石倉正英の「テアトロ・カジュ」(ISHIKURA)

アン・ブーリン

20210727-195120 アン・ブーリン(1501-1536)

 このご時世にも関わらず、大変ありがたいことに今まで面識のなかった団体から脚本の仕事をいただきました。テーマはアン・ブーリン。アン・ブーリンというのは16世紀のイギリスはイングランド王・ヘンリー8世の二番目の王妃で、エリザベス1世の母親です。

 ヘンリー8世とは、生涯六人もの妻を持った傲慢にして色魔、欲望のままに生きたと言われる王。エリザベス1世とは、イングランド史上二人目の女王で、生涯独身を貫き、無敵艦隊と言われたスペインを破り、イングランドを超強国に仕立て上げたツワモノ。この超個性的な二人の人物ではなく、あえてアン・ブーリンを取り上げるとは、実に渋い企画でございます。そんなでアン・ブーリンを紐解いてみると、これがまた波乱万丈の生涯なのでした。

 10代の頃、新興貴族であった父の命でフランス宮廷の侍女となったアン・ブーリンは、持ち前の知性と感性で、音楽やダンスに秀で、プロテスタントをはじめとする当時最先端の知識や思想をも吸収し、魅力的なレディとなってイングランドに帰国します。首に大きなアザがあり、右手の指は6本あったと伝えられるアンですが、それらを隠すものすら洗練されたファッションに変え、その浅黒い肌と黒髪もエキゾチックな魅力に変えて、男たちの注目の的となりました。中でもぞっこんだったのが、時の国王ヘンリー8世。ヘンリーはこの時、スペインから迎えたキャサリンと結婚していましたが、キャサリンとの間には男の子が生まれず、それが悩みの種でもありました。当初、アンに惚れたヘンリーは、アンを愛人の一人にしようと思いましたが、そんな王の申し出をアンはことごとく突っぱねてこう言います。「私が欲しければ正式な妻としてお迎えください。その代わりに、必ず男の子を産んで差し上げましょう」

 この言葉にますます虜となった王ですが、当時イングランドはローマ・カトリックの支配下にあり、離婚が禁じられていたのでした。するとアンは大陸で学んだプロテスタントなどの新しい考え方を王に吹き込みます。アンと王子が欲しい王は、ナイスアイデアと速攻ローマ・カトリックと決別し、離婚OKの独自のキリスト教会を立ち上げ、イングランドの国教としてしまいます。そしてその足でキャサリンを離婚し、アンと再婚したのでした。この時アンは一人の子を身籠っていました。医者も占星術師も口を揃えて「男の子に間違いありません」と請け負いましたが、生まれ出たのは女の子・・・それがのちにイングランドを強国に導くエリザベス1世だったのでした。

 そんな先のことはつゆ知らず、落胆したヘンリーは百年の恋も一時に冷めるとばかり、浮気に精を出し始めます。これに対してアンの嫉妬は激しく、二人の仲は急速に悪化。そしてついにヘンリーはアンをロンドン塔に幽閉すると、実の弟を含む五人の男と姦通したという根も葉もない罪を着せて彼らとともに首を切り落としてしまいます。アンの死後、ロンドン塔から走り去る馬車の中に、膝に自らの首を抱えるアンの亡霊を見たという噂が後をたたなかったそうです。

 一人の人間の都合で公然と多くの人が殺される・・・なんとも野蛮な時代の話ですが、この脚本を書いていてふと、逆に人の命はいつからこんなにも重くなったのだろうという疑問が湧いてきました。

 歴史を眺めると、おそらくそれは二つの世界大戦や、コロナの流行など、大量に人の命が失われた経験がそうさせるようになったのかもしれません。誠に結構なことと思っていた矢先・・・、衝撃的な記事に出会いました。いわく「人類が滅亡しても地球には良い影響しか与えないけれど、昆虫が滅亡すると地球は死に至る。そして昆虫は急速にその数を減らしている」と。人は確かに人を殺さなくなったけれど、もっと弱者である虫を大量に殺している。直接的にも間接的にも・・・。本質的にはヘンリー8世の時代と何ら変わっていないのかなぁ、と、家の中にばら撒いたホウ酸ダンゴを見つつ、独りごちるのでした。

 

