石倉正英の「テアトロ・カジュ」(ISHIKURA)

天下堂

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ステンドグラスからの風景(天下堂にて)


 先月富山を訪ねた夜、最後に一杯と入ったお店のママさんと話していたら、「このお店の先に天下堂という薬屋さんがあってその2階のランチが美味しいわよ」と教えてくれました。「明日ぜひ行ってみます」と店を出、宿に戻ってネットで調べてみるとその界隈に天下堂なる薬屋は見当たらず、代わりに富山駅から路面電車で30分程行った岩瀬浜にある天下堂というカフェのカレーの写真が出てきました。聞き間違えか、ママさんの記憶違いか、ともかくそのカレーの写真があまりにも美味しそうで、僕のお腹はすっかりカレーの気分となり、翌日、岩瀬浜の天下堂を目指し路面電車に乗っていたのでした。昔は北前船で栄えた浜辺の街も今ではかなり寂れ、時代に取り残された風情を感じつつ歩いていると、ひときわ時代に取り残されたような建物が現れました。それが他ならぬ目的地、天下堂だったのでした。

 やっているのかどうか微妙な雰囲気の中、恐る恐るドアを開けると、スーツやらネクタイやらがそこかしこにディスプレイされた不思議な空間。あれ間違ったかな?と思っていると、奥に座っていた年配のマスターが「ようこそいらっしゃいました」と優しい笑顔で迎えてくれました。「2階へどうぞ」と案内してくれたマスターの顔を間近で見ると、母の兄にあたる齢95になるKおじさんによく似ていて、一気に親しみが湧いてきました。

 誰もお客がいない中、窓際に陣取るとその窓がなんだかおかしい。ガラスが不均質で外の景色が歪んで見えるのでした。「これは昔のガラスですか?」と尋ねると「いえ、透明なステンドグラスをはめているんですよ。この窓を通してみると見慣れた外の景色を飽きずに見ていられるんです」と粋な答え。なるほど確かに油絵のように見えてくる不思議さ。

出てきたカレーを一口頬張ると、美味い!! 優しくも絶品のカレーにクミンが入ったターメリックライスがなんとも清々しい風味を醸し出している・・・と「孤独のグルメ」みたいになってきましたが(笑)本題はそこではありません。食べながらふと横を見るとテーブルの上に「天下堂だより」というポストカードが立ててあり、マスターが書いたであろう文章が印刷されている。それを読んだ瞬間、僕はそのマスターに並々ならぬ興味を覚えたのでした。事実と創作が入り混じったその文章には小粋さや真理、ふっと心を揺さぶるものがあったのです。それから実に素敵な心の会話が始まったのでした。一つの話題がマスターの手によってどんどんと深化、昇華されていく・・・。

天下堂はもともと富山の中心街にある老舗の洋品店でマスターはその代表、ここは支店兼カフェなのだそう。ふと気がつくと、向こう側の窓ガラスが薄い黄色で、マスターが立っているカウンター一帯をぼんやりと黄色い世界にしている。それを見て、思わずこんなことを言ってしまった。「なんだかマスターのいるあたりは黄色いライトが当てられた舞台のよう。舞台は彼岸ですから、まるで彼岸と此岸で会話をしているような気がします。で、舞台と客席には彼岸と此岸を隔てる結界のようなものが必要で、それがないと舞台が成立しないんですよね。ここではカウンターがまさに結界ですね」。するとマスターがこう言いました。「結界ってKeep outと捉えがちだけど、漢字を見ると「結ぶ」という字が使われている。彼岸と此岸、二つの世界を隔てるのではなく、結ぶ線と捉えても良いんじゃないですかね」・・・僕はこの言葉に愕然としました。今まで隔てる線だとばかり思っていたものが結びつける線だとは・・・なんと優しい見方なのだろう。僕は今日、なんと素敵な先輩に出会ったのだろう・・・。嬉しくて涙が出そうになりました。

「実はここに来たのには面白い間違えがあって・・・」と件のいきさつを話すとマスターも感慨深く「これはきっと偶然とか必然とかいうものではなくて、僕たちが何か大きなものと繋がっているからこそ出会ったのですよ」・・・。

名残惜しさに後ろ髪をひかれつつ鎌倉に戻ってから二週間ほど経ったある日、Kおじさんが他界したという知らせが入りました・・・。マスターのおかげで、Kおじさんにも最後に少し会えたのかもしれない、と思うのは感傷に過ぎるでしょうか。



