石倉正英の「テアトロ・カジュ」(ISHIKURA)

若山牧水

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若山牧水像(沼津・牧水記念館)

 今年紅月劇団は創立30周年を迎えます。25周年の時にもこのコラムで書きましたが、30年は29年の次の年であり、31年の前の年であるに過ぎない。今年もただの一年であり、尊い一年として普段と変わらず一歩一歩前へ進んで行こうと思います。そしてこのコラムも気がつけば連載50回目! 読者の皆さまにはいつも拙文に目を通していただき、誠にありがとうございます。こちらもいつもと同じように書き始めていこうと思います。

 とはいえ紅月劇団としては、今年は今までにやったことがなかったこと、すなわち他の地で作った作品を我がホーム、鎌倉の地で上演してみようと企てています。その第一弾は昨年群馬県の中之条町で公演した「BOKUSUI」、歌人・若山牧水をテーマにした作品です。生涯、酒と旅、自然を愛し、その全てを歌に詠んだ牧水は、たびたび群馬の地を訪れていて、各地に歌碑が残されています。

 牧水は川の水源に殊更な愛着を持っていました。それゆえ、利根川の水源である群馬北部にもたびたび足を運んでいたのです。

 利根川には、僕の故郷・沼田市のところで片品川が合流します。片品川は群馬と栃木の北部の県境、金精峠の途中にある神秘的な湖、丸沼・菅沼のあたりにその水源があります。丸沼や菅沼は夏でも涼しくほぼ手付かずで大きく(沼というよりは湖)、僕にとっても子供の頃からよく遊びに行っている大好きな所。ある時、牧水も沼田を起点にこの水源を辿り、金精峠を越えて中禅寺湖の方まで足を延ばす旅をしたことがありました。

 当時、丸沼・菅沼のあたり一帯はC家の土地でした。「Cさんは自分の家の敷地だけを歩いて栃木まで行けた」と、父親から聞かされたものでした。牧水が訪ねた時分もそうで、C家は丸沼で鱒の養殖をやっていたのだそう。その番人の住む小屋に泊まらせてもらうため、牧水は沼田の知り合いに紹介状を書いてもらってC家を訪ねたのでした。そして許諾を得ると案内人を雇って丸沼への山道に入ります。牧水の「みなかみ紀行」より、その足跡を辿ってみましょう。

 黒い木の森に驚く牧水に、案内人はそれらの木の名前をひとつひとつ教えてくれます。

「これが橡、あれが悪ダラ、樅(もみ)、栂(とが)、檜、唐檜(とうひ)、黒檜(くろび)」そして牧水はこんな歌を詠みます。「聳ゆるは樅栂の木の古りはてし黒木の山ぞ墨色に見ゆ」

「さらに私を驚かしたものがあった。私たちの座っている路下の沼のへりに、たけ二・三間の大きさでずっと茂り続けているのが思いがけない石楠花の木であったのだ。深山の奥の霊木としてのみ見ていたこの木が蘆葦の茂るがごとくに立ち生うているのであった・・・」

 今でこそさほど珍しく感じない石楠花という木が、この頃には山深く分け入らないと出会えない幻の木であったのですね。

 丸沼に着くと番人の老人は無類の酒好きでした。牧水が自分で飲むために携えてきた一升瓶を見てえらく喜びます。そしてろくな食事も用意できないからと、丸沼で魚を釣るように勧めます。釣り好きだった牧水は大喜びで小舟を出すと、短時間のうちに大きな鱒を十匹も釣り上げるのでした。大正12年、牧水37歳のこと。

 恐らくそれから数十年後のことだと思いますが、僕の母方の祖父が切手の収集が趣味で、同好の士であったC家の当主と仲が良く、当時完全な禁猟区であった丸沼に、秋になると招かれて一緒に鱒釣りをし、リュックいっぱいに鱒を詰めて帰ってきた、と母が話していました。

 冬季は通行止めになり、ゴールデンウィークまでは人が入れなくなる金精峠。丸沼は今ひっそりと雪に包まれています。

 

 

カジュ通信 2026年春号 紅月劇団 石倉正英

 

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セヴィニエ夫人の手紙

20260221-202522  セヴィニエ夫人(ルフェーブル画)

 このコラムを書いている週末に「セヴィニエ夫人の娘への手紙」という舞台に出演させていただくこととなりました。

セヴィニエ夫人というのは、17世紀のフランスにいた貴族の奥さんで、娘フランソワーズに宛てた膨大な手紙が「文学」として評価され、今もフランスはもとより日本でも翻訳本が出版されているというスゴい人です。