2021年 夏号 紅月劇団 石倉正英

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ホケキョウ


 「ホ~ホケキョ」春を告げる鳥・ウグイスの鳴き声で目覚める今日この頃。なんでもウグイスの鳴き声にはその年その年でブームがあるそうで、昨年僕の家の近くで鳴いていたウグイスは「ホ~ホケチョ」と鳴き、今年のウグイスは「ホ~ホケキョケキョ」と必ず「ケキョ」を一つ付け足して鳴いています。思わずクスッと笑ってしまう鳴き声ですが、彼らはきっと大真面目に格好いいぜ!と思って鳴いているのでしょう。

  「ホ~ホケキョ」といえば法華経。そう何を隠そう、これを書いている今は、我が紅月劇団久々の鎌倉公演「不愉快なみほとけ~日蓮聖人殺害計画~」の本番真っ最中なのであります。なぜ本番中にこのコラムを書いているのか・・・締め切りを忘れていたからでございます。笑 というわけで(どんなわけで?)、今回のテーマは「法華経」をその思想の根本としたお坊さま・日蓮上人に触れてみたいと思います。

  安房国(千葉)勝浦で生まれ、比叡山や高野山に遊学し、立教を開宗した日蓮は、当時の日本の実質的な首都・鎌倉で布教しようと安房国から小舟に乗って鎌倉を目指しますが、途中大嵐に逢い遭難してしまいます。大波に飲まれ、木の葉のように漂うばかりの日蓮を導いたのは、突如として現れた白猿たちでした。白猿たちは日蓮を今の横須賀沖の小さな島に導きます。これが今の猿島で、その名の語源ともなったとか・・・。

 大嵐の海に突如として白い猿が現れるとは、にわかには信じがたいエピソードですが、白猿の伝説はその後も続きます。

 鎌倉入りして松葉谷(今の妙法寺)に草庵を結んだ日蓮が、念仏宗から焼き討ちの攻撃を受けた時(松葉谷の法難)も、白猿が山の中を導いて日蓮を逃した、と・・・。

 澁澤龍彦さんは、「きらら姫」という小説の中で、この白猿を「木地師」つまり「山の民」として描いています。さすがは澁澤さん、とても面白い解釈ですね。実際そうだったのかもしれません。ひょっとすると、海での遭難を救ったのも猿ではなく「海の民」だったのかも。もっと言えば、そもそも日蓮自体が「海の民」だったのかもしれません・・・。

 さて、日蓮聖人没後二百年ほどたったころ、とんちで有名な一休さんが身延山にある日蓮宗の総本山・久遠寺を訪ね、「ナムアミダブツ」と唱えつつ山門を通り抜けようとしたところ、近くにいた久遠寺の僧侶が血相を変えて飛んできて「ナムアミダブツとは何事、ここではナムミョウホウレンゲキョウと唱えなさい!」と諭しました。

  なぜ「ナムミョウホウレンゲキョウ」が良くて「ナムアミダブツ」がいけないのか。仏教に疎い私はこれまでどちらも似たようなもののように思っていましたが、どうしてどうして日蓮さんにとっては全く正反対ともいうべき言葉だったのです。

 「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」とは阿弥陀仏、つまり、仏の名前を唱えること。これに対して「ナムミョウホウレンゲキョウ(南無妙法蓮華経)」とは法華経、つまり、お経の名前を唱えること。「仏名を唱えれば誰でも来世は救われる」と説いた念仏宗を、現世の問題から目を背けさせる邪教と痛烈に批判し、釈迦の教えの最高のエッセンスが集められた法華経をこそ国の礎に、と説いた日蓮さんにとっては天と地ほど差のある言葉だったのです。

  これに対して臨済宗の一休さんはどう返答したか。「法華経の心も分からない私なぞが南無妙法蓮華経と唱えることこそ祖師(日蓮聖人)に失礼」と答えたのだそうです。さすがは一休さん、含蓄のある軽妙洒脱な名返答。これには流石の日蓮さんもクスリと笑ったに違いありません。

2021年 春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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MASK Ⅲ

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 泣き笑いの仮面
(天地をひっくり返してみてください)

