倉の地名を知る>>
・「鎌倉の地名由来辞典」 三浦勝男/著  東京堂出版
・「かまくら子ども風土記」 2000円 鎌倉市教育センター(市役所内)他にて販売

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「紡ぎのギルド(組合)」 ニュージーランド生活(4)

カジュ通信2010年秋・冬号 より

「紡ぎのギルド(組合)」 ニュージーランド生活(4)

早いもので、これを書いている今はもう10月、みなさんがこれを読む頃は11月でしょうか。
日本では、金木犀が香っていると聞きました。あの香りはもちろん、オレンジの小さい花が落ちている様子もなつかしいです。あの粘土で作られたような、ぷっくりした花びらが好きです。
ここ、南半球のNZでは、10月は春と初夏の中間です。そして驚いたことに、桜をあちらこちらで見ることができます。庭先に植えられていることが多く、今のところお花見をしている人は見たことがありません。ソメイヨシノや山桜以外の、今まで日本では見たことのなかった種類の桜も多く見かけました(ただ 単に詳しくないからかもしれませんが)。

最近、念願だった紡ぎのギルドに通い始めました。NZには、「Creative Fibre(イギリス英語でFiber)」という名前の、「紡ぎ/染め/編み/織り/フエルト、またはflaxで作るのが好きな人たち」が集まる大きな組合があるのです(まるでカジュみたいですね(笑))。
意外に規模は大きく、HPによると3千人が参加しているそうです。さすがは羊が人より多い国だと思います。

私は、自分の家から近い、紡ぎと編み物のギルドに2週間に1回参加しています。だいたい、参加者はいつも10人前後で、年配の方が多いです。
小さい紡ぎ車を持ってきて紡いでいる人もいれば、編み物をしている人もいます。(ちなみに、紡ぎ車は、小さい「持ち運び用」と大きい「家用」を使い分けている人がほとんどでした。日本には紹介されていないと思われる、昔ながらの紡ぎ車を使っている人が多いです。いろいろな種類があります。)
私の大好きなスピンドルで紡ぐ人もいて、私がスピニングパーティーで購入した、日本から持ってきたスピンドルを見せたら大喜び、大人気で、「スピンドルのロールスロイス(!)」とまで言われました。確かに日本を離れると、日本の手仕事のすごさというものを強く感じます。
また、おうちで飼っているワンちゃん(サモエドという種類と言っていました。白くてむくむくした犬)の毛と羊毛を合わせて紡ぎ、セーターを編んで着ていたり、庭で取れた植物で染めた羊毛を持ってきたりという人もいます。

そして、おもしろいなと思うのは、このギルドでは言葉の壁を全く感じないということです。バイト先や日常の生活の中では、言葉が出てこなかったり、伝わらなかったりと、悔しい思いをすることもありますが、ここでは紡ぎ/編みだからなのか、それともそれが好きなことだからなのか、通じ合っているという感覚があります。不思議だし、とても嬉しいです。
もしかしたら、手仕事は言葉を超えるということでしょうか。そんな感じがひしひしとします。

文 : むかい りえ
2009年11月より2年の予定でニュージーランド、北島のウェリントンの在住。たなか牧子造形工房の仲間。義母さまから習い、欠かせないものになった糸紡ぎのことやNZの生活について書いているブログ「みはるかす」は必見。

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「捕鯨について」ニュージーランド生活(3)

カジュ通信2010年春・初夏号 より

「捕鯨について」ニュージーランド生活(3)

この間、環境保護団体(時にはその攻撃性からテロリストと呼ばれることもある)、シーシェパードのピーター・ベスーン船長が執行猶予付きの判決を下され、日本からニュージーランドへ帰って来ました。

日本が行なっていた「南極海での捕鯨調査」をやめさせようとした、この事件。日本ではどのように放送されていたのか分かりませんが、こちらでは、常にトップニュースといった扱いで、何か進展があるたびに放送されてきました。国営のテレビからもラジオからも「JAPAN」と聞こえる時は、大方が捕鯨の問題と言っても 過言ではない状況でした。そして、当然といえば当然でしょうが、日本は、「ニュージーランド海域の南極海まで来て、調査捕鯨という名目で、高等な知能を持つ鯨を殺すひどい国」という感じで、血を流した鯨の姿が何度も何度も映像で流されていました。そして、シーシェパードは、このひどい捕鯨を体当たりでやめさせようと した行動力のある団体・・。これから、この船長はもっとメディアに出るでしょうから、これからますます、こういう放送が増えていくかもしれません。