 夫のセヴィニエ侯アンリは、他人の奥さんを巡って決闘し、早くに亡くなりました。セヴィニエ夫人は25歳という若さで未亡人となり、その後二度と結婚しなかったのだそう。
それが故かどうかは定かではありませんが、愛する娘が嫁いでからというもの、必ず週に二度娘に手紙を送り、そのやり取りは終生続けられたのでした。
 その内容からも娘の溺愛ぶりは恐ろしいほどで、そんな熱い手紙を週2回送られてくる娘は相当なプレッシャーだったのではないかと邪推してしまいます。

 それらの手紙は送る過程でインターセプトされたのか、なぜかコピーされて密かにサロン内を回覧されていたのだそう。それを知った後も婦人は、回覧されても良いようにとても巧みに手紙を書き続けたのだそうです。
 奇しくもそれが後世、文学として評価される所以になったのかもしれません。

 僕自身、手紙からメール、そしてチャットへと時代が移り変わる中、手書きの手紙のあたたかさがとても好きで、かなり頻度は減りましたが、今でもここぞというときは下手くそな字で手紙を書いて送ります。手紙という距離感・時間感がなんとも言えず好き。
 そんな性分からか、主な通信手段がメールになっても簡略的な表現が苦手で、手紙のような文章を書き、何度も推敲してから送ったり、チャットになっても事務的な要件の時は別として、リプライは遅く、ついメールのような長い文章になってしまう。あたかも一世代ずつ遅れて進んでいるような気がします。笑 一文字で相手に気持ちを伝え、句読点にプレッシャーを感じる今時の若い子とうまくコミュニケーションがとれる日が来るだろうか・・・。

 と、ここまで書いてきてふと気がつきました。手紙のようなメールやチャットを送るというのも相手によりけり。心の会話ができる相手には手段を問わず必然メッセージも長くなるのだ、と・・・当たり前の話ですが。

 実家を離れて以来、随分母とも手紙のやり取りをしました。メールへの移行も割とスムーズで、携帯メールでも結構コミュニケーションを取れていました。が、歳をとってきて段々とメールの誤字・脱字が目立つようになり、返信が来ないこともしばしば。

電話をすれば良いのですが、電話嫌いな僕はついつい面倒で、逆にふとまた手紙でのやり取りを復活させてみました。するとちゃんと返信してくれるようになり、手紙での距離感・時間感が再び心地よく・・・きっと母も同じ思いだったと思います。しかしやがて「出したんだけど戻ってきちゃって・・・」という電話が来るようになり・・・。
最後に送ってくれたのは「ヴァイオリンとクラリネットのろう画」の絵葉書。いかにも母らしいセレクトの面白い絵で、それは今も机の脇に飾っています。




カジュ通信 2025年夏号 紅月劇団 石倉正英

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吸血鬼ドラキュラ

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根本原理公演「ちのみごぞうし」より(Photo by 山口笑加)

 

 先日、長年の夢であった吸血鬼ドラキュラの役をやることができました。

吸血鬼は、狼男、フランケンシュタインと並ぶ世界三大怪物とも言われていますが、その3人の中で、なんと言ってもビジュアル的に魅力があるのは吸血鬼ではないでしょうか。きちんとした身なりをしたイケメンでプレイボーイ、それでいてニンニクが嫌い、お日様に弱い、鏡に映らないといったキュートな一面も持ち合わせているギャップ萌え・・・。

 吸血鬼伝承はメソポタミアや古代ギリシャの時代から世界各地にあり、古代中国の文献にはすでに「吸血鬼」という名前そのものが出てくるのだそう。共通するのは冥界から蘇った存在で、人の生き血を吸うことで生きながらえることができるということ。
現在最も有名な吸血鬼と言えるドラキュラは、アイルランドの作家ブラム・ストーカーがトランシルバニアの民間伝承をもとに1897年に発表した小説で、その後吸血鬼の代名詞的存在になりましたが、その本が出版される80年ほど前、イングランドで「吸血鬼」という本が出版され評判となりました。

 当初この小説は放蕩の詩人バイロン卿の作とされましたが、実はこれを書いたのはジョン・ポリドリという医者でした。ポリドリはバイロン卿の主治医であり愛人でした。
 火山の大噴火によって北半球全体が寒冷化し「夏のない年」と呼ばれた1816年、スイスのレマン湖畔にあるディオダティ荘という別荘に奇妙な5人の男女が集まりました。そのメンバーは、バイロン卿とポリドリ、そして詩人シェリーとその不倫相手のメアリ、さらにメアリの義妹でありバイロン卿の愛人でもあったクレアの5人です。