 コロナ禍で起こった数少ない良いことの一つはマスクが多様化したことかもしれません。かつてはつけるとたちまち東南アジアを感じた色とりどりのマスクも市民権を得て、芸術的なデザインのマスクをつけている人を見るのも外出する楽しみの一つになってきたように思います。何より電車の中にいる美男美女の比率が激増。えっ!? 横須賀線ってこんなに綺麗な人多かったっけ?? 一説には、人は隠された部分を平均的なイメージで補う習性があるとのこと・・・いえ、これ以上触れるのはやめておきましょう。そう、このコラムも気がつけばなんと30回。記念すべきこの回はマスクはマスクでも仮面の話をしたかったのでございます。

 昨年2月、懇意にしていただいている仮面の舞踏家・野口祥子さんから、光栄にもたくさんの個性豊かな仮面をお譲りいただきました。アフリカの仮面あり、日本の天狗面あり、抽象的な仮面あり、現代美術的な仮面もあり・・・中でも心にヒットしたのは、笑顔と泣き顔が一体化した仮面でした。一体化したと言っても泣き笑いの表情ではなくて、両目を真ん中に上下逆さに鼻と口がついた奇妙な仮面です。笑顔に見える仮面の天地をひっくり返すと見事に泣き顔になるという趣向です。トラディッショナルな要素はさほどないけれど、なんとも言えぬ凄まじい妖気のようなものを感じます。木彫りのもので、裏書きを見るとバリ島のウブドと書いてある。恐らくは芸術の村として知られるバリ島ウブドのアーティストの手によるものでしょう。

  昨年は2018年に作った「grotesque」という、とんちで有名な一休さんが、悲劇の花魁・地獄太夫を悟りに導くというエピソードから生まれた作品を練り直して、全国4カ所で上演する予定でした(実際にはコロナの影響で東京・大阪の2公演のみ)。昨年になって一人キャストが増えたこともあり、なんとなく足りないと思っていたシーンを一つ追加することを考えていました。よし、そのシーンにこの仮面を使ってみよう。

   笑顔と泣き顔・・・陽と陰・・・極楽と地獄・・・とイメージが繋がって、最終的に一休さんが「一休」の名を授かるきっかけとなった悟りの歌にたどり着きました。

有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け

 物の本によれば、有漏(うろ)は煩悩を、無漏(むろ)は悟りの境地を表すのだそう。「俺はまだ煩悩から悟りの境地へ行く途中にいるんだ、何が悪い」といったところでしょうか。なんとも気持ちの良い開き直り、言いっぷり・・・さすがは一休さん。この歌と仮面、そして役者の大変な努力が合わさって、一際異彩を放つ新たな、そして地獄太夫が新しい境地に一歩踏み出すきっかけとなる重要なシーンが出来上がりました。いやはやすごい力を持った仮面。それは今、僕の部屋の壁にかかって、斜め上から静かに、そして一際鋭い眼差しを投げかけています。

    後日、この仮面をいただいた野口さんに、仮面のワークショップを開催いただきました。おびただしい仮面の中から好きなものを一つ選び、次に衣装を選び、それらをつけて舞台上で即興パフォーマンスをするというもの。この時、他人のやっているパフォーマンスを見ていて思ったのは、なぜかその人の心の本質が仮面に現れ出てくるように感じたこと。顔を隠すものがなぜ人の内面を引き出すのか・・・とても不思議な感覚でした。そう、コロナ予防のマスクもいっそ仮面にしてみたら、その人本来の綺麗な心が現れて、変ないざこざも無くなって・・・いやいや、逆もまた然り、マスク美人に喜んでいるくらいが丁度良いのかもしれませんね。

 

2021年 新春号 紅月劇団 石倉正英
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朗読と演劇のハザマ

  20210727-193046  紅月劇団ワークショップの猛者たち

 かの著名な文豪がSMの元祖・サド侯爵と、稀代の極悪独裁者・ヒットラーを描いた対をなす戯曲があるのをご存知でしょうか?