カジュ通信 2024年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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遅読家の憂鬱

Photo_20240421183201行間は踊る、されど進まず

 今、今年取り組む作品のテーマとなる平家物語を読み直しています。が、膨大なページ数なので、人一倍読むのが遅い僕であるがゆえ、遅々として進まず、年明けから読み始めてまだ平清盛が元気に生きています。笑 この調子では、読み終える前に稽古がスタートしてしまうのではないかという危惧が頭をもたげてきています・・・。

 まこと僕から見ると周りの人の文字を読むスピードはめちゃ速い。よく美術館や博物館で説明書きを読んでいて、ふと気がつくと渋滞ができている。そこで「速く読めよ」プレッシャーを受けるのです。げに世の人々は何故にそれほど速く読めるのでしょうか。

 文字を読むスピードは何に左右されるのでしょうか。鍛錬? 性格? 頭の回転?

 読書スピードが上がれば、それだけ短時間で多くの書物が読めるわけで、生涯の読書量に大きな差ができてしまう。そこまで大袈裟でなくても、僕のように脚本などを書く人にとっては、下調べの時間が大いに節約されるわけで、非常に効率が良くなるはず・・・。が、速く読もうと頑張ってはみるものの頭が追いつかず、どうしても速く読めないのです。速く読める人は頭の回転が良く、理解力も高いのでしょうか。

 しかし、同じように読書スピードが遅いと自白する同士が過去に二人おりました。

 一人は脚本家の宮藤官九郎さんで、前にTVのインタビューで、はじめにこの作品の原作を渡されたのだけど、自分は人一倍読むのが遅いので、これをまともに読んでいたら読み終える前に〆切が来てしまう、よって、あらすじだけを読んでこの脚本を書きました云々。

 もう一人は湯布院の民泊のオヤジさん。いわく「俺ほど読むのが遅い人間はいない。その代わり、俺ほど読んだ本を理解できる人間もいない」。あっぱれ!

 とはいえ、読書スピードと内容を理解するスピードが一致するとも思いません。簡単な本ならまだしも小難しい本や複雑な推理小説などは、さらっと読んだだけではとても理解できるものではない。ひょとすると読むのが速い人は先に一通り読んでしまってから内容を吟味するのかな・・・とここまで書いてきてふと気がつきました。考えてみると、僕は黙読でも音読と同じ速さ、作者や登場人物がナチュラルに発語する速さで読んでいる! 遅いはずじゃん(笑)。これはもう役者のサガなのかもしれません。じゃあ気にせずゆっくり読みゃあいいじゃないか。おっしゃる通り。でも〆切があるとそうも言っていられない・・・。

 が、何故だか今回平家物語を読み始めた時、ふと、焦らずあえてゆっくりと一字一句吟味しながら読んでみよう、と思ったのでした。開き直りというよりは、これはある種のお告げのようなもの。

すると、なんだか行間に、そこには描かれていない人々の声や振る舞いのようなものが立ち現れてきて、イマジネーションがえらく活性化されてくる。文字化されていない世界が広がり、膨大な人々の悲喜交々が見えてくるような気がするのでした。

そうか、叙事詩とはそういうものなんだ・・・。

おかげで芝居の構想を描きながら読み進めることができています。これはきっと良い脚本ができるに違いない! 稽古スタートまでに読破できるかどうかは保証の限りではありませんが・・・。

 

2024年初春 紅月劇団 石倉正英

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上毛かるた

Photo_20240421182801 上毛かるたの「よ」と「ら」

 長野県民は皆「信濃の国」という県歌を歌うことができると聞きました。それはなぜかというと、六番まである歌詞には長野の地理や歴史、文化などが余すことなく盛り込まれているので、郷土について教えるのに都合がよく、県内の小学校の音楽や社会などの授業でよく取り上げられるからなのだそう。勉強好きといわれる長野県民らしい理由かもしれませんね。

 我が故郷・群馬県にもそれに似たものがあります。「上毛かるた」というものです。

近年TVなどで取り上げられることが多くなったのでご存じの方も多いことでしょう。「信濃の国」と同じように、群馬の偉人・文化・名所旧跡がふんだんに盛り込まれていて、一回遊べば群馬のことが大体わかる仕組みになっています。

ほぼ全ての群馬県民はこれを誦じて言えます。いやいや嘘ではありません。もし群馬県出身の人に出会ったら上毛かるたの「い」は?と聞いてみてください。間髪入れず「伊香保温泉日本の名湯」と立板に水のごとく答えてくれること請け合いです。

