若山牧水
若山牧水像(沼津・牧水記念館)

今年紅月劇団は創立30周年を迎えます。25周年の時にもこのコラムで書きましたが、30年は29年の次の年であり、31年の前の年であるに過ぎない。今年もただの一年であり、尊い一年として普段と変わらず一歩一歩前へ進んで行こうと思います。そしてこのコラムも気がつけば連載50回目! 読者の皆さまにはいつも拙文に目を通していただき、誠にありがとうございます。こちらもいつもと同じように書き始めていこうと思います。
とはいえ紅月劇団としては、今年は今までにやったことがなかったこと、すなわち他の地で作った作品を我がホーム、鎌倉の地で上演してみようと企てています。その第一弾は昨年群馬県の中之条町で公演した「BOKUSUI」、歌人・若山牧水をテーマにした作品です。生涯、酒と旅、自然を愛し、その全てを歌に詠んだ牧水は、たびたび群馬の地を訪れていて、各地に歌碑が残されています。
牧水は川の水源に殊更な愛着を持っていました。それゆえ、利根川の水源である群馬北部にもたびたび足を運んでいたのです。
利根川には、僕の故郷・沼田市のところで片品川が合流します。片品川は群馬と栃木の北部の県境、金精峠の途中にある神秘的な湖、丸沼・菅沼のあたりにその水源があります。丸沼や菅沼は夏でも涼しくほぼ手付かずで大きく(沼というよりは湖)、僕にとっても子供の頃からよく遊びに行っている大好きな所。ある時、牧水も沼田を起点にこの水源を辿り、金精峠を越えて中禅寺湖の方まで足を延ばす旅をしたことがありました。
当時、丸沼・菅沼のあたり一帯はC家の土地でした。「Cさんは自分の家の敷地だけを歩いて栃木まで行けた」と、父親から聞かされたものでした。牧水が訪ねた時分もそうで、C家は丸沼で鱒の養殖をやっていたのだそう。その番人の住む小屋に泊まらせてもらうため、牧水は沼田の知り合いに紹介状を書いてもらってC家を訪ねたのでした。そして許諾を得ると案内人を雇って丸沼への山道に入ります。牧水の「みなかみ紀行」より、その足跡を辿ってみましょう。
黒い木の森に驚く牧水に、案内人はそれらの木の名前をひとつひとつ教えてくれます。
「これが橡、あれが悪ダラ、樅(もみ)、栂(とが)、檜、唐檜(とうひ)、黒檜(くろび)」そして牧水はこんな歌を詠みます。「聳ゆるは樅栂の木の古りはてし黒木の山ぞ墨色に見ゆ」
「さらに私を驚かしたものがあった。私たちの座っている路下の沼のへりに、たけ二・三間の大きさでずっと茂り続けているのが思いがけない石楠花の木であったのだ。深山の奥の霊木としてのみ見ていたこの木が蘆葦の茂るがごとくに立ち生うているのであった・・・」
今でこそさほど珍しく感じない石楠花という木が、この頃には山深く分け入らないと出会えない幻の木であったのですね。
丸沼に着くと番人の老人は無類の酒好きでした。牧水が自分で飲むために携えてきた一升瓶を見てえらく喜びます。そしてろくな食事も用意できないからと、丸沼で魚を釣るように勧めます。釣り好きだった牧水は大喜びで小舟を出すと、短時間のうちに大きな鱒を十匹も釣り上げるのでした。大正12年、牧水37歳のこと。
恐らくそれから数十年後のことだと思いますが、僕の母方の祖父が切手の収集が趣味で、同好の士であったC家の当主と仲が良く、当時完全な禁猟区であった丸沼に、秋になると招かれて一緒に鱒釣りをし、リュックいっぱいに鱒を詰めて帰ってきた、と母が話していました。
冬季は通行止めになり、ゴールデンウィークまでは人が入れなくなる金精峠。丸沼は今ひっそりと雪に包まれています。
カジュ通信 2026年春号 紅月劇団 石倉正英
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行間は踊る、されど進まず
上毛かるたの「よ」と「ら」