  このコロナ騒ぎの中、今年で7年目を数える我が演劇ワークショップの公演を無事終えることができました。例年4月からスタートするこのワークショップも今年は一月押し、二月押し、ようやく7月にスタートが切れましたが、高齢のメンバーもおり、稽古中もマスクをしディスタンスを取るなど、異例づくめのワークショップでございました。

  そんな中、今回の題材として選んだのが冒頭の二作品、そう、三島由紀夫の「サド侯爵夫人」と「わが友ヒットラー」という異色にして対をなす戯曲でした。サドの方は女性ばかり六人のお芝居、ヒットラーは男性ばかり四人のお芝居。題材の異様さもさることながら、完全に女性と男性を分けるという思い切った構成がすごぶる面白い二作品です。

  しかしながら、これをやるにあたっては問題が山積みです。まず、三島作品は上演権を取るのがとても難しい。が、今回はコロナの関係でお客さんもあまり呼べないこともあり、いっそ無料、かつ、関係者だけのプライベート上演にしようということで、上演権問題はクリア。次の問題はセリフ量。まともにやったら、それぞれ3時間はかかる大作です。ある程度脚本を詰めるにしても、ただでさえ短い準備期間をセリフ覚えに使うのも野暮・・・それならいっそ覚えるのはやめにして、朗読劇というスタイルを取ろうということになりました。いわば、全員カンペを持って舞台に上がろうというわけです。これなら役者はセリフを覚えることに腐心する必要もない、なおかつ、朗読劇ということで役者間の距離も取れて一石二鳥・・・のはずだったのですが。。。

  そこは7年を数える我が演劇ワークショップの猛者たち。セリフは覚え始めるわ、シーンに入れば脚本を投げ捨てて相手に掴みかかる・・・当初はせっかくの配慮を無駄にすることばかりやっていましたが、稽古が進むにつれ、動きの線引きがはっきりしてきて、朗読でもない演劇でもない、そのハザマに位置するようなスタイルの作品が出来上がっていきました。

  最後まで難しかったのは目線の置きよう。一人で読む朗読であれば、ずっと本に目を置いておいて問題はないですが、これほど人間関係の濃い作品を、それぞれの役を担ってやろうとすると、本にばかり目線を置いておいては、やる方も観る方も不自然さを感じてしまうのです。けっして字面を追わず、心の目はしっかりと相手を観ている必要がある。ここで役者は、普通の芝居とは違った難しさに直面したようでした。

   反面良いこともありました。芝居というのはともすればセリフを覚えていることの副作用で、特に初心者ではこの後起きることを知っている演技になりがちで、それが芝居のライブ感を損なう原因になるのですが、この朗読劇というスタイルでは、一旦セリフや展開を忘れてその場に入っていける。その場で起こることをその場で感じ取って発語するという、とても良い訓練になったのでした。その瞬間その瞬間で三島の美しい言葉と新鮮さを持って向きあう・・・その結果、どうしても用意してきた演技をしがちだった役者が、その場に自然に身を置けるようになったことは最大の収穫でございました。

 

2020年 秋・冬号 紅月劇団 石倉正英
20210727-194233

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暗転のコスモロジー

20200810-200756   役者から地獄太夫へ(「grotesque」より)

 先日、このコロナ禍の小康状態の中、久しぶりに東京の小劇場で公演を行いました。この「久しぶり」というのには二つの意味があって、一つは昨年の12月以来久しぶりの公演であったこと、そしてもう一つは超久しぶりの劇場での公演であったことです。思えば「劇場」を飛び出して、古い建物やカフェなど、非劇場の空間で作品を創るようになってもう十数年の月日が経っておりました。

 久々に劇場で公演してみると、改めて気づかされることが多くありました。その一つが「暗転」です。暗転とは文字通り舞台を真っ暗闇に転じること。それは主にシーンの転換、すなわち、場所を変えたり、時間の経過を表したり、芝居の始まりや終わりにつなげたりするために使われるもの。暗転しさえすれば場面が移り変わってくれる・・・芝居の作り手にとってみると、これほど便利なものはないのです。

 この暗転の前後で役者は登場したり退場したり立ち位置を変えたりします。明るい照明を受けていたところから一瞬にして真っ暗闇になる、その中での移動は困難を極めますが、その際役に立つのが暗闇の中で光ってくれる蓄光テープです。出はけ口や段差、立ち位置などに貼られていて、役者はそれを目指して移動します。暗転の多い芝居では、この蓄光テープが舞台上にたくさん貼られていて、暗転するとさながら満天の星空のように見えるのです。他に褒めるところがなかったためか、終演後のアンケートに「蓄光テープが綺麗だった」と書かれたこともありました(笑)。

