石倉正英の「テアトロ・カジュ」(ISHIKURA)

小栗と小栗


Theatrekhajus4020230721  小栗上野介(群馬・東善寺)

 今、小栗上野介をテーマにした戯曲を書いています。

小栗上野介と聞いてピンときたあなたは相当な幕末通! 恥ずかしながら僕なんぞは、このお題を頂いた時「ああ、小栗判官ですね、それは面白そうだ」と答えてしまいました。

そうです、小栗判官と小栗上野介はまったくの別人物。しかも小栗判官は伝説上の人物。それに対して小栗上野介は実在した人物で、江戸末期に遣米使節団にも目付として参加し、勘定奉行等々を歴任、そして横須賀に日本初の製鉄所を作り、これまた日本初の西洋式ホテル・築地ホテルを作った近代日本の父の一人。

 しかしこの二人に共通しているのは、いずれも無惨な死を遂げたということなのです。

 小栗判官は、神奈川の藤沢他各地に伝説が残っていて、常陸国の小栗城城主・小栗満重をモデルにして創られた人物と言われています。

その土地によってストーリーは違うようですが、藤沢・遊行寺に伝わるそれは、謀略によって謀反の疑いをかけられ、鎌倉方に攻め落とされた小栗判官が三河へ脱出をはかる最中、藤沢に差し掛かったところで日が暮れ、親切にも宿を提供しようと申し出た横山太郎という者の屋敷に泊まることにします。しかし、この横山太郎というのは、実は小栗の持ち金目当ての盗賊で、結果、小栗は毒殺されてしまうのです。

 かたや小栗上野介は戊辰戦争勃発後、東国に攻め上がる薩長連合軍に対し、真っ向勝負、徹底抗戦をとなえ、箱根を越えてきたところで陸と海から撃退する秀逸なプランを提案するも、弱腰の将軍・徳川慶喜は勝海舟のとなえる無血開城恭順プランを採択。その後小栗を罷免してしまいます。

 ちなみに、後々日本陸軍の創始者となる薩長連合軍の司令官補佐・大村益次郎は、事後、小栗の提案したプランを耳にすると震え上がり、あれが採択されていたら今頃自分たちの首はなかっただろう、と述懐しています。

 ともあれ、小栗は驚くほど潔く身を引き、代々の知行地である上州・高崎の権田村に引きこもりますが、小栗を恐れた薩長連合軍に難癖をつけられ、なんの取り調べもなく斬首されてしまうのです。

 二人ともなんとも実に悲運な、無惨すぎる死を迎えたものですが、好対照なのはその死の後のこと。

 小栗判官の方は死した後、閻魔大王の同情によってこの世に蘇り、熊野の温泉に浸かって復活すると、見事復讐を果たすのに対して、小栗上野介はその死に際し、納得いかずに大声で異議をとなえる家臣を諌め、「この期に及んだら致し方ない。武士らしく諦めよう」と言って抵抗せずに死んでいく。もちろんその後の復讐劇も祟り話もありません。

実在の人物だからといえばそれまでですが、近代日本の影の立役者であるはずなのにそこまで知名度がないのは、明治政府によってある種意図的に忘却せられたからとも言われています。

にも関わらず「うらめしや~」と化けて出てこないところは、やはり正真正銘の武士だったからなのでしょうか。はたまた、先進国のアメリカをその目で見て、魑魅魍魎が跋扈する江戸の夢から覚めたからでしょうか・・・。

 自らの死を不服として蘇り復讐する小栗と、潔くその死を受け入れる小栗。皆さんは、どちらの小栗に魅力を感じるでしょうか。

 

カジュ通信 2023年夏号 紅月劇団 石倉正英

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夢ちがえ

20230421-211643   法隆寺の夢違観音

 梅が香を夢の枕に誘いきて さむる待ちける春の初風

 なんとも朗らかな気持ちになる源実朝の美しい歌。これが詠まれたのは、きっとまだ梅が咲くか咲かないかの冬の時分のことでしょう。そんな時、梅の花の香りに包まれる夢を見て、やっと春がやってきた!と思ったところで目が覚める・・・。そう、良い夢というのは得てしてこれから!というところで目が覚めるもの。想い人が登場した夢など、さあこれから楽しい時間が、というところで目が覚めて、その続きを見ようと二度寝するけれども、無常にも全く違う夢が始まってしまう・・・。まこと、世の中は夢であってもうまくいかないものです。