 それはなぜかといえば、長野のように小学校の授業で取り上げられるからではなく、そこは博打好きな群馬県民、子供の遊びの一種であり、毎年町内会で「上毛かるた大会」が催され、地区予選から県大会まであって、誰しも子供の頃に暗記するほど遊んでいるためなのです。こんな具合に幼少の頃から刷り込まれた知識は自ずと郷土愛に結びついていく・・・。

 いくつか紹介しましょう。歴史上の偉人シリーズでは「て:天下の義人、茂左衛門」「ぬ:沼田城下の塩原太助」「れ:歴史に名高い新田義貞」等々。

最近世界遺産になったところも「に:日本で最初の富岡製糸」。

温泉大国である群馬の名湯シリーズでは、上述の伊香保温泉のほかに「く:草津よいとこ薬の温泉(いでゆ)」「よ:世のちり洗う四万温泉」と三役揃い踏み。ちなみに四万温泉の絵札にはやんわりと入浴中の女性のヌードが描かれています(下図)。それゆえに、子供の頃この札を取ると速攻「エッチ!」と冷やかされたものです。笑

 前回のテアトロ・カジュで取り上げた小栗上野介も、入っていて良さそうな偉人ですが入ってない。これも明治政府の仕業かというと、そうではなくて、当初は小栗も候補の一つだったのだとか。

なぜ選から漏れたのかというと、この上毛かるたが編纂された太平洋戦争直後、かるたの内容もGHQの検閲を受けねばならなかったのだそうで、横須賀製鉄所を作った小栗は、日本を軍国化させた張本人とみなされたために、ヤクザの大親分・国定忠治の札などとともに却下されてしまったのだとか・・・。

 その候補作が「ち:知慮優かな小栗も冤罪」。代わりに採用されて今に至る「ち」の札は「力あわせる二百万」。これは群馬の人口を表したもので、僕が子供の頃は「力あわせる百六十万」でした。人口の推移とともに度々改訂されているのですが、もし小栗の札が採用されていたら、昨今の少子化によって人口が減っていく寂しさを感じずに済んだかもしれません。

 ちなみに上毛かるたを編纂した浦野匡彦は、小栗のように取り上げられなかった人々をまとめて象徴するような札を一枚入れています。「ら:雷と空風、義理人情」。この札は群馬県民の精神風土を見事に表しているとともに、白い読み札の中にあって、いろはの「い」の札とともに二枚だけ赤く色付けられている読み札のうちの一枚なのです。

 

2023年秋 紅月劇団 石倉正英

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小栗と小栗


Theatrekhajus4020230721  小栗上野介(群馬・東善寺)

 今、小栗上野介をテーマにした戯曲を書いています。

小栗上野介と聞いてピンときたあなたは相当な幕末通! 恥ずかしながら僕なんぞは、このお題を頂いた時「ああ、小栗判官ですね、それは面白そうだ」と答えてしまいました。

そうです、小栗判官と小栗上野介はまったくの別人物。しかも小栗判官は伝説上の人物。それに対して小栗上野介は実在した人物で、江戸末期に遣米使節団にも目付として参加し、勘定奉行等々を歴任、そして横須賀に日本初の製鉄所を作り、これまた日本初の西洋式ホテル・築地ホテルを作った近代日本の父の一人。

 しかしこの二人に共通しているのは、いずれも無惨な死を遂げたということなのです。

 小栗判官は、神奈川の藤沢他各地に伝説が残っていて、常陸国の小栗城城主・小栗満重をモデルにして創られた人物と言われています。

その土地によってストーリーは違うようですが、藤沢・遊行寺に伝わるそれは、謀略によって謀反の疑いをかけられ、鎌倉方に攻め落とされた小栗判官が三河へ脱出をはかる最中、藤沢に差し掛かったところで日が暮れ、親切にも宿を提供しようと申し出た横山太郎という者の屋敷に泊まることにします。しかし、この横山太郎というのは、実は小栗の持ち金目当ての盗賊で、結果、小栗は毒殺されてしまうのです。

 かたや小栗上野介は戊辰戦争勃発後、東国に攻め上がる薩長連合軍に対し、真っ向勝負、徹底抗戦をとなえ、箱根を越えてきたところで陸と海から撃退する秀逸なプランを提案するも、弱腰の将軍・徳川慶喜は勝海舟のとなえる無血開城恭順プランを採択。その後小栗を罷免してしまいます。