 かつて劇場で公演していた僕らもこの蓄光テープにはお世話になっていたわけですが、今回の公演で久しぶりの暗転に身を置いた時、思わずこの暗闇の中で動く怖さを感じたのでした。それもそのはず、今僕らが公演している会場は古民家や西洋館。住宅地にあることも多く、音の関係で夜遅く公演できないことも手伝って、どんなに遮光しても完全な暗転を作り出すことは不可能。気がつけば、このメリットだらけの暗転を捨てた芝居を強いられてきたことに気づいたのでした。

 で、今回ばかりは暗転の恩恵に預かってもよかったのですが、結果的に僕らが選択したのはここでも暗転の無い芝居だったのでした。それは真っ暗闇の中で動くことにいらぬストレスを感じたこともあったのですが、暗転というメリットを捨てることで逆に思わぬ効果が得られることを知っていたためなのです。
例えばオープニング、地獄太夫という花魁が一人寝ているシーンで幕を開けるのですが、暗転があれば、地獄太夫は暗いうちに床についていればそれで済む。しかしながらほのかな紫の照明に照らされる中で登場し横たわり寝姿にまで辿り着かなければいけないとしたら・・・それならいっそ、まずは生身の役者として登場し、その場で地獄太夫に変化していく様を見せても面白いんじゃないか、というアイデアが生まれた。実際にこれは要所要所でとても面白い効果をもたらしてくれたのですが、こういう発想ができるようになったのも、まさに暗転ができない空間に育ててもらったおかげなのだと思います。

 やっかいなウィルスが蔓延る昨今、「暗転」してウィルスのない世界にスコっと進みたいところですが、あえて暗転を封印した展開を考えるとしたら・・・案外そのアイデアは人類にとって面白い効果をもたらしてくれるような気もいたします。

 

2020年 夏号 紅月劇団 石倉正英

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手 の 力

20200723-101430 本番前の儀式(「FIRE!WORKS」より)

つい2〜3日前に馴染みのイタリアン・レストランでランチをしてお支払いをした時のこと、お釣りを受け取る際にお店のママさんと手と手が触れ合ったのでした。
その手が思いの外柔らかく心地の良い温かさで、なんとも彼女の感謝の気持ちがダイレクトに伝わってきたようで嬉しかった・・・と言っても恋の話をしようというのではありません。
この時、久しぶりに他人の手に触れたことに気がついたのでありました。

昨今、ソーシャルディスタンスというエチケットが根付いて以来、自然、他人と距離を取るようになって、握手はおろか人と会うのもWEBでというご時世。
こんな状態になってみると、逆に手の持つ力というものを改めて考えてみたくなりました。

昔流行ったハンドパワーじゃありませんが、手からは確かに何かが出ているような気がします。
「手当て」という言葉は、手を当てて怪我や病気を治したことから来ているという俗説は間違いで、本来「処置」という意味があるからなのだそうですが、そう言われても、この俗説は本当に実感するところで、お腹が痛いと思わず手を当て、じっと我慢していると次第に痛みが和らいで来たりしますよね? 
母が子に、夫婦や恋人がパートナーに手を当ててあげれば効果覿面。そこには相手を思いやる心の力が加わって、手から癒しのパワーが溢れ出て来るのでしょう・・・と信じたい。

神社仏閣に行って手を合わせる。合掌。
人はそこに願いや悩み、感謝、祈りを重ねますが、そこから得られる最大のご利益は、ひょっとすると神仏のご加護ではなくて、両の手の平から溢れ出る何かが合わさることで、心が一つにまとまることかもしれません。
答えやそれを叶えるために為すべきことは、本当は自分自身がよく分かっていて、神仏を前に手を合わせることで、それを整理したり直視できるようになるような気がします。

僕らが芝居の本番前に必ず行う儀式があります。円陣を組んで互いに手を繋ぎ合い、1分ほど目を閉じて深く呼吸するという儀式。これによって皆の心が開かれ、互いにパワーを送り合い、一つにまとまって本番に臨めるのです。
もっとも、むさ苦しくキャラの濃い男優が大半を占める我が劇団では、手に汗した男同士が手を繋ぐのには本番以上の覚悟が要るかもしれませんが・・・。