私個人のことを言えば、捕鯨にはいい印象を持っておらず、どちらかといえば反対です。世代的に、給食で鯨の肉を食べたこともありません。関東で生まれ育ったため、鯨肉への馴染みも薄いです。 なので、そもそも鯨を「食べもの」として捉えたことはありませんでした。だから、捕鯨に対する嫌悪感も理解できます。ただ、一方的に日本を「悪」と捉えて違法だと主張するシーシェパードの言葉をそのまま流す、ニュージーランドのメディアのあり方には、疑問を持ちました。ニュースでは、日本人の歴史や立場などは全く取 り上げず、国際法における合法性についても述べられていません。(ただ、この放送を見て、一般のNZの人たちがどう思うのかは分かりません。今のところ、聞かれたこともありません。)

日本にいる時は、「捕鯨を力ずくでやめさせようとする、怖い(困った)団体」と思っていたものが、国が変われば「英雄みたいなもの」になること。価値観がぐらぐら揺らぎます。
でも、この揺らぐことが、大切なんだなとも思います。

                            

文 : むかい りえ
去年11月より2年の予定でニュージーランド、北島のウェリントンの在住。たなか牧子造形工房の仲間。義母から習い、欠かせないものになった糸紡ぎのことやNZの生活について書いているブログ「みはるかす」は必見。

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カラリと綴れば 2

カジュ通信2010年夏号 より

  

6月にホタルを見た。陸ホタルとでも呼ぶのだろうか。川べりから遠くはなれた住宅街の芝生の上でも飛んでいた。源氏ホタルよりも小ぶりで、飛び方も地面からふわっと飛び上がるだけで、地上30cmくらいの高さまでしか飛べない。7時過ぎの夜の散歩はトワイライトの中だったが、ふわりふわりと飛ぶ小さな虫たちのはかなさとは逆に黄色みを帯びた光は強く、幻想的だった。二 階堂川の橋の上からホタルを探したことがかさなって、しばらく足を止めその光景に見入った。2年間は見られないものとあきらめていた・・・ホタル。

来月8月4日を迎えると、早や米国滞在1年になる。ばっさりとそれまでの生活を断ち切って来た。一番堪えるのは社交の幅がぐっと狭まったことだ。子供がエレメンタリーに通う小学生なら、保護者が学校にしょっちゅう出向くような行事や、ボランティアの機会も多いが、我が家の場合は既にミドル、ハイスクールに通う10代だから、学校を通じて現地の人と知り合いになるチャンスは少なくなる。

果たして、ちょうど同じ世代の子供、それも兄、妹という組み合わせも一緒の韓国人女性ソンヒと、娘の通う中学の”back to school”(新学期が始まると、夜に保護者が学校に出向いて教科担任の先生と数分ずつ懇談する日がある)で知り合いになった。私の名前と顔を覚えてくれた最初の日本人以外の人。

アメリカにやってくる韓国人はご想像に違わず教育熱心な家庭が多い。ソンヒも、1年前にこちらに来て半年かけてしたことは、韓国系の塾を4回変わり、ネイティブの英語家庭教師を捜し、息子にはピアノ、娘にはチェロを習わせるための楽器の手配や、個人レッスンの手続きやらで、一番大変だったのは、子供たちに合う塾を捜すことだったらしい。バージニアの韓国人人口の正確な数は知らないが、日本人より圧倒的に多い。近所にアジアンデ−ル(実際の市名はアナンデ−ル)と呼ばれるほどのコリアンタウンがあり、韓国系のレストランやスパが立ち並ぶ。日本人は、コリアンスーパーのおかげで、キューピーマヨネーズもマルコメくんもカレー粉も買うことができる。

一方日本人は、メリーランド州の日本人と協力しあって、日本語補習校を開校しており、学校が日本人コミュニティの拠り所となっている。現在、幼稚部から高等部まであわせて600名近くの生徒が在籍している。その半数は、現地に長い日本人家庭、あるいは国際結婚の家庭の子女で第一言語は英語という家庭だ。
さまざまな理由から日本語教育を手放さない、将来日本に住む可能性が0に近くてもだ。自分の子供がバイリンガルになることで将来プラスに働くと信じてのことだが、学年が進むにつれ7割ほどの生徒は高校までに脱落していく。