 ちなみに、後々日本陸軍の創始者となる薩長連合軍の司令官補佐・大村益次郎は、事後、小栗の提案したプランを耳にすると震え上がり、あれが採択されていたら今頃自分たちの首はなかっただろう、と述懐しています。

 ともあれ、小栗は驚くほど潔く身を引き、代々の知行地である上州・高崎の権田村に引きこもりますが、小栗を恐れた薩長連合軍に難癖をつけられ、なんの取り調べもなく斬首されてしまうのです。

 二人ともなんとも実に悲運な、無惨すぎる死を迎えたものですが、好対照なのはその死の後のこと。

 小栗判官の方は死した後、閻魔大王の同情によってこの世に蘇り、熊野の温泉に浸かって復活すると、見事復讐を果たすのに対して、小栗上野介はその死に際し、納得いかずに大声で異議をとなえる家臣を諌め、「この期に及んだら致し方ない。武士らしく諦めよう」と言って抵抗せずに死んでいく。もちろんその後の復讐劇も祟り話もありません。

実在の人物だからといえばそれまでですが、近代日本の影の立役者であるはずなのにそこまで知名度がないのは、明治政府によってある種意図的に忘却せられたからとも言われています。

にも関わらず「うらめしや~」と化けて出てこないところは、やはり正真正銘の武士だったからなのでしょうか。はたまた、先進国のアメリカをその目で見て、魑魅魍魎が跋扈する江戸の夢から覚めたからでしょうか・・・。

 自らの死を不服として蘇り復讐する小栗と、潔くその死を受け入れる小栗。皆さんは、どちらの小栗に魅力を感じるでしょうか。

 

カジュ通信 2023年夏号 紅月劇団 石倉正英

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夢ちがえ

20230421-211643   法隆寺の夢違観音

 梅が香を夢の枕に誘いきて さむる待ちける春の初風

 なんとも朗らかな気持ちになる源実朝の美しい歌。これが詠まれたのは、きっとまだ梅が咲くか咲かないかの冬の時分のことでしょう。そんな時、梅の花の香りに包まれる夢を見て、やっと春がやってきた!と思ったところで目が覚める・・・。そう、良い夢というのは得てしてこれから!というところで目が覚めるもの。想い人が登場した夢など、さあこれから楽しい時間が、というところで目が覚めて、その続きを見ようと二度寝するけれども、無常にも全く違う夢が始まってしまう・・・。まこと、世の中は夢であってもうまくいかないものです。

逆に悪夢は、もうだめだ!というところで目が覚めて、あー夢で良かった!と思うもの。皮肉と言いましょうか、世の理と言いましょうか。

皆さんは何度も見る悪夢というのはありますか? 僕は子供の時分、ダムを上から覗いていたり、断崖絶壁のような足のすくむところから下を見ていて、なぜだか、あーもういいや!と、下に向かってダイブしたところで目が覚めるという夢をよく見ました。フロイトの夢判断は、僕にはどうも眉唾なような気がするのですが、この悪夢はまさに無意識の自殺願望の顕れだと言われたら、確かにそうだったかもしれないなという気がします。それほどまでに、子供の頃は大変な毎日を送っていたものです。まー多かれ少なかれ、誰しもあったことだと思いますが。

 それが大人になって芝居に携わるようになり、特にここ数年の僕の見る回数ナンバーワンの悪夢は次のようなものです。

 舞台の本番が近づいているのになんの準備もできずにいる。そして無常にも舞台の幕は上がり、お客さんがたくさんこちらを見ている。何かしようとするのだけど、何も思いつかず、何もできずにいる・・・そこで目が覚めるという夢です。夥しい寝汗をかいていることは言うまでもありません。本当に恐ろしい夢です!

 今年は3年ぶりの鎌倉路地フェスタが開催されることになり、ちょうど今年から始めた一人芝居のプロジェクトで参加することになりました。そこでは澁澤龍彦さんの「ねむり姫」という作品をベースにしたオリジナル戯曲をやるのですが、そのねむり姫と同じ本に収録されているお話に「夢ちがえ」というものがあります。

 ある女が、恋焦がれている男を自分のものにするために、その男が恋している恋敵の夢を奪い取ることで男の気持ちを自分に向けようとする奇妙奇天烈なお話。すごい方向から攻める女性もあるものだと感心してしまいますが、昔の人の夢の捉え方は、今のそれとは比べ物にならないほど重いものだったのでしょう。奈良の法隆寺には「夢違観音」というのが残されていて、これは悪夢を良い夢に変えてくれるありがたい観音様なのだそうです。