 寒い長雨が続くレマン湖畔の別荘にこもった5人が、退屈し始めたある夜、バイロン卿が「今宵、皆で一つずつ怪奇譚を書こう」と提案しました。この時バイロン卿が書いた「小説の断片」という短いエピソードを後日ポリドリが小説として膨らませたのが上述の「吸血鬼」だったのでした。ちなみに、この時メアリーが書いたのが後世に残る名作「フランケンシュタイン」。
 この歴史的な怪奇小説が二つも誕生した特異な夜は「ディオダティ荘の怪奇談義」として語り継がれ、映画「ゴシック」のモチーフともなりました。

 ところで吸血鬼はなぜ他人の生き血を吸うのでしょう。一度死んで血を失った吸血鬼が再び生きるため、常に補充しなければならないのでしょうか(どこかから出血している?)。はたまたアル中ならぬブラッド中で、血を飲まないと禁断症状が出るからでしょうか。後者の方が当たっているように思えますが、今回の芝居の中で吸血鬼が「血を分けてほしい」と言うと、女性が「血液型は?」と問う場面がありました。血液型!? 血液型を気にして女性を襲う吸血鬼は見たことがなかったけど・・・そういえばO型の人は蚊に刺されやすいと聞く・・・蚊はO型・・・?

 と、冗談はさておき、今回の作品の脚本を書いた故・岸田理生さんは、劇中、それについてこんな面白い見解をセリフにしていました。

「血は、遠く相隔たるものを結合し、一から他へ感触を伝達しめるための手段となる媒介物なのだ。お前に血を吸われたものはまた血を吸うものとなる。吸血せよ、我が息子! この世にありとあらゆる血を混ぜ合わせ、血のカオスを生み出すのだ。その時、いのちはひとつとなる。血から生まれる戦は消失し、所有は地上から姿を消す!」
 案外、世界に平和をもたらすのは吸血鬼かもしれません。



カジュ通信 2025年夏号 紅月劇団 石倉正英





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川端康成

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今の新潮文庫の装画は現代版画展の作品!

 来月、5月17~18日に予定している我が紅月劇団春公演のテーマは文豪・川端康成です。
今年は文学者に焦点を当ててみようと思ったのですが、川端康成を取り上げたのには、いくつかの巡り合わせがあったからでありました。

今回の会場である鎌倉・長谷別邸からほど近いところに川端が晩年住んでいたこと、最後に自殺を遂げた逗子マリーナの近くに今僕が住んでいること、などなど。
と・・・取り上げてみたは良いものの、さて脚本を書く段になると、その作品数の膨大さ、多岐にわたる作風、ご本人自体が誠にとらえどころのないことなど、まー本当にいったいどこから手をつけて良いものやら・・・五里霧中、四苦八苦、試行錯誤を繰り返しやっとこさ脚本の完成にこぎつけたのでございます。

 川端といえば日本初のノーベル文学賞をとった押しも押されぬ文学小説の大家。酷評する人は皆無と言って良いほど、世間の評価を受けた人。しかしその作品の登場人物は、女にも人生にもだらしのない男だったり、ストーカーのような変質者だったり、妄想狂だったりと、かなり異質なキャラクターが多く・・・脚本を書きながら様々な人に川端の印象を聞いてみたのですが、実に十人十色、大好きと言う人がいるかと思えば、気持ち悪い、彼は危ないと言う人もいる
川端の作品同様、さまざまな側面を持った人物と言えるのかもしれません。

 今回脚本を書くにあたって久々に川端作品をあれこれ読み返してみたのですが、改めて読んでみると、川端のものを見る目というものが、いちいち凄まじいまでに微に入り細を穿ち、なおかつ表層を貫いて思い切り深い層まで、そのものの本質めいたところまで見通していることが如実に感じられました。
 その人物の一瞬の表情を描写するのに、いったい何ページを費やすのだろう・・・いや、費やすという言葉は適当ではないですね。その表情を語るのにその字数を割いて余りある表現力、密度の高さ。凡庸な作家であればもてあましてしまうであろうその字数が、川端にとっても読者にとっても、決してくどくなく、必要十分であることの妙。
 なおかつそれが、その本のメインストーリーとは一見全く関係がないものだったりする。それはあたかも、メインキャストだけでなく彼らを取り巻く世界全体を余すところなく描いているようです。