ある意味韓国人は母国を捨てている・・・ソンヒのご主人も、息子に「韓国のことは忘れてこちらの勉強に専念しろ」と言うそうだ。もちろん目指すはIBリーグの名門大学。しかしながら、アメリカの大学の世界一といったら「学費」だ。年間数百万から1千万近くかかる。放課後も塾に通い、現地校で優秀な成績を修め奨学金を得てめでたく大学入学、順調に大手金融会社に就職したものの、一時帰国したソウル空港で、兵役をまだ済ませていないという理由で拘束されるという話は冗談ではないともソンヒは言っていた。捨て身でかかっても母国からは逃れられない韓国事情・・・。

1学年の終わりに、ミドルスクールでは、National Junior Honor Societyの入会式が夜に学校でおこなわれた。このソサエティに入会するということは、年間を通じて平均3.7(5段階評価)以上を維持し、学校の勉強のほかに社会奉仕活動を25時間しなくてはならない。
この式典にソンヒ親子と参加した。アフリカンアメリカンで話の上手なタイソン校長は、「今、メキシコ湾で流出している石油を止める手段はまだ解明されていません。それを突き止めるのは、誰でもないyou,you,you(と会場にいる200人近い生徒たちを指さしながら)あなた達だ」と言って、話を進めた。
豊かな国で子供たちに意欲を持たせる言葉とは、どんな言葉だろうと興味があったが、とても具体的な言葉だった。
ちなみに、式典の感想をソンヒに尋ね、韓国の校長先生ならなんて言う?と聞いてみた。「そうね、韓国の校長先生は、まず大学はSKY(ソウル大学、高麗大学、延世大学のこと)を目指せって言うわね。それから、いい会社に入ってよく稼ぐと、奥さんの顔がかわると・・・」こちらもある意味とても現実的な言葉だった。

                                        

(流蛍 2009年8月から米国在住 メールはこちら

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カラリと綴れば 1

カジュ通信2010年春・初夏号 より

  

 アメリカ東部、バージニア州。ワシントンDCの西側のメトロエリア。このあたりには 国内、国際線をあわせて3つ空港があるが、その中でも最大のダレス国際空港から車で20分のところに住んでいる。

  どんなところかと一言で言うならば、鎌倉の道路幅をうーんと広げ片側3車線にし、 家と家、ビルとビルとの間も、広げて広げてカナダの森にあるような木を街路樹に植え、空を見上げれば大空が広がる、太陽が低く昇る、そんなところだ。まだ開発、開発・・・主に道路整備だが、工事があちこちで続く。(というのも、アメリカ人は信号で極力止まりたくないと思っている。そして時速90kで走行するフリーウェイ・・・有料ではなく、信号無しの高速道路の整備に暇がない)。

 4月はこちらも桜の季節だった。このあたりの街路樹の桜は八重桜。ポトマック川のほとりのソメイヨシノは約百年前に日本が贈った。アメリカ人が自ら好んで植えるなら、可憐さより派手さを求めて八重桜を選ぶ。もこもこと桃色の花をつけて3週間ほどで散った。

 初めの頃感じた生活のちょっとした不満は、慣れっこになった。すべて“デザイン不良”に由来すると思っている。音ばかり大きいだけの掃除機、水量の調節がきかない蛇口、水が溜まらないトイレのタンク、形が悪いため一度に流しきれない便器、強風の時はすきま風が入り込むドア、開閉のできない網戸、ひとつひとつ欠点をあげつらっていくと楽しいくらいだ。

 でも、広いから許す。許せないのは、学校でもショッピングモールでもどこのトイレに必ずついているペーパータオルか。だれもハンカチでなんか拭かない。日本人がこちらに住んでどのくらいでハンカチを持つのをやめるだろうか?私はまだバックに必ず入れている。こちらに来て使うバックは1つと決め(忘れ物防止のため)、その中に入れっぱなしというのが正しい。ぜんぜんエコじゃない米国というのは話の種になりそうだ。いつかしてみたい。

 さて、今日は金曜の夜。ナショナルジェオグラフィック・チャンネルでシーザー・ミランの犬番組が放映される日だ。米国でこれほど多くの飼い主が「飼い犬に手を噛まれている」とは知らなかった。困りものの問題犬を、魔法のように手なずけてしまうシーザーは、メキシコから一文無しで20年前に違法入国し、ハリウッドの有名人達が抱える犬の悩みを解決してあげたことから一躍有名になった。