 西洋のねむり姫、すなわち「眠れる森の美女」は、悪い魔女の呪いによって100年もの間延々と眠らされるわけですが、その呪いを緩和してくれた良い魔女の魔法によって、100年の間、楽しい夢ばかりを見て全く飽きなかったのだと言います。今回僕が上演するねむり姫の主人公、鎌倉時代の京の都のお姫様も、長い眠りについている間、楽しい夢を見られたのでしょうか・・・。


カジュ通信 2023年春・初夏号 紅月劇団 石倉正英


 
 

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あやつり人形

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 昨年12月に「独裁者のシンフォニー」という作品を上演しました。世界中の悪名高い独裁者に集まってもらって、今地球が直面している環境問題を解決してもらおうという内容。ポイントは意のままに各国民を操ることができる反面、危険な爆薬ともなりうる独裁者をいかにうまく操るか、というところなのですが、作品では案の定失敗してしまいます。
 この作品を作っているとき、ふと、一見すべてを意のままに操っているように見える独裁者も結局は何者かに操られているのではないか、という妄想にかられました。 それで、これらの独裁者を糸操りの人形のような動きの演出にしては、と思ったのですが、これがなかなかうまくまとまらず、最終的にはサンダーバードのような「人形振り」のぎこちない動きを採用するに至りました。

 操り人形は、古来より世界各地に伝わっていて、日本にも「江戸操り人形」と呼ばれる主要な関節に付けられた十数本の糸で緻密に人形を操るものや、黒子三人で一体の人形を操る文楽などがありますね。

 ヨーロッパにもチェコをはじめ各地に操り人形の形態が残っていますが、テアトル・ド・ソレイユというフランスの劇団が日本の文楽をモチーフにした演劇作品は、一人の役者を文楽人形に見立て、二人の黒子役の役者がそれを操るという演出のものでした。

 面白いなと思ったのは、特にヨーロッパの操り人形では人形をコントロールして意を表現する、いわば「使役タイプ」なのに対して、日本のそれでは、操り手は自分を消して黒子に徹し人形を「生かす」ことに重点が置かれている、いわば「滅私奉公タイプ」。国民性の違いと言いましょうか。

 「操り」というと宿主を意のままに操る寄生虫がいるというから驚きです。吸虫という虫の一種の成虫の住処は牛の肝臓。その吸虫が卵を産むと、卵は牛のフンと一緒に排泄されカタツムリに食べられる。カタツムリの中で幼虫が孵化すると、カタツムリはその幼虫を保護嚢で覆い甘い粘液と一緒に吐き出す。それをアリが食べると幼虫はアリの脳に入ってアリをコントロールし、草の高いところに上らせて牛が草と一緒に食べてくれるのを待つ。そして牛がそれを食べるとアリだけが消化され、成虫となって牛の肝臓に住み始めるというのです。何ともゾッとするような操りライフサイクル・・・。吸虫にはこのほかに、鳥の体内に住むためにまず餌となる魚に寄生し、鳥の目につきやすくするために宿主の魚に「死のダンス」をさせるものまであるそうです。恐ろしや・・・。

 人間も皮膚の表面から内臓に至るまで、夥しい微生物や小さな虫と共存しています。ん? 昨夜しこたま飲んだ帰り道、いけないいけないと思いつつもラーメンを食べてしまった、あの我が意に反する行動をとらせたものはひょっとして・・・。

   案外、人間を操っているのは、とても小さな生き物なのかもしれません。


2023年新春号 紅月劇団 石倉正英



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衝撃の事実、法華経の中に法華経は書かれていない

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多摩羅栴檀の香?(2021年初演より)


 ただ今、来週に迫った「不愉快なみほとけ~日蓮聖人殺害計画~」という公演の本番に向けて絶賛準備中です。この作品は、昨年の4月に初演したもので、今回が2回目の公演。初演の時にたまたま日蓮宗のお坊さまに観ていただく機会を得、さぞ怒られることかと思っていたら、思いのほか気に入っていただけて、なんと鎌倉のお寺の中でも日蓮さんのお骨を納める、一際ゆかりの深い名刹・本覚寺の本堂での再演とあいなったのでした。まこと光栄なことでございます。いやー、嬉しいやら怖いやら・・・笑。