2020年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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花 火

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今年は東京オリンピックと重なることもあって、各地で花火大会が中止になっているようです。我が鎌倉も例に漏れず、早々に中止宣言が出されました。なんとも寂しい限りです。花火といえば夏の風物詩。老若男女を問わず、いまだ一緒になって楽しめる催しは他にないのではないでしょうか。

昨年12月、我が紅月劇団恒例の年末公演を行いました。
麻心という由比ヶ浜を見下ろすカフェで毎年行っている年末公演。何を隠そう、今回のテーマは「花火」でした。12月に花火?と訝しむ向きもあることでしょう。そう、この季節外れのテーマを選ぶに至ったのには、なんとも不思議なご縁、神仏のお導きともいえるものがあったからに他なりません。

夏も終わって、朝晩だいぶ涼しさが増して来た9月下旬、今年の年末公演は何をやろうか、と麻心に足を向けました。毎年こんな風に麻心を訪ねると、なにがしかのヒントが得られるのですが、今回は向かう道すがら、やおら「ドドーン!!」と爆音が聞こえて来ました。なんと、こんな季節外れに逗子の花火大会が開催されていたのでした。
案の定(失敬)、お客さんが誰もいない麻心の窓際の席に腰を下ろすと、海越しに花火がよく見えます。思いもよらぬ特等席で、麻心のスタッフと一緒にしばし季節外れの花火を堪能したのでしたが、それは、途中マスターに誘われて外に出て花火を見始めた時に起こったのでした。

その時、ふとマスターがこうつぶやきました。「花火をみるなら、本当は寒い時期の方が良いんだよね」と。確かに空気が澄んで夏よりも綺麗に見えるかもしれない。
しかしその時、僕はまったく逆のことを考えていたのでした。

一発一発終わるたびに、なぜだか絵もいわれぬ寂寥感に襲われていたのでした。それは僕も含めてむさ苦しい男数人で寂しく見ていたせいもあったでしょう。しかしそれ以上に、花火が夜空に花開く美しさよりも、消えて無くなっていく瞬間の方に心を持っていかれるように思えたのでした。それは涼しさと無縁ではないように僕には思えました。

 花火師が丹精込めて作った花火は、一花咲かせると、ものの十数秒で消えて無くなっていくのだという厳しい現実を目の当たりにした気分だったのでした。夜空を舞台に花開くや否や消えていく・・・それはとても芝居に似ているようで、なんとも自分のやっているものへの切なさを覚えてしまった瞬間でもありました。裏を返せば、それこそが花火や芝居の素晴らしいところのはずなのですが。

かくして、この「一瞬で無くなる」切なさが年末公演の大きなテーマとなったのですが・・・こんな風にセンチメンタルな気分にさせられることを考えると、やはり花火は夏の暑い盛り、大勢の中で汗をかきかき、「たまや〜」と叫びつつ見る方が良いのかもしれない、などと思ったりもしたのでした。もちろん、傍に浴衣美人がいるに越したことはありませんが・・・。

 

2020年新春号 紅月劇団 石倉正英

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とうもろこし泥棒

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 子供の頃、親父が大事に育てた畑のとうもろこしを無情にも盗んでいく輩がありました。これは明朝採ったらさぞかし美味しいだろうと思って、あえて残しておいたとうもろこしが、翌朝採りに行くと無い! ここぞというタイミングを見計らって盗んでいくとうもろこし泥棒。その手口は大胆にして華麗、実に鮮やかなものでした。なんとか尻尾を捕まえてやろうと、まだ夜が明けぬうちに畑に行ってみると、なんとその犯人はタヌキだったのでした。日々繰り返されていたタヌキと親父の大攻防戦。親父にとっては「待ってしまった」がための連戦連敗、さぞ悔しいことだったと思いますが、その美味しさに舌鼓を打つタヌキの顔を想像するに、なんともほっこりとして、可笑しくて笑ってしまったという思い出があります。