 彼は一言も英語が話せなかったが、夢だけは大きかった。最初はハリウッドで活躍する犬のトレーナーを目指していたが、やがて自分の本当の使命に気づき、今はドッグセラピーをしている。怯える犬、噛みつく犬、外に出たがらない犬。彼に言わせれば犬の問題は飼い主の態度にある、つまりは人間さまの勝手が犬を不幸にしている。だから、犬が犬らしく生活できるようリハビリさせ、飼い主の方もトレーニングする、というのが彼のやり方だ。そして、犬をまさに「猫かわいがり」しようとする飼い主に、時には「今はタッチしちゃだめ」と釘を刺す。今夜はどんな問題犬が登場するのだろう・・・。
私はついつい子育てと重ね合わせて見てしまう。

 それでは、また次回までさようなら。

(流蛍 2009年8月から米国在住 メールはこちら

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「多国籍な暮らし」 ニュージーランド生活(2)

カジュ通信2010年春・初夏号 より

こんにちは。相変わらず、紡いだり染めたりしていますが、ワークビザも取れたので仕事も始めました(言葉の問題を多目に見てもらえそうなお寿司屋さんです)。

日本人は私含め二人だけ、残りは様々なアジアという、多国籍な職場です。考えてみれば、こちらに来る前のNZのイメージは、羊と自然と白人の人たち・・ という感じでしたが、実際に来てみたら、いろいろな国の人がいて驚いたものです。
マオリ、インドやマレーシア、南太平洋の人たち、様々なアジア、アフリカ。中東の人たちもいます。白人でも、生粋のKIWI(NZの人たちは自分たちをそう呼びます)だけでなく、イギリスから来ていたり、オーストラリアからだったりと、 いろいろな国の人がいます。

仕事を始め、いろいろな国の人と接するようになったことと、以前語学学校で出会った人たちのことを考えると、個人の性格というのはもちろんありますが、大きな傾向として「国民的性格」というのもあるなあと思うようになりました。今回はそのお話を少し。

他の国の人と比べると、よく言われるように日本人は「控えめ」な感じがします。和を考える、あまりでしゃばらない、言いかえればまわりの目を気にするというか(自分も含め。)日本にいる時は島だから?と思っていましたが、どうやらそれだけでもないと感じています。韓国の人にも似たものを感じます。儒教の影響なのか なと思ったりもします。中国の人も、ルールに従うという意味では真面目だと思います。愛国心、仲間意識が強いなあと思います。

フィリピンやインドネシアの人たちは、東アジアに比べてどこか明るい感じがします。仕事や勉強も熱心だけど、やっぱり楽しくなきゃね!という感じ。彼らと話していると、もともと根底に「幸せ」があって、何か悲しいことなどがあっても、またそこにいつかは戻るから大丈夫、と思っている感じがします。この感覚、いいな あと思います。

ものごとは、その人の気持ち一つで良くも悪くも取れるのなら、良く取った方がいいと以前から思っていましたが(「なるようにしかならない」のではなく、「なるようになる」)、彼らと会って、もっと強くそう思うようになりました。これはもしかしたら、宗教の影響もあるのかもしれません (フィリピンはカトリック、インドネシアはイスラム教と違いはありますが)。

それから、お客さんとして出会うKIWIは、にこにこしていて楽しそうで、これにも驚きました。もともと、KIWIには感じがいい人が多いなあと思っていましたが、店員とお客さんという立場でもそうだったのには驚きでした。 同じ白人の人でも、全く反応のない人や、笑顔がない人がいると、この人はKIWIじゃないのかなと思ったりしてしまいます。以前習ったイギリス人の語学学校の先生も、KIWIは親切で、フレンドリーだと言ってましたが、この国民性、いいなと思います。
マオリについては、またいずれ詳しく。

                            

文 : むかい りえ
去年11月より2年の予定でニュージーランド、北島のウェリントンの在住。たなか牧子造形工房の仲間。義母から習い、欠かせないものになった糸紡ぎのことやNZの生活について書いているブログ「みはるかす」は必見。

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那須2(=なすのじじょう)

2010年 カジュ通信 新春号より

 皆様こんにちは。以前、北鎌倉に住み(2000〜2002年ころ)、カジュの手伝い、カジュのラジオ番組DJ(古市(現・荒木)涼子のような人と)、カジュで昼寝、などしていた奈穂Aと申します。
フーテンは那須に流れつき、町のALT“とらさん”として小学校で英語を教えています。那須町の小学生の楽力(たのしむ力)はすごい。何かが起きそうです。