 これは頑張らねば、ということで、不肖石倉、一念発起、日蓮さんが「最高の経」と称えた「白蓮華のように最も優れた教え」という意味の「法華経」を真剣に読み直しました。

 みなさん、お経は読まれたことはありますか? 僕はこの作品を手がけるまで、ついぞその中身を紐解いたことはありませんでした。今回本腰を入れて法華経を読んでみて、はー、ほー、へーの連続でした・・・。

 てっきりお釈迦様が、我々凡人を導くための教えが満載なのかと思っていたら、どうしてどうして、お釈迦様の舌が伸びてきて、そこから無数の如来が現れたとか、地面が割れて黄金色の体をした菩薩が夥しく現れ出たとか、とてつもなく美しい宝塔が現れたとか・・・そんなSFチックなエピソードが満載なのでした。中でも一番びっくりしたのは、法華経の中身が具体的に書かれていなかったこと! 「お釈迦さまが法華経を説いた」とは書かれていても、何を語ったのかが一切書かれていないのです。

 その理由らしきものを知ったのは、かの初演を観に来てくださった日蓮宗のお坊さま、鎌倉は安国論寺のご住職にお話を伺った時のこと。いわく、お釈迦さまがおられた時代、神聖な言葉というのは文字にすることが禁じられていたとのこと。加えて法華経の中でも、真の悟りに導くための方法を凡人に説いたところで戸惑うばかり、言っても無駄だとお釈迦さま自身が繰り返し言っておられるのです。

 なんだよ、それじゃあ僕ら凡人が法華経を読んだって意味ないじゃん! と思った矢先、なぜだかその中の一文が僕の目を惹きました。

 それは大目犍連(だいもっけんれん)という十大弟子の一人に、釈迦が言った予言で、いわく「お前は何度か生まれ変わった後『多摩羅栴檀之香(たまらせんだんのかおり)』という名の如来となるだろう」と。多摩羅栴檀というのは、法華経の中で「見宝塔品(けんほうとうほん)」という巻に出てくる宝塔が放つ香りのことで、タマーラという木の葉とセンダン(一説には白檀)の木の香り、と表現されています。とてつもなく素晴らしい香りなのだと・・・。

こんな美しい名前を授かった大目犍連とはどんな人物だったのか・・・言い伝えによれば、釈迦が仏教を創始した時代では、仏教もいわゆる新興宗教の一つで、他の宗教からとても疎まれていたのだそう。そんな中、あの大目犍連さえやっつけてしまえば釈迦の一門を潰すことができると、他教の教徒によって街頭でなぶり殺しの目に遭う人なのでした。言い換えれば、釈迦にとってそれほど重要な人物だったということ。

この大目犍連が、なぜだか今回の作品の登場人物の一人にとても近いように思え、そのイメージを重ねることによって、初演時には行き着けなかった数段高い次元にまで芝居を深化させることができたのでした。

法華経を読んで、同じような気づきを得る人は、過去にも未来にもたくさんいることでしょう。「最高の経」と言われる所以はこんなところにあるのかもしれませんね。

 

2022年秋冬号 紅月劇団 石倉正英

 




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最後の舞台

20220810-213930 華狩頌(棟方志功)

 先日、3年ぶりに大先輩の野口祥子さんという舞踏家さんの舞台をお手伝いする機会を得ました。棟方志功の版画をモチーフにした作品で、今のウクライナにも通じる「祈り」をテーマにした美しい舞台でした。今年78歳になる野口さんですが、その動きは全く衰えず、よくもまあこんなにもしなやかに、かつキレのある動きができるものと感心してしまいます。

 彼女の企画に参加するのはこれで3回目。毎回舞台監督という役回りなのですが、一般的な舞台監督とはちょっと違って、稽古にも毎回参加、コメントも求められるのが常でした。演出としての参加のようでもあり、僕も演出家の性質上、毎回真剣に観、作品を良くするべく、厳しく辛口のコメントを言う意識を持って稽古に参加するようになっていました。

 ところが、今回はなぜだか野口さんに関しては優しい目で観ている自分がいました。他の出演者には辛口のコメントをしていたにも関わらずです。そして共演者からも「ここは野口さんらしく、このままで良いのでは」といった優しい言葉が多く出て、なんだか皆彼女に気を遣っているようでありました。

その理由が明かされたのは千秋楽を終えた打ち上げの席でした。野口さんから「私の企画公演はこれで最後にします」という言葉が・・・。彼女らしく涙などなく、実にからりとした宣言でした。踊りはこれからも続けるけれど、自主企画の舞台はもう大変で・・・ということのよう。78歳という年齢を考えれば至極当然のことのようですが、皆一様に寂しさを感じた打ち上げとなりました。