 川端といえば有名なエピソードに、訪ねた女性編集者が泣き出してしまった、というのがあります。川端は黙ってじっと人の顔を見つめる癖があったのだとか。
 その恐ろしいまでの視線が、人ばかりでなく世界全てにおいて同じ鋭さと貫通力を持っていたからこそ、このような名作が次々と生まれて行ったに違いありません。

 高校時代に敬愛した古典の教師がこんな表現で僕らに文学の読み方を教えてくれたことがありました。曰く「俺は川端の雪国を十代の頃から何度も読んできたけど、歳をとるにつれて島村と駒子がヤッた回数が増えてくるんだ」と。
卑猥な話ですみません。なにしろ男子校だったものでして・・・笑

 確かに今回ウン十年ぶりに「雪国」を読み返してみたら、「あ、ここでもHしてる!」と気づくこと多々。本物の文学を読み解くには読者の「経験年数」も大切ということでしょうか・・・も、もちろん、新たに気づいたのはHの回数ばかりではありません・・・。



カジュ通信 2025年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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邪宗門

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Cafe邪宗門

 我は思ふ、末世の邪宗、切支丹デウスの魔法。

 黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、

 色赤きびいどろを、匂鋭きあんじゃべいいる、

 南蛮の桟留縞を、はた阿刺吉、珍酡の酒を・・・

 

 このわけの解らない、それでいて何とも魅惑的な言葉の数々は・・・北原白秋の「邪宗門秘曲」という詩の出だしです。

 白秋が好きな方にとっては釈迦に説法ですが、いくつか聞きなれない言葉を現代語訳すると・・・加比丹(カピタン)=船長、あんじゃべいいる=カーネーション、阿刺吉(アラキ)=ナツメヤシの酒、珍酡(チンタ)=ワイン。

 白秋がこの詩を含んだ「邪宗門」という詩集を世に出したのは1909年(明治42年)、24歳の時。これが彼の処女詩集で自費出版、全く売れなかったとのこと。その後第二詩集「思ひ出」がヒットして、邪宗門もすぐに再評価されたよう。明治42年というよりは、江戸時代に視点を移して読むと、より魅惑感が増すような気もします。キリスト教世界への「あくがれ」を思わせるような・・・。

 昨年末の一人芝居x音楽の公演がちょうどクリスマスの日だったこともあり、また会場がガレージのような世界各地の種々雑多なモノであふれる空間だったこともあり、この邪宗門秘曲をオープニングに読んでみたのですが、声に出して読んでみると、なお一層香りが立ち、言葉の一つ一つが立体化して、その不思議さが膨張してくるのを感じ、まるで香りの強い60度はある酒を飲んでしたたかに酔っていくような感覚に陥りました。これを24歳で書き上げるとは・・・白秋恐るべし。

 僕がこの詩に出会ったのは確か中学生の頃だったと思いますが、それはちょっと意外な場所ででした。

 新潟の関越道・塩沢石打ICのすぐ近くにとても雰囲気の良い喫茶店があって、実家から車で1時間くらいだったこともあり、その方面にドライブすると、珈琲好きな母の希望によって必ず立ち寄っていたお店だったのですが、そのお店の名が「邪宗門」だったのでした。そして注文票の裏側にこの詩が味のある字体で書かれていたのでした。行くたびにこれは何と読むんだろう、どんな意味なんだろうと皆で話すのもそのお店に行く楽しみの一つでありました。あえてメモするでもなく、意味を調べるでもなく、ただその言葉の魔力に酔うのが面白かった。

 今から十数年前のこと、母を連れて邪宗門の近くの蕎麦屋で昼食を食べた時、ふと窓の外を見ると、少し離れた森の端をたくさんの猿が移動していくのが見えました。「あんなに猿がいるんですね」とお店の人に話しかけると、「こんなに多く出てくるのは珍しいですね」とお店の人も少しびっくりした様子。その後、久しぶりに邪宗門に入ると、店にいたお客さんたちが興奮した様子で「大丈夫でしたか?」と尋ねてきました。それに対して母が「猿!? 猿が出たの!?」と返し、店内は爆笑に包まれたのですが、実はその直前に東日本大震災の1回目の大地震があったのでした。僕らは車に乗っていて気が付かなかったのですが、きっと猿たちは事前に危機を察知して安全なところに逃げていたのでしょう・・・。

 恐らく僕だけでなく、多くの人たちにとって印象に残るであろう喫茶店「邪宗門」は今も健在。店内はまさにこの詩の世界観を体現しています。お近くに行かれた際はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょう。



カジュ通信 2025年新春号 紅月劇団 石倉正英

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めんどくさい

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掃除後3日目の水槽

 