 さて、今日はワタクシ、那須親善大使〈無認可〉として、皆様のハートを直撃するすてき空間infoをお伝えします。 ※選考基準1.環境がサイコー、2.主が人として慕わしい、3.こだわりが空振りしてない

◆穀菜茶房・こと葉
 玄米・地元野菜中心のマクロビ料理&スイーツのお店in林。全国からファンがやってくる人気店、なのに店長の森ちゃんが天然・・・→農家さん、友人、お客様のサポートが足し算にもかけ算にもなる「人間っていいなドラマ」の舞台でもあります。
→那須塩原市小結88−32 (0287)62−6411  木夜・金・第3木休

◆bar.×gallery SAKU
 七夕の短冊に「中身が子供でも行けてマスターに人生相談もできて、昼はカフェで、美しくかつ隠れ家なバーに出会えますように」と書いたら叶った。的な。元、板前のマスター・沓澤さんの料理や生き方、彫刻家の奥様の作品や器、、、総合アートです。
 林のあちら側には、松原賢さんのギャラリーが月初めの1週間オープンします。
→ 那須塩原市青木180−113 (0287)64-1251 木・金休14〜24:00

◆Foo−Foo カフェ&ジェラート
 こんなセンスのいい道の駅、ありましょうか?CAFÉ SHOZOに長年勤めた店長さんと聞けば納得。季節ごとの手作りジェラート、お手頃なパン多数(天然酵母もアリ)、平日のビュッフェランチ、、、の後で、広―い青木邸のお散歩も楽しめます。産直野菜、観光infoももちろん豊富。
→那須塩原市青木27 (0287)60-0585   月曜休 9〜17:00〈冬〉18:00(夏)

あらっ、おやっ、那須町大使のはずが、3店とも隣の那須塩原市のお店、、、ドンマイ、色んなイミでパワースポットな那須。ネットでもチェックして、さらに直撃されてください。

早わかり!那須高原・・・写真付きレポート多数。こと葉とsakuものってます。
栃ナビ・・・栃木全体をカバー。体験談あれこれ。

文 : byとらさん(小川奈穂)

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日々のこと(ニュージーランドにて)

カジュ通信2010年新春号 より

ニュージーランドに来て二ヶ月が経ちました。初めての、旅行ではない海外での生活。言葉の問題はまだまだありますが、語学学校にも通いはじめ、様々な国、文化の人たちと話すのが楽しくなってきました。怖がらずにどんどん話せば、なんとかなるものだと日々感じています。(私の住んでいるWellingtonという都市は首都にも関わらず、日本人がそんなにいないので、これも英語を学ぶにはいい環境だと思います。)

こちらに来る前に、ニュージーランドのことについて多少調べていました。
例えば、私の大好きな糸を紡ぐということについて。NZは、羊毛を紡ぐ人が世界で一番多いと聞いていたのですが、残念なことに紡いでいる人や、手編みの帽子やセーターを身に着けている人を全くといっていいほど見かけません。夫は冬(北半 球の夏)からNZにいますが、冬でも手編みのものを身に着けている人はいなかったそうです。でもこれは、ここが北島だからなのかもしれません(南島が本場らしいので)。
今後、南島に遊びに行く時のお楽しみにしたいと思っています。

その他、いくつか、生活してみて見えたことを書きたいと思います。
まず一番は、とにかく植物がおもしろいです。南半球だということ、そして島で、独自の進化をしているということもあるのでしょうが、見たことのない植物がたくさんあり、心奪われています。
これらはマオリ語の名前を持っていることもあり、中には「inaka」や「karamu」「neinei」と言った、日本語みたいな名前の植物もあります(ぜひ染めてみたいものです・・。)

それから、農業国だけあって野菜がおいしいです。私は今まで、にんじんがこんなに甘いものだということを知りませんでした。それから、水もとてもおいしいと思います。(しかも、水道代は無料です!)そして、とにかく牛肉が安いです。(ひき肉で100gあたり\60くらい)。ただ代わりに、鶏と豚と魚はやや高いです。特に魚は、小さい魚を取ることは法律で禁止されているそうで、大きな魚しかありません。魚があまり食べられなくなって、日本の魚文化はすばらしいなと改めて思っています。アジとかサンマとか食べたいです。お寿司もここでは大人気ですが、ね たは主にアボカト、サーモン、ツナ。それにコカコーラを組み合わせて食べているのをよく見かけます。なぜに炭酸・・。日本人にとっては、考えがたい組み合わせですよね。