どんな仕事でも引き際というのはとても大切で、難しいタイミングだと思います。サッカーのカズ選手のように55歳を過ぎてもまだ現役にこだわる人もいますし、全盛期に最高の結果を残すところでやめる人もいる。

芝居においては、どんな年齢でも、それ相応の役というものがあり、70歳を過ぎてもまだ駆け出しと言われる文楽のような世界もある。舞踏の世界でも、思うように動けなくなったらおしまいかというと、そうでもなく、大野一雄さんのように車椅子で踊る人もいる。

まこと絶対的な終わりのタイミングというものはなく、ひとえに自分が終わりにしようと思った時が引き際なのでしょう。こと舞台という世界では、その引き際が、やる人と見る人たち双方でたまたま一致した時にこそ「有終の美」というものが現れ出るような気もします。

今回、6場で構成された作品の最後の場は、棟方の版画「華狩頌(はなかりしょう)」をテーマにしたシーンでした。馬の動きから矢を放つ動き、祈りを経て最後に花を咲かせる・・・。今思うと、参加していた皆が終わりを感じていたがゆえに、最後のそのシーンにとても良い形で「有終の美」が現れ出たように思います。

自分がどう最後の舞台を迎えるのか、現時点では全く想像もできませんが、最後の「花」に至る彼女の一連の動き、祈りの姿の美しさを、舞台袖から心に焼きつけようと思いながら観ていました。



2018年秋冬号 紅月劇団 石倉正英

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沈黙

 落語好きの友人に聞いた話ですが、ある落語家さんの高座を聴きに行った時のこと、その人が登場するや客席からクスクスと笑いが。その後、高座に座ったきり黙ってじっとしているだけなのに、客席には次第に爆笑の渦が・・・。それからしばらくしてようやく一言「私、まだ何もしゃべっていないんですが・・・」それを聞いた会場は再び大爆笑。沈黙がもたらす笑いなんてあるんだなぁ、と感心した次第です。

 似たようなお話をもう一つ。かの文豪・島崎藤村が旧制一高(今の東大)に呼ばれて講演した時のこと、講堂いっぱいに集まった学生たちを前に登壇した藤村は、20分もの間、下を向いたまま黙りこくり、最後にため息を一つ吐くと去って行ってしまった。すると会場は拍手喝采、学生たちは口々に「やっぱり藤村は良い!」と言っていたそうです。20分間の沈黙・・・やる方もさることながら、それをまんじりともせず聴いていた学生たちにも舌を巻きます。

 「帰ってきたヒットラー」という映画の中でも似たようなシーンがありました。タイムスリップして現代に蘇ったヒットラーがコメディアンとしてTVの生放送に出演するのですが、カメラに映されて本番が始まってもじっと立ったままひたすら黙りこくっている。慌てふためくスタッフを見てヒットラーは心の中でこう言います。「バカめ、沈黙のもたらす効果を知らんのか。」

 映画といえば、昨年久しぶりに素晴らしい映画に出会いました。そしてそこでも沈黙に関する面白い体験をしたのです。

ヨハン・ヨハンソンという音楽家が撮った「最後にして最初の人類」という映画で、1930年に発表された同名のSF小説が原作。はるか未来、地球が滅亡する間際の人類が、現在の人類にテレパシーを使って語りかけてくるというお話で、最後の人類からのメッセージをイギリス人の女優・ティルダ・スウィントンが語り、映像は全て旧ユーゴスラビアの社会主義政権が作らせた巨大モニュメント「スポメニック(戦争記念碑)」。そこにヨハン・ヨハンソンの音楽が流れるだけの映画なのですが、この言葉・音楽・映像のマリアージュが実に奥深く、示唆に富んでいて素晴らしかった。

 その劇中、終末を予感させる台詞が続いていく中、音楽はとても不安な感じで次第に音量を増し、映像はスポメニックの丸い穴にすっぽりとハマった赤い太陽をクローズアップしていく・・ああ、この後いったい何が起こるのだろう、と知らず知らず胸が高鳴ってきた時、突如、真っ暗になるとともに沈黙が訪れたのでした・・・。その瞬間、僕は心底びっくりしました。そう、大きな音でびっくりすることはあっても、沈黙にびっくりしたのは恐らく生まれて初めての体験でした。その沈黙が何秒続いたか分かりませんが、僕はその間、なんともいえない恐怖に包まれて、ガタガタと震えていたのでした・・・。