 「何見てるんですか?」「見ますか?」「(水槽を覗く)何もいない」「いますよ藻が」

 このCMによれば藻は世界の食糧問題を解決する可能性を秘めているのだとか。分かります分かります。それくらい藻の成長力、繁殖力は半端ない。というのも僕は日々それを痛感させられているのですから。

 そう、何を隠そう、いや何も隠す必要は無いのですが、僕はかれこれ20年近く熱帯魚を飼っていまして、この藻の生命力にはほとほと悩まされているのです。目に見えるか見えないかの断片が水槽に入ったが最後、2週間後には立派な緑色のリボンを漂わせている。それは取っても取っても再生される。水を総取っ換えしても無駄。魚とともに入り込んでしまうのです。

 様々な対策がことごとく失敗に終わった結果、僕がたどり着いた結論は悟りのような境地です。すなわち生えても良しと認め(諦め)、こまめに掃除すること。そう、藻が元気だと魚も元気、ある意味健全な水環境なのです。藻は悪者じゃない、悪者じゃないけど掃除するや否や翌日にはうっすらとガラスが緑色になってくるのを見ると憎たらしく思えてくる・・・そう、水槽の掃除というのはそれほどめんどくさいことなのです。と言ってるうちにまた藻が! あーめんどくさい!

 前置きが長くなりました。こんな風に世の中というのはめんどくさいことだらけだとは思いませんか? 掃除、洗濯、料理に後片付け、会議、打合せ、日々の仕事、初めてのグループでのパーティ、犬の散歩・・・。僕にとっては脚本を書くのも、稽古に行くのもめんどくさい! ものぐさな人でなくても、誰しも一日に数回はめんどくさいと思うのではないでしょうか?

 思うにめんどくさいという思いは、そういった物事を始める直前に湧き上がる感情のような気もします。一旦始まってしまえばめんどくささなど忘れて没頭したり楽しんだりできる。ものにもよると思いますが。そして結果、水槽は奇麗になり至福の瞬間を味わうことができる。あー美しい、熱帯魚を飼ってて良かったー! めんどくささとは幸せを味わうための通過儀礼なのでしょうか。

 「めんどくさい」とは「面倒臭い」という不思議な字を書く。「面倒」という漢字にはいったいどんな意味が?と調べてみたら、あにはからんや「目どうな」という言葉が変化したものなのだそう。「どうな」とは無駄という意味で「見るのも無駄」という言葉からきているのだとか。いつしかそれに「ん」が入って「面倒」という当て字をしたのだと。本来は「見るのも無駄っぽい」といったところでしょうか。

 口に出したことは言霊となってそれが本当になるような気がして、こと芝居の準備に携わる時はめんどくさいとは心では思っても、けっして口に出しては言わないようにしています。口に出したが最後、その作品が悪いものになってしまうような気がして。そう、口に出したらきっと「見るのも無駄な芝居」となり、面(メンツ)が倒れる=立たない作品になってしまうのではないかしらん。

 でも、少し前に、かの宮崎駿監督のドキュメンタリーを見ていたら、アニメの原画を描いているとき、しきりに「あーめんどくさい」を繰り返していました。めんどくさいと言おうが言うまいが作品の出来には関係が無いようです。



カジュ通信 2024年秋・冬号 紅月劇団 石倉正英

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キノコの怪



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泉鏡花きのこ文学集成(飯沢耕太郎編.作品社)

 

 今、頭の中にキノコがたくさん生えています。といってもやばい病気にかかっているわけではありません。単に8月下旬に予定している芝居の題材がキノコなので、頭の中がキノコでいっぱいになっているのです。
 なぜキノコなのかというと、先日キノコ文学研究家なる方と出会い、その方がこの度「泉鏡花きのこ文学集成」なる書物を出版され、その記念イベントでキノコの芝居をやっては?とありがたいお誘いを受けたからなのでした。

 ちょっと待って・・・キノコ文学なんてジャンルがあったっけ? それがあるんです。定義は単純明快、キノコが出てくる文学であればそれはすべてキノコ文学とのこと。面白いところに目をつけられたものです。

キノコは生物学的に言うと菌類に分類されます。菌類と言われるとカビや細菌、病気を引き起こすものも連想されあまり良いイメージが無い。一方で酵母菌のように美味しいパンや味噌、醤油などを作ってくれるものでもある。キノコも美味しいものもある一方で毒や幻覚作用を持っているものもあり、虫の体を乗っ取ってそれを栄養分にして成長する冬虫夏草などという恐ろしいものまである。