また、おもしろいと思ったのは中古品の循環です。「family store」という、キリスト教の団体(救世軍)がやっているお店があります。ここに、いらないものを持ってくると格安の値がつけられ、結果としてそれが寄付にもなるというシステムです。品揃えも豊富なので、限られた予算内でうまくやりたい私たちには大変ありがたい存在です。(しかも、それが寄付になっていると いうのも嬉しい)。
そして、ここでおもしろいのは、日本では粗大ごみ行きであろう品物(例えば椅子の足が1本ないとか、たんすの取っ手がなくて開かないとか、そういう)致命的に壊れているものでも普通に売られ、そして買われていくことです。みんな、直して使っているようです。これは、ぜひ真似したいと思いました。
それから、「trade me」というネットオークションもあります。ここでおもしろいのは、仕事や家までもが普通に取引されているということです。(私たちも、今住んでいる部屋をこれでみつけました。)そして驚くべきは、落札した品物は自分で取りに行くのが前提になっているということです。(買う前に、そこをチェックして買います。 宅急便などで送ることはできない、と初めから示されている場合が結構あります。)私たちも、冷蔵庫と洗濯機を落札し、レンタカーを借りて直接出向きました。その時はいろいろなNZ情報が聞けた上、その人が育てたおいしい卵をもらっちゃったりして、とてもおもしろい経験でした。こういう、他人との関わりにおいて、信頼 がベースとなっているのはすごいと思います。人が少ないから可能なのでしょうか・・?

最後に、これはいいなあと思うこと。それはあいさつについてです。例えばバスを降りる時は、運転手に「ありがとう!」と言って降ります。日本のバスと同じぐらいの大きさのバスなので、後ろから降りる時はみんな大声で’Thank you!’と怒鳴ります。運転手は鏡越しに微笑んだり、微笑まなかったりします(微笑まなくてもちょっと嬉しそう)。それから、スーパーのレジでも必ず’How are you?’と聞かれます。「いらっしゃいませ」という一方通行のあいさつではなく、ちょっとした会話が必要なのです。どこへ言っても、必ず声をかけられます。そしてその後、’I’m fine, thank you and you?’、という、中学校で習ったような会話が続いていきます。人と人の会話と、笑顔があります。これは、ほんとにいいなと思います。

                             

文 : むかい りえ
去年11月より2年の予定でニュージーランド、北島のウェリントンの在住。たなか牧子造形工房の仲間。義母から習い、欠かせないものになった糸紡ぎのこと、染めのこと、日々の生活について書いているブログ「みはるかす」は必見。
今回のたなか牧子造形工房教室展では、ニュージーランドの珍しい植物で手染めした原毛をスピンドルで撚った手紡ぎ糸を出品。

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踊って出会うこと

Natsuko

〜ドイツストリートと国際平和村〜

by 伊藤 夏子(タップ・ダンサー)

2008年秋、2週間ドイツへ行きました。そこで出会った事について書いてみたいと思います。

2007年にカジュを中心に行われたトラーベアートフェスティバル鎌倉。 その時、ドイツから娘連れで参加したシャーロッテ(/歌)と、’08年秋にハンブルグ近郊で KYOU(/藤野在住 ピアニスト) がライブをするという話を聞き、その機に私もドイツへ!と予定を合わせました。
仕事の都合でライブには行けなかったのですが、以前から日本国外でストリートパフォーマンスをしたかった ので、相方もいるなんて心強い。折りたたみのタップ板を持参し、KYOU演奏のピアニカ&ジャンベとのセッ ションで、また時には一人で、ハンブルク、リューベック、ベルリンの街角でストリートパフォーマンスをし てきました。

ドイツのストリート事情は、朝10時前や青空マーケットの場所は不可、同じ店の前で30分以上演らない等、 町による最低限のきまりがあり、パフォーマンスは基本的にOKです。でっかいグランドピアノを路上に出して 演奏している人や、家族に見守られる兄弟のバイオリン弾き、歩道一杯に広げた大きな画を描く人、いろいろ な人がいます。
大道芸=道交法違反の日本でのゲリラストリートと比べたら、とても自由な気持ちで行えて楽しい!自分のして いる事が当然だ、と思えるのはうれしい事です。街を歩いている人もパフォーマンスを見慣れていて、気に 入れば一人でもずうっと見ているし、子どもでも楽しんだらにこっと投げ銭を入れていってくれます。その国 の背景がいろいろわかって興味深い「街角で踊る旅」今後は各国行ってみたいので、泊めてくださる方はぜひ おねがいします!
ドイツでは、シャーロッテをはじめ、アーティスト宅ですっかりお世話になりました。あたたかく勇気をくれた ご縁に感謝です!!