 笑い、興味、恐怖・・・シチュエーションや意図によって様々なものを生み出す「沈黙」。ヒットラーの言うように、その効果はかくも絶大です。

 先日、グラミー賞でのゼレンスキー大統領の演説の中にこんな言葉がありました。「我々は沈黙をもたらされた。どうかこの沈黙をあなたたちの素晴らしい音楽で埋めていただきたい。」さぞ会場のミュージシャンたちの心を打ったことと推察しますが、ふと、そこにジョン・ケージの「4分33秒」という音楽を届けたらどうなるだろうか、と夢想してしまいました。「4分33秒」とは、4分33秒間、全く音を出さないという音楽作品。そこには、その沈黙の中で、その場の環境音を音楽として聴くという裏の意図があります。

 もし全世界の人々が、今のウクライナに身を置いてそれを聴いたなら、たびたび繰り返される無闇な戦争もしばらくの間は終わりを告げるのではないか、と。



2022年カジュ通信 春・初夏号 紅月劇団 石倉正英

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祝25周年

20220216-155711  祝25周年! 一同カジュに礼!


 先だって12月10日に行った2021年の最終公演で思わぬことが起こりました。カーテンコールで挨拶を終え「それでは皆さん、良いお年を」と言いかけたところ、やおらマイクを握っていた役者が割って入り、突然観客席から大きな花束を抱えた女性が現れて・・・何が起こったのかと目を白黒させていたところ、それは劇団メンバーと元スタッフの常連さんが企画してくれた、我が紅月劇団創立25周年のお祝いセレモニーだったのでした。

25周年? すっかり忘れておりました・・・。そんな情けない座長に素敵なプレゼントを用意してくれた彼らには、もう感謝しかありません。彼らとて25周年を祝われる立場のはずなのに。この場を借りて、彼ら、およびこれまで関わってくださった方々、応援してくれた方々、そして何より足を運んでくださったお客様方に心より御礼申し上げます。

 が、しかし・・・白状すると、この時僕は心の中でとても失礼なことを考えていたのでした。喜んで然るべきなのに、なぜか変に冷めていて、皆の手前必死に喜ぼうとしている自分がいる。照れとか恐縮とかとは違った、この妙な違和感はなんなんだろう・・・。こんな気持ちでここにいるのがお客さんにもメンバーにも申し訳なくて、早くこの場を終わらせようと、そればかりを考えていました。誠に罰当たりなことです。

 ところが、それからしばらくして、お礼の言葉をSNSに投稿しようとしていた時、ふとその答えめいたものに行き当たりました。

ひょっとすると、この違和感こそが25年続けられた所以なのではなかろうか、と。

 ちょっとわかりにくい感覚かもしれませんが、もし5年、10年で心底喜び、達成感のようなものを感じていたら、こんなにも続かなかったのではないかと思ったのです。

というのも、一つの公演を行うことはとんでもなく大変な時間と労力を要します。ゆえに、1回目の旗揚げ公演も、7年目の酷評された公演も、20年目の記念公演も、やる側の僕らにとってはどれもが同じように大切で、特別で、愛おしい公演なのです。これまでひたすら見つめ続けてきたのは、そういった目の前の公演一つ一つだったのだ。バカの一つ覚えのように、飽きもせずそれをやり続けてきた結果、気がつけば25年経っていたのだ・・・。そんな当たり前なことに、今更ながらに気が付いたのでした。それゆえ、公演の最中に祝25周年と言われても実感が湧かず、ポカンとしてしまったというのが本当のところかもしれません。

 25年といえば四半世紀。この世に生を受けてから大概の人が社会人になる年月。それを考えると大したことのようにも感じますが、25をウィキペディアで調べてみると、こう書いてありました。「25とは自然数、または整数において24の次で26の前である」・・・まさに至言。そうだ、これからもこの失礼な違和感を大切にしていこう!

 今年はカジュさんにとっての25周年とのこと。奇しくも僕らのひとつ下ですね。こんなふうに書いておきながらなんなのですが、ただただ目出たく、すごいことに思えます。心よりお慶び申し上げます。

建物にとって、そこで暮らす人々、活動する人々は血のようなもの。100歳を迎える古民家が今なお生き生きと建っている。それがカジュの25年を余すところなく語っているように僕には見えます。

同じ時代を歩んできた盟友に乾杯!

 

2022年初春 

紅月劇団 石倉正英

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