さて、今年も半年間の演劇ワークショップが終わりました。芝居初心者も芝居の質を高めたいベテランも分け隔てなく参加でき、一緒になって一つの舞台を作りあげていくという取り組みも早6年目。しかも今回の発表公演会場はカジュ・アート・スペースで、この空間の素晴らしさを再認識した公演でもありました。
毎年、ワークショップでは僕自身たくさんの気づきが得られるのですが、今回とても実感したのが「待つ」ということでした。そもそも芝居作りは「気づくこと」と思っているのですが、配役が決まってから数ヶ月、一人一人その登場人物と向き合って生活し、手を取り合って稽古場に入っていくことを繰り返していくうちに、幾度と無い気づきを経て芝居が出来上がっていく。それは役者の経験年数や上手い下手、センスによって質も量も様々ですが、人それぞれその経験値やタイミングでしか得られない気づきというものが確かにあって、それが浅かろうが深かろうが、いずれも当人にとっては鳥肌もの。それらが寄せ集まって、本番の一瞬一瞬に生きる時、舞台がキラキラと輝くのです。
今回新たに参加した人にはとても初々しいキラキラがあり、6年目の人には様々な色や形をしたキラキラがあって、昨年の公演よりもさらに素晴らしい舞台が出来上がりました。

この気づきは他人から教えられるものではなく、あくまでも役者本人の腑に落ちないと意味がないもの。腑に落ちないうちに指示されるがままやっている芝居というのはとても見られたものではありません。それは演出や相手の役者から投げられたボール、全く別のシーンや日常の生活の中のちょっとした出来事などなどをきっかけとして、いつ転がり込んでくるか分からないものなのです。
今回僕の中でとても明確になったのは、皆がこの気づきを得られるまで最善を尽くしてただ待つこと、それこそが僕の仕事なんだということでした。毎年新しい人を迎えるという6年間のワークショップの場が知らず識らず僕の中にその耐力を醸成してくれたのでしょう。その作業はけっして急いではいけない、安直に答えを与えたくなる気持ちを必死に抑える、実にじれったく忍耐力を要する仕事ですが、そうこうしているうちに、僕らが未だ探求して余りある「本番でいかに自由になれるか」という課題にまで、手をつけ始めた人も出てきたのでした。それは僕にとってとても驚くべきことでした。

毎年ワークショップが終わると、折角ここまで育てた役者が他に取られてしまわないだろうかなどという愚かな考えが頭を巡るのですが、たとえ、親父のとうもろこしのようにタヌキに盗られたっていいじゃないか。タヌキがその味にビックリして病みつきになるくらいの役者をたくさんこしらえるべく、来年も大いに待ってやるぞ、と自分に言い聞かせるのでした。

2019年秋・冬号 紅月劇団 石倉正英

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Nevermore

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 先日の公演「ラ・フォンテーヌの寓話」の中で「カラスとキツネ」という作品を作りました。間抜けなカラスとキツネ、どちらがこの世界を的確に言い表せるかを競うというお話で、様々な美辞麗句を並べるキツネに対し、カラスはただひたすら「Nevermore」という言葉で応戦するという内容。僕が演じたのはカラスの方で、セリフが一つしかない、とても楽な役のはずだったのですが・・・。

この「Nevermore」という言葉には元ネタがあって、それはかのエドガー・アラン・ポーの名作「大鴉」の中で、恋人をその死によって失った主人公と窓辺に飛んできた大鴉が会話に似たやりとりを交わすのですが、主人公が何を問いかけてもカラスは「Nevermore」の一点張りで応じるのです。

「Nevermore」という言葉は不思議な言葉で、本物のカラスが発語したら面白い響きになりそうですが、日本語に訳すとなんともしっくりこない。「これ以上ない」「二度とない」「最早ない」・・・どの訳を読んでも「never」と「more」という異質な二つの単語を双方とも満足に言い表せていない感があります。いったい、この言葉でポーは何を示そうとしたのでしょうか。

実は、今回僕が演じた役の中でもっとも苦労したのがこのカラスだったのでした。
「Nevermore」という言葉自体が難解な上に、何に対してもこの一語で応じることの難しさ。下手な意味や意図を乗せた途端に、その世界観は崩壊していく。では何も考えずにやればいいのかというとそれも違う・・・。まるで、言語という茫漠たる海に、一艘の小舟を漕ぎ出すような、そんな不案内な心許なさを感じるのと同時に、言葉というものの成り立ちを垣間見た気もいたしました。