このストリート旅の途中、ひとつ自分の予定として決めてあったのは、インターネットでみつけた、 ドイツ国際平和村への訪問でした。
世界各国の紛争地で傷ついた子どもたちをドイツへ運び無償で治療し国へ帰す、という活動をもう40年もして いる組織。そのまま祖国にいては死んでしまう重傷の子だけつれてきており、手術を終えた子どもが回復して 帰国できるまでの間、生活する施設です。私はそこでパフォーマンスさせてもらうことにしていました。

私の中では、日本も支援している他所の国での戦争がピンとこない、新聞で記事を読んでも、それが自分達に とってどういう事なのか、つかめない、こんな事でいいのかな。。。

友人たちと別れ、オランダ国境寄りの町まで電車とバスを乗り継いで4時間半。
到着後、日本人スタッフの中岡さんに施設を案内して頂く。赤ちゃんから13歳位の子どもが半年から1年間 親元を離れて暮らす場所には、地雷等で脚を失った子のための様々なサイズの杖がありました。
皆の日常的なものをパフォーマンスに使いたかったので、ステッキ代わりに一組貸してもらう。顔などがただれ てしまっている子、脚のない子が多く、外傷のない子どもは重い内的疾患を抱えている。
でもそういう事はとりあえず心のわきにどけ、パフォーマンスを始めました。
砂や杖でリズムをつくるパフォーマンス等、興味津々で見ていたみんな、最後のナンバーにタップのアカペラを 始めたら、そのリズムに合わせて手を叩きながら歌いはじめた。私の知らない歌がタップにのって会場が一体に なる! あとで聞いたらアンゴラの故郷の歌だったそうです。
終わったあと広場へ行くとさっき見ていた子どもたちがよってきて、足踏みや杖を鳴らして話しかけてきます。 そのうち、男子は蹴りがどこまであがるか勝負!とか、アンゴラ女子は腰や胸を突き出すセクシーダンスを 次から次へと、これはできる?!と対決を挑んできました。なんだかうれしく、結構ムキになって応戦。 ベールをかぶってひかえめなアフガンの女の子達が、くりっとした目で微笑んでその様子を見ている。

笑顔の皆と別れ、ちょっと寂れた町を眺めバスに揺られているとじわ~と広がる感覚がありました。
あの子たちは私の娘と同じ年頃。つまり今日本で暮らす小学生たちと同じ未来をつくっていくメンバーなんだ なあ。
彼らの「日本人」のなかに一緒に踊った私が含まれるだろうか。私の娘ともいつかどこかで知り合うだろうか。 殺し合いではなくて歌や踊り合いで勝負を決める世界になればいいのにな。武器撤廃。相手の文化をよく見て 自国の文化を再認識すれば、引き分け停戦。そのまま路上で亡くなっていたかもしれない彼女たちが、平和村の おかげで救われてよかった。喜びと希望を持っていてよかった。”今”起きている事はすべてつながっている、 という事を感じて身震いする。どこの子どもも憎しみより楽しみと出会えますように!!
私は何をしていけるだろう。

※もしご興味を持たれたら、平和村のリポートをのぞいてみてくださいね。すべて寄付金で活動していて、集まった資金で救える子どもの人数が決まります。
カタログハウスの「通販生活」新春号にも記事があり、一口2000円のお年玉カンパを募っています。

FRIEDENSDORF INTERNATIONAL ≪ドイツ国際平和村≫
Lanterstrasse 21, 46539 Dinslaken, Germany
TEL +49-(0)2064-4974-135/126
FAX +49-(0)2064-4974-999
E-MAIL japanpeace@friedensdorf.de

寄付金口座:
三菱東京UFJ銀行 本店 普通口座
口座番号:0152887
口座名:ドイツ平和村またはAktion Friedensdorf e.V.

