天下堂
ステンドグラスからの風景(天下堂にて)
先月富山を訪ねた夜、最後に一杯と入ったお店のママさんと話していたら、「このお店の先に天下堂という薬屋さんがあってその2階のランチが美味しいわよ」と教えてくれました。「明日ぜひ行ってみます」と店を出、宿に戻ってネットで調べてみるとその界隈に天下堂なる薬屋は見当たらず、代わりに富山駅から路面電車で30分程行った岩瀬浜にある天下堂というカフェのカレーの写真が出てきました。聞き間違えか、ママさんの記憶違いか、ともかくそのカレーの写真があまりにも美味しそうで、僕のお腹はすっかりカレーの気分となり、翌日、岩瀬浜の天下堂を目指し路面電車に乗っていたのでした。昔は北前船で栄えた浜辺の街も今ではかなり寂れ、時代に取り残された風情を感じつつ歩いていると、ひときわ時代に取り残されたような建物が現れました。それが他ならぬ目的地、天下堂だったのでした。
やっているのかどうか微妙な雰囲気の中、恐る恐るドアを開けると、スーツやらネクタイやらがそこかしこにディスプレイされた不思議な空間。あれ間違ったかな?と思っていると、奥に座っていた年配のマスターが「ようこそいらっしゃいました」と優しい笑顔で迎えてくれました。「2階へどうぞ」と案内してくれたマスターの顔を間近で見ると、母の兄にあたる齢95になるKおじさんによく似ていて、一気に親しみが湧いてきました。
誰もお客がいない中、窓際に陣取るとその窓がなんだかおかしい。ガラスが不均質で外の景色が歪んで見えるのでした。「これは昔のガラスですか?」と尋ねると「いえ、透明なステンドグラスをはめているんですよ。この窓を通してみると見慣れた外の景色を飽きずに見ていられるんです」と粋な答え。なるほど確かに油絵のように見えてくる不思議さ。
出てきたカレーを一口頬張ると、美味い!! 優しくも絶品のカレーにクミンが入ったターメリックライスがなんとも清々しい風味を醸し出している・・・と「孤独のグルメ」みたいになってきましたが(笑)本題はそこではありません。食べながらふと横を見るとテーブルの上に「天下堂だより」というポストカードが立ててあり、マスターが書いたであろう文章が印刷されている。それを読んだ瞬間、僕はそのマスターに並々ならぬ興味を覚えたのでした。事実と創作が入り混じったその文章には小粋さや真理、ふっと心を揺さぶるものがあったのです。それから実に素敵な心の会話が始まったのでした。一つの話題がマスターの手によってどんどんと深化、昇華されていく・・・。
天下堂はもともと富山の中心街にある老舗の洋品店でマスターはその代表、ここは支店兼カフェなのだそう。ふと気がつくと、向こう側の窓ガラスが薄い黄色で、マスターが立っているカウンター一帯をぼんやりと黄色い世界にしている。それを見て、思わずこんなことを言ってしまった。「なんだかマスターのいるあたりは黄色いライトが当てられた舞台のよう。舞台は彼岸ですから、まるで彼岸と此岸で会話をしているような気がします。で、舞台と客席には彼岸と此岸を隔てる結界のようなものが必要で、それがないと舞台が成立しないんですよね。ここではカウンターがまさに結界ですね」。するとマスターがこう言いました。「結界ってKeep outと捉えがちだけど、漢字を見ると「結ぶ」という字が使われている。彼岸と此岸、二つの世界を隔てるのではなく、結ぶ線と捉えても良いんじゃないですかね」・・・僕はこの言葉に愕然としました。今まで隔てる線だとばかり思っていたものが結びつける線だとは・・・なんと優しい見方なのだろう。僕は今日、なんと素敵な先輩に出会ったのだろう・・・。嬉しくて涙が出そうになりました。
「実はここに来たのには面白い間違えがあって・・・」と件のいきさつを話すとマスターも感慨深く「これはきっと偶然とか必然とかいうものではなくて、僕たちが何か大きなものと繋がっているからこそ出会ったのですよ」・・・。
名残惜しさに後ろ髪をひかれつつ鎌倉に戻ってから二週間ほど経ったある日、Kおじさんが他界したという知らせが入りました・・・。マスターのおかげで、Kおじさんにも最後に少し会えたのかもしれない、と思うのは感傷に過ぎるでしょうか。
カジュ通信 2024年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英
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