逆に悪夢は、もうだめだ!というところで目が覚めて、あー夢で良かった!と思うもの。皮肉と言いましょうか、世の理と言いましょうか。

皆さんは何度も見る悪夢というのはありますか? 僕は子供の時分、ダムを上から覗いていたり、断崖絶壁のような足のすくむところから下を見ていて、なぜだか、あーもういいや!と、下に向かってダイブしたところで目が覚めるという夢をよく見ました。フロイトの夢判断は、僕にはどうも眉唾なような気がするのですが、この悪夢はまさに無意識の自殺願望の顕れだと言われたら、確かにそうだったかもしれないなという気がします。それほどまでに、子供の頃は大変な毎日を送っていたものです。まー多かれ少なかれ、誰しもあったことだと思いますが。

 それが大人になって芝居に携わるようになり、特にここ数年の僕の見る回数ナンバーワンの悪夢は次のようなものです。

 舞台の本番が近づいているのになんの準備もできずにいる。そして無常にも舞台の幕は上がり、お客さんがたくさんこちらを見ている。何かしようとするのだけど、何も思いつかず、何もできずにいる・・・そこで目が覚めるという夢です。夥しい寝汗をかいていることは言うまでもありません。本当に恐ろしい夢です!

 今年は3年ぶりの鎌倉路地フェスタが開催されることになり、ちょうど今年から始めた一人芝居のプロジェクトで参加することになりました。そこでは澁澤龍彦さんの「ねむり姫」という作品をベースにしたオリジナル戯曲をやるのですが、そのねむり姫と同じ本に収録されているお話に「夢ちがえ」というものがあります。

 ある女が、恋焦がれている男を自分のものにするために、その男が恋している恋敵の夢を奪い取ることで男の気持ちを自分に向けようとする奇妙奇天烈なお話。すごい方向から攻める女性もあるものだと感心してしまいますが、昔の人の夢の捉え方は、今のそれとは比べ物にならないほど重いものだったのでしょう。奈良の法隆寺には「夢違観音」というのが残されていて、これは悪夢を良い夢に変えてくれるありがたい観音様なのだそうです。

 西洋のねむり姫、すなわち「眠れる森の美女」は、悪い魔女の呪いによって100年もの間延々と眠らされるわけですが、その呪いを緩和してくれた良い魔女の魔法によって、100年の間、楽しい夢ばかりを見て全く飽きなかったのだと言います。今回僕が上演するねむり姫の主人公、鎌倉時代の京の都のお姫様も、長い眠りについている間、楽しい夢を見られたのでしょうか・・・。


カジュ通信 2023年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英


 
 

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あやつり人形

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 昨年12月に「独裁者のシンフォニー」という作品を上演しました。世界中の悪名高い独裁者に集まってもらって、今地球が直面している環境問題を解決してもらおうという内容。ポイントは意のままに各国民を操ることができる反面、危険な爆薬ともなりうる独裁者をいかにうまく操るか、というところなのですが、作品では案の定失敗してしまいます。
 この作品を作っているとき、ふと、一見すべてを意のままに操っているように見える独裁者も結局は何者かに操られているのではないか、という妄想にかられました。 それで、これらの独裁者を糸操りの人形のような動きの演出にしては、と思ったのですが、これがなかなかうまくまとまらず、最終的にはサンダーバードのような「人形振り」のぎこちない動きを採用するに至りました。

 操り人形は、古来より世界各地に伝わっていて、日本にも「江戸操り人形」と呼ばれる主要な関節に付けられた十数本の糸で緻密に人形を操るものや、黒子三人で一体の人形を操る文楽などがありますね。

 ヨーロッパにもチェコをはじめ各地に操り人形の形態が残っていますが、テアトル・ド・ソレイユというフランスの劇団が日本の文楽をモチーフにした演劇作品は、一人の役者を文楽人形に見立て、二人の黒子役の役者がそれを操るという演出のものでした。

 面白いなと思ったのは、特にヨーロッパの操り人形では人形をコントロールして意を表現する、いわば「使役タイプ」なのに対して、日本のそれでは、操り手は自分を消して黒子に徹し人形を「生かす」ことに重点が置かれている、いわば「滅私奉公タイプ」。国民性の違いと言いましょうか。