驚くべきは菌類というのは植物でも動物でもなく、その中間的な存在なのだそう。人間にとっては毒キノコであっても、その根のような菌糸を地中深くに張って、木が栄養分を吸収するのを助けたり、木と木のコミュニケーションを司っているという説もある。我々の認識するキノコは、その菌糸ネットワークからほんの一瞬、地表に顔を出したものに過ぎないのです。雨が降った翌朝、思いもかけぬところに驚くべき色形をしたキノコが生えていることがある。雨後の筍ならぬ雨後のキノコ。しっかし、なにをどうしたらこんな短時間にこんな奇妙な形のものを形成させられるのか・・・不思議です。

狂言に「茸(くさびら)」という作品があります。ある男の家に得体のしれない巨大なキノコが生えて、取っても取っても生えてくるので気味が悪くなり山伏に祈祷をお願いする。ところが山伏が祈るごとにキノコがどんどん増え、最後にはひときわ巨大で毒々しい奴が出てきて「取って食おう、取って食おう」と言いつつ主人と山伏を追い掛け回すというお話。実に面白い作品ですが、いみじくも人間とキノコの関係を良く表していると言えるかもしれません。

子供のころ、父は秋になると良く山に入ってキノコ採りをしました。ある時、それは見事な大株の舞茸を見つけました。舞茸はブナの切り株に生えるキノコで、ご存じの通りとても美味しいキノコ。今では養殖モノもたくさん出回るようになりましたが、かつては養殖がとても難しく天然物しか手に入らなかった。しかも、滅多に見つからないことから見つけると嬉しさのあまり舞を舞ってしまうことから舞茸と名付けられたとか。その時の父も踊りださんばかりの嬉しさに即座にごそっと取って喜色満面で帰ってきました。が、後日キノコ採り名人にその話をしたところ「危なかったねー」と言われました。いわく、舞茸の下は蝮の寝床になっていることが多く、良く舞茸取りが蝮にかまれて死んでしまうのだそう。それゆえ、まずは蝮がいないかを良く確かめてから取るのが鉄則とのこと。その日の父は本当にラッキーだったのでしょう。ご相伴に預かった僕たちもまた。

カジュ通信 2024年夏号 紅月劇団 石倉正英

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天下堂

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ステンドグラスからの風景(天下堂にて)


 先月富山を訪ねた夜、最後に一杯と入ったお店のママさんと話していたら、「このお店の先に天下堂という薬屋さんがあってその2階のランチが美味しいわよ」と教えてくれました。「明日ぜひ行ってみます」と店を出、宿に戻ってネットで調べてみるとその界隈に天下堂なる薬屋は見当たらず、代わりに富山駅から路面電車で30分程行った岩瀬浜にある天下堂というカフェのカレーの写真が出てきました。聞き間違えか、ママさんの記憶違いか、ともかくそのカレーの写真があまりにも美味しそうで、僕のお腹はすっかりカレーの気分となり、翌日、岩瀬浜の天下堂を目指し路面電車に乗っていたのでした。昔は北前船で栄えた浜辺の街も今ではかなり寂れ、時代に取り残された風情を感じつつ歩いていると、ひときわ時代に取り残されたような建物が現れました。それが他ならぬ目的地、天下堂だったのでした。

 やっているのかどうか微妙な雰囲気の中、恐る恐るドアを開けると、スーツやらネクタイやらがそこかしこにディスプレイされた不思議な空間。あれ間違ったかな?と思っていると、奥に座っていた年配のマスターが「ようこそいらっしゃいました」と優しい笑顔で迎えてくれました。「2階へどうぞ」と案内してくれたマスターの顔を間近で見ると、母の兄にあたる齢95になるKおじさんによく似ていて、一気に親しみが湧いてきました。

 誰もお客がいない中、窓際に陣取るとその窓がなんだかおかしい。ガラスが不均質で外の景色が歪んで見えるのでした。「これは昔のガラスですか?」と尋ねると「いえ、透明なステンドグラスをはめているんですよ。この窓を通してみると見慣れた外の景色を飽きずに見ていられるんです」と粋な答え。なるほど確かに油絵のように見えてくる不思議さ。

出てきたカレーを一口頬張ると、美味い!! 優しくも絶品のカレーにクミンが入ったターメリックライスがなんとも清々しい風味を醸し出している・・・と「孤独のグルメ」みたいになってきましたが(笑)本題はそこではありません。食べながらふと横を見るとテーブルの上に「天下堂だより」というポストカードが立ててあり、マスターが書いたであろう文章が印刷されている。それを読んだ瞬間、僕はそのマスターに並々ならぬ興味を覚えたのでした。事実と創作が入り混じったその文章には小粋さや真理、ふっと心を揺さぶるものがあったのです。それから実に素敵な心の会話が始まったのでした。一つの話題がマスターの手によってどんどんと深化、昇華されていく・・・。