実際のカラスは鳥の中で最も頭が良く、一説には49の言葉を操るのだそうです。「カーカーカー」と鳴くと「ここに美味しい食べ物がある」という意味、「カッカッカッ」と鳴くと「危険が迫っている」という意味なのだそうです。彼らはこれらの言葉を駆使して、意地悪をした人間の情報を共有し、仕返しをすることもあるのだそう。お気をつけあれ。ん? この前、立て続けに2回もフンを落とされたのはそのせいだったのか!?
一方、背景に同化するために体色を変えると思われていたカメレオンは、最近の研究では、その変幻自在の体色を会話にも使っているとのこと。赤い色になると相手に怒っていることを伝え、喧嘩に負けると茶色になって敗北・服従を示すのだそう。色で会話するなんて、なんともお洒落な言葉ではありませんか。

さて、カラスのセリフ「Nevermore」ですが、これを題材にした絵をゴーギャンが描いています。晩年の大作の一つで、かつてロンドンに行った折、コートルード美術館でその実物を見る機会を得ました。今になって思うと、これほど「Nevermore」という言葉を体現した作品は他にないのではないか・・・。それがなんとこの秋、上野にやってくるとのこと。ご興味あれば、是非ご覧になってみてください。



2019年夏号 紅月劇団 石倉正英

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ラ・フォンテーヌの寓話

鎌倉路地フェスタ参加作品「ラ・フォンテーヌの寓話」の上演準備が佳境に入っています。「ラ・フォンテーヌの寓話」とは17世紀の詩人ラ・フォンテーヌによる寓話、すなわち、擬人化した動物達を登場人物にして教訓や風刺を語らせたもの。250編ほどにもなるこの寓話集はイソップ寓話などを下敷きにしてラ・フォンテーヌが30年にも渡って書き続けたもの。従ってイソップ寓話によく似た話がいくつもあります。
例えば「アリとセミ」。かの有名な「アリとキリギリス」と同じ内容ですが、現在伝わっているイソップ寓話とは違って最後が秀逸。

セミ「冬になって食べ物がなくなり、ひもじい思いをしています。
   すみません、アリさん、少しわけてもらえませんか?」 
アリ「蓄えがないだって? 夏の間何をしていたの?」 
セミ「皆のために歌を歌っていたのです」 
アリ「じゃあ今度は踊ったら?」

けんもほろろの塩対応。優しいカジュ通信の読者のことです、思わずセミに同情してしまう方が多いことでしょうが、本国フランス人の中にも、セミの味方をする人がいるようで、フランス文学者の鹿島茂さんによれば、その一人の言うことには、人を楽しませるパフォーマーであるセミに代価を払わないアリはおかしい、とのこと。芝居に携わる僕としては、もちろんこの意見に大賛成ですが、さて、皆さんはどう思われるでしょうか。

現在伝わっているイソップ寓話の「アリが施しを与える」というラストであるならば、アリを悪く言う人はまずいないでしょう。ある意味、そこには別の解釈を入り込ませる余地が無きに等しい、と言うことができるかもしれません。しかしフォンテーヌのそれは、セミも悪いがアリも心が狭い、いや、そもそもセミの言ってることは嘘なんじゃないか・・・てな具合に、あえてツッコミの隙を与えているような、そんな企みが垣間見えるような作品が数多くあります。

今回我々が取り上げたお話の一つに「クマと園芸の好きな人」というのがあります。互いに孤独だったクマと園芸の好きな老人が森で出会い、意気投合して一緒に暮らし始める。するとある日、うたた寝をしている老人の鼻にハエが止まります。クマはそれを追い払ってやろうとするのですが、いくらやってもハエはビクともしない。業を煮やしたクマは「絶対に追い払ってやるぞ」と、やおら敷石を持ち上げると、ハエめがけて投げつけたのでした。クマは見事にハエを仕留めるとともに、老人の頭も潰してしまったのでした。

なんともブラックなラストですが、フランスではこのお話から生まれた「クマと敷石」という諺があるそうです。その意味は「ありがた迷惑」。迷惑にもほどがあるといったところですが、かのフォンテーヌはこの物語の最後をこう締めくくっています。
「無知な友ほど危険なものはない。賢い敵の方がまし。」
ひょっとして皆さんもお心当たりがあったりして。

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「カラスとキツネ」(シャガール)

2019年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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