 「操り」というと宿主を意のままに操る寄生虫がいるというから驚きです。吸虫という虫の一種の成虫の住処は牛の肝臓。その吸虫が卵を産むと、卵は牛のフンと一緒に排泄されカタツムリに食べられる。カタツムリの中で幼虫が孵化すると、カタツムリはその幼虫を保護嚢で覆い甘い粘液と一緒に吐き出す。それをアリが食べると幼虫はアリの脳に入ってアリをコントロールし、草の高いところに上らせて牛が草と一緒に食べてくれるのを待つ。そして牛がそれを食べるとアリだけが消化され、成虫となって牛の肝臓に住み始めるというのです。何ともゾッとするような操りライフサイクル・・・。吸虫にはこのほかに、鳥の体内に住むためにまず餌となる魚に寄生し、鳥の目につきやすくするために宿主の魚に「死のダンス」をさせるものまであるそうです。恐ろしや・・・。

 人間も皮膚の表面から内臓に至るまで、夥しい微生物や小さな虫と共存しています。ん? 昨夜しこたま飲んだ帰り道、いけないいけないと思いつつもラーメンを食べてしまった、あの我が意に反する行動をとらせたものはひょっとして・・・。

   案外、人間を操っているのは、とても小さな生き物なのかもしれません。


2023年新春号 紅月劇団 石倉正英



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衝撃の事実、法華経の中に法華経は書かれていない

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多摩羅栴檀の香?(2021年初演より)


 ただ今、来週に迫った「不愉快なみほとけ~日蓮聖人殺害計画~」という公演の本番に向けて絶賛準備中です。この作品は、昨年の4月に初演したもので、今回が2回目の公演。初演の時にたまたま日蓮宗のお坊さまに観ていただく機会を得、さぞ怒られることかと思っていたら、思いのほか気に入っていただけて、なんと鎌倉のお寺の中でも日蓮さんのお骨を納める、一際ゆかりの深い名刹・本覚寺の本堂での再演とあいなったのでした。まこと光栄なことでございます。いやー、嬉しいやら怖いやら・・・笑。

 これは頑張らねば、ということで、不肖石倉、一念発起、日蓮さんが「最高の経」と称えた「白蓮華のように最も優れた教え」という意味の「法華経」を真剣に読み直しました。

 みなさん、お経は読まれたことはありますか? 僕はこの作品を手がけるまで、ついぞその中身を紐解いたことはありませんでした。今回本腰を入れて法華経を読んでみて、はー、ほー、へーの連続でした・・・。

 てっきりお釈迦様が、我々凡人を導くための教えが満載なのかと思っていたら、どうしてどうして、お釈迦様の舌が伸びてきて、そこから無数の如来が現れたとか、地面が割れて黄金色の体をした菩薩が夥しく現れ出たとか、とてつもなく美しい宝塔が現れたとか・・・そんなSFチックなエピソードが満載なのでした。中でも一番びっくりしたのは、法華経の中身が具体的に書かれていなかったこと! 「お釈迦さまが法華経を説いた」とは書かれていても、何を語ったのかが一切書かれていないのです。

 その理由らしきものを知ったのは、かの初演を観に来てくださった日蓮宗のお坊さま、鎌倉は安国論寺のご住職にお話を伺った時のこと。いわく、お釈迦さまがおられた時代、神聖な言葉というのは文字にすることが禁じられていたとのこと。加えて法華経の中でも、真の悟りに導くための方法を凡人に説いたところで戸惑うばかり、言っても無駄だとお釈迦さま自身が繰り返し言っておられるのです。

 なんだよ、それじゃあ僕ら凡人が法華経を読んだって意味ないじゃん! と思った矢先、なぜだかその中の一文が僕の目を惹きました。

 それは大目犍連(だいもっけんれん)という十大弟子の一人に、釈迦が言った予言で、いわく「お前は何度か生まれ変わった後『多摩羅栴檀之香(たまらせんだんのかおり)』という名の如来となるだろう」と。多摩羅栴檀というのは、法華経の中で「見宝塔品(けんほうとうほん)」という巻に出てくる宝塔が放つ香りのことで、タマーラという木の葉とセンダン(一説には白檀)の木の香り、と表現されています。とてつもなく素晴らしい香りなのだと・・・。

こんな美しい名前を授かった大目犍連とはどんな人物だったのか・・・言い伝えによれば、釈迦が仏教を創始した時代では、仏教もいわゆる新興宗教の一つで、他の宗教からとても疎まれていたのだそう。そんな中、あの大目犍連さえやっつけてしまえば釈迦の一門を潰すことができると、他教の教徒によって街頭でなぶり殺しの目に遭う人なのでした。言い換えれば、釈迦にとってそれほど重要な人物だったということ。