天下堂はもともと富山の中心街にある老舗の洋品店でマスターはその代表、ここは支店兼カフェなのだそう。ふと気がつくと、向こう側の窓ガラスが薄い黄色で、マスターが立っているカウンター一帯をぼんやりと黄色い世界にしている。それを見て、思わずこんなことを言ってしまった。「なんだかマスターのいるあたりは黄色いライトが当てられた舞台のよう。舞台は彼岸ですから、まるで彼岸と此岸で会話をしているような気がします。で、舞台と客席には彼岸と此岸を隔てる結界のようなものが必要で、それがないと舞台が成立しないんですよね。ここではカウンターがまさに結界ですね」。するとマスターがこう言いました。「結界ってKeep outと捉えがちだけど、漢字を見ると「結ぶ」という字が使われている。彼岸と此岸、二つの世界を隔てるのではなく、結ぶ線と捉えても良いんじゃないですかね」・・・僕はこの言葉に愕然としました。今まで隔てる線だとばかり思っていたものが結びつける線だとは・・・なんと優しい見方なのだろう。僕は今日、なんと素敵な先輩に出会ったのだろう・・・。嬉しくて涙が出そうになりました。

「実はここに来たのには面白い間違えがあって・・・」と件のいきさつを話すとマスターも感慨深く「これはきっと偶然とか必然とかいうものではなくて、僕たちが何か大きなものと繋がっているからこそ出会ったのですよ」・・・。

名残惜しさに後ろ髪をひかれつつ鎌倉に戻ってから二週間ほど経ったある日、Kおじさんが他界したという知らせが入りました・・・。マスターのおかげで、Kおじさんにも最後に少し会えたのかもしれない、と思うのは感傷に過ぎるでしょうか。



カジュ通信 2024年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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遅読家の憂鬱

Photo_20240421183201行間は踊る、されど進まず

 今、今年取り組む作品のテーマとなる平家物語を読み直しています。が、膨大なページ数なので、人一倍読むのが遅い僕であるがゆえ、遅々として進まず、年明けから読み始めてまだ平清盛が元気に生きています。笑 この調子では、読み終える前に稽古がスタートしてしまうのではないかという危惧が頭をもたげてきています・・・。

 まこと僕から見ると周りの人の文字を読むスピードはめちゃ速い。よく美術館や博物館で説明書きを読んでいて、ふと気がつくと渋滞ができている。そこで「速く読めよ」プレッシャーを受けるのです。げに世の人々は何故にそれほど速く読めるのでしょうか。

 文字を読むスピードは何に左右されるのでしょうか。鍛錬? 性格? 頭の回転?

 読書スピードが上がれば、それだけ短時間で多くの書物が読めるわけで、生涯の読書量に大きな差ができてしまう。そこまで大袈裟でなくても、僕のように脚本などを書く人にとっては、下調べの時間が大いに節約されるわけで、非常に効率が良くなるはず・・・。が、速く読もうと頑張ってはみるものの頭が追いつかず、どうしても速く読めないのです。速く読める人は頭の回転が良く、理解力も高いのでしょうか。

 しかし、同じように読書スピードが遅いと自白する同士が過去に二人おりました。

 一人は脚本家の宮藤官九郎さんで、前にTVのインタビューで、はじめにこの作品の原作を渡されたのだけど、自分は人一倍読むのが遅いので、これをまともに読んでいたら読み終える前に〆切が来てしまう、よって、あらすじだけを読んでこの脚本を書きました云々。

 もう一人は湯布院の民泊のオヤジさん。いわく「俺ほど読むのが遅い人間はいない。その代わり、俺ほど読んだ本を理解できる人間もいない」。あっぱれ!