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伊藤夏子/タップダンサー。鎌倉山崎のぼっとん古家にひとり娘&猫3匹と暮らす。
ライブ予定等は「あしおとがきこえる?」をごらんください。

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“ ルネッサンス・フェスティバル” in USA

2009年カジュ通信 秋冬号より

〜 たのしくって、ためになる、その上経済効果大!〜

アメリカの “ルネッサンス・フェスティバル”は、20年以上に渡って、安定した成功と人気を得ているお祭りです。
そこはいつでも摩訶不思議な中世ヨーロッパのファンタジー・ワールド! スタッフやお客さんはみな中世の衣装をまとい、古い紋章の入った色とりどりの旗がひらめき、やり試合に臨む騎士は馬に乗り、鷹が舞い、中世の古楽器の音楽や美味しい料理のにおいが漂っています。
色とりどりのテントや小屋には、手作りのクラフトがいっぱい。威勢のいい呼び込みのかけ声があちこちで響きます。

お祭りの目的は、もちろん「楽しむこと」なのですが、アメリカ各地で行われるこの“ルネッサンス・フェスティバル”は子どもたちに生きた歴史や美術・工芸を学べる場、また大勢が共同で何かを作り上げる機会、伝統工芸を保護する場、多くのアーティストや職人たちに収入を得る機会などを提供する、という意味でも大きな成功をおさめています。
存続が危ぶまれたこともあるのですが、この長きにわたって続いてきたのには多くの理由があります。特に大きな理由と思われるのは、人々が失業などの実生活の問題から逃れられる大切な夢の場所になっているということです。
そこは、機械化以前の世界、名誉や礼節や友情が大切にされる場所、 それでいて、ぶっきらぼう、無愛想、ふざけた振る舞いにも寛容な場所・・・アメリカの実社会の価値観とは大きく異なる場所なのです。

例えば、ディアフィールド海岸で行われていた「フロリダ・ルネッサンス・フェスティバル」は、来春18回目を迎え、この不景気にも関わらず、毎年5週間行われるこのフェスティバルを、来年はさらに1週間延長し、規模を拡大して2度目のマイアミ開催を予定しています。
予想では約10万人の観客がこのお祭りに酔いしれるということです。

期間中販売されるモノのほとんどは手作りです。これは、普段ほとんどのモノが工業製品で、値段が問屋によって決められるアメリカでは珍しいことです。
政府によってアートが崩壊し、一部の売れっ子をのぞいて、プロのアートテイストが生計を立てるチャンスが奪われているこの国で、このフェスティバルは、アーティストや職人たちの大変重要な市場になっています。

全国(の同フェスティバル)を旅することで、売り手はより多くの人々に作品を見せることができ、それによって、地元に店を持つことができるようになります。フェスティバルでは、その独特の雰囲気に助けられて「ここでしか買えない一点もの」としてその作品が売れていきます。
伝統的な手作りバスケット、手紡ぎ、手織り、手縫い、陶芸、吹きガラス、鉄工芸、木工などのほか、鷹狩りや「カリリオン」といわれるフランスの組み鐘(重さ4トン!)の楽器の演奏といったエキゾティックなショーも披露され、キャンドル作り、フェンシングやメイ・ポールダンスなどの実演もあります。

観客の一部は単に訪れるというのではなく、毎年「生きた歴史」を再現するグルーブの一員として参加します。彼らはもちろん衣装は自前で用意し、古武術や中世の料理、また薬草について研究してきます。(ヨーロッパと違ってここでは薬草はお医者さんや薬局がほとんど扱いません!)

フェスティバルの運営にあたっては、常に演目や作品が “ルネッサンス”のテーマに合うものであるよう厳しく制限されますが、にも関わらず、参加アーティストたちはその能力をフルに発揮できているようです。例えば中世の音楽の演奏だけを許されているミュージシャンは、退屈するどころか、期間中、有り余るエネルギーで次々とパフォーマンスを繰り出します。

冬をのぞいて一年中、会場やその付近には専用のキャンプ場が設けられており、フェスティバルとともに独特のコミュニティを形成しています。そこはアーティストだけではなくアメリカ社会に居場所の見つからない人々にとってもある種の避難場所になっているようですし、アーティストの創作の場であり、よき語りの場、よき思索の場になっているようです。


※リンダ・クゥートゥナー

ドイツ出身。アート・マネージャー。今年、フロリダ・ルネッサンス・フェスティバルにスタッフとして参加した。
2005年 カジュのアーティストも参加した「トラーベ・アート・フェスティバル」 (ドイツ)では、現地の事務局スタッフを務めた。
12月まで日本に滞在している。  連絡先: メールをこちらに。(英語でお願いします)

※フロリダ・ルネッサンス・フェスティバル → 公式HP

   

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