この大目犍連が、なぜだか今回の作品の登場人物の一人にとても近いように思え、そのイメージを重ねることによって、初演時には行き着けなかった数段高い次元にまで芝居を深化させることができたのでした。

法華経を読んで、同じような気づきを得る人は、過去にも未来にもたくさんいることでしょう。「最高の経」と言われる所以はこんなところにあるのかもしれませんね。

 

2022年秋冬号 紅月劇団 石倉正英

 




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最後の舞台

20220810-213930 華狩頌(棟方志功)

 先日、3年ぶりに大先輩の野口祥子さんという舞踏家さんの舞台をお手伝いする機会を得ました。棟方志功の版画をモチーフにした作品で、今のウクライナにも通じる「祈り」をテーマにした美しい舞台でした。今年78歳になる野口さんですが、その動きは全く衰えず、よくもまあこんなにもしなやかに、かつキレのある動きができるものと感心してしまいます。

 彼女の企画に参加するのはこれで3回目。毎回舞台監督という役回りなのですが、一般的な舞台監督とはちょっと違って、稽古にも毎回参加、コメントも求められるのが常でした。演出としての参加のようでもあり、僕も演出家の性質上、毎回真剣に観、作品を良くするべく、厳しく辛口のコメントを言う意識を持って稽古に参加するようになっていました。

 ところが、今回はなぜだか野口さんに関しては優しい目で観ている自分がいました。他の出演者には辛口のコメントをしていたにも関わらずです。そして共演者からも「ここは野口さんらしく、このままで良いのでは」といった優しい言葉が多く出て、なんだか皆彼女に気を遣っているようでありました。

その理由が明かされたのは千秋楽を終えた打ち上げの席でした。野口さんから「私の企画公演はこれで最後にします」という言葉が・・・。彼女らしく涙などなく、実にからりとした宣言でした。踊りはこれからも続けるけれど、自主企画の舞台はもう大変で・・・ということのよう。78歳という年齢を考えれば至極当然のことのようですが、皆一様に寂しさを感じた打ち上げとなりました。

どんな仕事でも引き際というのはとても大切で、難しいタイミングだと思います。サッカーのカズ選手のように55歳を過ぎてもまだ現役にこだわる人もいますし、全盛期に最高の結果を残すところでやめる人もいる。

芝居においては、どんな年齢でも、それ相応の役というものがあり、70歳を過ぎてもまだ駆け出しと言われる文楽のような世界もある。舞踏の世界でも、思うように動けなくなったらおしまいかというと、そうでもなく、大野一雄さんのように車椅子で踊る人もいる。

まこと絶対的な終わりのタイミングというものはなく、ひとえに自分が終わりにしようと思った時が引き際なのでしょう。こと舞台という世界では、その引き際が、やる人と見る人たち双方でたまたま一致した時にこそ「有終の美」というものが現れ出るような気もします。

今回、6場で構成された作品の最後の場は、棟方の版画「華狩頌(はなかりしょう)」をテーマにしたシーンでした。馬の動きから矢を放つ動き、祈りを経て最後に花を咲かせる・・・。今思うと、参加していた皆が終わりを感じていたがゆえに、最後のそのシーンにとても良い形で「有終の美」が現れ出たように思います。

自分がどう最後の舞台を迎えるのか、現時点では全く想像もできませんが、最後の「花」に至る彼女の一連の動き、祈りの姿の美しさを、舞台袖から心に焼きつけようと思いながら観ていました。



2018年秋冬号 紅月劇団 石倉正英

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沈黙

 落語好きの友人に聞いた話ですが、ある落語家さんの高座を聴きに行った時のこと、その人が登場するや客席からクスクスと笑いが。その後、高座に座ったきり黙ってじっとしているだけなのに、客席には次第に爆笑の渦が・・・。それからしばらくしてようやく一言「私、まだ何もしゃべっていないんですが・・・」それを聞いた会場は再び大爆笑。沈黙がもたらす笑いなんてあるんだなぁ、と感心した次第です。

 似たようなお話をもう一つ。かの文豪・島崎藤村が旧制一高(今の東大)に呼ばれて講演した時のこと、講堂いっぱいに集まった学生たちを前に登壇した藤村は、20分もの間、下を向いたまま黙りこくり、最後にため息を一つ吐くと去って行ってしまった。すると会場は拍手喝采、学生たちは口々に「やっぱり藤村は良い!」と言っていたそうです。20分間の沈黙・・・やる方もさることながら、それをまんじりともせず聴いていた学生たちにも舌を巻きます。