 とはいえ、読書スピードと内容を理解するスピードが一致するとも思いません。簡単な本ならまだしも小難しい本や複雑な推理小説などは、さらっと読んだだけではとても理解できるものではない。ひょとすると読むのが速い人は先に一通り読んでしまってから内容を吟味するのかな・・・とここまで書いてきてふと気がつきました。考えてみると、僕は黙読でも音読と同じ速さ、作者や登場人物がナチュラルに発語する速さで読んでいる! 遅いはずじゃん(笑)。これはもう役者のサガなのかもしれません。じゃあ気にせずゆっくり読みゃあいいじゃないか。おっしゃる通り。でも〆切があるとそうも言っていられない・・・。

 が、何故だか今回平家物語を読み始めた時、ふと、焦らずあえてゆっくりと一字一句吟味しながら読んでみよう、と思ったのでした。開き直りというよりは、これはある種のお告げのようなもの。

すると、なんだか行間に、そこには描かれていない人々の声や振る舞いのようなものが立ち現れてきて、イマジネーションがえらく活性化されてくる。文字化されていない世界が広がり、膨大な人々の悲喜交々が見えてくるような気がするのでした。

そうか、叙事詩とはそういうものなんだ・・・。

おかげで芝居の構想を描きながら読み進めることができています。これはきっと良い脚本ができるに違いない! 稽古スタートまでに読破できるかどうかは保証の限りではありませんが・・・。

 

2024年初春 紅月劇団 石倉正英

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上毛かるた

Photo_20240421182801 上毛かるたの「よ」と「ら」

 長野県民は皆「信濃の国」という県歌を歌うことができると聞きました。それはなぜかというと、六番まである歌詞には長野の地理や歴史、文化などが余すことなく盛り込まれているので、郷土について教えるのに都合がよく、県内の小学校の音楽や社会などの授業でよく取り上げられるからなのだそう。勉強好きといわれる長野県民らしい理由かもしれませんね。

 我が故郷・群馬県にもそれに似たものがあります。「上毛かるた」というものです。

近年TVなどで取り上げられることが多くなったのでご存じの方も多いことでしょう。「信濃の国」と同じように、群馬の偉人・文化・名所旧跡がふんだんに盛り込まれていて、一回遊べば群馬のことが大体わかる仕組みになっています。

ほぼ全ての群馬県民はこれを誦じて言えます。いやいや嘘ではありません。もし群馬県出身の人に出会ったら上毛かるたの「い」は?と聞いてみてください。間髪入れず「伊香保温泉日本の名湯」と立板に水のごとく答えてくれること請け合いです。

 それはなぜかといえば、長野のように小学校の授業で取り上げられるからではなく、そこは博打好きな群馬県民、子供の遊びの一種であり、毎年町内会で「上毛かるた大会」が催され、地区予選から県大会まであって、誰しも子供の頃に暗記するほど遊んでいるためなのです。こんな具合に幼少の頃から刷り込まれた知識は自ずと郷土愛に結びついていく・・・。

 いくつか紹介しましょう。歴史上の偉人シリーズでは「て:天下の義人、茂左衛門」「ぬ:沼田城下の塩原太助」「れ:歴史に名高い新田義貞」等々。

最近世界遺産になったところも「に:日本で最初の富岡製糸」。

温泉大国である群馬の名湯シリーズでは、上述の伊香保温泉のほかに「く:草津よいとこ薬の温泉(いでゆ)」「よ:世のちり洗う四万温泉」と三役揃い踏み。ちなみに四万温泉の絵札にはやんわりと入浴中の女性のヌードが描かれています(下図)。それゆえに、子供の頃この札を取ると速攻「エッチ!」と冷やかされたものです。笑

 前回のテアトロ・カジュで取り上げた小栗上野介も、入っていて良さそうな偉人ですが入ってない。これも明治政府の仕業かというと、そうではなくて、当初は小栗も候補の一つだったのだとか。

なぜ選から漏れたのかというと、この上毛かるたが編纂された太平洋戦争直後、かるたの内容もGHQの検閲を受けねばならなかったのだそうで、横須賀製鉄所を作った小栗は、日本を軍国化させた張本人とみなされたために、ヤクザの大親分・国定忠治の札などとともに却下されてしまったのだとか・・・。

 その候補作が「ち:知慮優かな小栗も冤罪」。代わりに採用されて今に至る「ち」の札は「力あわせる二百万」。これは群馬の人口を表したもので、僕が子供の頃は「力あわせる百六十万」でした。人口の推移とともに度々改訂されているのですが、もし小栗の札が採用されていたら、昨今の少子化によって人口が減っていく寂しさを感じずに済んだかもしれません。

 ちなみに上毛かるたを編纂した浦野匡彦は、小栗のように取り上げられなかった人々をまとめて象徴するような札を一枚入れています。「ら:雷と空風、義理人情」。この札は群馬県民の精神風土を見事に表しているとともに、白い読み札の中にあって、いろはの「い」の札とともに二枚だけ赤く色付けられている読み札のうちの一枚なのです。

 

2023年秋 紅月劇団 石倉正英

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