 「帰ってきたヒットラー」という映画の中でも似たようなシーンがありました。タイムスリップして現代に蘇ったヒットラーがコメディアンとしてTVの生放送に出演するのですが、カメラに映されて本番が始まってもじっと立ったままひたすら黙りこくっている。慌てふためくスタッフを見てヒットラーは心の中でこう言います。「バカめ、沈黙のもたらす効果を知らんのか。」

 映画といえば、昨年久しぶりに素晴らしい映画に出会いました。そしてそこでも沈黙に関する面白い体験をしたのです。

ヨハン・ヨハンソンという音楽家が撮った「最後にして最初の人類」という映画で、1930年に発表された同名のSF小説が原作。はるか未来、地球が滅亡する間際の人類が、現在の人類にテレパシーを使って語りかけてくるというお話で、最後の人類からのメッセージをイギリス人の女優・ティルダ・スウィントンが語り、映像は全て旧ユーゴスラビアの社会主義政権が作らせた巨大モニュメント「スポメニック(戦争記念碑)」。そこにヨハン・ヨハンソンの音楽が流れるだけの映画なのですが、この言葉・音楽・映像のマリアージュが実に奥深く、示唆に富んでいて素晴らしかった。

 その劇中、終末を予感させる台詞が続いていく中、音楽はとても不安な感じで次第に音量を増し、映像はスポメニックの丸い穴にすっぽりとハマった赤い太陽をクローズアップしていく・・ああ、この後いったい何が起こるのだろう、と知らず知らず胸が高鳴ってきた時、突如、真っ暗になるとともに沈黙が訪れたのでした・・・。その瞬間、僕は心底びっくりしました。そう、大きな音でびっくりすることはあっても、沈黙にびっくりしたのは恐らく生まれて初めての体験でした。その沈黙が何秒続いたか分かりませんが、僕はその間、なんともいえない恐怖に包まれて、ガタガタと震えていたのでした・・・。

 笑い、興味、恐怖・・・シチュエーションや意図によって様々なものを生み出す「沈黙」。ヒットラーの言うように、その効果はかくも絶大です。

 先日、グラミー賞でのゼレンスキー大統領の演説の中にこんな言葉がありました。「我々は沈黙をもたらされた。どうかこの沈黙をあなたたちの素晴らしい音楽で埋めていただきたい。」さぞ会場のミュージシャンたちの心を打ったことと推察しますが、ふと、そこにジョン・ケージの「4分33秒」という音楽を届けたらどうなるだろうか、と夢想してしまいました。「4分33秒」とは、4分33秒間、全く音を出さないという音楽作品。そこには、その沈黙の中で、その場の環境音を音楽として聴くという裏の意図があります。

 もし全世界の人々が、今のウクライナに身を置いてそれを聴いたなら、たびたび繰り返される無闇な戦争もしばらくの間は終わりを告げるのではないか、と。



2022年カジュ通信 春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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祝25周年

20220216-155711  祝25周年! 一同カジュに礼!


 先だって12月10日に行った2021年の最終公演で思わぬことが起こりました。カーテンコールで挨拶を終え「それでは皆さん、良いお年を」と言いかけたところ、やおらマイクを握っていた役者が割って入り、突然観客席から大きな花束を抱えた女性が現れて・・・何が起こったのかと目を白黒させていたところ、それは劇団メンバーと元スタッフの常連さんが企画してくれた、我が紅月劇団創立25周年のお祝いセレモニーだったのでした。

25周年? すっかり忘れておりました・・・。そんな情けない座長に素敵なプレゼントを用意してくれた彼らには、もう感謝しかありません。彼らとて25周年を祝われる立場のはずなのに。この場を借りて、彼ら、およびこれまで関わってくださった方々、応援してくれた方々、そして何より足を運んでくださったお客様方に心より御礼申し上げます。

 が、しかし・・・白状すると、この時僕は心の中でとても失礼なことを考えていたのでした。喜んで然るべきなのに、なぜか変に冷めていて、皆の手前必死に喜ぼうとしている自分がいる。照れとか恐縮とかとは違った、この妙な違和感はなんなんだろう・・・。こんな気持ちでここにいるのがお客さんにもメンバーにも申し訳なくて、早くこの場を終わらせようと、そればかりを考えていました。誠に罰当たりなことです。

 ところが、それからしばらくして、お礼の言葉をSNSに投稿しようとしていた時、ふとその答えめいたものに行き当たりました。

ひょっとすると、この違和感こそが25年続けられた所以なのではなかろうか、と。

 ちょっとわかりにくい感覚かもしれませんが、もし5年、10年で心底喜び、達成感のようなものを感じていたら、こんなにも続かなかったのではないかと思ったのです。

というのも、一つの公演を行うことはとんでもなく大変な時間と労力を要します。ゆえに、1回目の旗揚げ公演も、7年目の酷評された公演も、20年目の記念公演も、やる側の僕らにとってはどれもが同じように大切で、特別で、愛おしい公演なのです。これまでひたすら見つめ続けてきたのは、そういった目の前の公演一つ一つだったのだ。バカの一つ覚えのように、飽きもせずそれをやり続けてきた結果、気がつけば25年経っていたのだ・・・。そんな当たり前なことに、今更ながらに気が付いたのでした。それゆえ、公演の最中に祝25周年と言われても実感が湧かず、ポカンとしてしまったというのが本当のところかもしれません。

 25年といえば四半世紀。この世に生を受けてから大概の人が社会人になる年月。それを考えると大したことのようにも感じますが、25をウィキペディアで調べてみると、こう書いてありました。「25とは自然数、または整数において24の次で26の前である」・・・まさに至言。そうだ、これからもこの失礼な違和感を大切にしていこう!

 今年はカジュさんにとっての25周年とのこと。奇しくも僕らのひとつ下ですね。こんなふうに書いておきながらなんなのですが、ただただ目出たく、すごいことに思えます。心よりお慶び申し上げます。

建物にとって、そこで暮らす人々、活動する人々は血のようなもの。100歳を迎える古民家が今なお生き生きと建っている。それがカジュの25年を余すところなく語っているように僕には見えます。

同じ時代を歩んできた盟友に乾杯!

 

2022年初春 

紅月劇団 石倉正英

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007と忍者

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007の最新作が公開され大ヒットしているとのこと。早速観に行ったうちの役者からも一言「ビックリした」との感想コメントが寄せられました。何にビックリしたのかは不明ですが、かなり楽しめた様子。奇しくも今年最後の公演では007のパロディをやろうと思っていた矢先、これではまるでこのヒットの尻馬に乗ろうとしているように見られるではありませんか。ドキッ・・・。

 似たようなことが前にもありました。2015年の群馬公演は真田忍者をテーマにした「真田の城」という作品を用意していたところ、翌年の大河ドラマがなんと「真田丸」。僕らの方が先に企画したのに!と主張しても多勢に無勢、めでたく尻馬に乗っかることができたのでした。笑

 007の主人公ジェームズ・ボンドはイギリスの情報機関MI6の情報部員という設定になっています。趣向を凝らした武器やボンドカー、そして今回のボンドガールは?と毎回楽しみな要素満載ですが、その職業はといえばスパイ。

 一方日本のスパイといえば忍者。安土桃山時代の武将・真田昌幸は謀将として知られ、数々の忍者を駆使して敵の情報をキャッチし謀略したと言われています。群馬公演の会場がある中之条という土地にも真田忍者がたくさんいたそうで、手裏剣やら逸話やらがたくさん残っています。

 その会場にほど近いところにある沼田城や名胡桃城は、越後と関東をつなぐ要衝で、その辺りの武将にとっては喉から手が出るほど欲しかった城だったそう。真田氏や北条氏もまたしかり、二者で取り合っていたところ、豊臣秀吉の裁定によって、沼田は北条、名胡桃は真田と決められ一件落着と思いきや、どうしても二つとも欲しかった北条氏がふとした隙に名胡桃城を奪取してしまいます。

 これに激怒した秀吉が北条を滅ぼすに至る、かの有名な小田原一夜城作戦の発端ともなったのですが、この時、名胡桃城を取り戻した真田昌幸は沼田城を攻めずして無血開城させます。なぜ戦わずして沼田城までをもあっさり取り戻すことができたのか? そこには真田忍者の影なる活躍があったと言われています。

 007のように映画化されれば、死んだスパイも浮かばれましょうが、本来のスパイは身を明かさないことで生きながらえるもの。忍者もまたしかりで、真田十勇士と語り継がれてはいるものの、その多くは名もなき過酷な生涯を送っていたものと思われます。まさに人知れず闇に生き、闇に死ぬ・・・。いったいどこに生きるモチベーションを保っていたのでしょう。

「生きるってぇのはなんでこうも難しいんだろうな・・・食い物さえあれば人は生きられるってぇのにさ・・・」

「真田の城」に出てくる忍者の台詞です。

そんな忍者の魂が少しでも浮かばれるようにと、先月6年ぶりに「真田の城」を群馬・中之条で再演しました。が、残念ながらこのコロナの影響で無観客公演となってしまいました。やはり、忍者は人目につくことなく死んでしまうのか・・・。いやいや、今の時代にはネットという便利なものがございます。そう、このカジュ通信がお手元に届く頃にはオンライン配信が始まっております。ぜひこの機会にご覧いただければ、名もなき真田忍者の魂も必ずや浮かばれることでしょう。(「中之条ビエンナーレ」で検索!)

 

写真 : 真田忍者も潜んでいた?(会場の冨沢家住宅)

2021年秋 

紅月劇団 石倉正英

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アン・ブーリン

20210727-195120 アン・ブーリン(1501-1536)

 このご時世にも関わらず、大変ありがたいことに今まで面識のなかった団体から脚本の仕事をいただきました。テーマはアン・ブーリン。アン・ブーリンというのは16世紀のイギリスはイングランド王・ヘンリー8世の二番目の王妃で、エリザベス1世の母親です。

 ヘンリー8世とは、生涯六人もの妻を持った傲慢にして色魔、欲望のままに生きたと言われる王。エリザベス1世とは、イングランド史上二人目の女王で、生涯独身を貫き、無敵艦隊と言われたスペインを破り、イングランドを超強国に仕立て上げたツワモノ。この超個性的な二人の人物ではなく、あえてアン・ブーリンを取り上げるとは、実に渋い企画でございます。そんなでアン・ブーリンを紐解いてみると、これがまた波乱万丈の生涯なのでした。

 10代の頃、新興貴族であった父の命でフランス宮廷の侍女となったアン・ブーリンは、持ち前の知性と感性で、音楽やダンスに秀で、プロテスタントをはじめとする当時最先端の知識や思想をも吸収し、魅力的なレディとなってイングランドに帰国します。首に大きなアザがあり、右手の指は6本あったと伝えられるアンですが、それらを隠すものすら洗練されたファッションに変え、その浅黒い肌と黒髪もエキゾチックな魅力に変えて、男たちの注目の的となりました。中でもぞっこんだったのが、時の国王ヘンリー8世。ヘンリーはこの時、スペインから迎えたキャサリンと結婚していましたが、キャサリンとの間には男の子が生まれず、それが悩みの種でもありました。当初、アンに惚れたヘンリーは、アンを愛人の一人にしようと思いましたが、そんな王の申し出をアンはことごとく突っぱねてこう言います。「私が欲しければ正式な妻としてお迎えください。その代わりに、必ず男の子を産んで差し上げましょう」

 この言葉にますます虜となった王ですが、当時イングランドはローマ・カトリックの支配下にあり、離婚が禁じられていたのでした。するとアンは大陸で学んだプロテスタントなどの新しい考え方を王に吹き込みます。アンと王子が欲しい王は、ナイスアイデアと速攻ローマ・カトリックと決別し、離婚OKの独自のキリスト教会を立ち上げ、イングランドの国教としてしまいます。そしてその足でキャサリンを離婚し、アンと再婚したのでした。この時アンは一人の子を身籠っていました。医者も占星術師も口を揃えて「男の子に間違いありません」と請け負いましたが、生まれ出たのは女の子・・・それがのちにイングランドを強国に導くエリザベス1世だったのでした。

 そんな先のことはつゆ知らず、落胆したヘンリーは百年の恋も一時に冷めるとばかり、浮気に精を出し始めます。これに対してアンの嫉妬は激しく、二人の仲は急速に悪化。そしてついにヘンリーはアンをロンドン塔に幽閉すると、実の弟を含む五人の男と姦通したという根も葉もない罪を着せて彼らとともに首を切り落としてしまいます。アンの死後、ロンドン塔から走り去る馬車の中に、膝に自らの首を抱えるアンの亡霊を見たという噂が後をたたなかったそうです。

 一人の人間の都合で公然と多くの人が殺される・・・なんとも野蛮な時代の話ですが、この脚本を書いていてふと、逆に人の命はいつからこんなにも重くなったのだろうという疑問が湧いてきました。

 歴史を眺めると、おそらくそれは二つの世界大戦や、コロナの流行など、大量に人の命が失われた経験がそうさせるようになったのかもしれません。誠に結構なことと思っていた矢先・・・、衝撃的な記事に出会いました。いわく「人類が滅亡しても地球には良い影響しか与えないけれど、昆虫が滅亡すると地球は死に至る。そして昆虫は急速にその数を減らしている」と。人は確かに人を殺さなくなったけれど、もっと弱者である虫を大量に殺している。直接的にも間接的にも・・・。本質的にはヘンリー8世の時代と何ら変わっていないのかなぁ、と、家の中にばら撒いたホウ酸ダンゴを見つつ、独りごちるのでした。

 

2021年 夏号 紅月劇団 石倉正英

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ホケキョウ


 「ホ~ホケキョ」春を告げる鳥・ウグイスの鳴き声で目覚める今日この頃。なんでもウグイスの鳴き声にはその年その年でブームがあるそうで、昨年僕の家の近くで鳴いていたウグイスは「ホ~ホケチョ」と鳴き、今年のウグイスは「ホ~ホケキョケキョ」と必ず「ケキョ」を一つ付け足して鳴いています。思わずクスッと笑ってしまう鳴き声ですが、彼らはきっと大真面目に格好いいぜ!と思って鳴いているのでしょう。

  「ホ~ホケキョ」といえば法華経。そう何を隠そう、これを書いている今は、我が紅月劇団久々の鎌倉公演「不愉快なみほとけ~日蓮聖人殺害計画~」の本番真っ最中なのであります。なぜ本番中にこのコラムを書いているのか・・・締め切りを忘れていたからでございます。笑 というわけで(どんなわけで?)、今回のテーマは「法華経」をその思想の根本としたお坊さま・日蓮上人に触れてみたいと思います。

  安房国(千葉)勝浦で生まれ、比叡山や高野山に遊学し、立教を開宗した日蓮は、当時の日本の実質的な首都・鎌倉で布教しようと安房国から小舟に乗って鎌倉を目指しますが、途中大嵐に逢い遭難してしまいます。大波に飲まれ、木の葉のように漂うばかりの日蓮を導いたのは、突如として現れた白猿たちでした。白猿たちは日蓮を今の横須賀沖の小さな島に導きます。これが今の猿島で、その名の語源ともなったとか・・・。

 大嵐の海に突如として白い猿が現れるとは、にわかには信じがたいエピソードですが、白猿の伝説はその後も続きます。

 鎌倉入りして松葉谷(今の妙法寺)に草庵を結んだ日蓮が、念仏宗から焼き討ちの攻撃を受けた時(松葉谷の法難)も、白猿が山の中を導いて日蓮を逃した、と・・・。

 澁澤龍彦さんは、「きらら姫」という小説の中で、この白猿を「木地師」つまり「山の民」として描いています。さすがは澁澤さん、とても面白い解釈ですね。実際そうだったのかもしれません。ひょっとすると、海での遭難を救ったのも猿ではなく「海の民」だったのかも。もっと言えば、そもそも日蓮自体が「海の民」だったのかもしれません・・・。

 さて、日蓮聖人没後二百年ほどたったころ、とんちで有名な一休さんが身延山にある日蓮宗の総本山・久遠寺を訪ね、「ナムアミダブツ」と唱えつつ山門を通り抜けようとしたところ、近くにいた久遠寺の僧侶が血相を変えて飛んできて「ナムアミダブツとは何事、ここではナムミョウホウレンゲキョウと唱えなさい!」と諭しました。

  なぜ「ナムミョウホウレンゲキョウ」が良くて「ナムアミダブツ」がいけないのか。仏教に疎い私はこれまでどちらも似たようなもののように思っていましたが、どうしてどうして日蓮さんにとっては全く正反対ともいうべき言葉だったのです。

 「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」とは阿弥陀仏、つまり、仏の名前を唱えること。これに対して「ナムミョウホウレンゲキョウ(南無妙法蓮華経)」とは法華経、つまり、お経の名前を唱えること。「仏名を唱えれば誰でも来世は救われる」と説いた念仏宗を、現世の問題から目を背けさせる邪教と痛烈に批判し、釈迦の教えの最高のエッセンスが集められた法華経をこそ国の礎に、と説いた日蓮さんにとっては天と地ほど差のある言葉だったのです。

  これに対して臨済宗の一休さんはどう返答したか。「法華経の心も分からない私なぞが南無妙法蓮華経と唱えることこそ祖師(日蓮聖人)に失礼」と答えたのだそうです。さすがは一休さん、含蓄のある軽妙洒脱な名返答。これには流石の日蓮さんもクスリと笑ったに違いありません。

2021年 春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

20210727-194233

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